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朝鮮征伐に対する軍事分析

1 :名無し三等兵:03/08/05 21:12 ID:???
日本史板のスレッドでも活発に議論されている戦争を
より軍事的観点から分析しましょう。

日本史板の朝鮮征伐スレッド
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1059809396/l50
(但し、現在当該スレッドは「朝鮮征伐と呼ぶな!」と粘着に叫んでいる厨がいてウザいですが)

254 :名無し三等兵:04/05/05 14:56 ID:???
>>249
損耗率が異常に高いのも最初の1年だけで、
それ以後は南に立てこもっているからそれほどでもない。

ただし、戦役を通じて常に最前線にいた小西・加藤・島津の3軍団は違っていたようだ。

加藤清正や小西行長の与力大名(宗・松浦など)は在国していた。
島津義弘はわずか1500の兵しか出せなかった。
小西行長は関ヶ原に出兵したが、ほとんど活躍していない。

彼らはそれなりにダメージを受けていたものと思われる。

255 :名無し三等兵:04/05/05 16:16 ID:???
>>192の損耗率を見ると、
三成がかわいそうに思える。
こんな戦争の監督するのやだよ。

>>249
>>199に立花宗茂の例が挙げられているが、
確か関ヶ原での彼の割り当てはこの実員数とほぼ同じ。
ただ、彼は無理して4000人連れて来てるが。
基本的に寛永飢饉まで善政なんて概念は無いと言われてるし、
みんな無理したんじゃないかなあ。

>>254
西軍の島津勢は本隊じゃないよ。

256 :名無し三等兵:04/05/05 17:04 ID:???
>>254
小西は活躍しているし、
島津は地元重視で国元に兵をたくさん置く方針だった。

257 :名無し三等兵:04/05/06 13:25 ID:???
関が原の島津は義弘直属の旗本や最強の郷士といわれる出水出身の連中が大半。
士分の者は少なかったともいわれるが質的には義弘の戦いの中では最上のメンバーだったかも。

小西の方は精鋭は本国に置いてきたと聞いたな。
朝鮮での損耗が最も高い軍団の上にそれでは振るわなかったのも納得。

258 :名無し三等兵:04/05/06 20:39 ID:???
三成も2000人中500人ほど失っているが関ヶ原では多く動員した

259 :名無し三等兵:04/05/06 20:43 ID:???
だいたい定員通りに動員されていたのか?
島津は日本一の大遅陣と嘲笑をかっていたが・・・

260 :名無し三等兵:04/05/06 22:01 ID:???
>>257
「旗本」ってのは基本的に本陣を守るのがお仕事。
敵陣を崩したり、蹴散らしたりすることを想定した部隊ではない。
そんなのが大半な上に士分の者も少ないのでは、
島津が関ヶ原でなーんもやらなかったのもうなずける。

261 :257:04/05/06 23:38 ID:???
悪い。勘違いしてた。
少なかったのは所謂「武将」と呼ばれる連中だ。士分じゃない。
島津なら上井覚兼や山田有信や伊集院なんたらといわれる人ら。

最初から同行してた旗本や小姓が200人ほどで
そこに個々の士や郷士が集まった結果、質的にも戦闘意欲でも相当なものになったと思うよ。

262 :名無し三等兵:04/05/07 06:50 ID:R1ZrKq46
負け続けたといわれる水軍の大名も
あまり関ケ原動員でダメージを感じない

263 :名無し三等兵:04/05/07 09:26 ID:???
日本が投入した船舶量の資料はあるの?

264 :名無し三等兵:04/05/07 13:38 ID:???
アウトソースの牢人を雇って使ったんじゃないの?

大阪の陣なんかは失業牢人が金で大挙雇われた。

265 :名無し三等兵:04/05/07 17:26 ID:???
>>249
あの参謀本部がまとめた「損耗率」というのは、
当時のソウルに在陣した数を集計したもので、
それを出征当時の数から引いたのを「損耗」とするべきかは、
果たして妥当か最高の余地がある。
釜山からソウルまでのつなぎの陣や、どこかに控置した人員も
ある程度あると考えるのが普通じゃないか?

もしその損耗率を前提に文禄の役の死者「5万」がはじき出された
としたら疑問が残る。
しかし戦死より病死のほうがはるかに多かったと言われるので、
それに近い万単位での未帰還者があったのは事実だろう。

慶長の役では戦域の広さや秀吉の配備の慎重さから犠牲者は
半数以下だったとおもわれる。
いずれにせよ足掛け七年におよぶ戦役での犠牲者数としては
国内動員数に影響が出るほどのものではない。
当時は人口急増期でもあったし、若者はどんどん補充された。

関が原に集まった20万ほどの数はむしろ少ないと感じられる。

266 :名無し三等兵:04/05/07 23:45 ID:sYOEbimi
日本軍の16万人中5万人が死んだというのも嘘?

267 :名無し三等兵:04/05/08 00:21 ID:???
>>265
関が原の場合は
同時期に東北から九州まで日本全国で小競り合いが行われてるからな
それらをすべて換算すればかなりの人数になると思われ。

268 :名無し三等兵:04/05/08 04:47 ID:???
>>261
残念ながら、小身の家臣なんてものは、攻撃の場面ではあまり役に立たない。
攻撃=軍功の取り合いと考えいたれば、
攻撃の際の指揮のしやすさが忠誠心と比例するものではないことが理解できるだろう。
攻撃を担当する先備には、一族郎党を引き連れ一個の戦力単位として扱うことのできる
大身の家臣が選ばれる。
島津は関ヶ原に彼らをほとんど連れて来ていない。
楯しか持たずに戦場に来たようなもの、と言うことができよう。
ただ、楯の性能は、言う通り相当なものだったかもね。

ちなみに、この時、家康も同じような状況だったりする。

269 :192=199=242:04/05/08 13:20 ID:???
>>265
文禄元年に渡海した日本軍は陣立書によると約204,000人であり、
次のような体制で越冬した。

1 ソウルから平壌までの兵站を守備していた軍(約83,000人)
  (小西行長・大友・黒田・小早川・宇喜多など)

2 ソウルから釜山までの兵站を守備していた軍(約66,000人)
  (福島正則・生駒・蜂須賀・長曽我部・戸田・毛利輝元・羽柴秀勝)

3 日本海側に駐屯し、兵站から切り離されていた軍(約37,000人)
  (加藤清正・鍋島・島津・毛利吉成など)

4 昌原城に駐屯し、晋州城の朝鮮軍と対峙していた軍(約18,000人)
  (細川忠興・長谷川・木村など)

翌文禄2年、明の大軍が南下して平壌が陥落。
この事態を重く見た日本軍は上記のうち1と3をソウルに集結させて明軍に対抗した。
碧蹄館の大勝後、3月にソウルに駐屯した日本軍を監査したところ約53,000人であった。
>>192>>199で挙げた数字はその一部)
1と3の合計は12万人だから、損耗率は55.8%ということになる。

270 :192=199=242:04/05/08 13:21 ID:???
(続き)
死者5万という数字は、宣教師ルイス・フロイスの「日本史」という記録にある。
「兵士と輸送員を含めて15万人が高麗に渡った。
 そのうちの3分の1にあたる5万人が死亡した。
 敵によって殺されたものはわずかであり、大部分のものは、
 労苦・飢餓・寒気及び疾病によって死亡したのである。
 高麗人の死者については、日本人のそれとは比較にならぬほど厖大であった」

これによると、陣立書の20万人のうち5万人は渡海していなかったということになる。
ただし、55%でなく33%であっても、凄まじい損害であることは間違いない。

271 :名無し三等兵:04/05/08 13:40 ID:???
>>268
うーん、家康のはほんとにスカスカだが、ちと島津とは違うような。

参加した連中の内訳を各種の書物で読んだことがあるが、
やはり一騎当千の鬼として家中で名の知れた連中が多かったよ。
特に脱出時に同行できた80人にとか。

272 :名無し三等兵:04/05/08 22:53 ID:???
>>269
質問だが、
1の数が多すぎるような気がする。
当初の15万余りの渡海の陣立てを見ると5万余程度。
その後の増派と配置の状況が把握できないので今ひとつよくわからない。

273 :192=199=242:04/05/09 00:24 ID:???
>>272
当初の陣立書から約45,000人増強されている。
約20,000人は宇喜多秀家とともにソウル周辺を守備し、
約14,000人は細川忠興とともに晋州城攻撃に従事した。
残りの約11,000人は釜山橋頭堡及び釜山−ソウルの兵站線上に配備された。

また、文禄元年8・9月頃、
全羅道攻略に従事していた小早川隆景の第6軍と毛利軍の一部(吉川広家ら)
あわせて約24,000人をソウル北方の開城に配備した。
同年7月に明軍が平壌を攻撃しており、明の本格介入に備えた措置と思われる。

274 :192=199=242:04/05/09 01:12 ID:???
>>273の続き)
あと、細かい点だが、>>269の4には、
九鬼嘉隆・脇坂安治・加藤嘉明ら水軍将の兵力(3750人)が含まれている。
彼らは昌原郡熊川に駐屯し、朝鮮水軍の襲撃に備えていた。

275 :名無し三等兵:04/05/09 02:31 ID:???
>>271
鉄砲による敵陣攪乱と槍隊による圧迫、
騎馬兵(騎馬に乗れるぐらい大身の武将とその郎党の意味)による敵陣破壊
というのが基本的な流れになっていたあの頃の大規模戦闘において、
「一騎当千」の小身武将の役割は、身を挺して本陣を守ることのみ。
最後の80人に残るというのは、そういう意味に他ならない。

当然の事ながら、本陣と攻撃担当部隊たる先手というのは別れるわけで、
ゆえに先手は一個の戦闘単位として動いてくれなければならない。
一騎当千とは言え部下を率いていない人間の出る幕ではない。

攻撃要員は彼らではなく、
むしろ途中で踏みとどまった豊久や阿多盛淳の方であったと
考えるのが自然だろう。

276 :192=199=242:04/05/09 03:11 ID:???
>>273をもう少し正確に書くと次のとおり。

a 宇喜多秀家(10,000)とともにソウルに駐屯(石田・増田・大谷ら) 19,300
b 細川忠興(3,500)とともに晋州城攻撃に参加(長谷川・木村ら) 9,500
c ソウルに駐屯していたが、朝鮮水軍討伐のため南下(九鬼・脇坂・加藤嘉明) 3,750
d 釜山橋頭堡付近を警固(藤堂高虎ら) 4,500
e 釜山−ソウルの兵站線上に配備(宮部・中川ら) 8,200

>>269の配備でいうと、aは1、bとcは4、dとeは3ということになる。

277 :276:04/05/09 03:15 ID:???
間違えた。スマソ。

×dとeは3ということになる。
○dとeは2ということになる。

鬱・・・。

278 :名無し三等兵:04/05/09 07:43 ID:???
ガンガレ

279 :276:04/05/09 10:32 ID:???
言い忘れていたけど、
>>276は当初陣立書から増援した約45,000人の配置先。
ソウル防衛を非常に重視していたことがわかる。
(b・cも当初はソウルに派遣されていた)

まとめると、平壌−ソウルの兵力配備は、こうなっていた。
小西(約18,000)−大友(6000)−黒田(5,000)−小早川(約24,000)−宇喜多(約30,000)

最初開城は戸田勝隆(3,900)の兵が守備していたが、小早川軍をこれに代えた。
後に碧蹄館で小早川軍はほぼ独力で明軍を撃破しており、この兵力転用は成功したといえる。

280 :名無し三等兵:04/05/09 14:10 ID:???
島津隊なんですけど、国許への増援を頼んだのが6月で
その後は島津忠久と久新納旅庵が到着、9月に阿多長寿院盛淳・山田有栄らが
到着したので、決して小身ばかりではないはずです。

281 :280:04/05/09 14:49 ID:???
とはいえ「一騎当千の強者揃いではあるが攻撃向けの人材が少なかったので
積極的に攻勢に出れなかった。脱出時を除き全般的に見るべきものがなかった」
という見方は何となく納得がいきます。

282 :280:04/05/09 14:58 ID:???
>後に碧蹄館で小早川軍はほぼ独力で明軍を撃破しており、この兵力転用は成功したといえる

立花隊三千も忘れないでください。
参謀本部編纂の戦史だと長州閥を配慮してか小早川隊が苦戦する
立花隊を救ったという形が通説になってるけど。

283 :名無し三等兵:04/05/09 21:18 ID:???
>>280
大身武将が多いならば、結構実戦的な編成だったのだろう。
(といっても、2000に満たない人数でどこまでそれが適当なのか・・・)
島津が、関ヶ原において見るべきところがない最大の理由は、
そもそもやる気がなかった事につきるでしょう。
それが軍団編成に影響した可能性も、もちろんあるし。


後、どちらにしろ兵力転用が功を奏した事には変わりがないような。>>282

284 :名無し三等兵:04/05/09 23:16 ID:???
>>282
もちろん忘れていませんよ。この小早川軍(約24,000人)には、
立花宗茂・吉川広家・毛利元康・小早川秀包・高橋直次・筑紫広門が含まれています。
隆景が指揮をとっていたので、こういう表現になりました。

フォローといっては何ですが、立花宗茂について。

立花宗茂は、秀吉から「九州の逸物」と激賞された名将で、
大友家(23万石)から引き抜かれ筑後柳川13万石を与えられた。
撃剣にも優れ、丸目蔵人から免許を受けていたことが知られている。
朝鮮役では碧蹄館の遭遇戦、蔚山の救援、露梁津の海戦などで活躍。
関ヶ原では大津城を攻略。毛利輝元に大坂籠城を説いたが容れられず、
柳川に帰国して徹底抗戦。戦後所領を没収された。
その後徳川秀忠に仕え、家康の死後、柳川10万石の大名に返り咲くことになる。

宗茂の父は島津軍と戦い敗死しているが、宗茂は島津義弘と非常に親しく、
朝鮮役から関ヶ原にかけて、行動を共にすることが多かったと言われている。

285 :名無し三等兵:04/05/10 08:43 ID:avfWVPDI
碧蹄館では立花の進言通り追撃を行なっていれば
明軍は臨津江に追い落とされていたので
戦争の行方を変える戦いであったかもしれない。

286 :名無し三等兵:04/05/10 15:15 ID:???
>宗茂の父は島津軍と戦い敗死しているが、宗茂は島津義弘と非常に親しく、
>朝鮮役から関ヶ原にかけて、行動を共にすることが多かったと言われている。
このせいで、ぎん千代との仲が悪くなったんだよな。確か・・・。

287 :名無し三等兵:04/05/10 16:08 ID:avfWVPDI
朝鮮での変な連帯感が関ケ原に大きな波紋を投げ掛けている。

288 :名無し三等兵:04/05/10 16:38 ID:???
なんかナショナルチームで競うスポーツみいたいなノリ

289 :名無し三等兵:04/05/11 19:34 ID:???
尉山でも追撃不足で決定打を逃した

290 :名無し三等兵:04/05/11 22:39 ID:???
日本の水軍が朝鮮で使ってた船ってどんな船だったんでしょ?
安宅船や関船みたいな櫨を中心にした船で玄界灘を渡ったの?

291 :名無し三等兵:04/05/12 17:07 ID:???
水軍担当の一万は戦闘員だけ?

船は何隻あったのだろうか・・・

292 :名無し三等兵:04/05/14 18:03 ID:???
船手衆の動員数は戦闘員のみ?

293 :名無し三等兵:04/05/16 20:59 ID:???
確かに渡海当初は15万人が動員されたが、渡海後半年で兵力の半分は日本に引き揚げていたような・・・?

294 :名無し三等兵:04/05/17 02:18 ID:???
NAVER見てて思ったんだけど、韓国って李舜臣の戦果ものすごく誇張してない?
どっかの海戦、120人の兵で日本兵3万人と戦い8千人討ち取ったとかあるんだけど、
日本の水軍って全体で9千人ぐらいだろ?テレビでやってたらしいが・・・
まあ島津が明軍20万撃破みたいなもんかな?


295 :名無し三等兵:04/05/17 22:06 ID:???
誇張し過ぎ。

296 :名無し三等兵:04/05/17 22:35 ID:???
ジュネーブ条約など無い当時、朝鮮人皆殺ししながら北上すればよかったんだよ
モンゴルを見習わないといけなかった


297 :294:04/05/18 02:17 ID:???
同じくNAVERかどっかで
脇坂が1万5千の兵で戦い(抜け駆けの時)惨敗した見たいなのもあった気がする(うろ覚え)。
脇坂の兵は1千5百。10倍に膨れ上がってる。
だから鳴梁海戦の数字は10分の1にするべきなんじゃないかなと・・・・・・。
その海戦に参加してたのは、藤堂・脇坂・加藤・来島・(他にもいた?) だいたい5千ぐらい。
それまでの戦闘で何人か死んでるだろうから、兵力3千ってのはだいたいあってると思う。
日本兵 3万→3千 だから 戦死者 8千→8百
つまり、鳴梁海戦は先鋒(?)の来島の部隊が壊滅しただけなんじゃないかなと思ったんだけど。
どうですかね?
ほとんど知識の無い人間なんでおかしなところありまくりだろうけど・・・。


298 :名無し三等兵:04/05/18 07:40 ID:8G/skGKe
野戦ではだいたい勝っていたんでしょ?

