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関ヶ原の戦い総合スレその3

1 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 22:43:33
天下分け目の決戦、関ヶ原の戦いについて総合的に語り合うスレッドです。
細かい状況を限定しないおおまかな関ヶ原の戦い関係の話題はこちらへ。

その1
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1106458926/
その2
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1108139654/

2 :可児@元文学従事 ◆R.hU2KhlIc :2005/04/14(木) 23:00:27
1さんスレ立て乙です!
なんか前スレでは迷惑かけてしまったけど、
このスレでは広家ばりに傍観をきめこむことをここに誓います!!
\(^_^ ) チカイマス!

3 :可児@元尚書令 ◆kCCEI/7RBM :2005/04/14(木) 23:05:20
1さんスレ立て乙です!
なんか前スレでは迷惑かけてしまったけど、
このスレでは広家ばりに傍観をきめこむことをここに誓います!!
\(^_^ ) チカイマス!


4 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 23:08:38
前田利家が西軍の総大将スレで、
関ヶ原の戦い後毛利が大坂城に篭って抵抗したらという話が出ているが、
輝元にそんな気概があるなら、それ以前に関ヶ原まで出張ってきていたと思う。
あるいは、所領大削減を告げられた段階で徹底抗戦するか。
そのいずれもせずに粛々と家康の命に従った以上。
輝元には既に交戦の意思自体がほとんどなかったと言うべきだろう。

つまり、輝元の心理的に籠城はありえない。

5 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 23:14:50
意思以前に籠城なんて出来る状況じゃあないわけだが。
まあ、玉砕覚悟という「意思」さえあれば出来はするだろうが。

6 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/14(木) 23:28:41
だいたい輝元が大坂城に篭城できるわけねーだろ。自分も城でもないのに。

7 :尚書令 ◆QqQquqqauQ :2005/04/14(木) 23:56:04
>>3
騙るな素人。

8 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 00:03:33
あんた誰?

9 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 00:19:36
まあ、総大将と言っても所詮担がれただけで、
家中での意見も割れていた毛利が徹底抗戦なんてする気になれなかったというのは分かるが、
上杉は不甲斐なくないか?
もともと単独でも家康と戦う覚悟で喧嘩を買ったのではないのか?と。

そりゃあ、お家大事だから家康に平身低頭して保身を図るのも当然ではあるが。
そうしてみると、上杉の行動もやはり最初から西軍の決起を前提としたもので、
決して単独でも家康に対抗するというような覚悟はなかったということだわな。

10 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 17:12:46
>>9
西軍全体の決起までは期待していなかったかもしれないが、ある程度の大名が(軍事的または政治的に)味方してくれることは
期待していただろうな


11 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 21:30:24
まあ、純粋に上杉単独で戦っては袋叩きにされて終わりだものなぁ。

12 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 22:32:00
けど毛利が篭城しないで帰国したからあれほど早く終結したのでは?
ただ、毛利が内部分裂してたって東軍で言えば徳川家が分裂してるようなもんだよな
関ヶ原後の毛利が抵抗するのは、小田原の陣後の秀吉に徳川が領地替拒否するくらい
困難なことかな


13 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 22:45:34
「前田利家が西軍の総大将」スレで輝元が大坂城に籠城したらと言っている人。
とにかく無理やり輝元が籠城した場合どういう戦術を取るべきだったかと言う話をして欲しいのか?

それなら、憚りながら私が私見を述べさせていただく。
まず第一に必須なのは秀頼とその側近を隔離し物理的に完全な管理下におくこと。
既に多く述べられているが、秀頼の側近には親家康派も多いし、
関ヶ原後圧倒的に家康有利になった状況で自由に行動させては、
彼らが家康に擦り寄り毛利にとっては不利な行動をとるのは目に見えている。

次にその上で秀頼の名で家康を弾劾する声明を出し、後はひたすら籠城。
事実上秀頼を人質に立て篭もるわけだ。
これなら大坂城そのものには少なくとも簡単には手を出せないだろうと思われる。
そしてその間に、家康に反発する大名がどうにか騒ぎを起こしてくれて、
一時的にでも家康が兵を引くのを期待して待ち続ける。
上杉あたりが気概をみせて乾坤一擲関東に攻め込んでくれれば何とかなる可能性もゼロではない。
まあ、文字通りゼロそのものではないってだけで現実的にはゼロと同義だろうが。

実際にはそんな事をすれば、主力を欠いた毛利本領は瞬く間に制圧され。
それを知った家臣は離反、兵も逃げ出し、主だった家臣の手で輝元は捕らえられ、
縄目を受けたまま家康の前に引き出されるのが落ちだろう。
さすがにその状況では毛利本家の存続は不可能。仮に離反した元家臣がどうしてもと言えば、
あるいは遠縁の者にでも名前だけ継がせる事は可能かも知れない、といったことになるだろうと思う。

14 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/15(金) 23:31:58
>「前田利家が西軍の総大将」スレで輝元が大坂城に籠城したらと言っている人。
>とにかく無理やり輝元が籠城した場合どういう戦術を取るべきだったかと言う話をして欲しいのか?

俺のことだね サンキュー いい人だ。

やはり篭城する場合なら秀頼の身柄つまり親家康派との隔離が必須となるよね。あと、秀吉の名で
改めて弾劾ってところだ。そしたら、家康側も攻めれない。ここまでは、ほとんどが共通してるね。

>実際にはそんな事をすれば、主力を欠いた毛利本領は瞬く間に制圧され。
これが、わからないんだ。
@毛利本領ってそれほど空っぽだったの?
A大阪城篭城してる相手に対峙するための兵力も必要だけど 兵力二分はどのように分けるの?
B毛利が抵抗するとなると四国・九州の東軍側もまだ毛利本領に攻め込む余裕は
ないと思うし、途中の宇喜多や小大名領をそんな簡単に制圧できるものなの?そのあたりを抑える
兵力も必要だし、大阪城の輝元と対峙しながら毛利領制圧する余力はないと思うが。
毛利が大阪城退去したからそこらの大名が雪崩的に家康側について、西軍側が降伏したんだから。

家康が毛利領進行するより畿内制圧と秀頼の名で命令しているから朝廷工作での和平提案
ってところじゃないかな。
ここでの和平なら家康の一方的な戦後処置は不可能だったと思うんだけど。







15 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:10:12
>>14
毛利軍だけで4万からの兵を出している。本国はほとんど空。
宇喜多軍は主力壊滅ほとんど戦力ゼロ。
東軍は関ヶ原にいたものが約7万、秀忠隊が4万近く裏切った小早川他が約2万で、これだけで約13万。
その他成り行きで西軍につくことになった長宗我部あたりは、即座に家康の側につこうとするだろうし、
実際に鍋島はそうしている。結果毛利領を制圧するなぞ造作もないこと。

ただし、そういうことになって後から東軍についてしまう者大勢出れば、
それらの者たちを取り潰して自分の勢力を拡大することが出来なくなる。
その上、もちろん、戦になれば万が一という可能性もなくはないから、
家康としては避けたかっただろう。だから毛利を速やかに大坂城から退去させたかったわけだが、
仮にそれが実現しなくても圧倒的に有利な状況に変わりはない。
毛利家を消滅させることが出来るかわりに、
戦後処理は史実よりは徳川家にとって有利ではないことになるというだけのことだろう。

16 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:12:49
素人だが俺も混ぜてこれ!

輝元が大阪にいる間に毛利領に侵入する奴がいたら、輝元は急いで中国に帰るんじゃないすか?
同様に徳川が近畿にいるときに関東を攻める奴が出たら、家康は引き返すだろう。

17 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:13:53
ええっと……誰が関東を攻めるんだ?

18 :奇嬌屋onぷらっと【会長代行】 ◆QqQquqqauQ :2005/04/16(土) 00:14:51
毛利領に突っ込める人物はいるのかなあ。

19 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:15:59
>>16
仮定の話です。
だがあえて言うなら佐竹。

20 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:25:31
佐竹だけじゃあ、そう簡単に江戸は取れないよ。
佐竹の総兵力は岩城の方も合わせて25,000程度でしょ。
一方、家康が関東に残した兵力も2〜3万程度あったわけで。
そしてその大将は結城秀康。
佐竹に勝てる見込みがないわけじゃあないが、
勝てたとしても相当の時間を必要とするだろうな。

上杉は最上に大敗してるしな。
もっとも国力が違いすぎるから、上杉がもう一度態勢を立て直せば
最上を滅ぼすことはできるだろうが、それも多少の時間がかかるわな。

21 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:26:13
>>18
幾らでもいるでしょう。
何しろ毛利本隊は外に出ていますから。

大して関東には一応結城秀康の部隊がいるし、佐竹・上杉の背後には伊達もいる。
伊達は家康にとっても必ずしも信頼しきれる相手ではなかったかもしれないが、
上杉や佐竹にしてもこれを背後に置いたまま関東侵出は難しいでしょう。

22 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:27:26
>>17
まあ佐竹上杉だろうな

23 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:31:43
>>21
伊達上杉は休戦中だったが上杉の最上撤退後攻撃しかけて敗退だったかな?

毛利領攻めこみは秀忠あたりじゃないの、主力がいないとはいえ、毛利領を攻め取ると言う形になるのだから
他の大名に任せるのは危険だと思う、時代は違うが足利尊氏が息子を鎌倉攻めに参加させたみたいに。

24 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:35:36
東軍は関ヶ原にいたものが約7万、秀忠隊が4万近く裏切った小早川他が約2万で、これだけで約13万。
秀忠隊は4万はなかったと思ったけど 小早川他も2万はいかないと思う。
関ヶ原で死傷者がでてるんだからもう少し少なくないか?

