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日清戦争を語るスレ〜アジアの一等国〜

1 :名無し三等兵:04/07/29 21:14 ID:aLqNuQQ8
日露戦争と並ぶ明治時代の対外軍事行動である日清戦争。
陸海の戦闘、指揮官、国際情勢を含めて幅広く語りましょう。
<略年表>
1894(明治27)年
朝鮮半島で大規模な農民反乱(甲午農民戦争=東学党の乱)、
朝鮮は清に出兵要請、日本も影響力確保のため出兵、緊張高まる
7月25日 豊島沖海戦
8月1日 宣戦布告
9月 平壌で清軍撃破
9月17日 黄海海戦、連合艦隊勝利、黄海制海権確立
11月 旅順攻略、遼東半島制圧
1895(明治28)年
1月 威海衛攻撃、清国北洋艦隊全滅
4月17日 下関条約
4月23日 露独仏の三国干渉、遼東半島返還、日露戦争の伏線に

2 :名無し三等兵:04/07/29 21:15 ID:???
2だったら

3 :名無し三等兵:04/07/29 21:18 ID:???
3Get

4 :名無し三等兵:04/07/29 21:32 ID:???
日露に比べると地味かもしれないが、小国日本が大国清に
完勝した衝撃はすごかった。それが三国干渉という形にあらわれた。

5 :名無し三等兵:04/07/29 23:32 ID:176gxUZu
日露戦争より圧勝だったんじゃないか。
まあ相手の国力が疲弊しててボロボロだったこともあるが。

6 :名無し三等兵:04/07/29 23:34 ID:???
「あの国のあの法則」を明治の元勲たちが知っていたら・・・

半島に手を出しただろうか?

7 :名無し三等兵:04/07/29 23:44 ID:???
しかし、衰退していたとはいえ大帝国清に挑みかかるとは、
日本、恐るべき強気だな。まさに新興帝国。

8 :名無し三等兵:04/07/30 00:19 ID:???
江口の漫画は嫌い。

9 :名無し三等兵:04/07/30 23:35 ID:fd1NMuzU
しかし、この頃の連合艦隊は黎明期って感じだな。
清のボロ艦を捕獲して戦力にしたり。

10 :名無し三等兵:04/07/31 01:11 ID:yKUmHoev
>>4
日露戦争ほど影響があったとは思えないが。
日露の時はネールなどアジアの民族運動家が熱狂し、
ドイツ皇帝も「これからは黄色人種が怖い。黄禍だ」とか
わけのわからないこと言ってるし。日清では
「眠れる獅子(清)の正体がバレた」と列強が中国を分割した。

11 :名無し三等兵:04/07/31 02:46 ID:UB3QGU05
獅子は起きる前に死んでしまった分けでつね

12 :名無し三等兵:04/07/31 03:42 ID:???
>>11
寝すぎて病気にかかっちゃったのよ

13 :名無し三等兵:04/07/31 08:50 ID:???
寝たきりで床擦れだらけだったのだよ獅子タンは
だから元気な小学生には勝てなかったんだよ

まぁその小学生は高校生になったらヤンキーになっちまって
思わずドンフライに背後からドロップキックかましたら
もうボッコボコのキッチョンキッチョンに・・・


14 :名無し三等兵:04/07/31 09:37 ID:???
うんちく・・・日清戦争時に清軍の捕虜になった日本兵は公式には一名のみ。

清は捕虜にした日本兵を片っ端から虐殺したため、らしい。

15 :名無し三等兵:04/07/31 11:13 ID:???
うわっ!マジで?最悪だなぁ・・・

16 :名無し三等兵:04/07/31 11:23 ID:???
日清戦争で日本軍が初めて遭遇した清兵は卑怯にして残虐極まりない軍隊だった。
清兵の捕虜になると、四肢を分断され、生きながら火炙りにされ、磔にされ、
屍に対しても首を斬り、面皮を剥ぎ、性器を切り取り、胸を裂いて石を積めたりした。

17 :名無し三等兵:04/07/31 12:25 ID:???
清には国際法を守る、という観念がなかったし兵もそういう教育を受けていなかった。
一方日本は宣戦布告文書にもあるとおり国際法を遵守するという方針があったため、捕虜になった清軍兵士は
現在から見てもかなりの厚遇をうけたらしい。