299 :名無し三等兵:04/05/18 10:56 ID:???
純然たる野戦はほとんどしてない。
日本国内でも純然たる野戦は少なく、堅固な人知を互いにこしらえるのが
普通だったが、これに関しては日本式の築城で攻略なぞ実質不可能な状態の
篭城側に明軍が力攻めをして大損害を受けるケースがほとんど。

300 :名無し三等兵:04/05/18 12:08 ID:???
>>299
純然たる野戦とはどういうもの?

301 :名無し三等兵:04/05/18 12:49 ID:???
姉川の戦いみたいなもの。
身を隠すものがなく視界のよい平野で柵も立てずに激突。

302 :名無し三等兵:04/05/19 06:49 ID:rn4X9XXz
何回もやっているようだけど

303 :名無し三等兵:04/05/19 07:50 ID:???
>>301
戦国のおおいくさというのは大概そんなものだが。

304 :名無し三等兵:04/05/19 14:05 ID:???
長篠や関ケ原は野戦じゃない?
おれは野戦だと思うが

305 :名無し三等兵:04/05/19 14:21 ID:sdlAEKEm
制海権がネックになったんが原因じゃないかな。あとゲリラで陸の補給が滞ったのも。あとは、指揮権とかも複雑だったんもあるのかな

306 :192=199:04/05/19 19:20 ID:JeHnPSxP
>>192>>199は断片的だったので、
文禄2年3月20日の京城内外の人員点検の結果を全部記載します。
ソースは参謀本部編纂「日本戦史・朝鮮役」

第1軍 小西行長等 6,629 
第2軍 加藤清正 5,492  鍋島直茂  7,644
第3軍 黒田長政 5,269  大友吉統  2,052
第4軍 毛利吉成 1,425  高橋元種・秋月種長・伊東祐兵・島津忠豊 1,430
第6軍 小早川隆景・秀包・吉川広家等 9,552
     立花宗茂・高橋直次 1,132  筑紫広門 327
第7軍 宇喜多秀家 5.352 加藤光泰 1,400 前野長康 717
     大谷吉継 1,505 増田長盛 1.629 石田三成 1,546

合計は53,101人。島津義弘の兵力がなぜか記載されていない。
黒田隊は陣立書の定員は5,000人だから逆に増えていることになる。
加藤光泰(定員1,000)、大谷吉継(定員1,200)も定員より多い。
参謀本部は「補充隊の到着せるものならんか」と推測しているが・・・。

307 :242=244:04/05/19 19:50 ID:???
>>298
「豊臣秀吉182合戦総覧」に載っている文禄・慶長の役の陸戦は36あるが、
そのうち野戦と思われる戦闘は9。
最初の8回は日本軍が圧勝しており、野戦では強みを発揮したようだ。
ただし、慶長の役の野戦は稷山の戦いの1回だけで、日本軍は苦戦している。

308 :名無し三等兵:04/05/19 20:08 ID:???
初期は朝鮮正規軍も明の二線級辺境部隊も取るに足らないな。
野戦も攻城も日本側の完勝でしょ。

ただ碧蹄館なんかは通説ほど日本の勝利とはいえないのでは。

309 :名無し三等兵:04/05/19 22:00 ID:???
徳間文庫?

310 :名無し三等兵:04/05/20 00:04 ID:???
損耗率の算出は母数に問題があるようですね。

311 :名無し三等兵:04/05/20 00:08 ID:???
日朝互いに古いデータから、とんでもない結論を導き出してるような。

312 :名無し三等兵:04/05/20 07:15 ID:???
>>308
妙な歴史の本読んでない?
実際は、それで明の大将は戦意を無くして後退。
小早川勢(毛利)が明の精鋭部隊を撃破し
明はオウリョクコウの防衛線に自信をなくし講和になびいたのじゃないの?
政局を左右したほど、あれは明にとって生半可な敗戦じゃない。

313 :名無し三等兵:04/05/20 07:23 ID:???
明治の台湾征伐も9割は病死だからな。
支那事変もたしか6割くらいは戦病死じゃなかったか(詳細データキボンヌ)。
まして400年前の戦役。
さぞ大変だったろう。

314 :名無し三等兵:04/05/20 07:27 ID:???
ちょっとした風邪でも抗生物質はなく、
破傷風にもかかるし、
人は簡単に死ぬ。

315 :名無し三等兵:04/05/20 08:40 ID:???
日本並みに豊かだったら成功していたろうか?

屯田兵で植民しながら戦うしか勝利のない派兵のような気がする。
アメリカの開拓みたいな侵略をしないと。

316 :名無し三等兵:04/05/20 12:09 ID:???
碧蹄館は殲滅戦ではなく、明軍を追撃する余力もありませんでした。
明軍は碧蹄館で戦った後も残存部隊で日本軍に圧力を加え続け、
漢城に籠もる五万の日本軍は最終的には撤退を余儀なくされます。

317 :名無し三等兵:04/05/20 22:23 ID:9g+T8pbT
余力というよりも余裕
立花は追撃を進言
小早川は慎重に鋒を収めた
まあ妥当か

318 :名無し三等兵:04/05/20 23:56 ID:???
参謀本部編纂「日本戦史・日清戦争」に日本軍の損失が記載されている。

戦死および傷死 1,417名
病死 11,894名
変死 177名
計 13,488名

病死が圧倒的に多く、補給はともかく防疫については、
300年前の朝鮮の役の頃からあまり改善していないようにも思える。

319 :名無し三等兵:04/05/21 00:10 ID:???
碧蹄館の戦いは参謀本部編纂の言い分だと
立花・小早川だけが戦ったように取れるが
実際は宇喜多はじめ諸隊が逃げ送れた兵を襲ったり追撃を仕掛けたりしてる。
にも関わらず敗残兵の掃討すらできなかったわけで、
兵力に倍の差があるのになんだかなあという感じだ。

320 :名無し三等兵:04/05/21 04:08 ID:???
行くところすべてに、糞尿が大量にばら撒かれてるからな、
そりゃ病気になるわ・・・。

321 :名無し三等兵:04/05/21 09:40 ID:a0ejxrUZ
最後の一押しをしていたらセンメツできたかもね

322 :名無し三等兵:04/05/21 10:37 ID:???
>>318
まあ病死の半分は脚気な訳ですが。

この点兵糧として小豆を採用していた戦国時代の方がある意味
賢明だったんでしょうね。

323 :名無し三等兵:04/05/21 11:23 ID:???
>>321
不可能

324 :名無し三等兵:04/05/21 14:33 ID:???
可能だよ。
追撃の余地はあった。明軍は臨津江へ追い落とされていた。
そこまで勝ちを求めなかっただけ。
追撃不足は尉山籠城戦の反撃時にも言えること。

325 :名無し三等兵:04/05/21 14:41 ID:a0ejxrUZ
立花宗茂の戦術眼は冴えていたし、
小早川隆景の追撃中止の判断もそう悪くはない。
ただ、追撃していれば明軍の再建は難しく、
講和の形も違ったものになっていたろう。

326 :名無し三等兵:04/05/21 14:59 ID:???
まあそのへんは各大名ごとに言ってることが
食い違うし、新説もどんどん出るので何とも言えない。

327 :名無し三等兵:04/05/21 15:25 ID:???
>>319
>実際は宇喜多はじめ諸隊が逃げ送れた兵を襲ったり追撃を仕掛けたりしてる。
>にも関わらず敗残兵の掃討すらできなかったわけで、

そのソースは何よ?
根拠は?


328 :名無し三等兵:04/05/21 15:29 ID:???
文禄慶長の役は、日清戦争の予行演習だったと思うね。
日清戦争のように朝鮮が通り道だったら、李如松が李鴻章になっていただろう。

329 :名無し三等兵:04/05/21 15:29 ID:???
ヘキテイカンを矮小化するのに必死なのが近年の歴史研究なわけなのであって。

330 :名無し三等兵:04/05/21 16:59 ID:???
>>329
でも立花と小早川の言い分が全然食い違ってる部分があったりするので
古く資料だけじゃだめだと思う。

誰かどっちの言い分が正しいか教えてくれ。

331 :名無し三等兵:04/05/21 18:35 ID:???
両論併記しろよ

332 :名無し三等兵 :04/05/21 21:19 ID:???
>>330
どのみち、日本軍は食料が不足しているので、大規模な追撃は無理でしょう。

333 :名無し三等兵:04/05/21 21:33 ID:YGxdWq2m
当時は不足してないよ、税の米を押さえていたから。

明軍の焼き討ちにあってから漢城を撤退することになったし、
米があるうちは戦線を維持できるでしょ。

334 :名無し三等兵 :04/05/21 21:45 ID:???
>>333
追撃戦に入ったら、追いつかないでしょう。

335 :名無し三等兵:04/05/21 21:55 ID:???
追撃せんたって臨津江まで直ぐですよ、
ただしリスクはあったから、先を考えた隆景を責めるのは難しい。

立花の献策通り追撃していたら面白かったでしょう。。


336 :名無し三等兵 :04/05/21 22:26 ID:???
>>335
すぐといっても今とは距離感が違いますよ。日本軍も損害はあるし、食料は不足。
そのうえ泥濘を30kmを追撃するのは結構キツイよ。

337 :名無し三等兵:04/05/21 22:39 ID:???
だから不足してないの

338 :名無し三等兵 :04/05/21 22:55 ID:???
>>337
だから、輸送しなきゃなんないの

339 :名無し三等兵:04/05/22 04:43 ID:Y0D6Agk4
ソウルの食糧事情に関してだけど、
教えてくんろ。

まず、韓国人が勝ったといっている「幸州山城戦」だけど、
日本側は、食糧調達のための城攻めで成功としている。

また、明の竜山の食糧庫の焼討ち。

前者は「武功夜話」では佐賀の誰だっかかが誉められている。
だから「成功話」もある程度なっとくがいく。

後者なんだけど、どういう状況でどういう形で焼討ちになったんだろうか。
それで現実にそれが「日本軍撤退」の確たる論拠になるのだろうか?

教えてくんろ。

340 :名無し三等兵:04/05/22 07:12 ID:???
食料貯蔵庫のある龍山に兵を潜入させて23カ所を焼き討ちしたとある。
14000石の米で5万の兵が二ヶ月食っていける米を消失したらしい。

碧蹄館の戦いの後も幸州山城を日本軍が攻めて失敗するなど大規模な
軍事行動を起こしており、その後に食料庫の焼き討ち。
碧蹄館の戦いでの追撃不全の原因に食糧難を上げるのは妥当ではない。

341 :名無し三等兵:04/05/22 13:09 ID:???
>>340
碧蹄館の直前に三成が秀吉に送った書簡で、
兵糧不足を指摘しているというが。

342 :名無し三等兵:04/05/22 13:44 ID:???
仮に追撃、明軍を殲滅していたら、その後は
変わっていたかな。変わらんように思えるの
だが。

343 :名無し三等兵:04/05/22 17:18 ID:???
>>340
文禄2年1月23日付け石田三成等5名連署状の一部を紹介する。

・朝鮮農民から人質を取っているが、もはや兵糧徴収ができない状況である。
 (朝鮮農民が逃散してしまっているため)
・ソウルに備蓄する兵糧米は1万4千石しかなく、それは3月中旬までの2ヶ月分しかない。
 また、繋ぎの番城の兵糧米も2ヶ月分しかない。

1月26日の碧蹄館、2月12日の幸州山城、2月29日の加藤・鍋島の帰還を受けて、
3月3日付け宇喜多秀家等17将連署状にはこう書かれている。

・兵糧問題について、ソウルでは現在雑炊でしのいでいるが、4月11日で尽きてしまう。
・釜山の兵糧を運ぶにしても、途中山河が多く、輸送は甚だ困難である。
・洛東江の水運を利用することが考えられるが、現在の繋ぎの城の人員では成功はおぼつかない。
・新たな増援兵力をもって水運にあたらせたとしても、4月11日には間に合わない。
・朝鮮南部の攻略については、海運の便のある地より前進して行うべきである。
・海岸又は河岸の運糧の便のある地に駐屯し、農繁期に攻勢をかければ勝利は確実である。
・すでに諸隊はソウルに集結している。明軍が何万来ようとも撃滅できるから安心してほしい。

3月13日の明軍の竜山焼き討ち以前に、日本軍の兵糧はほとんど尽きていたようだ。

344 :名無し三等兵:04/05/22 17:21 ID:???
よって碧蹄館の追撃戦による明軍の殲滅が戦局を決ていたかも知れない。


345 :名無し三等兵:04/05/22 17:25 ID:???
小西の50日休戦も拙かったよな

346 :名無し三等兵:04/05/22 19:08 ID:???
>>344
明軍の殲滅が実現しても、兵糧確保の見込みが立たない限り、
どっちみちソウルから撤退せざるを得なくなるような気もする。
ただ、多少講和条件は良くなったかもしれないな。

347 :名無し三等兵:04/05/22 19:24 ID:???
碧蹄館で勝負がついていれば明軍の支援が無くなって、
続く幸州山城を攻撃に行く必要もなく戦力も充実して対峙できたかもね

348 :名無し三等兵:04/05/23 00:07 ID:???
>>343
サンクス。

>>347
>幸州山城を攻撃
これは日本側としては食糧強奪が目的の戦いではなかったのだろうか。



349 :名無し三等兵:04/05/23 00:18 ID:???
>>290
遅レスだが、水軍について。
朝鮮の役の期間において、朝鮮水軍は約170艘、
日本水軍はその約10倍の艦船を保有していたと言われている。
慶長の役の緒戦で朝鮮水軍は約160艘を失ったが、明水軍約500艘が援軍として派遣された。
参謀本部編纂「朝鮮の役」には日本水軍について、こう書いてある。

「今度の戦いでは、瀬戸内海地方および紀伊・志摩などの将士で水軍を編成したが、
 これを警固船と呼んで、もっぱら運輸部隊の護衛を任務とし、あまり重視されなかったようである」

「当時の艦船には、安宅船・関船・小早船などがあるが、
 これらの船体には竜骨を用いなかったため、明や朝鮮の艦船に比べて非常に脆弱だった。
 敵船との接戦で衝突を受け、破損することが多く、海戦を大いに不利としたのである」

>>291
各大名の陣立書の兵数は戦闘員だけではなく、人夫・水夫も含めた数字。
例えば、小西行長の第1軍に属した五島純玄(陣立書の兵数700)の場合、
戦闘員225名、人夫280、水夫200で計705名となっている。

350 :名無し三等兵:04/05/23 08:40 ID:???
幸州山城は漢城に対する付け城的な性格で朝鮮軍が入っていたので脅威を取り除くために攻撃した。
結果は失敗、しかし後に朝鮮軍が自主的に撤退したので脅威は取り除かれたが・・・

351 :名無し三等兵:04/05/23 12:11 ID:???
幸州山城攻めの陣立てはこうだった。

第1隊 小西
第2隊 石田 増田 大谷 前野
第3隊 黒田
第4隊 宇喜多
第5隊 吉川
第6隊 毛利元康 小早川秀包
第7隊 小早川隆景

碧蹄館で後方にいた部隊を前方にして、功をたてさせようという意図が見える。
食料奪取というよりは、日帰りできるところに朝鮮軍が出現したので叩いておこうと言う感じかな。

352 :名無し三等兵:04/05/24 09:14 ID:kHST25Hz
明も財政難でそんなに何度も負けるほど余裕ないよ

353 :名無し三等兵:04/05/24 20:32 ID:???
倭には勝てるはずもない戦争

354 :名無し三等兵:04/05/24 21:27 ID:???
そんなことない

355 :名無し三等兵:04/05/24 21:30 ID:???
李舜臣を葬った島津義弘チェストイケ。

356 :名無し三等兵:04/05/25 08:45 ID:???
征伐

357 :名無し三等兵:04/05/26 06:48 ID:33DiL+tC
小西と加藤が逆配置だったらなぁ

358 :名無し三等兵:04/05/26 20:09 ID:???
今年の祭り!?

2ちゃんねらーが企てた捕手李への投票が
ついに韓国マスコミに報道!

朝鮮日報記事
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/05/26/20040526000020.html

原因のスレ
球宴で李スンヨプ選手を捕手として出場させよう
http://sports8.2ch.net/test/read.cgi/base/1084523401/l50


359 :朝鮮の役:04/06/02 06:43 ID:51vhg0Ym
旧版と文庫版では値段が十倍違うけど内容は同じなんですか?