それから4万出兵したから本国は空って、それこそ四国のかとうに最初攻めかかって
なかったっけ?
あと、兵力の算出方法は詳しくないんだけど毛利の4万ってあくまで「動員可能兵力」のことじゃないの?
総兵数じゃないと思うんだけど。


25 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:39:55
まあ加藤清正が小西領攻めて負けたりしてるし、空なわけないな

26 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:54:38
>>24
秀忠隊は3万8千くらい、
裏切った西軍は約1万9千。
しかし細かいことを言えば赤坂や岐阜城その他美濃各地にも東軍はいるから、
結局関ヶ原直後の段階で東軍は13万〜14万は動かせることになる。
どう頑張っても毛利圧倒的に不利な状況に変わりはないよ。

27 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:55:26
動員可能兵力の限界の目安は、1万石あたり500人。
毛利120万石ならば、11万人か? さすがに10万は維持するのがきつそう…。
10万動員できたとして、主力の4万はすでに上方にいる。
残る6万を動員したとしても、普段従軍していない百姓達をかき集めたようなもので、
寄せ集めで訓練もロクに受けていない、銃火器もロクに支給されない部隊だろう。
そんなのいくらいたって、ものの足しにはならないような・・・。

それから、前田勢も加わるし、東軍の総兵力が15万を超えるのは間違いないと思う。

28 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:57:27
関ヶ原直後の西軍残存兵力ってどのくらいだっけ?

29 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 00:57:47
ああ、前田家を忘れていた。
さすがに関ヶ原東軍勝利後の家康にたてつくとは思えないわなあ。
前田家は通常の動員率でも2万はいくね。

30 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:01:43
>>28
まともに西軍に味方するのって、
石田、大谷、宇喜多、小西の残党と立花くらいでしょ。
それに毛利を加えて……、結局5〜6万じゃないか?

31 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:04:26
>>28
詳しく知らないが、大津城攻めの1万5千、
田辺城攻めの1万5千。大坂にも3から4万ほどいたとすれば、
多分6万から7万くらいはいたはず。他も全くいなかったはずはないから、
8万までいくか?ってくらいでは。
後は関ヶ原の敗残兵がどの程度その後も抗戦の意志を持っていたかだが・・・?

もちろんこれは石田三成他が関ヶ原で壊滅した後も、
西軍が西軍としてまとまっていられるとしたらの話だが。

32 :27:2005/04/16(土) 01:05:28
27だけどよ、
120万石×500人で計算すると、60,000だな。
どっから11万なんて数字が出たのか……スマソ。
酔っ払ってるのでもう寝る。

33 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:07:59
>>31
田辺城攻めの軍は無理だな。福島の甥がいる。
悪ければ大半がそっくり東軍へ寝返る。

34 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:09:07
西軍は成り行きで石田方についた武将が多いから、
石田三成の斬首&佐和山落城で一気に東軍に寝返る可能性がある。
大津を攻めてた立花はともかく、それ以外は分からん。

35 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:10:28
毛利が抵抗したら宇喜多が本国で再起できないか?
毛利領への大将は秀忠ってところか。真田にも苦戦したのに
毛利領攻略なんてできるのか?
あと、小早川の兵って他大名へぶつけるならともかく毛利へは
向けにくくないか?輝元がこもる大阪城又は毛利領攻略にしろ
相手と兵力が拮抗した場合真っ先に毛利に再度裏切るのでは?

まあ、二分するなら毛利攻略軍は秀忠+前田軍ってところかな
宇喜多+毛利領を攻略にはやはり少ない気がする

36 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:13:13
小早川は思いっきり東軍だろ?

37 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:13:30
増田長盛が東軍に内通していることが噂になっている状態で、
大坂籠城は危険すぎる。

38 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:13:51
>>35
2分するなら山陰を前田 山陽を秀忠か?

39 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:16:04
>>35
毛利主力は大坂城、
宇喜多は関ヶ原から逃げ戻った直後なのにかい?

はっきり言う。それはあなたの気のせいに過ぎない。

40 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:16:29
秀忠+前田で6万程度になるから、
対宇喜多+毛利で少ないということはないと思う。

41 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:18:57
あれ 前田の利政(字があってる?)や丹羽ってどう動くんだ その場合は?

確かに三成の捕縛→西軍としてのまとまり崩壊の可能性もあるが
毛利が秀頼の名義で抵抗した場合は反三成のまとまりが崩壊しないか?
三成憎しでまとまっていた福島をはじめとする面々が毛利領攻略の命令に従うかな。


42 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:19:18
>>40
四万八千八百人だと思う。

43 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:22:20
>>41
利政は人質があるから動かないかもしれないけど、丹羽は家康に付くだろ明らかに
もっとも丹羽は最初から家康に付いていたが戦後の交渉で前田に出し抜かれた説もあるけどね。

44 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:23:54
>37
今のところの流れは大阪城に毛利が篭城したらという仮定で進行しているので。
さすがに毛利が大兵力で篭城したら下手な動きはできない。

>39
結局、本国にどれほど守備兵力って残しておくものなのかっていう話に
いきつくな。

45 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:27:53
>>41
丹羽は関ヶ原の前の段階で開城していたはず。
もともと、敵の総大将は毛利ということは承知の上。
二大老三奉行が家康を弾劾したにも係わらず、家康に従った段階で、
対毛利戦くらいは覚悟しているでしょう。

>>42
前田軍は2万から2万5千はいくので秀忠軍と合わせて6万はかたいと思うが。

46 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:28:41
小早川の家臣や兵って隆景時代とはまったく別物なのかな。

秀忠+前田で4万8800? 利長はともかく秀忠が激しく不安だ。


47 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:31:11
>>41
毛利が秀頼の名義で抵抗した場合は反三成のまとまりが崩壊しないか?
三成憎しでまとまっていた福島をはじめとする面々が毛利領攻略の命令に従うかな。

毛利が秀頼の名義で抵抗したとして、それを承認する武将はどれだけいるだろうか。
逆に、毛利による簒奪行為とみなされる可能性もある。

48 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:31:21
その前に戦後のことも考えて家康は自家の兵力を温存したいだろうから
毛利領攻略しないかも。

49 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:33:08
>>47
反三成って本当にあったのか、主家を裏切るための口実にしか思えない

50 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:35:15
確かにまあ秀忠は戦下手だけど、
この人は配下に恵まれれば無難に難局を乗り越えるだけの
能力を有した人物だから、問題ないと思うが。

不安なら本多平八郎でも井伊直政でもつけてやればいい。

51 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:35:20
>>44
進行しているって言うか、ほとんど答えは出ていると思うが?
主君不在、主力もいない状況で徹底抗戦するものなんてほとんどいないだろうし。
どう考えても籠城は無茶な話。

52 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:35:44
>>48
裏切ったような小早川みたいな連中はともかく他の連中に攻めさせるのは23が言うようにまずくないか
毛利領が簡単に攻めきれるような状態で無いならそれでもいいかもしれないが

53 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:37:10
>47
簒奪とみなしたらなおさら大阪城方面の早期解決を目指して毛利攻略なんて
従わないと思うんだが。

俺は小早川も不穏だし福島等も扱いにくいから毛利領攻略なんてしないと思う
あるなら秀忠の派遣はなく前田利長に命じて二虎競食狙うと思う。

54 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:43:58
三成憎しで固まっていたと言っても、言うまでもなくそれだけではない。
実際に加藤清正が東軍よりに態度を明確にしたのは関ヶ原の戦い後だからなあ。
他にどんな事情があろうと、状況が明らかにどちらかに有利になれば、
有利な方につこうとするのが人情。
今後のことも考えれば、家康に取り入る為に争って敵対勢力、
この場合は毛利家へ攻め込むものが続出するだろうと思うがね。

まあ、福島あたりは何となく勝った後だからこそ、
へりくだるようなことはしないような気もするが、
普通の人間は家康にこびようとするでしょう。

55 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:45:28
大阪城に毛利軍+他で6〜7万としたら対峙兵力は10万は最低欲しくないか?
くどいかもしれんが小早川軍は毛利軍との結びつきが強いから大阪城の
毛利軍に対して自軍をかなり多くしておかないと再度裏切る可能性もある。

秀忠と前田軍を抜くのは多すぎないか?

56 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:46:09
いまさら、小早川がもう一度裏切るはずがないが。
圧倒的に家康有利になった後に一体なぜ?
むしろ、こういう状況ではもっとも信頼できるてあいだろう。

57 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:49:06
>>55
概算的にみれば、10万残しても、東軍はまだ5万はいることになるがね。
余裕でしょう。
大体その西軍6〜7万が本気で戦うとも思えないが。

58 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:54:32
そんな家康にとりいるために自領からはなれて毛利領へ攻め込むかな?
秀頼名義で篭城しているし、まだ戦は続くとみなして何かと理由つけて動かないだろ。
九州はいうまでもないし、四国だって長宗我部とかとうあたりが協力して毛利領へ攻め込む?
かとうあたりは西軍に味方した長宗我部をうつとかいって領土拡大図ろうとするんじゃない?


59 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 01:59:04
そもそも秀頼の側近には親家康派が多いのだが。
そいつら追い出して篭城するとしたら毛利の評判がた落ちだと思うのだが。

60 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:01:44
>>58
だって、毛利は主力が大坂にいるんだろ?
絶好の餌食じゃないか。
家康の為でなくとも野心のあるものは放っては置かないだろう。

「大坂城で籠城したら」というあなたが言い出した仮定を忘れてもらっては困るよ。

61 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:03:42
宇喜多って関ヶ原に率いてきた兵力が全兵力ではないでしょ。帰国できれば
かなりの兵力残ってない?毛利+宇喜多領進行までにもかなりの期間あるだろうし。

62 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:10:25
>>61
通常の動員率は石高100石あたり3人くらい、
関ヶ原にいたのはこれで計算した場合のほとんど全軍です。
無理すれば、100石あたり5人6人という動員もありえるが、
こらはあくまでも「無理をした」動員で質は落ちますし装備の良くはないでしょう。

そもそも、秀家だってあの状況でそんな余力を残して、
全力を尽くさないような愚か者ではないでしょう。

63 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:13:31
>60
だから、全兵力ではないでしょ。しかも、まわりの野心あるものが
なぜ離れた毛利領土を攻めるの?普通は自分のまわりの領土を特に
西軍についたものの領土を攻める。毛利と領土が隣接していて
攻める力がある大名って誰?