18 :名無し三等兵:04/07/31 12:36 ID:???
後の東郷提督が英国輸送船を撃沈して「国際法上、正当かどうか?」と揉めた事はあったがナー

19 :名無し三等兵:04/07/31 14:10 ID:???
>>17
太平洋戦争当時の日本と同じ国とは思えん。

20 :名無し三等兵:04/07/31 14:36 ID:???
>>19
日露戦争のときのドイツ兵も待遇は良かった。
明治の日本軍は立派だった。

21 :名無し三等兵:04/07/31 14:40 ID:???
黄海海戦の指揮官・伊東祐亨(すけゆき)って軍ヲタ以外には
あまり知られてないのかな。最後は元帥、伯爵までまでなったのに。

22 :名無し三等兵:04/07/31 15:26 ID:???
>20
ドイツ兵→ロシア兵?

23 :名無し三等兵:04/07/31 15:41 ID:???
>>22
間違えました、スマソ
第一次世界大戦の青島攻撃の際の独兵捕虜の
徳島収容所の話です。

24 :名無し三等兵:04/07/31 15:51 ID:???
松島じゃなかったっけ?


25 :名無し三等兵:04/07/31 16:24 ID:???
http://homepage3.nifty.com/akagaki/syuyosyo.html

26 :名無し三等兵:04/07/31 20:40 ID:SICz2C32
陸軍では誰が活躍したんだ?日露の時より旅順ははやく落ちたようだが。
遼東半島まで制圧とは北京・天津に近いし、清も恐怖だったろうな。

27 :名無し三等兵:04/07/31 20:47 ID:???
日清戦争前の日本人は中国人に対して尊敬する気持ちがあった
しかし戦後は中国人を見下す傾向にあったようだ

28 :名無し三等兵:04/07/31 20:52 ID:???
http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/war/nisshin2.html
〜旅順余話〜
本文中の松樹山火薬庫爆発については、村上兵衛氏の『桜と剣〜わが三代のグルメット』
にこういうエピソードが載っている。

  このとき、ひとりの少尉が、キラリと剣を抜いた。そして一個小隊をひきいて、
  斜前の松樹山砲台にむかって、猛然と突貫して行く姿が見えた。聳え立つ大堡塁に
  対して、たかだか一個小隊の兵力では、まさにトウロウの斧の感があった。
  ところが、思いがけない猛襲に、敵の守兵はあわてふためき、火薬庫に火を投じ
  自爆し、なんら抵抗を試みることなく、逃げ出してしまったのである。

この少尉こそ二十四連隊第一中隊小隊長武藤信義(後の元帥陸軍大将、村上氏の
母上の叔父)であった。武藤少尉はその戦功により、大山軍司令官の手によって、
即日、中尉に進級した。松樹山は第一師団の戦闘区域であり、この行動はいわば
独断専行である。この独断専行は、現代では旧軍の代表的悪徳として語られることが
多いが、日清、日露の勝利には、絶対に欠かせない要因であった。


29 :名無し三等兵:04/07/31 21:24 ID:???
>>28
独断専行は陸軍の伝統だったのかな。
日清、日露の成功が太平洋の地獄につながってしまった。

30 :名無し三等兵:04/07/31 21:44 ID:???
>>29
「臨機応変」とも言うのだが・・・

31 :名無し三等兵:04/07/31 22:05 ID:???
>>30
 「現場の判断だ」ダロ。

32 :名無し三等兵:04/07/31 22:20 ID:???
>>26
山縣有朋、大山巌といったところかな。いずれにせよ清が弱すぎて
相手にならなかった。300年続いた大帝国も内乱と欧米列強の進出でガタガタ。
農民の生活は困窮を極め、戦意もゼロ。訓練らしい訓練も受けていなかった。
それでも明治維新からわずか30年足らずでここまで強くなった日本はすごい。

33 :名無し三等兵:04/07/31 22:30 ID:???
陸軍で活躍したといえば、豊辺新作かな。
平時においては、愚図でつかいものにならず整理される寸前だったそうだ。
後は戦下手の桂を輔佐して難しい状況を乗りきった木越安綱参謀長、
大迫尚敏、大島久直両旅団長とか。
大山さんは、日露より日清のほうがしんどかったと述懐してる。

34 :名無し三等兵:04/08/01 02:29 ID:???
しかし、朝鮮王宮襲撃・大院君擁立とか、軍ヲタの俺でもやりすぎの
ところもあったと思うが。まあ時代が時代だが。

35 :名無し三等兵:04/08/01 13:24 ID:pvpFyt4T
陸上で大きな会戦はなかったのか?
平壌では比較的大規模な戦闘があったようだが。
清兵はろくな装備も持たず、訓練も受けていないし、
辮髪で何か文字の書いた旗を持って、あわれな感じがしてくる。

36 :名無し三等兵:04/08/01 13:40 ID:???
>>35
日本は各所で何度も苦戦してますが何か?