360 :名無し三等兵:04/06/04 10:08 ID:???
大抵の本は李舜臣の功績で西進が挫折したように書いてある。

陸路にしろ海路にしろ所定の計画や命令はあったのでしょうか?

361 :名無し三等兵:04/06/05 13:34 ID:???
参謀本部編纂・日本戦史について。
昭和初期に偕行社というところで出版している。B5サイズでハードカバー。
朝鮮役の場合3冊本で、本編で1冊、地図で1冊、史料集で1冊となっている。

戦後昭和40年代に「日本の戦史」と題して徳間書店が再版しているが、
これはダイジェスト版で旧仮名遣いも現代風に直している。
平成になって文庫化したが、内容は同じ。

戦前版は地図が大きく、敵味方で色分けされており、ビジュアル的にわかりやすかったが、
戦後版は地図が圧縮されて非常に見にくくなってしまい、評判はよくない。

362 :361:04/06/05 14:04 ID:???
スマソ。ちょっと訂正。
×昭和初期
○明治末期から大正年間

363 :名無し三等兵:04/06/05 18:00 ID:???
>>360
慶長2年2月に出た日本軍の軍令書にはこうある。

・まず全羅道・忠清道を攻略せよ
・明の大軍がソウルから5〜6日の地点まで南下したら報告せよ
・秀吉が渡海して明軍を殲滅し、その勢いで明国に攻め入る

穀倉地帯である半島西南部の攻略と明軍との決戦に重点を置き、
ソウルは戦略目標としていなかったようだ。

また当時、朝鮮水軍の主力はすでに壊滅しており、わずか12隻を残すのみだった。
朝鮮水軍残党の掃討戦を行っていた日本水軍の一部(来島・菅など)が撃破された
というのが実情であり、戦局全体にはほとんど影響を与えなかったと思われる。

364 :名無し三等兵:04/06/06 02:05 ID:???
当時、日本にあった鉄砲の数と、
朝鮮征伐に持っていった鉄砲の数ってわかります?

365 :名無し三等兵:04/06/06 03:23 ID:???
>>364
当時の軍役人数は人夫・水夫など非戦闘員も含めた数字なので、
断片的な数字しかわからない。

・1596年10月 立花宗茂  2,607人 鉄砲 350挺
・1596年12月 島津義弘 15,000人 鉄砲1,500挺

だいたい1割ぐらい。一般に言われているほど大量装備ではないようだ。

366 :名無し三等兵:04/06/06 12:36 ID:???
>>366
島津の出兵数は、1万だったと思ったが。


367 :名無し三等兵:04/06/06 19:10 ID:???
>>366
島津に課された軍役については、文禄の役では10,000人だったが、
その後検地が行われ石高が増えたため、慶長の役では15,000人となっていた。
ただし、国元の協力が得られず、5,000人集めるにも苦労していたようだ。

368 :名無し三等兵:04/06/08 10:54 ID:???
李子朝鮮はダメダメだな

369 :名無し三等兵:04/06/08 12:11 ID:???
>>368
そのダメダメな国に負けたのはどこだっけ?

370 :名無し三等兵:04/06/08 17:45 ID:???
>369
高麗。 それ以後李氏朝鮮が「勝った」って言う記録見たことねーんだがなぁ。
一軍人が局地戦で勝った、とかなら判るんだが・・・

371 :名無し三等兵:04/06/08 20:19 ID:BKxt0UZA
戦功のある武将を戦後になって処刑しちゃうような国だからね

372 :名無し三等兵:04/06/08 20:26 ID:???
太閤もあんな半島と関わらなければ、
家康にしてやられることもなく豊臣の
太平が続いていただろうに・・・。・゚・(ノД`)・゚・。

373 :名無し三等兵:04/06/08 21:03 ID:???
>>372
豊臣家の滅亡と朝鮮の役は間接的にしか関係ないでしょう?

374 :名無し三等兵 :04/06/08 22:47 ID:???
>>373
いや、三成と清正の確執が決定的となり、後の関が原合戦の原因となった。

375 :名無し三等兵:04/06/08 23:35 ID:???
>374
秀吉が生きてればそうならなかったんだから、やっぱり論理の順路が間違ってると思われ。

376 :名無し三等兵:04/06/09 01:31 ID:???
豊臣政権が短命に終わった理由としては、
朝鮮出兵よりも秀次事件の方が致命的だった。
ただでさえ少ない一族と譜代の家臣の多くを殺してしまったわけだからね。

377 :名無し三等兵:04/06/09 06:38 ID:???
>>370
日本。負けを認めないのは、2ちゃんねらーぐらいだろ。
>一軍人が局地戦で勝った
その局地戦が日本敗北の原因につながるんだろ。
補給路断たれて、はい終わり。

378 :名無し三等兵:04/06/09 06:56 ID:HWayNSjC
補給線を攻撃したのは義兵と呼ばれる食いつめた農民山賊のゲリラ
李舜臣はあまり関係ない。
名護屋で食べた秀吉本軍分は朝鮮に送ればよかったかな?

379 :名無し三等兵:04/06/09 07:00 ID:???
おそらく>>372は例の法則のことを言っていると思われ

380 :名無し三等兵:04/06/09 07:36 ID:???
>>378
李舜臣将軍により、海上輸送が出来なくなった
         ↓
陸上輸送しなければならなくなった。
         ↓
ゲリラによって陸上補給も困難になった
日本敗北の原因につながると言ったのはそうゆう意味だよ。

381 :名無し三等兵:04/06/09 08:35 ID:???
>李舜臣将軍により、海上輸送が出来なくなった
まともな資料分析すればそれが大嘘だと判るワケだが。
っていうか別スレのほうで完全に否定されてるんだがな、あんたの論。

382 :名無し三等兵:04/06/09 11:29 ID:???
>>380
まだ神話を信じているの?

いい加減にめざめろよ。
軍板のレベルでない。

李舜臣は多勢で無勢の日本船を襲っただけ。
目立ったのは初期の一時期。
補給路の遮断というのは伝説。
半島南岸の防御に精一杯。
一貫して日本からは補給があったのだよ。

もしかして「民族教育」受けた方?

落ちてしまった李舜臣スレみれば分かる。

383 :名無し三等兵:04/06/09 13:24 ID:HWayNSjC
海上輸送じゃ内陸に補給できないしね

384 :名無し三等兵:04/06/09 16:33 ID:SV6Q7OMU
川を遡行するの

385 :名無し三等兵:04/06/09 20:12 ID:???
誰か李舜臣スレから抜粋してよ

386 :名無し三等兵:04/06/10 05:14 ID:???
>>382
李舜臣スレ、落ちていないんじゃない?

>>385
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1076903265/226-232

このあたりかな?

387 :名無し三等兵:04/06/10 06:51 ID:???
おちてね

388 :名無し三等兵:04/06/10 08:04 ID:640RtX4T
逆に元均は不当におとしめられていないか?

李舜臣のRATOみたい

389 :名無し三等兵:04/06/10 10:47 ID:???
>>382
まず多勢に無勢の「状況を作る」事自体が優れた指揮
と言える事だし遮断に至らなくても日本軍の海上での
行動を大幅に制限させる事に成功しただけでも功績大
なんだけどね?

まあ、オンオフでしか物事見れない厨には理解出来
ないだろうけどね。

390 :名無し三等兵:04/06/10 11:19 ID:???
少数で多数にぶつかって勝つってのは話し的にはカッコいいが用兵としては最低だな。

391 :名無し三等兵:04/06/10 11:25 ID:???
>>382
>李舜臣は多勢で無勢の日本船を襲っただけ。
多勢の日本側に対してその状況を作った用兵が
評価されている
>目立ったのは初期の一時期。
そもそも後方の補給線攪乱は地味な活動で合戦
の様に目立つものではない。
>補給路の遮断というのは伝説。
遮断はしていないが海上輸送で多大な制約を受け
たのは事実
>半島南岸の防御に精一杯。
優勢な日本側に半島南岸の制海権を渡さなかった
だけでも功績。
>一貫して日本からは補給があったのだよ。
あったかどうかでは無く量の問題

詳しくは李舜臣スレを見ろ。


392 :名無し三等兵:04/06/10 12:38 ID:???
貼らなきゃわからんか?

李舜臣は大したことをしていない、居なかったらどうなったか考えればわかるだろう。

393 :名無し三等兵:04/06/10 13:02 ID:640RtX4T
日本には対艦攻撃思想も装備もない。

李舜臣は戦闘艦で輸送艦を襲っただけ。
しかも、ほとんどは泊地襲撃の戦果。

日本が陸に張りついて消極策に出ると迎撃により何度も敗退している。

394 :某研究者:04/06/10 13:07 ID:rXjh57ry
城内の戦闘と言うのも城壁や内部の庭迄かも知れぬし
建物は燃やされていたと言うのが正解なのだろうか
(此れは西欧の城でも同様なのだろうか)

395 :382:04/06/10 14:05 ID:???
>>389
トンチンカンなレスだな。
>>382
は、
>>377>>380
>李舜臣将軍により、海上輸送が出来なくなった
という俗説に反論したものにすぎない。

>>391
つまり、
オレが事実を言い、キミが評価しているだけってことだな。
ま、わざわざ評価を付け足してくれただけの事だ。

真昼間から疲れるわ。



396 :名無し三等兵:04/06/10 14:17 ID:???
>>391
あと、
>>一貫して日本からは補給があったのだよ。
>あったかどうかでは無く量の問題

なんてことを平気で言っているが、
では、
秀吉がどのくらいの兵糧を釜山まで送ろうとし、
そのうちどれだけを李舜臣が海上で阻止できたのか、教えてくれ。

「釜山には兵糧がある」という認識は文禄の役を通じて存在した。
これは漢城において最も食糧事情の苦しかった頃の三成も認識していたはず。
キミの言い方だと李舜臣は釜山から対馬ルートで補給量に問題が生じるほど
破壊したというふうに読める。
その根拠を教えて欲しい。

ちなみに慶長の役では
>>377
のような
>補給路断たれて、はい終わり。
というバカな俗説は箸にも棒にもかからない。

397 :名無し三等兵:04/06/10 14:43 ID:???
なんで反チョンてこうすぐにムキになるのかいな

398 :名無し三等兵:04/06/10 15:12 ID:???
なぜチョソは夜郎自大という言葉の生き見本のように李を持ち上げるのか
明軍に感謝しろよ!
海でたまに輸送船相手に勝ち誇っても陸ではボコだろ
朝鮮軍単独では、海軍の策源地すら保全できたか怪しい

399 :名無し三等兵:04/06/10 16:23 ID:640RtX4T
つーか、李舜臣艦隊自身が補給を受けられずに本営で屯田してます。
りっばな軍隊です。

400 :某研究者:04/06/10 16:30 ID:rXjh57ry
中世の軍隊は兵糧等本隊の食料が切れた後は現地調達が基本だろうし
補給等が行われたのは秀吉の小田原攻め位かも知れぬし
他に聞いた事は無い訳だが



401 :某研究者:04/06/10 16:32 ID:rXjh57ry
補給部隊がやられたのが問題と言うよりは
兵を伴なった増援部隊がやられたのが問題であると言う事かも知れぬが
15万の軍を養う食料が現地調達出来たのかだろうし
小田原攻めの様に補給は必要だっただろうが
補給部隊を出した形跡と言うのは無い様に見えるし
補給部隊がやられる以前に補給部隊等出していなかったのが
問題である訳なのだろうか

402 :某研究者:04/06/10 16:39 ID:rXjh57ry
他に補給部隊等が有るなら
上杉に小田原城は落とされていたかも知れぬが
少なく共日本では秀吉の小田原攻めが
補給部隊を用いた最初の戦いなのだろうか

403 :名無し三等兵:04/06/10 16:43 ID:???
つか、補給不足は、焦土作戦と平行して初めて意味があるのでは、とか呟く。

404 :某研究者:04/06/10 16:44 ID:rXjh57ry
小田原攻めの様に一箇所に止まるのであれば
大兵力が集中している場合は補給も必要だろうが
一箇所に止まらず攻撃と移動を繰り返す分には
食料は調達出来ると考えたのかも知れぬが
戦線が遅滞すると食料不足に
陥ったと言う事かも知れぬが
別の場所を略奪の為に攻撃していれば
良かったのかも知れぬし
補給部隊が来なく共周辺を広範囲に略奪して食料を溜め込んだ後で
攻囲に移れば良かったと言う事かも知れないが


405 :403:04/06/10 16:45 ID:???
>>403
_| ̄|○
補給不足、じゃなくて、水軍による後方撹乱は、だな。

水軍による後方撹乱は、焦土作戦と平行して初めて意味がああああああああああ…カチャ ;y=ー( ゚д゚)・∵.ターン

406 :某研究者:04/06/10 16:50 ID:rXjh57ry
>別の場所を略奪の為に攻撃していれば
>良かったのかも知れぬし

まあ食料が尽きた後周囲を略奪して回ったとの
記述も有っただろうが
矢張り補給は必要だっただろうが
補給部隊がやられたと言う記述は無く軍艦がやられたと言う
記述ばかりだから
補給部隊はやられる以前に送られていなかった可能性も有るだろうし
小田原攻めの様に何故送らなかったのかだが

407 :名無し三等兵:04/06/10 19:09 ID:???
プサンに一撃を加えたくらいであとはとても後方撹乱とはいえないよな
しいていえば戦いがあったのは側面

408 :名無し三等兵:04/06/11 04:20 ID:???
李舜臣将軍が地上戦の指揮を取ってれば明なぞの介入がなくとも
加藤清正や小西行長、島津義弘とかの三流武将どもを討ち取って
秀吉軍を水際で殲滅することが出来ただろうし、上手くすれば逆上陸して
九州くらいはとれたかもしれないのに一水軍の長で終わってしまったのが残念。

409 :名無し三等兵:04/06/11 04:31 ID:RlJ0xk/a
>>408
その手の釣りはハン板でどうぞ

410 :名無し三等兵:04/06/11 04:52 ID:???
>408
それだけの大戦果をあげたら、李瞬臣は九族皆殺し確定ですね。

411 :名無し三等兵:04/06/11 06:43 ID:+zTYvUhe
焦土化といっても朝鮮側の支配地も相当荒廃していました

412 :名無し三等兵:04/06/11 07:22 ID:???
>>406
>小田原攻めの様に何故送らなかったのかだが

このスレの>>110にあるとおり、
小田原攻めでも秀吉軍は補給に苦しんでいたというのが実情のようだ。

当初、秀吉は明進攻を見据え、兵員輸送を兵粮輸送に優先させていた。
占領した朝鮮の諸城に潤沢な備蓄米があるとの報告が相次いだためらしい。

その後秀吉渡海が延期となったため、兵員輸送を兵粮輸送に切り替えたが、
当時の朝鮮は街道が整備されていなかったらしく、陸上輸送は困難を極め(>>343参照)、
大量の兵粮米が釜山に山積みとなったまま前線は飢えるという皮肉な結果となった。

413 :名無し三等兵:04/06/11 10:40 ID:+zTYvUhe
四国、九州、小田原はまだ治安の良好な後方というものがあり人足などが輸送を担当できた。

朝鮮の場合は元々の統治不良による開発不足で生産性の低さが日本軍の現地調達の期待を裏切った。
初期進撃で税食料を押さえた分と初期調達以後の現地調達は不良であった。

加えて流民と化した朝鮮人が食いつめて輸送中の食料を襲うという治安の悪さでは後方と呼べる地帯はないのではないか。

414 :名無し三等兵:04/06/11 11:42 ID:???
>>343
を見ると、三成という人物もやはり透徹した現状把握能力を持っているね。
20万近い軍勢に海を渡らせそれを管理し、かつ戦闘能力を維持してゆく困難さは
近代になってもた易いものではなかった。
戦国武将のリアリズムは大したものだと思うよ。

415 :某研究者:04/06/11 18:29 ID:YwtxrRyX
>当時の朝鮮は街道が整備されていなかったらしく、陸上輸送は困難を極め(>>343参照)、
>大量の兵粮米が釜山に山積みとなったまま前線は飢えるという皮肉な結果となった。

まあ街道が整備されていない事が分かっておれば
海上輸送に切り替えたのかも知れぬが
此れが李舜臣に襲われる危険は有ったと言う事なのだろうか
其の場合は一旦撤退し街道を自前で整備した可能性も有るだろうが
此れには時間が掛かったのだろうか

416 :名無し三等兵:04/06/11 19:12 ID:???
街道があっても非武装なら襲撃を受ける

海上輸送も内陸へは運べない

治安状況を考慮して漢城まで海上輸送をするには全海岸を支配する必要がある

417 :某研究者:04/06/11 19:29 ID:YwtxrRyX
>街道があっても非武装なら襲撃を受ける

まあ市民の襲撃なら護衛を少数付ければ良いだろうが
海上輸送は困難だった訳だろうか

418 :名無し三等兵:04/06/11 19:47 ID:???
一隊に護衛三百人が必要といわれています

419 :名無し三等兵:04/06/11 19:49 ID:???
>>418
ソースキボン

420 :名無し三等兵:04/06/11 21:33 ID:U9GM6AEA
過去ログ嫁


421 :名無し三等兵:04/06/11 21:36 ID:???
>>420
ほう、軍板のどこの過去ログだ?