64 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:17:22
詳しい人に聞きたいんだけど兵士数と動員数は別物じゃないの?
動員力は兵糧や金銀等の財力に左右されるものでは?
兵は移動させるだけで金と兵糧を食うしヨーロッパでは
金だか兵糧だかが不足して兵が動かせなかったってこともあったみたいだけど。


65 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:24:07
石高100石あたり3人くらいってことは徳川って250万×3で7万5千?
秀忠に3万8千 秀康にも3万くらい預けてなかった?関ヶ原で家康が率いていた軍も
結構いたような気が・・・ 7万5千どころじゃなくない?

66 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:26:25
>>63
加藤嘉明や藤堂高虎は先鋒を務めるだろうね。
彼らが本国に帰れないとは言わないでしょう?
成り行きで西軍になってしまった長宗我部はむしろ東軍側として動こうとするのが当然だ。

黒田・清正・鍋島あたりも主力が温存された島津より、毛利攻めを選ぶと思われる。
仮に島津があくまでも西軍につく構えを見せ、
南から牽制すれば彼らは動けないかもしれないが。そこまで期待は出来ないだろう。

さらに畿内から東軍の別働隊が攻め込む、
これだけでも主力を欠いた毛利領を粉砕するのに十分だと思うが?

67 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:27:29
秀康は関東だから、無理して動員しても、財政的になんとかなるだろ

68 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:30:16
>>65
秀忠隊は徳川家以外の家の軍も合わせた数。
秀康隊も同様。

69 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:43:38
23
ほう〜、戦いから帰ったばかりの上杉を攻めるとは賢い作戦ではあるが敗退とは…
そんな伊達て弱いのかぁ、伊達が東北1強いいわれてるから…やっぱ東北のみんな大名は全体的に弱いんかな

70 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:48:10
追撃戦に伊達って参加していたっけか?

71 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:48:33
トーホグ大名はカスばかり

72 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:49:43
>成り行きで西軍になってしまった長宗我部はむしろ東軍側として動こうとするのが当然だ。
関ヶ原から別行動とるってこと?毛利が篭城するなら当然力づくで引き入れようとするだろうし
難しいよ。勝茂もどうかな。
黒田 清正が家康にいいところ見せようと毛利に攻め込むかね。立花 小西領の完全制圧優先でしょ。




73 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:50:41
>>70
いや福島のほう攻めたんじゃなかったか?

74 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:51:10
じゃあ誰かググッて調べてみて

75 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:51:52
味方したくない長宗我部を力づくで大坂に留めたら・・・

あら不思議、長宗我部と内部分裂、大坂炎上、家康らっきー

76 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:52:23
>>72
>力づくで引き入れようとするだろうし
こんなことしたら、それだけで戦になるかもしれないし、裏切りそうな武将がそれなりの兵で城内にいるのはもっと危険

77 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:53:13
>>73
福島って知名だよな、一瞬勘違いしそうに…

78 :77:2005/04/16(土) 02:54:12
>>77
地名だよ俺orz

79 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:54:25
毛利と徳川が対峙している間に火事場泥棒がほとんどだろ。

80 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:54:32
アンチ家康にとって直江状は聖書

81 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:57:06
>>79
それをさせないために毛利領攻めに秀忠参加させるんだろ

82 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:57:22
福島県に糞正宗が攻めてきてどうなったの?野戦したの籠城したの?

83 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 02:57:43
火事場泥棒出来る程、混沌としてないからw

84 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 03:00:43
82
糞正宗てモンモンモンにでてた酒じゃねえかWW

85 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 03:01:37
>>83
西軍が勝ったらどうなったか分からないが、
東軍が勝った以上、名実ともに総大将で実力他を圧する家康に、
あえて逆らう者がいるとは思えないからね。

86 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 03:02:32
足し可児

87 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 03:05:11
おまいらバカだなぁ。
西軍厨はどうにかして家康潰して西軍マンセーIF話がしたいのよ。
そぉゆうのを汲みとってね。

88 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 03:06:09
>76
戦にはならんよ 戦力比が違いすぎる。というより成り行きで西軍って
もともと西軍自体がそういうものだけどね。ただ、実際に西軍として行動した
以上はそこから降伏できないという島津みたいなものが多いと思うぞ。
それこそ手土産なしに長宗我部が降伏したら許してくれるなんて思うか?


89 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 03:07:07
手土産は毛利攻め

90 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 03:16:51
>>88
だから、その手土産のために毛利と敵対するのじゃあないか。
毛利が徳川との敵対を続けてくれればむしろもっけの幸いと言うべきだ。

というか、眼前に勝ち戦の勢いに乗った倍以上の大軍が迫っている状況で、
小なりとはいえ抵抗する軍を無理やり味方にするのか?
そんな事をすれば、仮にその時は従ったって絶えず見張っていなければならないから、
かえって戦力の低下だ。
それでも東軍が眼下に迫ったなら、それこそ内応を手土産に東軍につくかもしれない。

さらにいうなら、あなたが言うように西軍の大半が成り行きで西軍になってしまった者、
つまり、機会があれば徳川につこうとする者は長宗我部に留まらないと見るべきだ。

まあ、そもそも毛利が仮に籠城したらという話が、
ありえないことなのだが、これ以上都合のいい仮定を積み上げるなら、
さすがに語る価値がないものになってしまうと言わざるを得ないぞ。

91 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 03:30:19
>>88
逆に言えば降伏を認めてもらえるなら家康につく者がほとんど、
ということになるわけだが。

史実では西軍についたものを容赦なく処断して自らの勢力を伸ばした家康だが、
仮に毛利が徹底抗戦をしたらという仮定の基では、早期に毛利家の片をつけるほうが重要になる。
だから、西軍についた武将が史実よりはたやすく許させる可能性は高いし、
家康もそれを餌に更なる内応工作をするだろう。
結果、この仮定に従えば、史実に比べて家康の権力の増大は抑制される可能性が大きいが、
毛利家が完全に滅ぼされる可能性も極めて高くなるということになるだろう。

92 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 03:35:09
>>72
立花だって永遠に立て篭もっていられるわけではないからね。
いつまで持つものやら。

93 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 03:41:27
あと確実に反対する吉川はどうするの?
当時の毛利家中ではかなりの発言力がある筈だが。

94 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 03:45:26
ただ、毛利が篭城して本領をある程度侵略されたときに和議に応じても
30万石くらいじゃないか?(上杉がそうだったし)

95 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 03:48:01
>>94
取り潰すと言ったら本気で抵抗してきて厄介だろうから、ある程度は認めるかもしれないな

96 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 03:49:31
やはり、困難だな 関ヶ原後はバランスが悪すぎる。
関ヶ原があれほどの一方的勝利でなければともかく圧勝すぎるな。


97 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 03:49:45
>>93
まあ、さすがに輝元が籠城と覚悟を決めたという仮定なら、
今更吉川のいうことに従うはずはないから、
良くて放逐・或いは幽閉、場合によってはその場切捨てだろう。
仮に吉川もともに戦う覚悟をしたとしても、周りがそれを信用できるはずがない。
このくらいのことはして決意の程を見せなければさすがにもう誰一人毛利にはついてこないだろう。
この期に及んで万が一にも関ヶ原のようなことをされてはたまったものではないのだから。

98 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 03:54:04
>>95
いや、既に本気で抵抗してきて、
厄介なことになってしまったらという仮定の話だから。
なにせ、秀頼とその側近を拘束してでも大坂城に籠城って言うのが前提の話だ。
そうなってしまっては最早取り潰ししかないでしょう。
利害云々のほか対面上の問題というものもある。

99 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 04:04:43
加藤嘉明に藤堂って兵士が大分負傷してないか?しかも、このあたりの兵力は
たかが知れている。本国から攻めさせるよりも負傷兵が多いことから普通は大阪城包囲軍にしておくと思う。
攻める主力は消耗が少ない秀忠+(利長)かな。
プラスは関ヶ原大勝の威光 マイナスは秀忠が司令官であること
宇喜多+毛利領土全制圧って物理的に結構時間かからないか?

100 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 04:10:17
まあ、毛利が抵抗したらすべてが解決するまで史実より時間がかかるのだけは
まちがいないな。その間に家康が心労で死んでくれないかな。

101 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 06:23:41
>>45,46
遅レスだが。
前田はお金を貯めるのに熱心で、兵力を蓄えていなかったという
話がある。前田利家の遺言に、兄弟あわせて一万八千あるから、
兄が一万で秀頼様を守り、いざというときは弟が八千を率いて
国元から駆けつけるようにとあったと思う。

102 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 06:31:30
毛利は一揆だから、当主の権力は弱いだろう。

103 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 09:47:03
家康の上杉攻略が、三成を誘い出すためのものであったというのは
疑問。そんなもので三成が動くと家康が思っていただろうか?
三成が最も恐れていたのは、国内が騒乱状態に陥り、
それに乗じて家康が政権を奪取すること。そんなこと
家康自身が一番良く知っていたことではないのか?
だから家康は、三成が挙兵するなどとは夢にも思ってなかったと
思うね。
実際三成は7武将に襲撃されたときも、引退して危機を
あっさりとかわしている。(このとき三成擁護派の武将も彼の元に
続々と終結していて、反撃のチャンスはいくらでもあった)
上杉に関しては、家康が挑発行為を行ったとされているが、
実際には景勝は会津にとばされたことに相当不満を持っており、
家康に、というよりもむしろ中央政権(豊臣政権)に不満を
抱いていた。秀吉の死後、本当に中央政権に反旗を翻すように
なっていたとしてもふしぎはない。
家康の会津征伐は、策略でなく、純粋に豊臣政権の秩序を
維持するためのものであったのかもしれない。そしたら
突然思いもしなかった三成の挙兵に遭遇し、
彼自身とまどったのではないか?