あと、辮髪はほっといてやれ。
日清戦争より少し前に清と紛争した時には、日本だって陣笠の
「官軍スタイル」な部隊が前線で衝突してたんだから。


37 :名無し三等兵:04/08/01 20:52 ID:???
富国強兵、殖産興業の真っ盛りの時代だもんな。
まさに上り調子の日本。

38 :名無し三等兵:04/08/01 22:32 ID:YcjcRbII
日露戦争では旅順攻略にあれほど多くの犠牲と時間を
費やしたのに、日清戦争では一日で落ちたらしい。
守りやすく、攻めにくいアジア最強の要塞だというのに。
>>28にもあるように、清の弱体ぶりがあらわれてるな。

39 :名無し三等兵:04/08/01 22:38 ID:???
おはん、日清戦争時の旅順要塞と日露戦争時の旅順要塞は
まったく別物だぞ。

40 :名無し三等兵:04/08/01 23:33 ID:???
中国の歴史教科書みると、黄海海戦は清艦隊の勝利としている



41 :名無し三等兵:04/08/02 01:31 ID:???
まあ、
清国の海軍と日本の海軍のカタログデータから見れば、
戦前の下馬評は、清国相当有利だったわけだが。

42 :名無し三等兵:04/08/02 22:00 ID:???
>>23
待遇が良いので、ドイツに帰りたくないと言った捕虜もいたようだね。
中途からは捕虜の限定的な外出許可も出ている。

43 :名無し三等兵:04/08/03 18:40 ID:4oiIzspy
>>41
練度と士気がどれだけ重要かが分かりやすいですね。
日本お得意の死の猛特訓の成果だろう。

44 :名無し三等兵:04/08/03 22:36 ID:???
それもあるが、一番効いたのはやはり日露戦争・大東亜戦争にも連なる火力の集中使用だろう。

45 :名無し三等兵:04/08/04 21:03 ID:XtO8HKAd
清はすでに欧米列強に蹂躙され、国力もボロボロだった。
アヘン戦争以降半植民地化され、洋務運動など改革も試みたが、
日本に敗れ頓挫した。その後さらに変法自強運動を起こそうとしたが、
守旧派におさえられ、滅亡へ向かっていった。

46 :名無し三等兵:04/08/05 19:34 ID:???
遼東半島を制圧され、清もあせっただろうな。
北京や天津もやばくなる。

47 :名無し三等兵:04/08/05 21:18 ID:???
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48 :名無し三等兵:04/08/05 21:20 ID:???
すがすがしい絵だ

49 :名無し三等兵:04/08/07 00:35 ID:MHc7F7CG
清は19世紀半ば以降、清仏戦争で負け、アヘン戦争で負け、
アロー戦争で負け、日清戦争で負け、義和団事件で失敗し、
どうしようもない状態だった。国が滅ぶ前ってこうなのかな。

50 :名無し三等兵:04/08/07 00:56 ID:???
>49
そんだけ負け続けてなお国を保っているってのはある意味すごいと思われ。
1回負けたくらいで国が滅びかねないような余裕のない日本とは違う。

51 :名無し三等兵:04/08/07 03:13 ID:???
つーかもう義和団事件以降は国としての体はなしていないんだけどな。

52 :名無し三等兵:04/08/07 13:43 ID:???
威海衛攻撃について詳しく知りたいよ。艦砲射撃でもやったのかな。
ぐぐったけどなかなか見つからなくて。

53 :名無し三等兵:04/08/07 20:38 ID:Ya+e55aG
済遠という清国の巡洋艦なんか、主要な海戦でいつも戦場から逃げてたらしい。
これって、単に臆病風に吹かれたのか、それともサボタージュなのか?
わかる香具師いない?