422 :名無し三等兵:04/06/11 21:58 ID:???
これかな?

「義兵による襲撃のため、釜山から漢城までは300人の隊を組まねば安全を確保できなかった。
 漢城から平壌までは護衛を500人に増やす必要がある。」
ルイス・フロイス「日本史」

423 :名無し三等兵:04/06/11 22:02 ID:???
>>422
サンクス。

んじゃ>>418は、自分で自分を護衛したのか、それとも隊長を護衛すると考えたのか…
まあ、いいや。

424 :名無し三等兵:04/06/11 22:22 ID:???
まあ、非戦闘の荷駄部隊の通行を保証するのに300人というのであればあっているかもね。

425 :名無し三等兵:04/06/11 22:25 ID:???
>>424
300人の隊を組む、を素直に読むと、300人で、その部隊が構成される、と読めるけれどね。

426 :某研究者:04/06/11 23:18 ID:YwtxrRyX
まあ大した人数では無いかも知れぬし
此れで日本の補給が脅かされたと言うよりは
道が険しかったと言う事かも知れぬが
海上ルートが使えなかったのは矢張り
李舜臣の所為なのだろうか

427 :名無し三等兵:04/06/12 01:04 ID:???
>300人

いや、俺はこう読むよ。

いずれにせよ、○○人(300人)あれば護衛として効果がある、
それ以下だと不安である。

というような現実認識というのはすごく優れたものではないかということ。
これはフロイスが言っている事だけど、その情報は事実かどうか知らないが
誰かが言っている。
つまり定数的な現実認識があって物事を動かしていたのが
当時の日本軍であったこと。
これは近代軍参謀に近いレベルに到達しているということじゃないのか。

428 :名無し三等兵:04/06/12 05:35 ID:???
その300人の護衛が飯を食うんだから非効率だよな。
地図を広げても海上ルートの確保は無理でしょう?
投入兵力や方針の問題で陸上から全羅道を支配できなかったんだから。

逆に当時の海戦は沿海というより陸に張り付いた沿岸での戦い。
すぐに兵を上陸させたりしているし、陸側からの支援を受ければ近づくのは難しい。
沿岸が征服されれば水軍も枯れる。


429 :名無し三等兵:04/06/12 09:30 ID:???
腹を空かせた住民が夜昼構わず手薄なときに奇襲を仕掛けるのだから堪らない。
東海道や中国道を米を背負って歩くのとは違う。

430 :名無し三等兵:04/06/12 15:00 ID:???
開戦直前の文禄元年3月13日、1番隊から9番隊までの陣立書とあわせて
秀吉は次のような指示を出している。

・上陸後も築城中は馬は不要であるから、兵員の輸送が終わった後に運ぶこと
・諸部隊は上陸したらその船を対馬に送還し、後続部隊を乗船させること
・朝鮮国王が日本側の要求(明征伐への協力)を承諾すれば、1番隊から順次渡海せよ
・朝鮮国王が日本側の要求を拒否したら、朝鮮の諸浦に一斉に上陸し、築城を堅固にせよ

秀吉は上陸後の快進撃は予想していなかったらしく、
橋頭堡を築くという基本方針だった(>>246参照)ので、
陸上輸送の要である馬をあまり運んでいなかったようだ。

431 :名無し三等兵:04/06/12 18:28 ID:???
その馬は戦闘用の馬では?

432 :名無し三等兵:04/06/12 19:51 ID:???
>>431
当時の日本には騎兵は無く、馬の大半は輸送用として使われていた。
輸送部隊が小荷駄(荷物を運ぶ駄馬)と呼ばれたのも、そのため。

433 :名無し三等兵:04/06/12 19:55 ID:???
だから騎兵ではなく騎馬武者。
指揮官や上級武士はみんな乗るでしょう。
それを後回しにしたのでは?

434 :名無し三等兵:04/06/12 21:11 ID:???
原文ではその馬が戦闘用か輸送用かという区別が書いていないし、
両方とも運ばなかったのかもしれないけど、
「海岸に築城せよ」という指令と一緒に出されているところから見ると、
将校の馬だけ運ばないで、小荷駄隊の馬は大量に運んだとはどうしても思えない。

いろいろ調べているけど、戦前戦中を通じて、
秀吉が朝鮮半島西まわりの海上補給を検討した形跡が全くない。
李舜臣とか義兵の活躍とは全く関係なく、
戦争を始める前から考えていなかったとしか思えない。

秀吉は本気で朝鮮を征服するつもりはなく、
大兵力で相手を圧倒して交渉のテーブルにつかせるのが目的だったようだ。
>>430では、外交交渉による解決に最後まで期待していた様子もうかがえる)

435 :名無し三等兵:04/06/12 21:22 ID:???
>>434
面白い推察だが、
では秀吉の目的は何?
慶長の役で示された朝鮮南部切り取り?
それとも明との貿易?

436 :某研究者:04/06/12 21:28 ID:Cdeu/afy
>秀吉は上陸後の快進撃は予想していなかったらしく、
>橋頭堡を築くという基本方針だった(>>246参照)ので、
>陸上輸送の要である馬をあまり運んでいなかったようだ。

橋頭堡を築かず勝手に進撃したのは秀吉の命令無視であり
敗れたのは秀吉の所為では
無いと言う事なのだろうか
(秀吉なら兵糧を橋頭堡に十分蓄えてから
 此れを大量に運んで進撃したかも知れぬ訳だろうか)

437 :某研究者:04/06/12 21:31 ID:Cdeu/afy
橋頭堡から日本迄の間を
李舜臣に攻撃される危険も有っただろうが
割りに前線を移動中の船や港等が攻撃されている例が
多い様に思えるが

438 :名無し三等兵:04/06/12 22:49 ID:???
>>435
戦争目的だが、秀吉本人は「日本の名誉のための出兵だ」と言っている。

和平交渉の過程でポイントとなったのは次のような要求だった。
朝鮮に対しては、国王もしくは王子が上洛すること。
明に対しては、勘合貿易を復活すること。

秀吉としては、当時の日本は非常に軽く見られていたということもあり、
アジアの強国として両国の敬意を受けられればそれでよかったようだ。

>>436
ソウル・平壌を攻略し、朝鮮軍主力を撃滅したにもかかわらず、
小西行長・加藤清正・黒田長政ら先鋒諸将は全く加増を受けていない。
意に沿わぬ軍事行動であったが、その後の戦功で相殺されたということかもしれない。
(恩賞については、全く出されなかったわけではなく、小早川隆景などは5万石の加増を受けている)

439 :名無し三等兵:04/06/13 01:41 ID:FQVX+g2u
>>438
>アジアの強国として両国の敬意を受けられればそれでよかったようだ。

では、唐天竺まで制圧するというのは単なる大風呂敷だったということ?

440 :名無し三等兵:04/06/13 08:13 ID:???
何となくの出兵では?
今までの領土拡大と恩賞配分の成長システムの延長でしょう。
あと、戦役による大名の弱体化と遠征中の大名領に於ける太閤検地の実施。

戦争こそが目的であり手段であったのではないでしょうか?

441 :名無し三等兵:04/06/13 08:56 ID:???
ヨーロッパでも絶対主義体制確立のために国内の余剰軍事力を
外征で発散させることは珍しくなかった
ゲクラン等はその好例

442 :日本の砲って・・・:04/06/13 10:02 ID:vzM+KFvs
この時代に詳しい皆さんに教えてもらいたい事があるのです。
戦国時代に日本には重砲や軽砲がないと世界史板の
三十年戦争スレで読んだのですが、これに対して強い
疑問の念があります。

確か「鉄砲を捨てた日本人」という本
(この本自体の内容は玉石混合なのですが)の索引で
織田信長がポルトガル人から2ポンド砲の技術供与を
受けて、1970年頃、砲を製作したというのがでてきます。
そしてその数年後に瀬戸内海で海戦が起こり、大砲で
毛利水軍を破り制海権を手に入れます。
この事から時系列的にも、日本に砲がなかったとは思えないし、
使ってなかったとも思えません。(艦上砲撃とかもしてる例もあるし)
織田信長が死んでからも研究開発はされていたはずだし、
実際野戦でも使用されたのではないでしょうか。
また大筒という砲で日本の城を砲撃していたという事例も
ありますし、重砲も使用されたのではないでしょうか?
もちろんそれはヨーロッパの重砲の規模よりは一回り小さかった
と思いますが。

そこでお聞きしたいのですが、日本軍は朝鮮半島や日本国内で
大砲を利用していなかったというのは本当のところはどうなのでしょう?
大砲が日本で利用されていなかったというのは、軍事に疎い日本史学者の
思い込みに過ぎないということはないのでしょうか?
また、日本の砲は同時代のヨーロッパの砲に比べてどうだったのでしょうか?

443 :名無し三等兵:04/06/13 10:08 ID:???
国崩みたいな当時の物が現存しているというのに
世界史板の連中の考えは理解に苦しむな。

444 :名無し三等兵:04/06/13 10:48 ID:???
多用しているとは言えないのは確か。

道が悪いから艦載でもなければ必要なときに必要な場所に投入するには不便なんでしょう。

大阪城攻めのように時間的な余裕があれば使う。

445 :名無し三等兵:04/06/13 10:52 ID:???
朝鮮の役でも明軍が平壌の小西軍を攻めるときに砲を使って勝っているが
その後の碧蹄館の戦いでは進撃中に砲が間に合わず日本軍の迎撃で敗北している。

446 :名無し三等兵:04/06/13 11:20 ID:???
関ヶ原の石田軍が確か使用していたような…
島津も朝鮮で大砲を使用していなかったっけかな?
軍記物には北条が小田原合戦の時に大筒を鋳造したなんて記述が
あったような気がしますが、あれは大鉄砲のことじゃないかな?
まあ世界史板の連中には国崩しを見せてやることですな。あれは
大友対島津戦で大活躍していますからな。


447 :名無し三等兵:04/06/13 11:25 ID:???
籠城戦や攻城戦でないと使い勝手悪いよね
石田三成も陣地の高台からの固定運用、東軍が攻め込んだから仏郎機の効果が大きかったけど引かれたら役立たず。

448 :名無し三等兵:04/06/13 11:36 ID:???
>>447
使い勝手の悪さなら西洋も日本もあの時代のこと、大して変わらなかったと
思うのだが。
欧州で大砲が活躍したのは向こうの城が平城だったからじゃないの?
日本の戦国時代って山城が主流で大砲の運用は結構厳しいでしょう。
鉄砲はかなり使えるけど。

449 :名無し三等兵:04/06/13 11:49 ID:???
>>446
石田軍のものかどうかはわからないが、
明治末年に東海道線関ヶ原付近の線路補修工事で
1貫匁(3.75kg)の鉄弾2つが発掘されているそうだ。

450 :名無し三等兵:04/06/13 12:16 ID:???
大砲「国崩し」は靖国神社にあるみたいだね。
http://homepage2.nifty.com/yoyotoru/yasukuni21.html

451 :名無し三等兵:04/06/13 12:41 ID:???
一説には5万人と言われていますが、日本軍の人的被害はいかほどだったのでしょうか

452 :名無し三等兵:04/06/13 12:42 ID:???
当時ですら徹底した調査が行われていたわけでもないのに
正確な数字などわかるかけねーだろ、ぼけ

453 :名無し三等兵:04/06/13 13:01 ID:???
何で船で、一気に明へ渡らないのか?

454 :名無し三等兵:04/06/13 13:16 ID:???
>>451

5万人の根拠は宣教師ルイス・フロイスの「日本史」だが、
著者は同時代人であり、>>270で引用した記述の前に、
「百方手を尽くして確認し、最も信頼でき、正確と思われる情報」
とわざわざ書いてあるところから見ても、
5万人という数字は信頼できるのではないかと思われる。

455 :名無し三等兵:04/06/13 15:48 ID:???
被害は隠すからね

456 :名無し三等兵:04/06/13 18:54 ID:???
>>453
秀吉が、朝鮮半島経由の陸路による明征伐を選択したのは、
当時の日本には外洋航海用の大型船がなかったからだと言われている。

当初、秀吉はスペイン・ポルトガルと同盟して海路明征伐を行うことを考えていた。
天正14年(1586)5月に大坂城で秀吉は宣教師の長に会い、
大型帆船2隻を船員付きで売却してほしいと依頼している。
(秀吉の交換条件は明でのカトリック布教の自由だった)
船よりも造船技術や航海術の取得が目的だったと思われるが、これは実現しなかった。
そして九州平定後、秀吉が宣教師追放令を出したことにより、その路線は完全に消滅した。

457 :日本の砲って・・・:04/06/14 17:24 ID:3Pj4mEZV
>>443-450
皆さんお答えいただきありがとうございました。

458 :名無し三等兵:04/06/14 18:41 ID:jLqc33qo
地球史探訪:キリシタン宣教師の野望
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog154.html
キリシタン宣教師達は、日本やシナをスペインの植民地とすることを、神への奉仕と考えた。

悲しいメキシコ人
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h9/jog003.htm
メキシコ人は固有の文化・文明そのものをスペイン人に破壊されてしまった。
日本人も戦国時代に同じ運命に陥る危険があった。


この二つ読めばよくわかるよ。あと、
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_index_frame.htm
ここにあるもの全部読んだほうがいい。ためになることばかりだよ。

459 :名無し三等兵:04/06/15 15:21 ID:Pfw9dhxJ
餓死者は朝鮮支配地に多かった

李子朝鮮は日本兵の首に賞金を懸けたため首のない朝鮮良民の死体が各地で転がっていた

460 :名無し三等兵:04/06/15 18:20 ID:???
>>458
>メキシコ人は固有の文化・文明そのものをスペイン人に破壊されてしまった。

日本はそれよりもっと酷い事を朝鮮半島にしたらしいよ
半島の彼らが言うには。なんせ史上最悪の植民地支配を受けたと主張しているのですから

461 :名無し三等兵:04/06/15 19:57 ID:???
今「朝鮮人をガス室に」って言われてもどれだけ反対の声があがるやら…

462 :名無し三等兵:04/06/16 11:50 ID:???
陸戦不敗?

463 :名無し三等兵:04/06/16 11:58 ID:???
戦国打通?

464 :名無し三等兵:04/06/16 12:09 ID:???
半島打痛?

465 :名無し三等兵:04/06/16 21:13 ID:???
朝鮮は治安悪すぎ。
休戦中も反乱が後を絶たないし、反乱軍に首都を攻撃されそうになった。

466 :名無し三等兵:04/06/16 21:15 ID:???
>>460
つーかそんなわけない。
朝鮮の役が終わった後でも李氏朝鮮はつづいてるし、
独自の文化は成熟しているわけで。
それとも、明治時代のことだというならそもそもスレ違いのような気が・・・

話の流れを元に戻すと松村つとむの戦争学という本を読んでいて
その中に朝鮮戦役の事が出てくるんだけど亀甲船がアジアで初めて
大砲を使った舟であるというようなことが書かれてる。
それに比べて日本の側はまるでだめだと。
でもこれってどうなんでしょうね。日本の和船って結構でかかった
らしいし、上でも出てきたように大砲も積んでなかったとは思えない。
それに補給のことだけど、日本も鉄砲や大砲を使ってたから、火薬や硝石
が必要なはず。でも硝石などが不足したというのは兵糧と違って聞かない。
目論見は外れたんだろうが本当に補給が失敗してたのかと思ってしまうし、
海戦で遅れをとっていたとは思えないんですよね。どうなんだろ?