104 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 09:54:44
>>103
>家康の会津征伐は、策略でなく、純粋に豊臣政権の秩序を
>維持するためのものであったのかもしれない。
スレが荒れるから、そんなコト言っちゃダメ!
この板のアンチ家康の多さを舐めちゃダメ!
ここでは家康はトコトン極悪、三成は純粋で忠義心溢れる悲運の名将ってことにしないと!

105 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 12:07:32
秀頼や大阪城を握ろうと関ヶ原後は豊臣家に徳川や他が謀反を起こして勝った
形になる以上、もう徳川が天下人であり秀頼だろうと毛利だろうと何をあがいても
無駄なだけ。この時点の徳川なら毛利に難癖つけた後にそのまま豊臣家を潰すのも可能


小田原の陣のあとに、織田信雄が100万石近くもっていたが一瞬で改易、徳川も領地替を
拒否できなかった。


106 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 12:24:31
輝元は大阪城退去の上、「島津征伐の先鋒」を命じられている。
基本的には「死んでこい」の条件に等しかっただろう。

37万石で済んだだけでよかったのかもしれない。

107 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 12:37:41
賎ヶ嶽以後に三法師=秀信を担いでも無駄みたいなもんだな。
この時点で秀頼に忠義をつくしそうなのは福島 加藤清正 浅野 加藤嘉明
くらいしかいない。
案外家康は秀頼を殺して豊臣家滅亡ではなく織田秀信のようにいつのまにか
一大名化を本心としていたかもしれない

108 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 12:48:02
逆に言えば家康側が逆臣扱いされたときによく東軍側をまとめきれたな。
ここが凄い。人質を握られ謀反人扱い 体勢としては挟撃状態とくれば
崩壊してもおかしくないが。

毛利なんて秀吉時代から関係の深い黒田家は敵にまわり、隆景時代の家臣も多くいるであろう
小早川家も裏切り 吉川広家も統制できない。差がありすぎだ。
やっぱり隆景が生きていれば・・・・

109 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 14:42:24
>>99
当時の戦いの負傷率ってのはさほど高くなかったし、
兵が減るのは敗戦後大量の逃亡兵が出るから。
実際勝ち戦の後続けて軍事行動を行うなんてどこでも普通にやっているからね。

まあ、多少時間がかかっても毛利逆転の目はほとんどないだろう。

110 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 15:37:22
>>103
もし、そうだとすると、
西軍決起後の手腕が物凄いことになるんだよね。
>>108のいうとおり。

個人的にはやはり何らかの変事が起こることは予想していたのではないかと思う。
ただ、その規模があそこまで大きくなるとは思っていなかったのではないだろうか。

111 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 16:56:36
なんだここは?
三戦板の低レベル化もここに極まれりだな


112 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 17:40:54
・宇喜多領接収したのは誰か?
・前田利長は、なぜいとも簡単に大津まで来れたのか
・村上元吉が加藤嘉明の松前城攻撃しようとした三津浜合戦はいつあったのか
・但馬、伯耆、因幡の諸大名の動向
・伊勢の鍋島勝茂の動向
・毛利家における、黒田孝高、石田三成、安国寺恵瓊、吉川広家の関係

せめてこれぐらいは事前に調べてくれ
あと、どうみても司馬遼が元ネタっぽい話や講談を真実っぽくいうのはヤメレ
せめて書くなら、ネタ元は講談なんだがとか断ってくれ

113 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 17:43:57
いや そのレベルをここに求めるのは間違っているだろ・・・
そのレベルってここに5人以上いるか?

114 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 17:51:24
大人気ねーな。自分のレベルを基準にするなよ。詳しいやつらが結局関ヶ原後は
なにしても無駄という方にしかいないから偏ってるんだよ。誰か詳しいやつが西軍側に
まわってやらないと。俺にはとうてい無理だけど・・・


115 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 17:54:40
関ヶ原後は結論がついたとして、関ヶ原前の話でもする?

116 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 17:56:03
無理に西軍にまわる必要もない
それとも無理に議論したいだけの議論厨?

117 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 17:59:02
西軍厨ですw

118 :母里:2005/04/16(土) 18:11:43
三成が関ケ原で大砲もっともってくれば良かったんだよ!
馬鹿のひとつ覚えのイラク空爆みたいに!

119 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 18:23:18
じゃ今度は視点を変えて
どうすれば東軍の勝利がより完璧になったかについて語ろうぜ

120 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 18:24:04
ここって西軍厨が集うスレだと思ってたw


121 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 18:27:53
東軍の勝利がより完璧にか〜 面白いかも。
結果的に家康の寿命があれほどもったからよかったけどやはり豊臣家
が問題だよね。毛利を大阪城から退去させた後にもう少し力をそげないかな?

122 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 18:54:28
秀忠以下が真田の沼田城を無視して関ヶ原に到達してたらより完璧だったんじゃない?

123 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 18:57:00
いや島津隊の完全放置プレイだろ

124 :西軍ファン:2005/04/16(土) 20:11:43
島津の関ケ原でのヘタレぶりを語りたいwww

125 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 23:33:01
福島正則に可児才蔵というアイテムを持たせると、凄い破壊力を発揮できる。

126 :可児@元文学従事 ◆R.hU2KhlIc :2005/04/17(日) 01:57:37
あなたがたに、よくよく言っておく。

西軍が負けた(東軍が勝った)理由を語るレス。←難易度1

西軍が勝つ(東軍が負ける)可能性を語るレス。←難易度10

おまえら関ケ原通を気取るニートどもなら難易度の高いほうに挑戦しろや、ボケWWWWW
前者はおまえらキモオタ糞ニートを議論を待たずに、わかっとることだわいWWWWWW

127 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 02:38:41
西軍が勝つ可能性?
可能性もなにも、勝っても三成じゃまとめきれない。
ほかの西軍の顔触れをみてもまとめ役がいない。
だから最終的に豊臣家の宰相、且つ意志統一が優れている軍団を率いる家康が勝つわけだが?
本当にわからん奴らだな。
頼むからもっと勉強してくれ。
まともな話ができない。

128 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 06:03:16
↑前田スレで暴れている694

129 :阿児@元文学従事 ◆sIE1iUZVwE :2005/04/17(日) 22:44:15
可児@元文学従事◆R.hU2KhlIcがトリップが割れてしまいましたので上記になります。今後も皆さんのアイドルとして三戦板に貢献したいと思います。
o(^-^)o ヨシ、ガンバルゾ!

130 :阿児@元文学従事 ◆sIE1iUZVwE :2005/04/18(月) 01:25:09
ちなみに>>126のレスは『大坂の陣』スレや『前田利家が西軍の総大将』スレにも共通していえることです。
みなさんも、気をつけてください。

131 :ゆきだるま ◆2eAi0OJQSA :2005/04/21(木) 22:49:25
どうでもいい

132 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 18:22:47
福島正則が織田と対戦するときに
宇喜多等の戦力を呼び寄せて勝負をつければ
西軍の勝ちが見えてくる。
家康との大合戦にこだわった戦術がまずかった。




133 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 19:25:22
いや、宇喜多は大垣にいましたが。
まあ、岐阜城が二日で落ちてしまっては手の出しようがない。
もっとも、岐阜城が早期に落城したのは有効な援護が出来なかったからで、
その理由は西軍の兵力不足。
つまり、宇喜多勢を含めても、
当時美濃にいた西軍だけでは東軍の先鋒にすら勝てない程度の勢力しかなかったということ。

134 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 19:46:12
>>133
東軍の先鋒三万五千に対して、西軍は宇喜多、石田、島津、小西。
これで三万ほど。岐阜城兵が七千ほどで、大垣城主の伊藤などの
周辺領主を含めれば、むしろ西軍の方が戦力は多い。

135 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 19:54:31
>>133
岐阜落城は8月23日。
宇喜多は9月3日に大垣入城。岐阜城を落とされて急遽三成が
伊勢長島を攻略中の宇喜多を召集したと思われ。

136 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 19:55:52
>>134
逆に言えばその程度の兵力差しかなく、
かつ防衛すべき複数の拠点を抱えていた、
その為後手を踏んで岐阜城を守りきれなかったってこと。

137 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 20:03:42
新説誕生か!

138 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 20:04:32
>>135
これは失礼しました。
私の勘違いでした。

139 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 20:11:41
そうすると伊勢攻略に手間取ったのがまずかったってことになるか。

140 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 22:13:25
 前に出ていた毛利が本気で大阪篭城した場合だが
不利なのは家康のほうじゃないかよ。
家康の求心力は長期戦になるほどに低下する可能性がある。
家康の長期不在が続けば関東の背後では
最上から秋田越後は上杉に飲み込まれ、たぶん頼みの伊達も南部併合を優先
させて上杉とは不可侵で上杉を関東に追いやって徳川と消耗戦させるように仕向けかねん。
本国がやばいのに上方で落ち着いていられるかが問題だ。
伊達政宗の場合これみよがしに自分を高く売ろうと恩賞を吊り上げるか
上杉VS徳川の消耗戦を煽って漁夫の利を得ようとするだろうね。
 
 で輝元が秀頼を抱えたまんまの状態で東軍を安芸征伐とかにやった場合、すんなり東軍諸侯が
従うかだ。家康は西軍諸侯の寝返りを煽るだろうけど、寝返り工作は得てして時間もかかるし
積極的な寝返りはほとんどなく消極的な日和見が大半になると思える。
東軍諸侯はあまり長期間の動因に従うか?もとは上杉征伐が本旨で安芸征伐は後付けだからね。
 
 前田の動向も無視できない。戦争が長期化すれば北陸での周辺切り取りや戦争への積極的介入
は本格化したろうし


141 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 22:58:01
>>139
それもあるし相手が西上してくるのが
予想以上に速かった。