54 :名無し三等兵:04/08/07 22:05 ID:???
威海衛は清軍が放棄し日本軍の総攻撃前に撤退したため無血占領している

55 :名無し三等兵:04/08/07 22:29 ID:???
>>52
艦砲射撃やってるよ

56 :名無し三等兵:04/08/08 12:59 ID:???
>>45
なんか、改革、改革、と連呼しながら必死にあがいてる感じがするな。

57 ::04/08/14 17:31 ID:Vb7HgzCM
清国の戦艦は、当時の日本にとって、とても手の出ない高価な物だったようです。
被弾しまくって、ボロボロとはいえ、日本にとって
念願の初 ”戦艦”だったのでは?
清国の国力の元は、貿易による収入のようです。(紅茶、絹、陶磁器など)
基本的に、塩税以外に税金がない(農民が貧乏すぎて、税金が取れない)ので
貿易関税によって、世界の銀が流れ込んでいたようです。

58 :名無し三等兵:04/08/14 19:05 ID:???
日清戦争や、この後の義和団事件による多額の賠償金支払いもひいひい言いながら決済してるし、まとまった
外貨(銀)は持ってたみたいだね。

59 ::04/08/15 22:23 ID:FlEfPZhS
当時の清国は完全な輸出大国で、銀の保有量は相当なものらしいです。
その後、義和団事件などで、外国資本が離れはじめて、清国は滅亡したのでは?
欧米列強に蹂躙されたと言うのも、どうでしょうか?
アヘン戦争後もやはり、清国は完全輸出国で、世界の富が流れ込んでいます。
アヘン戦争にしても、アヘンの不道徳のため、没収して起こしたわけではありません。
戦争前も、戦争後も、アヘンの栽培は国内で盛んでした。
関税(清国の税収のかなりの部分がこれ)が減るのを防ぐために没収したのでは?


60 :名無し三等兵:04/08/16 19:37 ID:???
関税自主権ないのにそんなにもうけていたとは

61 :名無し三等兵:04/08/16 22:42 ID:y8viRQ8o
>>57
日清戦争には間に合わなかったが
戦艦富士及び八島は定遠,鎮遠対策だろ
間に合っていれば 一方的にボコれたのに

62 :名無し三等兵:04/08/16 22:44 ID:???
貧国強兵

63 ::04/08/17 00:14 ID:ia2yQ7te
日清戦争前、鎮遠、定遠は日本にも来ていて、日本側に相当なプレッシャーだったらしいです。
当時、沖縄の帰属をめぐり、日清間は険悪な状態だったらしい。
しっかり、砲艦外交してます。
ただ、鎮遠、定遠は古いタイプの戦艦なので、富士、八島級とは勝負にならないですね。
鎮遠のあの砲塔の配置はどういう利点があるのですか?

64 :名無し三等兵:04/08/17 01:48 ID:XrYrzD7y
君が望む定遠

65 :名無し三等兵:04/08/17 01:52 ID:???
>>63
幅の広い船体中央部に積むため、大口径砲を安定して運用できます。

66 :名無し三等兵:04/08/17 01:53 ID:???
>>57
初代「扶桑」もお忘れなく。
あれでも戦艦に類別されてます。

67 :名無し三等兵:04/08/17 08:44 ID:???
>>63
前方へ火力を集中できること、両舷側にも火力を集中できること、装甲部分を短くできること、といった利点があります。
当時「装甲艦は砲撃では沈まない」という戦訓があり、衝角による体当たり戦法が重視されていました。
そのため、主砲を前方へ向けて撃ちまくりながら突進する、という戦法が有力視され、艦首方向に火力を集中する必要性がありました。
装甲は砲郭と機関部を中心に張りますが、装甲部分が短くなればより厚く堅固な装甲となります。
ついでに船体を短くできるため、「格闘戦」に有利(小回りが利く)です。
しかし1880年代には主砲が長くなり、定遠のような配置では主砲の旋回ができなくなります。
そのため、艦首に1基だけ連装砲塔を備えた戦艦が作られますが、まもなく艦尾にも砲塔を積むようになります。
フランスではこの時期単装砲塔を艦首、艦尾と両舷側に1基づつ配置する方法がとられたこともあります。
>>66
初代「扶桑」好きですw「戦艦」というより「装甲コルベット」という艦種名がぴったり

68 ::04/08/17 21:13 ID:ia2yQ7te
67さんへ
なるほど、納得しました。 ありがとうございます。
リッサ海戦以来、大規模海戦が無かったらしく、あの時代の教訓が生き続けていた
のですね。
初代扶桑は戦艦だったのですね、知りませんでした。
あの頃の戦艦は嵐に弱そうですが、清国艦は問題なかったのでしょうか?

69 :名無し三等兵:04/08/17 21:23 ID:???
あの時期の百鬼夜行みたいな珍艦群大好き

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