467 :466:04/06/16 21:22 ID:???
後、和船はオランダの報告書かなんかで
「ヨーロッパの船と比べても遜色がない」とかかれていたと
図書館にあった船の技術書の歴史に書いてあった。
それでも和船が後にヨーロッパの船に遅れたのは日本が鎖国を
して技術開発に力を注がなかったから、江戸時代にロシアの艦船が
座礁して、それを助ける時にロシアの技術者に洋式の船の
作り方を教えてもらうまでヨーロッパに船の技術が遅れたのだと。

468 :名無し三等兵:04/06/16 21:23 ID:???
江戸期に外洋渡航が可能な船は建造禁止っつー無茶苦茶な命令出ましたしね…

469 :名無し三等兵:04/06/16 22:17 ID:???
>>468
それだけでなく、造船の図面なんかを処分させた、つう説もあるとヨットデザイナの横山氏が書いていたと思う。

470 :名無し三等兵:04/06/17 00:14 ID:jaRT02+O
不潔極まる支那大陸の
中に丈夫、美少年
これは如何にと眺むれば
胸に日の丸、日章旗


471 :名無し三等兵:04/06/17 07:45 ID:???
>>466
> その中に朝鮮戦役の事が出てくるんだけど亀甲船がアジアで初めて
> 大砲を使った舟であるというようなことが書かれてる。

それってウリナラマンセーの捏造史観じゃないの?
中国のジャンクなんかはそれより以前から大砲を装備してたはずだが。

↓手ごろな資料がないんで適当にぐぐってヒットしたページ
ttp://www.umi-road.jp/aisatu.htm
 およそ七千もの島々から成るフィリピン沿岸の海底で発
 見されたジャンクの海底遺跡の一つに南スルー海に面し
 たパンダナン島遺跡がある。 この遺跡は水深42メートル
 の珊瑚礁にあり、多数の大壷やガラスビーズ、 二門の
 大砲と共に発見された15世紀前半のジャンクである。

なんぼなんでも亀甲船が15世紀前半より以前ってこたねーだろ。

472 :名無し三等兵:04/06/17 08:10 ID:???
調べてみたら鄭和の艦隊が小型の砲を装備していたって話もあるみたいね。
定説なのかどうかは知らんが。
ttp://afe.easia.columbia.edu/china/trad/disc_q.htm
Because the Yongle emperor wanted to impress Ming power upon the world and
show off China's resources and importance, he gave orders to build even larger
ships than were necessary for the voyages. Thus the word went out to construct
special "Treasure Ships," ships over 400 feet long, 160 feet wide, with nine masts,
twelve sails, and four decks, large enough to carry 2,500 tons of cargo each and
armed with dozens of small cannons.



473 :名無し三等兵:04/06/17 13:35 ID:???
>松村つとむの戦争学

??????
何? こいつ。
聞いたこともない。
妙なのが最近出るからなあ。

474 :名無し三等兵:04/06/17 15:22 ID:???
>>473
これだと思われ
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4166600192/250-0915177-9877859#product-details


475 :名無し三等兵:04/06/17 15:28 ID:???
>>474
親切だな。松村閣下を知らないどころか、妙な香具師呼ばわりする時点で、漏れは半年ROMれと書き込みそうになったYO

476 :名無し三等兵:04/06/17 18:06 ID:???
スレ外れながら、
松村 劭氏って戦車畑出身の人だよね。
同じ自出身者の誰かと、仲悪かった気がするが、
思い出せない・・・・。

477 :名無し三等兵:04/06/17 18:19 ID:???
>476
松村氏の派閥に_屋哲や270式氏が居ることを考えれば、自然と「仲悪い人候補」は絞り込まれるはず。

478 :名無し三等兵:04/06/17 18:22 ID:???
>>477
派閥って…松村閣下をねらーだと信じているのかな?

479 :名無し三等兵:04/06/17 20:52 ID:???
>>475
こんな人を知る必要があるかねえ。

>亀甲船がアジアで初めて
>大砲を使った舟

こういうこと言ってる時点でアウトだろ。>松村

480 :名無し三等兵:04/06/17 20:59 ID:???
亀甲船って結局どうやって帆の向きを変えてたんだろうか?
素人考えでは帆が見えない気がするんですけど。

481 :名無し三等兵:04/06/17 21:11 ID:???
あれは基本的にガレーだもの
カレーじゃないよ

482 :名無し三等兵:04/06/17 21:11 ID:???
鰈でもない

483 :名無し三等兵:04/06/17 22:00 ID:???
>>461
賛成する奴はキチガイ扱いされると思うが?
ためしに学校で友達や先生にそれを提案してみろ。

484 :名無し三等兵:04/06/17 22:06 ID:???
>>479
そう。漏れもアウトだと思った。
知らないところはよく調べればいいのに…
閣下も迂闊なことを…

485 :名無し三等兵:04/06/17 22:14 ID:???
現代戦専門の人が近世以前の戦史に口を出すと
取り返しのつかない失敗をするという好例ですな。


486 :名無し三等兵:04/06/18 20:31 ID:ShHFvDi9
海戦でどのくらいやられたの?

487 :名無し三等兵:04/06/19 13:31 ID:aEig4ViJ
>>466
> その中に朝鮮戦役の事が出てくるんだけど亀甲船がアジアで初めて
> 大砲を使った舟であるというようなことが書かれてる。

図書館でその本(松村 劭「戦争学」)を借りてきた。
結論だけ言っとく。
そんなことは書いてねーぞ。

488 :名無し三等兵:04/06/19 13:41 ID:???
どうでもいいが、日本側の艦艇にも大砲は載ってたぞ。
でないと鉄板で防御力を上げてる亀甲船を沈めることはできない。

489 :名無し三等兵:04/06/19 14:08 ID:???
>>483
君の通ってる民族学校ならそうかもねwww

490 :軍師:04/06/19 16:04 ID:tMeAbLz/
はじめから、黒田如水を、遠征軍総司令官にしておけば、勝てたのだ、加藤清正と
小西行長に、指揮権を二分したのが失敗のもとだ。

491 :名無し三等兵:04/06/19 16:14 ID:???
二分もしていない、大名の数だけ指揮権があった。

492 :名無し三等兵:04/06/19 16:27 ID:???
なんで秀志は朝鮮なんぞに攻め込んだん

493 :名無し三等兵:04/06/19 17:45 ID:???
>>492
だって明を占領するにはまず朝鮮に橋頭堡が必要じゃん。

494 :名無し三等兵:04/06/19 21:55 ID:???
>>492
朝鮮の優れた医学を盗んでいくため。
ソース「世界不思議発見」

495 :466:04/06/20 03:47 ID:???
>>487
ああすまそ。
今見てみたら「装甲重量を計算した世界最初の鉄鋼艦」
とかいてあった。
それとともに「大砲火力と兵站の重要性を
朝鮮出兵から学ばなかった日本軍は第二次世界大戦において
火力の不足に悩み戦闘力の維持回復の競争に敗れた」とも
書かれてあり日本軍側は李舜臣に艦隊の性能から敗れたように
かいてある。また日本側には全く制海権がなかったとも。
ただ朝鮮出兵をいきなり第二次世界大戦に結びつけるところや、
装甲重量を考えた最初の艦隊なんてのは信用できるのかと思ってしまい、
また、日本側の大砲の所有の記述と艦隊の詳細が朝鮮側に偏っているために、
当時の海戦の実相はどうだったのかということが聞きたかったのです。
本当に火力が不足しており、日本側の船はたいした事がなかったのかなと。
また輸送に対しても「戦争学」では李舜臣のおかげで日本が危機に
陥ったとありますがそれも信用できないので。

いろんな疑問がごっちゃになってしまい、質問の意図が伝わらなくて
混乱させてしまい申し訳ありません。

496 :名無し三等兵:04/06/20 17:38 ID:???
李舜臣の戦績を並べると次のとおり。

文禄元年(1592)
1,五月七日 玉浦海戦、日本船(藤堂高虎・堀内氏善)26隻を焼き払う。
2,五月七日夜 合浦海戦、日本船5隻を焼き払う。
3,五月八日早朝 赤珍浦海戦、日本船11隻を焼き払う。  
4,五月二十九日 泗川海戦、日本船13隻を焼き払う。
5,六月二日 唐浦海戦、日本船(亀井真矩)21隻を焼き払う。
  戦利品の中に「亀井琉球守」と記された金団扇があったという。
6,六月五・六・七日 唐項浦海戦、日本船(来島通之)33隻を全滅させる。
  来島通之は陸に上がり自刃したと伝えられている(異説あり)。
7,七月七日 閑山島(見乃梁)海戦、日本船73隻(脇坂安治)のうち59隻を焼き払う。
  部将脇坂左兵衛が戦死し、脇坂安治も負傷した。
8,七月九日 安骨浦海戦、日本船45隻(九鬼嘉隆・加藤嘉明)のうち20隻を焼き払う。
9,八月二十九日 朝鮮水軍、釜山浦の日本船470余隻を攻撃、100隻余りを破壊するも敗退。

497 :名無し三等兵:04/06/20 17:40 ID:???
>>496の続き

文禄二年(1593)
10,二月〜三月 熊川海戦(第一次〜第五次)、明軍南下に呼応した作戦だが、結局敗退。

文禄三年(1594)
11,三月 第二次唐項浦海戦、日本船24隻を焼き払う。
12,九月 第一次長門浦海戦、福島正則・戸田勝隆の反撃により敗退。
13,十月 永登浦海戦・第二次長門浦海戦、これも福島等の反撃により敗退。

慶長二年(1597)
・正月 命令に反し日本軍迎撃を行わなかったため、李舜臣解任。
・七月 巨済島海戦、朝鮮水軍は160隻を失いほぼ全滅。李舜臣復帰。
14,九月十六日 鳴梁海戦、日本船31隻を焼き払う。
   来島通総・菅正蔭らが討死し、藤堂高虎は負傷したと伝えられる。

慶長三年(1598)
15,十一月十八日 露梁海戦、李舜臣戦死。
   日本船500隻(島津義弘・立花宗茂・宗義智)のうち200隻を撃破したという。

498 :名無し三等兵:04/06/20 17:41 ID:???
>>497の続き

純粋な海戦は6・7・14・15のみで、それ以外は入り江や港に停泊している船団を襲撃したもの。
また、4・9・14・15以外の戦場は巨済島付近に集中している。
1〜9の日本側損害を合計すると288隻となるが、この「戦果」には誇張があるかもしれない。
例えば5〜6では亀井・来島軍を全滅させたとしているが、文禄2年5月の晋州攻撃の陣立書をみると、
 来島通総(軍役700) ・・・ 570人
 亀井真矩(軍役1,000)・・・1,336人
で作戦行動を行っており、少なくとも兵力面ではほとんど打撃を受けていないようだ。

こうしてみると、李舜臣の「連戦連勝」の実態は、
兵を上陸させた後の空船が巨済島周辺の入り江で停泊しているところを、
大兵力で襲撃しただけなのではないか?
という疑いが出てくるのだが・・・。

499 :名無し三等兵:04/06/20 17:52 ID:???
その通りだよ、ほとんどは泊地襲撃。
日本側が船から下りて崖に陣取って船を守ったときなどはほとんど敗退している。

500 :名無し三等兵:04/06/20 18:20 ID:???
500get

501 :名無し三等兵:04/06/21 02:27 ID:C5tPAuwC
>>498
そうなんだよ。

軍事板的に戦史をこと細かく整理して見れば、
大体の推測ができる。

李舜臣の上げた戦果の初期のものは、停泊中の少数の日本船に多数の水軍で奇襲して
焼き払ったものなんだよね。

閑山島ではじめて日本側が本気になって「海賊討伐」に出かけた。
脇坂の抜け駆けで失敗した事は認めなければならないけれど、
結局は「掃討作戦に失敗」という日本側の現実があるだけで、
根本的な制海権(日本−半島)とは無関係。

李舜臣の功績(南岸を自由に日本人に往来させなかった)ことは確かだけど、
上のほうにある誰かのような誇大評価からは目覚める必要がある。

502 :名無し三等兵:04/06/21 02:36 ID:???
>>501
李将軍(提督?)の軍勢は160隻程度の打撃で再起不能になっている。
やはり、弱者として作戦立案し、戦略に貢献する事を狙ったとは、見ていいと思う。

海軍戦略とは冷徹で、建設も、再起も困難だ。
それと、李マンセーとは別だが、相応に良くやった部類と思う。

503 :名無し三等兵:04/06/21 07:13 ID:???
ところで、当時の海戦ではボーディングとかやったの?

504 :名無し三等兵:04/06/21 08:45 ID:???
やってました。
と言うか日本側の戦術です。
朝鮮船を随分分捕っている。

朝鮮水軍はひたすら日本戦を焼き討ちしたり砲撃したりして破壊してくるから戦法が違う。
明水軍が来てからの戦術転換が気になるところだ。

505 :名無し三等兵:04/06/21 13:38 ID:???
>>434
バトルオブブリテン前夜のドイツみたいですなー。

506 :名無し三等兵:04/06/21 23:34 ID:???
李舜臣について、いくつか。

○李舜臣は朝鮮水軍の総司令官として活躍したと思われているが、そうではなかった。
 水軍の総司令官的な地位(三道水軍統制使)に就いたのは開戦翌年の8月以降。
 それまでは、17人いる水軍節度使の1人(全羅道左水使)にすぎなかった。

#偉くなってからはあまり活躍していない・・・。
 
○開戦当初、慶尚道からの再三の救援要請に対し、李舜臣は、
 「勝手に境界を越えて管轄外の区域に入るわけにはいかない」
 「自分の管轄区域の防衛に忙しく、他人の防衛の援助にまでは行けない」
 などと言って断っていた。これを見かねた李舜臣の部下達(鄭運、宋希立)が
 「敵を討つのに、境界など無いでしょう」と進言したため、李舜臣もようやく出撃を決心した。

#李舜臣は愛国心の塊というイメージとは裏腹に、縦割り思考の持ち主だったようだ。

○慶長2年(1597)正月、日本軍は再上陸を開始した。
 朝鮮軍の都元帥権慄は李舜臣に日本から渡ってくる軍隊を海上で迎撃することを命じたが、
 日本軍の罠にかかることを恐れて出撃しなかったため、免職された。

#李舜臣は党派抗争に巻き込まれて罪無くして失脚したといわれているが、
 実際には命令違反による処罰であった。

○秀吉の死後、小西行長らは明軍と停戦協定を結び、人質をとって撤退することとなったが、
 李舜臣は明の提督と協議して小西軍の退路を断ち、不意打ちをかけることを計画していた。
 その後、明・朝鮮軍500隻(といっても、ほとんどは明船だが)は小西軍の封鎖を解き、
 救援に来た島津・立花らと露梁海峡で交戦。夜間の激戦の中、李舜臣は戦死した。

#功を焦っていたとしか思えない。どうしても小西行長を捕虜にしたかったらしい。
 「李舜臣は死して勝利した。東洋のネルソンだ」などと誉められているが、
 結局小西軍は無傷で脱出しており、当初の作戦目的からすれば、とても勝利とは言い難い。
 どう見ても無用の軍事作戦であり、「名提督」のすることとは思えない。

507 :506:04/06/22 00:43 ID:???
(つづき)
李舜臣の場合、「聖将」的なイメージで語られることが多いが、
冷静に1人の軍人として見れば、保身を考えて大事をとったり、
功名心に駆られたりと、非常に人間的だったことがわかる。

「日本水軍を全滅させた」とか「補給路を断った」というのは過大評価だろう。
だが、朝鮮水軍が戦役を通じて170隻を越えることがなかったのに対し、
日本軍は小西行長の1番隊だけで700隻であり、戦力差は圧倒的だった。
戦局に直接的な影響を与えることは少なかったにしても、
(朝鮮国王以下に「勇気」は与えたかもしれないが・・・)
与えられた戦力をよく運用して敢闘したと言えるのではないかと考えている。

508 :名無し三等兵:04/06/22 15:50 ID:rQ+Xi1HS
>>506->>507
至極もっともで冷静な観察だが、人によってはこういうのを聞くと
穏やかならぬものを感じて、
「歴史修正主義」
だと騒ぐんだろうなあ。


509 :名無し三等兵:04/06/22 19:27 ID:???
水軍節度使は17人もいないのでは?
南部の二道に二人、他の道は一人ずつじゃない?

たぶん10人のうちの1人

510 :名無し三等兵:04/06/22 19:57 ID:???
>506
劣勢にもかかわらず海上迎撃を命令されること自体が党派抗争に巻き込まれた結果じゃないのか?
命令通り攻撃しても大敗して、失脚は避けられなかったんでないの。

511 :名無し三等兵:04/06/22 20:11 ID:???
「党派抗争で失脚」だと李舜臣の名誉は守られるが、
その分いかに当時の朝鮮が屑共に支配されていたダメ国家だったかが浮き彫りになる…

512 :名無し三等兵:04/06/22 20:16 ID:???
慶長の役 開始直後の朝鮮水軍は特に劣勢とは言えないのでは?

李舜臣の更迭は小西行長の策略による加藤清正上陸部隊の情報だった。
政敵を敵の力で葬ろうとしたのであまり人のことは・・・

いや悪いのは、日本の場合は人間関係だけど李氏朝鮮は国家体制か。

513 :名無し三等兵:04/06/22 20:28 ID:???
【国内】NHKハングル講座は朝鮮総連の工作[06/20]
http://news17.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1087813673/

514 :名無し三等兵:04/06/22 22:21 ID:???
>>509
兵馬節度使(兵使)・水軍節度使(水使)は各道1〜3名置かれたが、
定員中1名は道の長官(巡察使・監察使・監司など)が兼任した。
各道別の水使の定員は次のとおり。

慶尚・全羅・咸鏡・・・3名
京畿・忠清・黄海・・・2名
江原・平安・・・1名

実質的には9人であったといえる。

515 :名無し三等兵:04/06/23 07:17 ID:???
>>512
>慶長の役 開始直後の朝鮮水軍は特に劣勢とは言えないのでは?