142 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 23:27:18
関ヶ原敗戦聞いて上杉撤退。
中国・四国には、関ヶ原に本格参戦してない中小大名がいるので
それを向ければ差し支えない、事実、差し向けようとしてたのだから。
家康は西軍の寝返りを煽る必要もない、西軍の大名から謝罪に向かったりしてる事実がある。
前田は関ヶ原終了後、すぐに軍勢連れて大津に到着。

これすべて毛利が大坂退去する前の話。

もっとも大坂内部で毛利が籠城出来るかが問題なのだが。
ていうか、いい加減ステロタイプくどいね。

143 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 23:30:15
>>140
>不利なのは家康のほうじゃないかよ。
>家康の求心力は長期戦になるほどに低下する可能性がある。

そもそも長期戦にならないから。
まず関ヶ原の結果により、西軍に組していた大名の多くがバタバタと東軍に寝返る。
この時点で東軍が圧倒的に優位。
そして、家康は別に無理して秀頼に矛先を向ける必要はない。
「秀頼様のために逆賊石田三成を討つ」という大義名分を、
「秀頼様のために逆賊毛利輝元を打つ」に変えるだけの話。
あとはしかるべき大将に一軍を率いさせて、空っぽになっている安芸を攻めさせれば、
輝元のことだからさっさと講和に応じるだろうよ。

それから、上杉は長谷堂城からの撤退戦で最上にこっぴどくやられてるから、
軍容を立て直すのに少々時間がかかろうな。
前田は利家正室が江戸に人質になっていることもあるため、家康寄りだよ。

144 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 23:57:10
西軍勝利の可能性を探れば、どうしても岐阜城攻防に行き当たるね

145 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 10:47:18
>>136
伊勢長島の福島正頼ごときを攻略するために、毛利、長曾我部、鍋島
宇喜多など五万あまりの大軍を投入して拘束されていたのが問題だな。
もっともそれだけの兵力が長島へ集中できないので、もともと宇喜多は
伊勢でも大垣にかなり近いところへ寄って後詰めしていたようだが。
逆に福島正則は、長島に大軍が向かっていて風前の灯火状態なのに、
よく清洲を空にして、全力で岐阜を攻撃できたものだ。入れ違いに長島
を落とされていたら、尾張へ進攻されて清洲を取られ補給を失い、江戸
との連絡も断たれて孤立してしまう。

146 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 12:36:41
伊勢攻略には吉川も参加していたよね?
そこら辺のルートからある程度の情報は入ってきていたんだろうなと思う。

147 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 12:57:58
>>144
よくそう言われるが、
岐阜城が落ちたことによる具体的な西軍のデメリットってのはどんなものかね?

148 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 19:02:44
>>147
濃尾平野の殆どが東軍の勢力圏に入り、東山道の東軍と東海道の東軍の
連絡が確保された。反対に西軍は田丸、真田が切り離されて孤立し京極
の寝返りを誘発した。また前線が彦根に近くなったことから、北陸方面
で前田と対峙していた大谷を呼ばなければならなくなり、北陸の防備が
手薄になり、前田勢による進攻の危険にさらされた。

149 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 19:32:55
>>148
高次が大津城に籠城したのは岐阜城落城の後だったんだ。
確かにそういう情勢にでもならなければあんな敵の真っ只中で籠城なんてなかなか決断できないわな。
そして、大津城の籠城戦がなければそれに係わっていた1万5千の西軍が空くと。

いやあ、しかし関ヶ原はいろいろな要素が絡んできて、
本当に興味深い戦だな。今更だが。

150 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 19:47:57
ところで、大津城が東軍についた後それを攻めていた部隊は、
その前はどこで何してたの?
そいつらが大垣・岐阜方面にいれば、
いくら秀信がぼんくらでもそう簡単に岐阜城は落ちなかったのではないかね?

151 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 20:31:24
>>149
北陸で危機にさらされた丹羽は前田との和睦交渉に入り、敵中へ取り
残されてしまった犬山城は無血開城、増援にきていた稲葉などの数名
の大名は東軍へ降伏し、岐阜城へ援軍に入っていた佐藤方政は自領へ
引き揚げてしまい、西軍から離脱した。長島籠城に参加していた山岡
景友の呼びかけに応じた甲賀衆が一揆を起こして伊勢方面の西軍への
補給を脅かし、長島攻略も諦めて伊勢作戦中止になった。
>>150
秋月、相良などの九州大名達は瀬田橋守備に付いていたから、おそらく
立花も同じと思われる。毛利元康は大坂の毛利本隊からの派遣。

152 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 20:38:21
>>149
151に追加
石部に駐留していた小早川が彦根の高宮へ移動し、佐和山を窺った為、
石田三成が防備を固めるため佐和山へ帰り、大垣方面の西軍の指揮官
が一時的に不在になっり東軍に対して有効な対応も出来なくなった。
さらに島津などが、自国を心配する石田の身勝手な行動に不信感を持つ
ようになった。

153 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 20:44:21
>>151
なるほど、サンクス。

しかし、瀬田はそこまでの兵を張り付けなければならなかったのかね?
一応自陣営の真っ只中で敵性勢力に占領される危険は少なそうに思うが。
いや、逆か、一見回りは味方だけだが、四方の情勢は定かではないし、
いつ裏切りが出てもおかしくない。
だからこそしっかり抑えておく必要があったということか。
そして、案の定京極が東軍についたと。

154 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 23:40:32
>>153
瀬田唐橋を造ったのは瀬田城主だった山岡景高。
長島籠城戦に甲賀衆五百を率いて参加している山岡景友、伏見籠城戦
に甲賀衆三百を率いて参加した山岡景光兄弟の兄。
山岡兄弟と甲賀衆にとって瀬田は地元。瀬田から守備兵を引いてしま
うと即座に攻撃される危険がある。関ヶ原がもう少し遅ければ、大津
攻略部隊が間に合ったと考える人もいるが、瀬田橋守備に大軍を残さ
ねばならず、実質関ヶ原へ向かえるのは極一部と思われる。

155 :勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/04/30(土) 15:41:54
結局は、1599年9月の重陽の節句における家康暗殺失敗につきる。
浅野長政に呼応できなかった石田三成は、既に勝機を見失いつつあったと思う。

156 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 17:36:36
西軍に勝機があったとは到底思えないが・・・

157 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 19:38:17
西軍勝利の可能性自体は普通にあったでしょ
歴史が東軍勝利だったから東軍勝利が当然のように思われてるけど、
関ヶ原には家康自身も予測できなかった不確定要素が数多くあった
真田が徳川の大軍を足止めしたのも、山内一豊が小山評定で自分の城を明け渡すと
宣言して他大名がそれに追随したのも、家康には予測できなかったはず
江戸時代に家康が神格化されるにつれて「権現様は全てを見通していらっしゃった」
みたいに言われるようになったが、実際は違う



158 :無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 19:54:44
>>157
前者はともかく後者はある程度予想していたと思うぞ。
また、仮にそうでなくとも、
少なくとも福島正則には事前に自陣営につくように話をつけてあったのだし、
諸将を味方に引き入れる工作はされていた、
で、家康につくとき決めたからには、家康に城を使わせてくれと頭を下げられたら断れないだろう。
一豊が自発的に差し出すと言ってくれたおかげで、家康は自分から頭を下げる必要がなくなり、
喜んだだろうし、戦後の家康の影響力にも違いが出たかもしれないが、
戦自体には大きな影響はなかっただろう。

あと、前者については予想外だったのは間違いないと思うが、
予想外に事態が悪化したがそれでも勝った、という例で。
事前の段階で東軍が如何に優勢だったかを示すだけだと思うが。

159 :勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/04/30(土) 21:16:04
対徳川の動きが現代における改革派みたいに散発的なんだよね。
石田三成は一回勝負の呪縛に捕らわれて、次の機会を狙い過ぎ。
せめて浅野長政を惹きつけておけなかったものか。

160 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 04:00:57
>>158
>事前の段階で東軍が如何に優勢だったかを示すだけ
うん、まあそれはわかってるよ
ただ「家康が予測できなかった不確定要素」に家康にとってプラスになったことの他に
マイナスになったことも例に出しとかないと不公平かなと思って
関が原の合戦は何万人もの人間の意図が複雑に絡み合ってるので、
神でもない限り全てを完璧に予想することはできない
家康は自分の出来る限り東軍が有利になる要素を積み上げて実際に関ヶ原で勝利したわけだけど、
あくまで勝利の可能性を高めただけであって、100%勝てるとは家康自身も思ってなかったでしょ

161 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 11:20:48
小早川秀秋の寝返りが無ければ西軍が勝っていたというのは妄想に過ぎないと思う

162 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 11:52:41
予測出来なかったといえば、織田秀信が野戦に打って出た事は、
誰にも予想できなかっただろう、東軍には予想外の好機になったけど。
家康は大分東軍諸将を警戒して出陣しなかったし、水際でせき止めれば、
それを東軍の中でも不満に思う武将が出てきたのでは?

163 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 13:23:35
>>160
まあ、事前に100%勝ち確定なんて事はもちろんないが、
それでもやはり東軍優勢ではあったと思うよ。

ただ、既出だけど岐阜城が一日で落ちたのは、
東軍にとっては望外の成果、西軍にとっては大誤算だっただろうね。

164 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 13:57:43
小山から清洲への戻りの速さ、清洲から竹ヶ鼻城落として岐阜城へ
突進する速さ。福島正則のスピードが予想外に速すぎた。

165 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 15:33:17
細川忠興・池田輝政・生駒一正・加藤嘉明・黒田長政・筒井定次
寺沢広高・西尾光教・古田重勝・分部光嘉・京極高知

と美濃から西に領土を持つ東軍の武将も大分居た、
岐阜城がもう少し踏ん張れば領土と分断された上記の武将の軍が
瓦解し始める可能性や、京極高次を滅ぼせたり、
前田利長の所に軍を送って、利長を押さえれたかもしれないのに、
まさか少数で多数の敵に突っ込むとはなぁ…。

166 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 16:31:47
>>165
いや、少し上の方で言われているが、当時の西軍は各地に分散していたので、
美濃方面にいたものは東軍の先発隊よりも少なかった。
もっとも、伊勢方面にいる西軍もあわせれば逆転するが、
こちらは逆に各城を落すのに手間取り、動きは鈍かったのだよね。

167 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 16:51:25
>>165
京極が東軍になったのは岐阜が落ちてからだろ

168 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 17:54:26
>>166
岐阜城といえばかなり堅固な城だし、数が少なくても一日で落ちるのはあんまりだと思う。

>>167
ありゃ、そうだったのか。
じゃあ岐阜が落ちなければ京極が東軍に付く事自体なかったんだ。

169 :勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/05/01(日) 20:48:04
家康が水口を通る際に佐和山からも密かに兵を送っておけば。
失敗しても三成を見直す武将も出たのでは?