それはどうかな?
海上戦力は火力の二乗に比例するというから・・・。

(仮定)
1 朝鮮水軍=170隻、日本水軍=700隻
2 朝鮮の艦艇は日本の3倍の火力を持つ

(海上戦力比)
朝鮮:日本=(170×3)^2 : (700)^2 = 260,100 : 490,000
       =1 : 1.88

朝鮮水軍がいくら優秀でも、制海権を握るには戦力不足だったんじゃないかな。

516 :名無し三等兵:04/06/23 07:22 ID:???
>>507 では
>小西行長の1番隊だけで700隻であり

とあるから、日本軍全体ではどれくらいの戦力だったんだろう?

517 :名無し三等兵:04/06/23 11:22 ID:???
700隻で日本の輸送船のほとんどでしょ?
ピストン輸送で15万ほどを送っている。

518 :名無し三等兵:04/06/23 15:42 ID:???
戦闘艦と輸送船とどう違うの?

519 :名無し三等兵:04/06/23 16:51 ID:???
素人は黙ってろ。

520 :名無し三等兵:04/06/23 20:52 ID:???
おなじ

521 :名無し三等兵:04/06/23 22:39 ID:???
小西行長の1番隊(18,700人・700隻)から換算すると1隻あたり26.7人。
秀吉は2番隊・加藤清正(22,800人)、3番隊・黒田長政(11,000人)、
4番隊・毛利吉成(島津以外の4,000人)の3将に対し、
小西行長と朝鮮の交渉の結果がわかるまでは壱岐・対馬で待機するように命じている。
彼らは船に乗っていたと思われるので(島津は乗る船が無かったため遅参した)、
そこから逆算すると、約2,100隻という数字が得られる。

(18,700+22,800+11,000+4,000)÷26.7≒2,116

開戦前、秀吉はポルトガル人宣教師に対して、
「明征伐のために2,000隻の船舶を建造している」と表明しているが、
算出結果とほぼ符合している。
全部の船が武装していたとは考えられないが、
1/3程度は戦闘艦艇だったのではないかと想定して700隻とした。
ちなみに慶長の役の明水軍(13,200人・500隻)が1隻あたり26.4人であり、
日本水軍が特に小舟ばかりだったというわけでもなさそうだ。


522 :秀吉:04/06/23 22:51 ID:???
2100隻・・・・!
圧倒的じゃないか。我が軍は・・・。

なのに何故小うるさい朝鮮水軍ごときを殲滅できんのだ!!

523 :名無し三等兵 :04/06/23 23:14 ID:???
>>522
一揆バラに注意しろ、と言ったのはアンタじゃないか(w
これは海上ゲリラ戦なんだよ。

524 :名無し三等兵:04/06/23 23:15 ID:???
結局半島軍はゲリラ的活動程度しか出来なかったというところか

525 :名無し三等兵 :04/06/23 23:17 ID:???
>>524
むしろゲリラ戦だからてこずったんだが・・・

526 :名無し三等兵:04/06/23 23:34 ID:???
>>522
慶長2年7月の巨済島海戦で朝鮮水軍を殲滅していますが・・・。

このときは、巨済島付近の入り江に停泊する朝鮮水軍を大兵力で夜襲しており、
李舜臣が得意とする戦法を日本水軍が実践しているのは皮肉ですね。

それまで朝鮮水軍を放置していたのは、基本的に、
兵員輸送や兵粮輸送を優先していたということなんでしょう。
日本水軍は1〜3万石程度の小身大名ばかりで構成されており、
秀吉が朝鮮水軍をそれほど脅威に思っていたとは思えません。

527 :名無し三等兵:04/06/24 03:42 ID:WTPtSdAG
>>526
ふんふん。
あの役の実像が見えてきた。

水軍に関してはそのくらいの圧倒的な物量の差があった。
そう認識すると全ての現象が氷解してくる。

なるほどね。

局所のことばかりに目をやると、全体像が見えなくなる、その一例だね。

528 :名無し三等兵:04/06/24 08:27 ID:???
局所のことばかりに目をやる、というより、
局所以外見て欲しくないという現代韓国人の事情があるってだけの話ですから…

日本に勝って民族を解放した、という「神話」(←好意的表現)によってたつ民族国家としては
対日戦において過去も同様に韓民族は戦った、という「神話」を構築せねばつじつまが合わないのですから。
ひとつの嘘をつくとさらなる嘘で周辺を覆い隠さねばならなくなるという現象の好例。

なんせ李舜臣を誇る韓国人はいても、
その李舜臣の最大の敵が同じ自民族の官僚貴族たちで、
その官僚貴族の手から朝鮮を解放したのは日本だったという史実を見ようとする韓国人は
誰ひとりいないわけですから……

529 :名無し三等兵:04/06/24 11:00 ID:???
保守

530 :名無し三等兵:04/06/24 13:10 ID:???
日本船の武装ってどんなものなの?

531 :名無し三等兵:04/06/24 14:17 ID:???
李舜臣 = 楠木正成 でFA?

532 :名無し三等兵:04/06/24 14:24 ID:???
事績じゃなくて、時の政府の都合でねじ曲げられた経歴を押しつけられたって意味ならその通り。

533 :名無し三等兵:04/06/24 19:02 ID:???
>>521
日本の船団の規模についてそのように指摘されると納得の行く一つの事例。

開戦当時、朝鮮水軍が保有していた船舶はどのくらいなのかな。
全部で200隻程度じゃないかな。当初にたしか左水営がやられて壊滅。
直後に李舜臣が活躍を始めた頃に手持ちの船がたしか50数隻程度のはずだから。

仮にそうだとして10:1の比率。

これは陸の軍事動員力と対応するね。
当時日本軍に対応できた朝鮮軍は全土合わせて5万程度じゃなかったかな。

戦後朝鮮を訪れた西洋人が「朝鮮は10万の兵士を用意できる」と書いていたけど、
これは文禄慶長の役の戦訓から強化に迫られていたものだろうし、
役当時としてはそんなには整備されてなかったように思う。
当時の日本が国内最大動員50万と推測されるから、符合している。

つまり朝鮮との比較上、日本の「水軍」(船団)の規模が
陸軍に比べて小さかったと思われがちだけど、そうでもなかったってことか。

534 :名無し三等兵:04/06/25 21:11 ID:???
朝鮮軍の定員は20万人だが、実員は8千人だったと言われている。
そして、本戦役を通じて朝鮮主力軍は概ね8,000〜13,000人であった。
文禄元年(1592)6月と翌2年の6月に5〜6万の兵を集めたこともあったが、
多くは烏合の衆であり、一戦して日本軍に大敗した。

ちなみに、明軍の定員は270万人だったが、実員は約50万人。
国土が広いため兵力の集中は容易ではなく、
この戦役で朝鮮に派遣した兵は10万人を超えることはなかったらしい。

535 :名無し三等兵:04/06/26 00:21 ID:???
世界四大提督の一人
それが李舜臣。
日本水軍が惨敗するのも仕方ない。

536 :名無し三等兵:04/06/26 01:51 ID:???
少なくとも半島と日本人以外で李舜臣を知っている人はマニア。

537 :名無し三等兵:04/06/26 03:42 ID:???
>>535

突如としてレスの流れを切るところが香ばしい。

538 :名無し三等兵:04/06/26 10:53 ID:???
慶長の役で13万ぐらい来ていたよね

539 :名無し三等兵:04/06/26 12:49 ID:???
>>538
慶長の役における明軍兵力について

慶長2年(1597)5月 明軍先鋒9,000、南原・全州・忠州を守備
          8月 南原城の明軍(3,000)全滅
          9月 明援軍8,000ソウル到着。稷山会戦で明軍(4,000)敗退
         12月 明軍44,000、蔚山を包囲すべく南下
慶長3年(1598)1月 蔚山の包囲を解き明軍撤退。明軍の死者は2万に達した
          8月 明軍89,000、蔚山・泗川・順天を同時攻撃すべく南下
         10月 明軍35,000、泗川を攻撃し大敗
         11月 日本軍撤兵。明軍、蔚山・泗川・順天を占領
慶長4年(1599)1月 明軍撤兵。ただしソウルに24,000を駐留させる
慶長5年(1600)9月 明軍完全撤兵

総兵力は、9,000+44,000+89,000=142,000人となるが、
逐次投入して各個撃破されているので、同時に10万を超えることはなかった。

540 :名無し三等兵:04/06/26 12:55 ID:???
どこからの数字?

541 :名無し三等兵:04/06/26 13:07 ID:???
>>540
ソースは、このスレで何回か出てきた
参謀本部編纂の「日本戦史・朝鮮役」です。

542 :名無し三等兵:04/06/26 14:00 ID:???
>>536
韓国の中学校教科書にはこんなこと書いてあるんだってさ。

いろいろな国の海軍士官学校では、生徒たちに歴史的に有名な世界四大海戦を教えています。
その内容を見ると、
1) B.C.480年 ギリシャのテミストクレス提督のサラミス海戦
2) 1588年 英国ハワード提督のカレー沖海戦
3) 1592年 亀船を全面に出して勝利をおさめた李舜臣提督の閑山大戦
4) 1805年 英国ネルソン提督のトラファルガー海戦
その中でも李舜臣提督の勝利は、最も貴重なことと評価を受けています。
その偉大さは強大なロシア極東艦隊と戦って勝利し、世界を驚かせた日本の東郷提督が、
周囲から「あなたは李舜臣提督と同じ偉人として称賛されるべきだ」と言われた時、
「私の功労は英国のネルソン提督と比較することは受け入れられるが、李舜臣提督の業績には及びもしない」
と応えたという逸話からも知ることができます。

まあ、日本にも「フィンランドの東郷ビール」伝説があるわけで、
あまり偉そうなことは言えないのだが・・・。

http://www.d7.dion.ne.jp/~jussih/amiraali/epavarma.htm

ちなみに、このアミラーリ・ビアの世界の提督24人にも李舜臣は入っていない。

543 :名無し三等兵:04/06/26 14:17 ID:???
>>539
9000、14000、89000には重複分があるんじゃないのだろうか。

一方、蔚山攻めと慶長3年秋の陣の際に後方へ控置していた人員もいるのでは?

でも相殺すると
明援軍14万
という一般書の数字も妥当なところか。

明史にある「(役を通じて)士を失うこと十余万」
というのは信用できるんだろうか。

544 :名無し三等兵:04/06/26 18:03 ID:???
>>543
「明史朝鮮伝」によると、こうある。

倭が朝鮮を乱してより七載(年)、喪師数十万、糜餉(軍事費)数百万、
中朝(明)と属国(朝鮮)ついに勝算無し。関白の死に至りて、禍始めて息む。

「喪師数十万」は、ちょっと大げさな気もするが、
病死や逃亡兵も含めると損害は10万近くあったのではないかと思われる。

545 :名無し三等兵:04/06/26 18:24 ID:???
明軍も補給困難なんだよな

546 :名無し三等兵:04/06/26 20:24 ID:???
>明軍89,000、蔚山・泗川・順天を同時攻撃すべく南下

それらは末期に送り込まれた3万〜4万程度の連中と
それまで居た連中が一緒になってる。

547 :名無し三等兵:04/06/26 21:26 ID:???
>>545
明軍の給養・兵站については、
鴨緑江までは明が、朝鮮国内は朝鮮が負担した。
飢饉、疫病、匪賊の横行に加え、
明軍のための軍役と徴発(略奪も多かったらしい)は、
全朝鮮人を餓死寸前に追い込んだと言われている。

明軍は朝鮮国内でやりたい放題だったので、
それほど兵糧に困っていたとは思えない。

548 :名無し三等兵:04/06/26 21:28 ID:???
つくづく、国防は自力で行うべきだな…

549 :名無し三等兵:04/06/26 21:54 ID:???
戦争二年目以降は餓死者で一時増大した乞食が激減したらしい

国民が1/3だもんな

550 :名無し三等兵:04/06/26 23:56 ID:???
>>544
どの王朝もそうだが、倒して新しい王朝を立てた連中が
編纂するからイマイチ信用ならん。

551 :名無し三等兵:04/06/27 19:40 ID:???
かの国で前政権の正史を現政権がつくるという伝統は、
旧政権の権力者は絶滅していて、しがらみがないから
比較的公平な視点で記述できるという利点もある。

朝鮮の役でも、朝鮮人の首まで斬って
敗北を勝利と報告する武将が多かったのに、
明史の記述では「勝算無し」と結論づけている。

当時の誇大な戦果報告を真に受けて、
「偉大な勝利」などと言っているのは韓国の歴史学者だけ。

552 :名無し三等兵:04/06/27 20:55 ID:???
閑山島海戦は水軍七十隻のうち五十九隻を沈めるとゆう
世界海戦史上に名を残す完全勝利である。
この時使われたのが、「鶴翼の陣」である。
この李舜臣将軍の戦法を学んだ日本海軍は日本海海戦で勝利をあげた。
李舜臣将軍の戦法は後世の海軍に影響を与えたとゆう事だ。
さらに鳴梁海戦。
僅か十二隻の船団で、豊臣水軍百三十隻を破るとゆう大戦果をあげた。
鳴梁海戦も世界海戦史上に名を残す大勝利である。
李舜臣将軍こそアジア最高の海将といえるだろう。


553 :名無し三等兵:04/06/27 21:16 ID:???
>>552

一般所に書いてあるのと原則内容は同じだけど、
軍板的にこれまで観察検証した成果を見た後では
少しいかれたプロパガンダのように聞こえますね。
街宣車の人が言ってるみたいに聞こえます。

554 :名無し三等兵:04/06/27 23:02 ID:???
>>551
お互いに相手の台所事情だとか、お家事情までは探りようがないので
明側がそう判断するのもありかもな。

555 :名無し三等兵:04/06/28 13:57 ID:k5Yp0SCk
開山島海戦の敗北=ダンピールの悲劇

その程度

556 :名無し三等兵:04/06/28 19:11 ID:???
閑山島海戦について言えば、
海峡を抜けてくるところを袋叩きにしている点など、
スリガオ海峡海戦に似ている気がする。
「鶴翼」と「T字」の違いはあるけどね。

557 :名無し三等兵:04/06/28 19:56 ID:???
文禄2年5月20日の秀吉朱印状を参考に、
日本水軍の損耗率を算出してみた。

       定員  実員  損耗率
九鬼嘉隆 1500  834 44.40
藤堂高虎 2000  1473 26.35
脇坂安治 1500 900 40.00
加藤嘉明 750 314 58.13
来島通総 700 570 18.57
菅達長   250   106   57.60
桑山一晴 1000  504   49.60
堀内氏善 850   574   32.47
杉若氏宗 650   185   71.53
合計    9200 5460 40.65

閑山島海戦における「脇坂水軍70隻中59隻撃沈」という朝鮮側記録は過大であり、
損耗率(40%)から算定すれば、損害は28隻を超えていないものと推測できる。

また、李舜臣に大敗したといわれている武将(藤堂・堀内・来島・脇坂)の損耗率と比較して、
李舜臣と交戦した形跡がない武将(菅・桑山・杉若)の損耗率が以外と高いことがわかる。
日本水軍の損耗については、陸軍と同様に、
戦闘以外の要因(病気など)が多数を占めるのではないかと思われる。

558 :557:04/06/28 20:00 ID:???
う〜失敗。表の部分だけ再褐します。
       定員  実員  損耗率
九鬼嘉隆 1500 834 44.40
藤堂高虎 2000 1473 26.35
脇坂安治 1500 900 40.00
加藤嘉明 750 314 58.13
来島通総 700 570 18.57
菅達長   250 106 57.60
桑山一晴 1000 504 49.60
堀内氏善 850 574 32.47
杉若氏宗 650 185 71.53
合計    9200 5460 40.65

559 :名無し三等兵:04/06/28 20:02 ID:???
       定員  実員  損耗率
九鬼嘉隆 1500  834  44.40
藤堂高虎 2000 1473  26.35
脇坂安治 1500  900  40.00
加藤嘉明  750  314  58.13
来島通総  700  570  18.57
菅達長    250  106  57.60
桑山一晴 1000  504  49.60
堀内氏善  850  574   32.47
杉若氏宗  650  185   71.53
合計    9200  5460  40.65

ありゃ、かぶったかな?
力作なので、支援。

560 :557-558:04/06/28 20:04 ID:???
>>559
ありがとう。感謝です。

561 :名無し三等兵:04/06/28 21:12 ID:???
民主党 千葉景子HP 【神奈川県】
ttp://www.keiko-chiba.com/report/1999/19990414.html

>外国人を自国民と同様に扱おうとする世界の流れに明らかに逆行する

>民主党は、公明党とともに、在日外国人に地方参政権を付与する法案を衆議院に提出しております

>殺人や強盗などの凶悪犯罪ですら時効にかかりますが、この新設される不法滞在罪
>は時効にかかりません。
>入国後一定期間を経過して、我が国社会に受け入れられている者までいつまでも犯
>罪者扱いすることは、その者や関係者の生活を不当に脅かすものです。

562 :名無し三等兵:04/06/28 22:19 ID:???
>>557-559
水軍の損耗率ということですが、定員と実員の関係がいま少しわからないし、
損耗の内容も。

開戦1年後、講和作業の最中で文禄役の収束直前の数字のようです。
このうち戦闘での損耗はどのくらいなのでしょうかね。

563 :名無し三等兵:04/06/28 22:22 ID:???
>>562
損耗率が3%とかそういう数字だから、ほとんどが平時の損失…つう説もある>近代以前の軍隊。

564 :名無し三等兵:04/06/29 00:06 ID:???
>>562
定員は軍役人数で、実員は開戦1年後の点呼人数を反映していると思われます。
残された記録を見る限りでは、各大名は頑張って軍役人数を動員したようです。
例外は島津で、1万人の軍役がどうしても達成できず、
石田三成の内意を得て5千人に減免してもらっていたとされています。

水軍の損害の内容は不明ですが、
>>270にあるように、陸軍については非常に病死が多かったとされています。
朝鮮に在陣していた島津義弘や伊達政宗の手紙によると、
病気にかかった者のほとんどは死んでしまったとあります。
(病名はハッキリとはわからないのですが、脚気の類のようです)

565 :うろ覚え:04/06/29 00:15 ID:???
>>564
確かその件では三成は「検地のために土地を将来失う予定の島津家中」に対し
手柄を立てれば悪いようにはしないという取引をしたとか。
その結果、兵数は減ったが嫌々参加が激減し死に物狂いで戦ったらしい。
それが無ければ当初の2千人程度の参加で終わったかも。

566 :名無し三等兵:04/06/29 06:15 ID:???
実動員数はどうなんだろうか?

島津もそうだが、

国内で疲弊から立ち直っていなかった大友吉統は
6000人の割り当てで2500人しか動員できなかったようだ。


567 :名無し三等兵:04/06/29 06:49 ID:???
大友の件は初耳です。
大友の軍役は九州の大名では軽く、政権側が配慮していたらしいのですが・・・。
(大友氏は1万石あたり250人。他の九州大名は500人)

ただ、水軍大名に限って言えば、豊臣系大名が多く、
軍役人数は基本的に動員していたのではないでしょうか?

568 :名無し三等兵:04/06/29 06:52 ID:???
水軍割り当ての大名も石高と比べると人数が多いような気がするけど気のせいかな?
水夫の動員はあまり負担にならないのか・・・


569 :名無し三等兵:04/06/29 07:11 ID:???
>>568
水軍大名は九州諸侯並みの軍役(1万石あたり500人)だったようです。
諸事情で定員を集められなかった大名もいるかもしれませんね。
となると、戦闘による損耗は、もっと少ないということになりそうです。

570 :名無し三等兵:04/06/29 07:51 ID:uWdCq+K/
脇坂とか九鬼は陸戦もやっている
把握は難しい

571 :名無し三等兵:04/06/29 11:58 ID:???
ふと思うんですが、
文禄慶長の役というのは、異民族間の凄惨な戦争というイメージがなされがちですが、
実際はそうでもなかったんじゃないかと。(あくまで推測)

秀吉軍が半島に上陸すると朝鮮人たちはこれに協力したりしている。
そもそも玄海灘を隔ててすぐ目の前にある国で得体の知れない存在でもない。

大陸諸国家にある突如として勃興した(元のような)国の侵入ではないのだから、
秀吉軍にしても国内戦争の延長のような感じじゃなかったのか。

戦闘による死者よりも衛生問題による死者のほうが圧倒的に多いというのもフロイスの
報告を知るまでもなく容易に想像がつく。

李舜臣との戦いで言えば上のほうに誰かが書いていた、
「はく地攻撃をした日本船の中はほとんど空だった」
というようなのが実相ではないか。
正面からの戦いは閑山と鳴梁、露梁くらいで、だからこそ戦果が誇大に報告されたとか(推測)。

陸戦でも明が介入して以後のいくつかの戦い(平壌、ヘキテイ)と末期の明による城攻め
くらいが特筆され、あとは糧抹を狙ったり小さな出城での朝鮮人との小競り合いによる人員損耗なのではないか。

残虐行為に関して言えば、元来秀吉軍は宣撫工作をしていたわけだから積極的ではなかったはずで、
国内の乱暴狼藉の続きをする輩はいても全軍のものではなかったろう。
耳取り、鼻取りの話は報復的行動がかなりあったのではないかと憶測してみる。

572 :名無し三等兵:04/06/29 16:53 ID:uWdCq+K/
耳切りについてはいつまでも治安を取り戻さずに流民ゲリラとなった
農民の統治を諦めたということでしょう。

573 :名無し三等兵:04/06/29 17:16 ID:???
>>539-541

泗川の戦いがの参加兵力が35000(紙の上の定数では)とは
参謀本部はかなり現実的な数字を掴んでたんだな。

574 :名無し三等兵:04/06/29 23:56 ID:???
>>573
泗川攻撃の明・朝鮮軍については、別の箇所では5万余としている。
さすがに日本側記録の20万という数字は採用していないが、
参謀本部も正確な数字をつかんでいなかったようだ。

575 :名無し三等兵 :04/06/30 00:06 ID:???
>>574
正確な数字なんて誰も掴めないだろ(w

576 :名無し三等兵:04/06/30 00:33 ID:???
当時の日本では敵の戦死者の数を確認するために、
首の代わりに鼻を切り取るという習慣があった。
(朝鮮の役だけではなく、関ヶ原合戦でも行われていた)
朝鮮から送られた大量の鼻は、塚に埋葬して供養している。
その塚がなぜか「耳塚」と誤って伝えられたために、
生きた人間の鼻や耳を切り取った蛮行とされてしまったらしい。

ちなみに「雑兵物語」という古書によると、
鼻は唇とあわせて切り取ったとある。
女性や子供の鼻で数を稼がせないためだとか。
・・・なんだか生々しい話だな。

577 :名無し三等兵:04/06/30 00:45 ID:???
>>575
まあ、そうだよな。
勝った日本軍は敵の兵力を過大申告するだろうし。
負けた明軍は自軍の兵力を過小申告するだろうし。

578 :名無し三等兵:04/06/30 00:56 ID:???
いや、明にしても予め軍役書?みたいなものを用意するだろうし
それは官僚国家だけに誤魔化しようがない。

問題は現実に定数を満たしてたかどうかなんだが、これがあやしい。
日本は陣借によって合戦前に増えることすらあったが、
明だと脱走や幹部の怠慢で定員割れしか起こり得ない。

579 :名無し三等兵:04/06/30 19:15 ID:???
征伐という呼称は良いのか?
侵略なんだろ?

580 :名無し三等兵:04/06/30 20:25 ID:???
あんたが朝鮮人なら侵略と呼びなさい。
俺は日本人だから日本の立場を尊重し、征伐と呼称する。
それに文句つけるのは俺が日本人であることに文句つけるのと同じだ。

俺の母国に対する忠誠を外国人にどうのこうの言われる筋合いはない。
そして同様に、あんたの祖国に対する忠誠にも敬意は表するよ。


581 :名無し三等兵:04/06/30 22:04 ID:???
「征伐」というのは古代から中世の戦争によく使われた用語で、
例えば、韓国では元寇を「日本征伐」と呼んでいる。
日本にとっては、明征伐の道案内を朝鮮が拒否したことが開戦事由だから、
朝鮮への武力制裁を目的とした「出兵」「征伐」ではあったとは言える。

世界史的な視点で見ると、「日明戦争」というのが最も適当じゃないかな。

まあ、外交というのは相互主義が原則だから、
韓国側が元寇や応永の外寇を「日本侵略」と改めるならば、
日本側も文禄・慶長の役を「朝鮮侵略」と表現してもいいと思う。

582 :名無し三等兵:04/06/30 22:05 ID:???
秀吉の九州侵略とか使わないだろ?

四国征伐
九州征伐
関東征伐
朝鮮征伐

一貫している。

583 :名無し三等兵:04/06/30 22:18 ID:???
>>582
秀吉の全国統一は、小牧・長久手を境にして、
敵対する者を覆滅させる(武力統一)路線から、
諸侯が勅令に従い戦争をやめ、上洛・参礼すれば所領安堵するという、
惣無事(平和令)政策に路線を転換した。
だから、柴田征伐とか徳川征伐とは言わないが、
四国征伐・九州征伐・小田原征伐…四国征伐以降は全部「征伐」。
豊臣政権のトップが関白であり、外交官としての「取次」が
政権運営上重要な位置を占めている理由も、そのため。
秀吉の朝鮮政策も国内の惣無事令の延長線上で行われているから、
まさに「朝鮮征伐」であると言える。

584 :名無し三等兵:04/06/30 22:36 ID:???
>>583
補足ありがとう。

585 :名無し三等兵:04/07/01 12:42 ID:???
明・朝鮮軍で戦死した武将ってどれくらいいるの?

586 :名無し三等兵:04/07/01 18:58 ID:???
世界史板では朝鮮征伐と呼ぶなとか出ていますが。
どうなんでしょう?↓
世界史板の朝鮮征伐スレ
http://mentai.2ch.net/whis/kako/1007/10072/1007208219.html

587 :名無し三等兵:04/07/01 20:47 ID:???
2001年のスレか・・・
さすがの朝鮮人もレベルの高い軍板の朝鮮征伐スレには来ないようだ。


588 :名無し三等兵:04/07/01 22:35 ID:???
>>586
そのスレってさ、結局最終的には
「秀吉が北方迂回ルートで征伐したらどうなったか」
なんて、実に馬鹿げた議論になって消えてしまったのじゃなかったのか?

あれも何でああしたつまらない話になったのか大いに疑問。

世界史板も相当にレベルが低いよね。

589 :名無し三等兵:04/07/02 00:49 ID:???
>>585
朝鮮軍は李舜臣始め名将・勇将のほとんどが戦死している。

1592.4.13(釜山) 鄭撥
1592.4.14(東莱) 宋象賢
1592.5.18(臨津江) 劉克良
1592.7.7(熊峙) 鄭湛
1592.7.9(錦山) 高敬命
1592.8.15(錦山) 趙憲
1592.8.29(釜山) 鄭運
1592.10.10(晋州) 金時敏
1592.10.19(鉄原) 沈岱
1593.6.29(晋州) 金千鎰・崔慶会・黄進
1597.7.15(巨済島) 元均・李億祺
1597.8.15(南原) 李福男
1597.8.16(黄石山) 郭越
1598.11.18(露梁) 李舜臣

明軍の戦死した武将はこんなところ。
この他、敗走して処刑された武将も数名いる。

1592.7.16(平壌)  史儒 戴朝弁
1598.9.27(泗川)  李寧 廬得功
1598.11.18(露梁)  ケ子龍

590 :名無し三等兵:04/07/02 01:16 ID:qZgBiowr
>>589
逆に見ると朝鮮軍はよく戦ったと誉めるべきだろうね。
これらの戦死者に対しては。400年前とはいえ。

日本側は坊主を連れて敵兵までも弔いながら合戦をしたというけど、
藤木氏の数十年前の日本史本では、
「一向一揆で権力に抵抗した坊主が、権力に取り込まれて侵略の尖兵になった」
みたいな「劇的」な描かれ方をしていますね(笑)

かっこいい文章を書きたがる学者にかかっては、歴史上の人物はいいようにあしらわれます(苦笑)




591 :名無し三等兵:04/07/02 01:16 ID:???
文禄に集中してるなあ

592 :名無し三等兵:04/07/02 06:20 ID:???
攻城戦で踏み止まって殺された例が多い。


593 :名無し三等兵:04/07/02 06:33 ID:???
日本側で死んだ武将はいたの?

594 :名無し三等兵:04/07/02 08:00 ID:???
>>593
日本軍で、朝鮮で死亡した大名は次のとおり。
やはり病死が圧倒的に多い。

戦死(1名)

1597.9.16(鳴梁) 来島通総(伊予1.4万石)

狩猟中に襲撃を受け死亡(1名)

1592.10.24(陽智) 中川秀政(播磨三木7万石)

病死(5名)

1592.9.9(巨済島) 羽柴秀勝(美濃岐阜16万石)
1593.8.29(西生浦) 加藤光泰(甲斐府中24万石)
1593.9.8(巨済島) 島津久保(義弘の子)
1594.7.28(熊川) 五島純玄(肥前福江1.4万石)
1594.10.23(巨済島) 戸田勝隆(伊予大洲7万石)

595 :名無し三等兵:04/07/02 08:57 ID:/8qAeXBc
小早川隆景も健康を害したし
気候や疫病の方が恐い

596 :名無し三等兵:04/07/02 12:11 ID:???
>590
朝鮮側も坊主が義勇軍編成して日本軍と戦ってるけど、その恩賞は弾圧・・・。


597 :名無し三等兵:04/07/02 13:57 ID:/8qAeXBc
義兵の主力は不遇の左遷両班や被差別民

戦後は粛正されました

598 :名無し三等兵:04/07/02 15:54 ID:???
ttp://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/buhen/buha086.htm

面白いもの見っけ。武辺咄聞書。

>大明の李如松三十万騎にて来る。
>首数三万八千余隆景一組へ討取

首数三万八千余って、泗川での島津隊の首級とほど同数だ。

599 :名無し三等兵:04/07/02 15:56 ID:???
ちなみに立花家の報告は「40万人」

実際は2万の軍勢だから、どこも15倍から20倍で編纂してたのかな。

600 :名無し三等兵:04/07/02 21:57 ID:???
600get

601 :名無し三等兵:04/07/04 02:50 ID:jbRi6Qoe
          ‖
          ‖
          ‖   /⌒ヽ
          ‖  √.M. ̄ヘ    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          ○  /<`Д´>ヽ  < イ スンシン
    ζ。//。ζ ‖\⌒巛巛 ⌒ゝ | 李 三振 将軍参上ニダ!!
     ミ 皿ゞ 彡    (;;;;;36;;;;;)○) \___________
       ゝvv|   /;;;;;;∧;;;;;\
   / ̄ |vvv| ̄ ̄\ ̄ ̄ ̄ ̄ ──── __
  ‖==|vvv.|==‖========== \
  ‖==ヽvv |==‖===========‖
  ‖◎ ‖■‖◎ ‖◎‖◎‖◎‖◎‖◎‖◎‖
   ====================
   \:::::::::::::::::::::::::::::/:::::::\:::::::\:::::::\:::::::\:::::::\::/
 从从从从从从从从从〜从从〜从〜从从〜从〜从从〜〜〜〜


602 :名無し三等兵:04/07/04 05:15 ID:???
>>601
あんたは気味の悪い人だ。
よくそういう絵が描けますね。
感心する前に、それを思う。

603 :名無し三等兵:04/07/05 15:54 ID:???
戦線維持アゲ

604 :名無し三等兵:04/07/05 22:02 ID:???
救国の英雄 李舜臣

605 :八十島:04/07/06 09:19 ID:luXFRr+a
漢城からの撤退も、海岸寄りなら勝算あってのことなんですかね?