170 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 20:56:44
>>167
それは京極高次のことでしょう?
弟の高知は最初から東軍ですよ。もっとも領国は確か信濃だったと思ったから、
岐阜より西ではないけどね。

171 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 21:13:45
>>170
よく見たら165に京極二人とも書いてあったね
これじゃ漏れの文は勘違いされて当然だな。

167は
>京極高次を滅ぼせたり
に対してのレスだから


172 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 21:19:54
>>171
ああ、そういうことか、
よく読めば分かったはずだ、私の不注意ですな。失礼しますた。

173 :勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/05/01(日) 21:22:01
>>170
上杉攻めに従軍していただけでしょ?初めから東軍なら、総勢で大津に籠城すれば良かった。

174 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 21:22:50
反論覚悟で、(立花でなく)小野木重次が関ヶ原に間に合ってればと言って
みる。ばりばりの西軍だろうから。

175 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 21:23:46
>>173
上杉攻めに参加して、そのまま東軍になっているから、
福島たちと同じ立場ですよ。

176 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 21:28:26
>>173
あと、高次と高知って当時から別々の大名で、
高知は確か信州飯田の領主だったと思う。

177 :勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/05/01(日) 21:57:11
京極情報に感謝です。それにしても、浅野長政に食いつきがないな。
この人が西軍にいれば、東軍武将の去就にもかなり影響が有ったと思うのだが。


178 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 22:00:23
>>177
監禁されていたから無理

179 :勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/05/01(日) 22:09:52
家康打倒で一本に纏まれるチャンスだったんだよね。
暗殺失敗の後に浅野長政を佐和山に匿って熱く語れば、長政も解らない男じゃない。
味方を増やすチャンスに三成は気が付かなかったのかな?

180 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 22:10:10
>>168
元々、挙動不審(病と称し北陸へ進軍せず塩津に留まっていた)だった
ので、きっかけさへあれば寝返っていた。

181 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/01(日) 22:15:36
>>180
他にも挙動不審は多かったから西軍は勝ちつづけなければ内部崩壊したかも

182 :勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/05/02(月) 00:11:30
君たち、東軍には伊達政宗というでっかい挙動不審がいるではないか?

183 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 00:16:05
関ヶ原になる前に内部崩壊してたのを三成タン自ら吐露しておりますがなw

184 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 09:42:16
>>182
辺境すぎて中央への影響が皆無。
仮に西軍へ転んだとしても、隙を見て西軍の上杉にちょっかいを出し
て足を引っ張るのは確実。伊達は東西どちらについても、東西双方の
大名に対しても嫌がらせする。

185 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 10:46:28
>>174
北陸が前田の勢力圏に落ちている状態で、大津が東軍だと移動ルート
が確保できない。関ヶ原合戦数日後、前田が近江に着いていることを
考慮すると、絶望的。おまけに田辺城攻略軍に、家康の義理の娘婿の
実兄がいるので、裏切りに遇う可能性が高い。

186 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 16:53:17
>>185
真田昌幸信繁も家康の義理の娘婿の実父実弟だけど…
また前田利政は家康の娘婿の妹婿だったろ。

187 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 21:06:20
>>186
おまけに福島正則の甥だから

188 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 23:53:43
>>186
他人じゃねーか

189 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/04(水) 22:57:01
>>182
黒田如水もいますが。
>>181
勝ちつづけなければ内部崩壊したかも
挙動不審と関係なく西軍だけでなく東軍の方でも勝ちつづけなければ内部崩壊した
のでは?
なんのかんのいって東軍の連中は
家康の方が勝ちそうだから味方してるだけだし
万一状況が不利になって家康が思うより頼みにならないとなれば東軍が結束
を保てるかは疑問だが


190 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/04(水) 23:20:22
>>189
黒田は西軍東軍とも殆ど無関係の場外乱闘みたいなもの

191 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 04:36:12
「今だけ・・・石田殿のことを厭うた小早川殿でいて下され」
「それがし治部少輔のこと疎ましく思うた訳ではあらぬゆえ、
うまく言えぬかもしれぬが・・・

最高だ、徳川内府、石田治部よりずっと良い
家康のこの大きくて豊かな知行に比べたら
三成のなんて物足りないよ、家康の褒美は最高だ
ここも、催促もすごくて、三成のじゃ全然戦えないけど
家康には鉄砲撃たれるだけでもうすぐにも突撃しちゃいそうだ
三成のあんな采配に従っていたなんて自分で情けないよ
この脂下がった老獪な皺面に微笑まれたら
もう三成のつるつるとした小顔なんて見る気もしない
治部少輔なんて検地するくらいしか価値のない屑奉行だよ
内府さえ居れば俺は・・・ 狸ぃ、狸爺ぃぃ」

192 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 16:10:39
>>189
西軍の問題は、
伏見城以下いくつかの城攻めで基本的には勝ち続けていたのに、
それでも結局崩壊した点だからね。

193 :勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/05/09(月) 22:56:37
秀次公さえいらっしゃれば関ヶ原も大分違ったはず。
太閤殿下晩年の痛恨の失敗と言わざるを得ない。

194 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 04:15:42
>>192
勝ち続けというよりは、城主不在の空き城占領。

195 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/10(火) 18:08:18
>>192
戦の要諦はぁ〜序盤の勝利が肝要〜。

196 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 20:38:14
>>193
秀次公顕在でも意味はないかもしれないです。
豊臣秀頼を旗印にする徳川家康の東軍と
秀次公を旗印にする西軍の戦いになったろうし
そうなった場合どうなるか?
但しこの場合伊達政宗も最上義光も細川忠興も西軍になるわな
というか秀次側
逆に石田三成が東軍になりそうな気も・・


197 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/10(火) 20:46:24
>>196
秀次は行為無能力者じゃねーんだよ!!6才のガキと一緒にすんな、ボケ!


198 :勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/05/10(火) 21:54:58
>>196
秀次公存命の状況によるかもね。関白のままなら家康側は朝敵だから。


199 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 23:40:02
もういい加減
タラレバの話はやめようよ・・・

200 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 07:46:02
それがなければほとんどスレが成立しないが、
しかし、秀次が生きていたらそもそも関ヶ原にならないだろうし、
さすがにスレ違いか?

201 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 10:57:47
関が原の戦いが始まった時点では、西軍に勝機があったとは思えない・・・
それ以前に、西軍は勝機を逃していると思う

202 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/11(水) 12:15:24
>>201
おまえの文章はおかしい。

「関が原の戦いが始まる以前に、西軍は勝機を逃していると思う 」

って書けばいいだろーがWWWWWWWWWWWWWWWWWW

203 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 15:01:36
秀頼は幼かったから家康に兵馬の権を預けた。

そもそも秀次が存命なら、兵馬の権は彼がもつだろう。


204 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/11(水) 17:22:43
信長が第一世代としよう。んで信忠が第二世代。三法師(秀信)が第三世代。

つまり、秀吉が天下を取れた理由の一つとして、織田家の第一世代と第二世代がほぼ同時期に他界したことが挙げられる。

つまりこれを豊臣家にあてはめると、第一世代の秀吉が他界する頃には、すでに第二世代の秀次が死んでいた。実子であるが実質的に第三世代の秀頼が継いだことが亡国の原因。

すなわち第二世代たる関白秀次が存命なら、家康はよき家老で終わったはずなのだ。

205 :勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/05/11(水) 20:49:11
高野山に匿まわれていた前関白秀次公が清洲に現れたらどうだろう?
三成嫌いの福島正則とかが従えば面白い局面も。

206 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 22:52:59
>>197
196だが、どう解釈していらっしゃるの?
漏れは別段秀次が秀頼の様にお飾りになるとは一言も書いていないのだが?
あなたの自分勝手な解釈でしょうけど・・

 秀次が関白だろうが実際関係ないと思う。ようは勝てば官軍なのだから。
漏れの言いたいのはたとえ秀次が西軍総大将でも毛利輝元や秀頼のように
戦争に出ずじまい(戦争になったとして)になるのは間違いないと
思われる点だけ。

 秀次が関白になっていたとしても、秀頼が豊臣の姓の氏長者として
秀次より格上に近い歪な状況なのは間違いないでしょ?
ましてあの関が原で朝廷の介在したのは細川幽斎の助命くらいで
これも細川幽斎は天皇のご落胤と言われているのだから・・戦況と関係ないし・・

ともかく秀次が今日を離れれば秀頼側が京を抑える可能性だってでてくるし
なまじ関白ゆえ朝廷対策に時間をとられてましたって感じになりそうなのですが。


207 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 23:04:08
>>204
秀次顕在ならば安泰と言うのはどうかと・・
元来豊臣政権はむちゃくちゃ不安定で、ちょうど室町幕府みたいなもの
有力諸侯のパワーバランスでなりたっているのはご承知のとおり。
秀次の器量は疑わないものの
史実でも秀次賊滅がなかった場合、秀次閥と秀頼閥が形成されそうな気配だった
のは濃厚でしょう。