606 :名無し三等兵:04/07/07 08:02 ID:???
>>343にあるように、日本側の食糧の欠乏という事情もあったが、
明の側から講和を申し出てきたということが大きい。
講和が謀略である可能性もあるが、その場合でも日本軍の名誉は失われない。
交渉が不調に終わっても、海運を仕える南方なら確実に勝利できる。

また、碧蹄館の大敗で窮地に立っていた明軍首脳に恩を売ることで、
講和を促進させるという意味もあったと思われる。

明に対しては碧蹄館で叩いて十分に力を誇示できたので、
あとは晋州城に集結している朝鮮軍を撃滅すれば戦争は終わり、
と秀吉は考えていたようだ。

607 :名無し三等兵:04/07/10 17:57 ID:???
>>598-599

が何気にスルーされてるな。
在日と半島の連中よ。海戦ばかり注目せずに、
およそ日本側の陸戦での戦果が
現実とかけ離れたものだということに目を向けろよ。

そんなんだから、いまだに大半の小説家に
「島津が20万の大軍撃破、首級38000・それ以外にも戦死80000」
などというヨタを書かれてしまうんだぞ。

608 :名無し三等兵:04/07/11 02:04 ID:???
碧蹄館会戦についていえば、
合戦参加者である天野源右衛門(当時立花家臣)が覚書を残していて、
それには敵の軍勢を「二万余」としている。
江戸時代に書かれた軍記物語の類では明軍の兵力が誇張される傾向があるようだ。

一方、蔚山包囲戦を明の史書はこう記している。
「この戦いはこれを謀ること数年、海内の全力を傾注し、
朝鮮通国の兵を挙げたにもかかわらず、一旦にして委棄してしまった。
後に敗報が明京に至るに及び、朝廷をあげて恨みなげいた」

当時の明朝が必死で戦争をしていたことがよくわかる。
江戸時代の人にとっては、ほとんど世界そのものであった大明帝国の
国の総力を挙げた反撃が、兵力4〜5万だったなんて想像もつかなかっただろうから、
仕方ないといえば仕方ないのかもしれないけど。。。

609 :名無し三等兵:04/07/17 07:54 ID:???
(自分達よりはるかに劣る戦力しか持たない)敵水軍を見たら一目散に逃げなさい
なんて命令出したのは秀吉ぐらいだろうね。

610 :名無し三等兵:04/07/17 12:02 ID:???
そんな命令は出ていない。
1592年11月10日付けの藤堂・加藤・脇坂あての命令書にはこうある。

・来年春に秀吉が渡海して朝鮮の反乱を平定する予定である
・それまでは敵が仕掛けてきても城を堅固に守り、手出しをしてはならない
・これからは敵船を乗っ取っても手柄とはしない
・熊川に警固船を残して、それ以外の船は回送すること
・兵糧・弾薬を送るが、むやみに消費してはならない

兵糧・弾薬の輸送を優先するので、水軍は最小限の戦力で守っていればいい、
朝鮮水軍は放置しておいて構わない、と秀吉は考えていたようだ。

611 :名無し三等兵:04/07/17 21:41 ID:op6VDXzJ
予想以上に生産力のない朝鮮で
継戦能力を維持するには補給は大事だし、
秀吉の指示は妥当な判断じゃないか?

李舜臣は熊川を五回攻撃してすべて失敗している。
また、水陸防御策をとり巨済島を勢力下においてからは
朝鮮水軍は動きかとれなくなった。

612 :名無し三等兵:04/07/18 00:28 ID:???
>>609
そういうのも「ヨタ話」のひとつなんでしょうね。

613 :名無し三等兵:04/07/18 07:42 ID:???
>>594
大名以外、朝鮮の役の際に亡くなった武将達。

原田宗時 (伊達家臣・対馬にて病没)
戸沢光盛 (戸沢家当主・肥前名護屋へ馳せ参じる際に病没)
色部長実 (上杉家臣・朝鮮の地で病没)
岡  利勝 (宇喜多家臣・朝鮮の地で病没)
得居通年 (豊臣家臣・来島通総の兄 朝鮮の地で戦死)
伊東義賢 (伊東家臣・朝鮮の地で病没)

614 :名無し三等兵:04/07/18 08:15 ID:???
部将クラスの戦死は?

脇坂の武将が戦死していたと思う。

615 :名無し三等兵:04/07/18 11:09 ID:???
>>613以外ではこんなところか。

脇坂左兵衛(脇坂家臣・閑山島海戦で戦死)
十時伝右衛門(立花家臣・碧蹄館で戦死)
菅正蔭(菅達長の子・鳴梁海戦で戦死)

616 :名無し三等兵:04/07/18 11:25 ID:???
有名無名の死者がいるけど所領的には下位ばかりかな?

617 :名無し三等兵:04/07/18 15:07 ID:???
国内の戦でも部将クラスの戦死なんて滅多にない。
何かの決戦や存亡に関わる戦ならともかく。

618 :名無し三等兵:04/07/20 22:35 ID:VirVjSIa
石高キボン

619 :名無し三等兵:04/07/21 01:15 ID:???
この中で一番有名なのは、十時伝右衛門連久かな?
以下コピペ。

<十時 伝右衛門>
立花家の侍大将。十時連貞(立花四天王)の従兄弟。
勇猛果敢にして膂力衆に超ゆ。通称「生摩利支天」。
一番槍・一番首・一番乗りの功多数、感状は数十通を数える。
筑後遠征時、偵察任務中に水浴びをし敵兵に発見されたが、
赤裸のまま敵兵をなぎ倒しゆうゆうと帰陣した。
軍規に厳しい道雪にもこの不埒な武勇伝が報告されたが、
その武勇を認めて苦笑するしかなかったそうである。
朝鮮の役で出征し、文禄の役最大の合戦「碧蹄舘の戦い」で先陣を受け持ち、
縦横無尽の働きをした。同合戦にて毒矢を受けて死去。
その生涯は家中で常に話題にのぼる人物であった。

石高はよくわからないが、1000石という説がある。

620 :名無し三等兵:04/07/21 22:47 ID:euFQFc1k
中川秀政も毒矢にやられてなかったか?

621 :名無し三等兵:04/07/22 10:18 ID:???
毒矢とは卑怯だな。

622 :名無し三等兵:04/07/22 14:17 ID:???
毒矢、二ダーやシナでは普通でうすが

623 :名無し三等兵:04/07/22 18:33 ID:???
>>622
やはりそうか。
納得できるな。

624 :名無し三等兵:04/07/23 09:49 ID:???
毒矢といえばモンゴル軍が有名だが・・・
やはり遊牧民族から学習したのか?

625 :名無し三等兵:04/07/23 11:24 ID:???
>>619
十時連久は千石のようだね。ライバルの安田国継(天野源右衛門)は二千石。

http://www.asahi-net.or.jp/~JT7T-IMFK/taiandir/x097.html

626 :名無し三等兵:04/07/23 12:23 ID:???
毒矢といっても「痺れる」程度のものだけどね。
でないと膨大な矢の応酬で皆死んじまうぞ。
特に碌な具足つけてないような郎党連中は。

627 :名無し三等兵:04/07/24 12:53 ID:???
高い致死性のある毒は運用上も難しく
生産性、コストにも問題があったのではないか。

628 :名無し三等兵:04/07/24 14:02 ID:???
バイキンがタクサン

629 :名無し三等兵:04/07/24 16:18 ID:rTyV99ZL
>>299
日本の築城技術ってスゴかったの?

630 :名無し三等兵:04/07/25 01:16 ID:???
現在「倭城」といわれている城塞遺跡は、
秀吉政権が威信をかけて築造した「仕置きの城」である。

日本軍は開戦当初は朝鮮側の邑城(城塞都市)を一部日本式に改修して使っていたが、
明軍の重火器部隊の前で平壌邑城がもろくも潰え去った経験から、
永久要塞としての「仕置きの城」は純日本式のノウハウを結集した築城となった。
朝鮮の邑城は塁線を一周させただけの単純な構造なので、
巡らせた城壁の一部でも破られると全体が瓦解する脆さがあった。

倭城の大半は、江戸時代初期に多く見られる「平山城」の構造をとっている。
山城部分と平地の居館、港部分を長大な城壁(登り石垣)で連結し、
その城壁内に何万人にも上るであろう将兵を収容できるように、
段々畑のように加工し、たくさんの曲輪(防御された平坦地)をつくった。

防御面での空堀・竪堀の多用も倭城の特徴である。
織豊系城郭では石垣造りが基本であり、
中世城郭の防御施設である空堀・竪堀はあまり見られないが、
倭城では周囲が全て敵という極限の軍事的緊張下にあったため、仕える技術は全て用いた。
日本国内では石垣と竪堀の併用は見られないが、
倭城では石垣の外部に竪堀で二重三重の防御線を構築している。

このほか天守の位置も特徴的である。
日本国内では、城主の権勢の象徴又は司令塔として最後の根拠地となる位置にあるが、
ほとんどの倭城ではその天守が最前線に位置し、いわばトーチカの役割を担わされている。

以上、「秀吉の野望と誤算−文禄・慶長の役と関ヶ原合戦−」(文英堂)より抜粋。

631 :名無し三等兵:04/07/25 13:46 ID:n6fnVC1A
>>630
ご苦労。今日から貴様は二等兵を名乗ってよし!

632 :名無し三等兵:04/07/26 03:34 ID:???
朝鮮の役は信長が生きていれば100%勝ったよ。秀吉が負けた理由は
現地での食糧補給ができなかったこと。(あまりに朝鮮が貧困で)
もう一つは敵の水軍が健在だった事。織田信長だったら倭寇(中国人の
反政府組織)に鉄砲や資金援助をして中国朝鮮沿岸を壊滅的に襲わせる。
そうすれば敵は日本に遠征にこなければならないだろう。そこを鉄甲船
で迎撃すれば安全に渡海できる。後はプサンやニンポーを割譲させれば
よい。あんな貧乏な国を支配してもメリットはない。次はインドだな。

633 :名無し三等兵:04/07/26 20:01 ID:???
がっちり印度!

634 :名無し三等兵:04/07/27 23:05 ID:???
>>630
これじゃ大阪城すら太刀打ちできんな。
防戦で日本側が善戦したのもわかる。

635 :名無し三等兵:04/07/28 21:01 ID:???
では、熊本城は朝鮮の役の戦訓を受けて、対大砲使用の城に仕上がっているのかな?


636 :名無し三等兵:04/07/29 03:38 ID:???
>>632

とはいえ冷静に考えると、明国と普通に国境を接するようになるだけ。
地力も低い半島を制圧する意味がはたしてあるかどうか…。
信長公なら、半島よりも貿易、交易に力をそそぎ、その邪魔をする勢力を
成敗という方向な気がする。
そして半島よりも台湾やジャワのほうに進出していたりして…。
大平洋を堂々と公海する安宅船などの船団…。みたかったなぁ(妄想

637 :名無し三等兵:04/07/29 05:28 ID:???
>>635
言われているほど、日本は大砲の攻撃には難儀していない。
というか、日本式の城に明の大砲はほとんど役立たなかった。

638 :名無し三等兵:04/07/29 05:51 ID:???
行ってみるまで朝鮮があんなに酷い国だとは思わんでしょう?

639 :名無し三等兵:04/07/29 05:52 ID:???
朝鮮の一般認識として、平壌城と晋州城は堅城として灘かかっさたそうだけど

相対的にはたいしたこと無さそうだ

640 :名無し三等兵:04/07/29 09:30 ID:???
数百年にわたって本格的な戦闘をやってない民族が、
数百年前の実戦経験に基づいて作った城塞、だからねぇ。
そしてそれを攻めるは、百年ちかく戦乱が続き
攻城戦のノウハウを学びまくった連中。

そんな城塞が防衛力として有効なほうがおかしいです。

641 :名無し三等兵:04/07/30 10:00 ID:???
朝鮮出兵も大東亜戦争も、よく点と点の支配しかしなかったから
補給で苦しんだってあるけど、点と点の支配ってどの戦争でも同じじゃないの?
面の支配ってどんなの?

642 :名無し三等兵:04/07/30 22:23 ID:???
組織的抵抗を行える勢力の壊滅と、
あと住民を(最悪でも)中立の立場におかせること。

643 :名無し三等兵:04/07/31 06:03 ID:???
行政が行われることじゃないの。

644 :名無し三等兵:04/07/31 18:19 ID:???
>>637

当時の明の大砲って、どんなんですっけ?

645 :名無し三等兵:04/07/31 20:03 ID:???
フランキーとか

646 :名無し三等兵:04/07/31 22:25 ID:???
          ‖
          ‖
          ‖   /⌒ヽ
          ‖  √.M. ̄ヘ    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          ○  /<`Д´>ヽ  < イ スンシン
    ζ。//。ζ ‖\⌒巛巛 ⌒ゝ | 李 三振 将軍参上ニダ!!
     ミ 皿ゞ 彡    (;;;;;36;;;;;)○) \___________
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 从从从从从从从从从〜从从〜从〜从从〜从〜从从〜〜〜〜

647 :名無し三等兵:04/08/01 12:54 ID:???
>>645
フランキー堺

648 :名無し三等兵:04/08/01 19:52 ID:???
>>645

ファランキ砲?
青銅製の国産砲じゃなかったっけ?

649 :名無し三等兵:04/08/02 14:10 ID:???
日本が一番敗けた戦いはどれくらいの被害を出したの?

650 :名無し三等兵:04/08/02 14:17 ID:???
負けより伝染病だな

651 :名無し三等兵:04/08/02 14:19 ID:???
伝染病より食料危機だな

652 :名無し三等兵:04/08/02 15:06 ID:???
想像を絶するぐらい荒地が多く食糧と水が不足したそうだ。

653 :名無し三等兵:04/08/02 19:38 ID:???
>>652

明軍とかは補給どうしていたんだろうねw

654 :名無し三等兵:04/08/02 19:42 ID:???
>>649
平壌戦における明軍の戦果の記録が残っている。

(攻城戦)
首級:1285 生擒(捕虜):2 馬:2585 倭器(武器?):455

(追撃戦)
首級:359 生擒:3

撤退する小西軍は雪を口に含んで飢えをしのぎ、
凍結した大河をいくつも渡りながら撤退したが、
その間、草鞋履きの兵の多くが凍傷で足の指を失い、
栄養不足から鳥目になるものも続出したと言われている。
捕虜が非常に少なく、落伍兵のほとんどは殺害されたようだ。

655 :名無し三等兵:04/08/03 00:29 ID:GvoFCh6Z
>>654
この馬の多さは想像以上だな。

小西の兵は約1万ほどいたそうだが、それが本当だとすると、
馬1頭につき兵4人となる。
一般的に言われる当時の兵制の認識は誤っているんじゃないのか?

656 :名無し三等兵:04/08/03 01:16 ID:V1d5unkx
>>655
だね。
まさかすべて放棄したわけじゃないだろうし

657 :名無し三等兵:04/08/03 05:38 ID:???
輸送用?

658 :名無し三等兵:04/08/03 17:58 ID:???
荷駄用だと思うニダ.

659 :名無し三等兵:04/08/03 21:20 ID:???
半島は街道が未整備だったらしいから、荷車が使いにくかった所為で内科医。

660 :名無し三等兵:04/08/03 22:41 ID:???
騎馬兵の馬なら撤退時には当然乗るだろうから、輜重兵の馬じゃないかな。
荷物を運ぶだけなら訓練もそれほどいらないので、現地調達でもまかなえる。
運ぶべき兵粮は尽きていたから、足手まといとして放棄されたんじゃないかと。

661 :名無し三等兵:04/08/08 05:55 ID:???
ttp://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=875118&work=list&st=&sw=&cp=1

世界四大提督李舜臣は偉大だな。
東郷が「私は李舜臣の足元にも及ばない」と言うわけだ。

662 :名無し三等兵:04/08/08 08:44 ID:???
それはガセだって
昭和以前に遡れない

663 :名無し三等兵:04/08/08 18:35 ID:???
>>662

ttp://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=783174

李舜臣に関する「東郷発言」については、
「現時点では全面的に日本の著作(小説・随想含む)に依存し、
根拠となる史料すら明示できない風説というのが妥当な評価」・・・らしいね。

664 :名無し三等兵:04/08/11 01:58 ID:???
>>661
軍事板にある李舜臣スレや、このスレにある評価、客観事実について奴らに教えてやれ。
目を醒まさせる事がとても大切だからね。

665 :名無し三等兵:04/08/12 15:21 ID:???
このスレ読んでて思ったんだが
朝鮮人?が主張している
補給路を断ったとは日本〜半島間ではなく
釜山〜前線への補給路の事じゃないの?
>>380読んでみると
>陸上輸送しなければならなくなった
ってある。
日本〜半島間で陸上輸送なんておかしな話だ。
釜山〜前線と考えれば辻褄が合う。

そういった意味で考えれば「補給路は断たれていない」という
主張は間違っていると思うが・・・・・・。

666 :名無し三等兵:04/08/13 07:32 ID:???
朝鮮人の主張する 「補給路を断った」 の主語は 「李駿臣」 

これは誤り。

667 :名無し三等兵:04/08/13 19:20 ID:???
>>665
朝鮮人も日本人もそのへんのことは曖昧にして
「補給路を断った」
と大概は言いふらし、見聞きした人もそれを漠然と信じている。
補給路を断ったとはどういうことか、補給の実際はどうだったか
ということをこのスレや、他の李舜臣スレでは通常の書物より踏み込んだ
追求をしているように感じるよ。

>朝鮮人?が主張している
>補給路を断ったとは日本〜半島間ではなく
>釜山〜前線への補給路の事じゃないの?

というあなたの問題設定の方が論議の前提を固定化しているようで、
むしろ疑問に思える。
「補給路は断たれていない」
という主張は釜山〜対馬間の事を指しているのであり、
事実を確認しているだけ。
しかし普通、「日本は李舜臣の活躍で補給を断たれた」と大雑把に言ってしまうと、
釜山〜対馬間の補給だと勘違いしてしまう。
そのことへの是正を求めている。

668 :名無し三等兵:04/08/15 15:18 ID:2tVCFs6s
んで結局、

「現代朝鮮人が唯一抗弁できる材料(粉飾つきで)」

でしかないんでしょ?<李舜臣

李舜臣を自慢する前に、
自分たちが李舜臣の子孫ではない、”その他のゴミクズ”の末裔だと
言うことを自覚して欲しいものです。

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