秀次が毛利、細川らに資金援助したり最上の姫を側室にしたり・・伊達も
接近し取った様子だし・・そういった多数派工作してるしWW
対して秀頼には家康が付くわな。この家康の多数派工作もあろうわなWW
 そして朝鮮出兵のもたらした豊臣家臣の亀裂と内訌は秀次健在でも
変りはしないのですが・・
こうなると揉める要素なんぞいくらでも出てくると思われるのですが。
 


208 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/12(木) 00:15:58
たしかに家康は秀頼担ぎそうだな。

まあそれには大義名分が必要だが・・・。

史実で諸侯たちは秀吉一代で豊臣家が終わるとみていたのは秀吉に後継ぎがいないという点だった。(淀懐妊前)

秀次が誅され、秀頼が正式な世継となった時点でも諸候は秀吉一代で終わると踏んでいる。「秀頼君はまだ幼いから、それを操る輩が出現するであろう」というわけだ。

もし秀次が存命なら、秀吉一代で終わるという観測を捨て、諸侯のほとんどは服したと思う。なにせ足利尊氏公以来の天下統一である。
応仁の乱以降、百十数年以上、全国で戦乱がたえなかった。大名すべてが天下を欲しかったわけではない。できれば戦などしたくない。しかしこちらがしたくなくても、向こうから攻めてくる。これが戦国時代。
しかし秀吉の統一によって戦が終わった。大名は外敵を気にせず、こころおきなく自領の領国経営に精をだせる。これこそ大部分の大名が望んでいたことではないだろうか。(家康は除く)
秀吉が他界したと同時に、秀次の名で朝鮮征伐の中止を発布し、「文禄」偃武を宣言すればいい。
そして領国に大名らを帰し、再び平和を享受させれば乱はしばらくはやってこないのでは?
そもそも五大老制も秀次がいれば存在しなかったわけだから、家康が前田征伐や会津征伐を主導でできるはずもない。史実で家康がひとり騒いで乱を起こせたのも大老筆頭という部分が大きい。

209 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 01:21:54
秀次が秀吉死後も健在なら家康の天下獲りも違った形になる、
それはわかるが関ヶ原スレで語るのは少しスレ違いじゃないかね?
秀次の切腹は関ヶ原の五年前、秀吉の死の三年前
この間秀次の生存のifで歴史がどう変わるかは正直誰にもわからない
そもそも関ヶ原の合戦そのものが存在しない可能性もある


210 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 02:01:47
>>209
お前は板違いだから日本史板いけよ。

211 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/12(木) 03:28:00
>>210
低脳は2ちゃんから消えろ。

212 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 21:07:59
唐突だが、関ヶ原のときに、
仮に西軍が大垣城を出ずにそのまま籠城を続けていたらどうなっただろうね?

213 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 21:30:17
自滅

214 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 21:34:10
どのようにして?

215 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/13(金) 21:56:37
おなかすいて

216 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/14(土) 01:40:42
しかし、東軍も囲んでられないでしょ。
西軍は城外にも沢山いるわけだし。

217 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 01:54:15
大垣を囲んでたのを放置して関ヶ原を西進する東軍
それを無視して籠城する秀家や三成
秀秋が東軍に合流して、広家が家康に挨拶に行き、大坂の輝元と和睦

という東軍に都合のいいパターンもありえる?

ここでも毛利と秀秋の行動次第の悪寒

218 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 03:05:41
籠城ってのは守備側の結束力が高いときでないと厳しい
歴史が記すとおり関ヶ原の西軍は必ずしも一枚岩ではなかった
おそらく三成は小早川や毛利など去就のはっきりしない連中に
覚悟を決めさせるためにも野戦での決戦を選択したのだと思う
結果的に関ヶ原では小早川の裏切りによって敗北するわけだけど、
関ヶ原を決戦場に選んだ三成の戦術眼は間違ってなかったはず

219 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 07:10:43
>>218
とりあえず、大垣に籠城していた連中は信用できたと思うがね。

220 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 10:37:58
>>219
裏切ったやつら多数いるぞ。
九州の大名達。

221 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 10:41:53
>>220
誰のこと?

222 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 10:44:29
>>221
相良、秋月

223 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 10:56:26
>>222
それって確か関ヶ原の本戦が終わった後ではなかったっけ?
まあ、裏切りは裏切りかもしれないがその状況では無理もないと思う。
少なくとも前々からの内応の約束はなかっただろうから、
小早川・吉川あたりに比べれば信用できたでしょう。
確かに死を覚悟で戦うというものばかりではなかった証拠にはなるから、
籠城戦が苦戦して落城必死という情勢になればそれらは同様に裏切ったかもね。
もっとも、そういう情勢になってはもう勝負ありだとも思うが。

224 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 15:46:56
毛利篭城の仮定では、3ヶ月くらいで毛利領は黒田如水に席巻される気がするが。
そんな尻に火がついた状況で暢気に大阪篭城なんてしてられないって。

225 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 15:48:30
その黒田は偽者だ

226 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 16:48:26
>>224
大坂籠城ではなくて、
大垣城での籠城はどうなの?っていう仮定の話ね。

227 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/14(土) 19:04:11
タラレバ馬鹿は野風で満足できんのか?


228 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 07:49:33
仮定の話を持ってこなかったら、
このスレで語ることなくなってしまうがね。

229 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 08:05:55
西軍は寄せ集め。東軍は会津攻めの為に編成されていた豊臣の精鋭。
質の差は歴然だな。

230 :勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/05/15(日) 17:37:45
やはり、高野山に匿われていた前関白豊臣秀次公が突然清洲に入る展開が面白くなるかな。
福島や池田、浅野を従えていれば家康も江戸を離れられない。
西軍の去就が怪しい武将も俄かに慌ただしい動きを見せるだろう。
誰か手の空いていた軍師はいないかな?

231 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 20:08:11
 >>230
黒田如水はいかがでせう?
あるいは真田昌幸?

232 :勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/05/15(日) 20:21:05
いいかもね。石垣原はなんとか勝ったものの凡戦だったように思えるし、九州にはいなかった線で。
「秀忠の相手なら信繁で十分」と余裕綽々な昌幸もいい感じ。


233 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 20:27:30
もうちっと現実味あるIFにしねーか?

234 :勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/05/15(日) 20:52:08
で、でもー。ここ三戦だし。あまりやってないIfなら新しい客も期待出来るし。
最上義光とかはどうかな?山形にいたのは影武者。


235 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 21:11:55
 もうちっと現実味ある面子で
大谷と島左近
この場合で三成は表に出る必要は薄そうなのでこいつらが豊臣秀次
とつるんでてもよいかも?
意表をついて徳川秀康・・伊達成実あたりが幕下にあってもよいかも

236 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 21:12:56
秀次生きてたら、秀頼との対立必死なんでつが

237 :勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/05/15(日) 21:29:04
>>235
秀次が生きていた場合に息を吹き返しそうな武将はいないかな?と思ったんだよね。
見せ場の今一つなかった武将全てが無能だった訳ではないし。


238 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 21:43:06
 >>233
ではご指摘に答え鶴松が死ななかったらではどうでしょう?
鶴松生存ならこのあたりには元服前くらいになってたでしょう。
この場合秀次が関白にはなりえませんww
良くて内覧として鶴松後見になる程度でしょう。
 豊臣家最大の不幸は鶴松の死のような気もします。

239 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 21:54:51
ちなみに鶴松が生きてたら正室は皇族のような気もする。
鶴松が豊臣氏長者として全国武家の棟梁で
内覧豊臣秀次が後見
 でも五大老はあるはず。
なぜなら五大老は決して秀頼が幼少だから補佐するのではなく
天下を窺う実力石高官位を持った香具師を政権内に取り込んで
外様として勝手な行動をするのを掣肘し、相互に牽制させる
という目的があったと推測されるから。
 
 関が原にならないかもしれないが・・よーく考えてみると、この場合
秀次が五大老筆頭の家康の政治発言(彼は秀吉から天下政務の代行を命ぜられてます)
を除こうとし
家康が自己防衛のため秀次を君側の奸として除こうとする図式で対立は起こりそうなのです。
 ただ東西両軍の面子はかなり変りそうだし、
秀頼は家康の旗印になりそうだが。


240 :勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/05/15(日) 22:11:24
>>239
ん?その場合に天下政務の代行は秀次にならないの?
秀次は秀長の後釜に座る形になる訳で、三成と同様の展開にはならないはず。


241 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/15(日) 22:32:31
たぶん天下政務の委託じゃなく共同参加みたいになるのでは?
秀吉ですら一歩引いて遠慮するところのあった家康に
秀次では押さえになれんでしょう・・。

天下政務は豊臣家代表・豊臣秀次=五大老筆頭・徳川家康
鶴松というより豊臣宗家の後見として五大老次席前田利家
の三頭政治みたいになるのでは

242 :勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/05/15(日) 22:51:56
その状況だと前田利長も育ってきそう。案外勝負は次世代に持ち越しになるかもね。

243 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/15(日) 23:45:24
実際のところ利長ってどうなんだろ?
保春院が「わたしが江戸にいきましょう」ってことになってるけど。

実は「母さん!頼むから江戸にいってくれ!」って言った可能性もあるかも・・・

244 :イ宅 金青*ぷらっと ◆QqQquqqauQ :2005/05/16(月) 00:20:52
>>243
可能性も何も。行ってこーい!てな勢いだろうに。

245 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/16(月) 00:51:38
利長「母さん!頼むから江戸にいってくれ!」
保春院「えぇ!!これ!母者に対してなんたる言い様!この親不孝者!わたしはいやですよ!」
利長「じゃかあしいわ!おい!おまえら何をやっている?!早よぅ、このババァを縛り上げて籠にブチこんで、江戸の狸に送りつけろや!ボケ!」
保春院「この鬼!鬼畜!助けてぇぇぇ利政ぁー!どこにおるのじゃー!利政ぁぁぁ!」
利長「心配するなよW あの愚弟には『母さんは喜んで旅だったぞ』って伝えておくからよーWWWWWW」





こんなのって残酷です!私には想像もつきません!\(○´)トシナガ!ユルサン!

246 :イ宅 金青*ぷらっと ◆QqQquqqauQ :2005/05/16(月) 00:58:41
長「ぉぃ、ババァ」
松「ぁぃ」
長「江戸ぃっτょ」
松「ゑ?」
長「ぃヶ」
松「ぁぃ」

戦国の女性はそんなもんです。

247 :勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/05/16(月) 00:58:57
なんて事するんだよ。

248 :イ宅 金青*ぷらっと ◆QqQquqqauQ :2005/05/16(月) 01:01:45
長、松、長、松

書いてて秀忠が思い浮かぶのはなぜだ。

249 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/16(月) 01:23:18
たぶん、

松→松阪慶子→メナード化粧品→岩下志麻→おごうの方→西田敏之→秀忠


長→わからん

250 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/16(月) 08:30:10
戦国のスーパーマン、甲賀伊賀忍者を全面的に敵に回した西軍に
勝ち目はない。

251 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/16(月) 14:34:59
秀吉が難癖つけて家康を潰せなかった時点でダメだろ。
家康が関東移封を拒んでれば大義名分が出来て潰せたかもしれんがな。

252 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/16(月) 14:37:35
>>249

>松→松阪慶子→メナード化粧品→岩下志麻

おまい相当オサーンなんだな・・・

253 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/16(月) 18:04:24
しかし、関東に移って100万石加増されたんだよな。三河の地を捨てるのは、つらいが、割りといい条件じゃない?

254 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/16(月) 20:28:06
家康にとって関東移封はメリットだらけのような気がする。
 秀吉の本拠から離れ箱根の険の向こうに位置することで秀吉政権の影響と圧迫を
軽減
 政治的に室町幕府での鎌倉府(関東公方)のような役割を豊臣政権で果たして
政治的立場を向上させる
 豊臣政権の検地での調査が十分に行き届かず隠れ石高も相当あったろう。
 三河以来の前近代的な半農半士の土着型から上方の織豊武士団のような
近代的な軍事編成に衣替えできた。
なにより豊臣政権が国家的プロジェクト朝鮮出兵に全国を総動員した際に
家康は関東移封の余韻が冷めぬのを盾に直接参加を避けえた。
全国の大名が余分な出費で疲弊している最中、関東開発でひとり富強になっていった。

 この点から考えて家康の野望を監視するには、なまじ関東に追いやるのではなく
三河のままで、そのまま朝鮮出兵に動員するのが一番だったかもしれない。
 まあ、その場合誰が関東を治めるのか?という大問題はあったが・・

255 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 00:15:12
>>253
武田から受け継いだ莫大な金山を失ったのが痛い。
家康にとっては減封に等しい。

256 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 00:20:21
武田から受け継いだ莫大な金山?
なにそれ?

257 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 00:29:08
信玄公は100万石以上の収益を上げる金山をもっていたのだよ

258 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 00:29:29
>>256
従来は廃鉱となっていた鉱山も、大久保長安の新しい採掘技術で、
再開発可能になっていた。

259 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 00:36:02
>従来は廃鉱となっていた鉱山も
へぇー、初耳だーね
で、どこよ?そこは

260 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 01:04:00
凡愚にはわからぬ隠し金山があるのだよ

うぬら凡愚の衆は、埋蔵金も見つけきれないであろうが!!


261 :>>259:2005/05/17(火) 06:13:44
氏ね。
無知が。

262 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 07:58:52
>>261
一体何がソースなんだか…

263 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/17(火) 10:27:12
徳川埋蔵金同様、もしそんな莫大な金あったら武田は滅ばすにあと数年は持ったつーの。
信玄の強さは本人の能力の他に『金』の力が相当大きい。
金のおかげで相当無理できた。

264 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 18:39:55
持たなくて滅んだということは莫大な金は無かったということなんじゃないの?

265 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 20:15:42
>>264
莫大な金だけあっても意味はない。精強な兵力と家臣団の結束とか
地の利、周辺国の動向などなど必要事項は多々ある。

 例えば周辺国の動向で武田の最大の失敗は御館の乱での上杉景勝支援
この場合北条縁の上杉景虎を支援しておくべきだった。
 北条上杉武田の血縁同盟があれば織田徳川に対しもうちっと違う展開を
期待できたかもしれない。
まあ北条一族の一部になるにしても滅びるよりはまし

266 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/17(火) 20:36:48
で、その莫大な金はあったのか?ん?

267 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 00:17:59
>>266
黒川金山の最盛期は慶長年間。
黒川金山は武田滅亡後、息を吹き返した。

268 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 03:25:14
>>265
いや、俺が言いたいのは
>徳川埋蔵金同様、もしそんな莫大な金あったら武田は滅ばすにあと数年は持ったつーの
と書いてあるのに、あと数年持たなくて滅んだということは莫大な金は無かったんじゃない?と。
それなのに金の力が大きいというのはどういう事なのかなぁ…と思いまして

269 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 11:59:32
いや、だから信玄時代はけっこう採掘できたが、勝頼期はもう枯渇してたんじゃないか?ってこと。
だから武田隠し埋蔵金というのは、おそらく噂にすぎない。
かりに莫大な埋蔵金があれば武田氏はまだ続いてるっつーの。


270 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/18(水) 13:55:29
墨俣捨て置き事件や豊久奇襲案却下事件がなくても
島津は関ケ原当日、不戦を決め込んでいただろうと疑ってみる。

271 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 19:02:09
戦国時代において金があれば潰れないって理屈もあまり通用しないと思うがね。
まあ、別に埋蔵金があったと言いたいわけではないが。

272 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 20:02:24
黒川金山の最盛期が慶長年代と甲斐国志が書いてるが
発掘すると、永禄年代のものしか見つかっておらず、慶長時代に発掘されたかは疑問視されてますよ

273 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 12:13:43
三成はこの一戦に有金をつぎこんだらしいけど
友軍の糧米、宿屋代とかに消えたのかな。
長束正家の落城時にはしこたま財産があったそうだけど。
今の政治家と同じでやる気があれば金はいくらでも必要。
そうでなきゃいくらでも蓄財できるという雰囲気だったんじゃ?

274 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 12:19:42
利益が大きいからつぎ込むのだろうな。


275 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 18:56:02
まあ三成の場合、万一東軍が勝ったとしたら一巻の終わりなのだから
有り金全部はたいてもおかしくない罠。
もし勝てれば突っ込んだ額の数倍以上のなって帰ってくるわけだし
天下の権力、名誉、富、は無論のこと
戦国最後の巨頭家康を破ったカリスマ
豊臣家の執権としての磐石の立場
一族の栄耀栄華も欲しいままにできるのだから・・


276 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 19:04:43
負けたら終わりだから有り金はたいたが
勝っても次ぎこんだ分だけ返ってくるとは限らない

それが三成クオリティ

277 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 23:43:32
IFの話をするなら、そもそも家康が匿ってくれなかったら三成は怒り狂った七将になぶり殺しにされて
関ヶ原の反乱を起こすこともできなかった
しかも佐和山まで無事に送り届けてくれた命の恩人である家康が留守になったとたんに挙兵した
三成は酷い恩知らず
その三成の命を助けた家康は実に器の大きな人物といえる

278 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 00:02:06
実は襲われて家康邸まで逃げ込んで佐和山まで送ってくれたというのは嘘らすぃ
三成タンは自分で自分の屋敷まで戻ったようですよ

279 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 00:02:23
>>277
釣りとしか思えない考え方だな。
あえて乗ってやるが、家康は狙いはあくまで豊臣家の武官派は吏僚派の「不和」であり
こいつらが力を合わせてしまったら家康としては厄介。
三成はそんな考えを逆手にとって、あえて家康の屋敷に飛び込んだ。
ここで殺したら、それこそ豊臣家の大老で終わってしまう。
しかも家康は豊臣家大老として三成を武官派に引き渡す正当な理由はない。

280 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 01:21:38
>>279
その通りだと思います
ただそれが正しいとすると、つまり三成は本当に余計なことをしたということになりますよね
関ヶ原の戦いなんかを起こさなければ、徳川はあくまでも一大老のままで終わっていたと言えますよね

でもこういうと三成贔屓の人は
あそこで三成が何もしなければみすみす徳川に天下を奪われるのを黙ってみていたことになると言うんですよ
本当に矛盾してます

281 :石田三成:2005/05/20(金) 01:28:15
>>280
それじゃあ、なんですか!わたすが死ねばよかったとですか!


282 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 01:57:11
>>281
ただ死ぬのでは無駄死にだな
家康に助け求めに行った時に、その屋敷の中で死ねばいい
すると、当然世間は家康が殺したと見る
「違う!治部がやってきたと思ったらいきなり勝手に死んだのじゃ!」などと言っても誰も信じないだろう
頼ってきたものを殺したとして家康の評判は地に落ちる

283 :石田三成:2005/05/20(金) 02:01:31
なるぼど!ではさっそく!、ってふ ざ け な い で よ!!
私が死なない方法はないのっ!!

284 :無双ファン ◆.IjycOFqtg :2005/05/20(金) 03:46:24
ねえよ。お前器ちっちぇーもん。
次代を読む先見の明もねえし。お前につきしたがって死んだ大谷とかカワイソ。

285 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 07:39:20
>>280
現にその通りだから、
三成が関ヶ原を起こさなくても結局家康が天下を取った公算が高い。
いずれの場合においても三成という対立軸を残しておいた方が家康にとっては都合がいいからそりゃあ助けるさ。

もっとも、既出だけどこの話自体事実じゃあないと言う説もあるらしいが。

286 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 19:14:09
>>284
無双厨は氏ね

287 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 20:03:13
>>280
関が原がなければ秀吉が織田家を乗っ取って天下を取ったやり口そのままに
上杉・毛利などの有力大名に難癖つけるなり挑発するなりして
屈服させるなり攻め滅ぼすなりして次第に豊臣家の権力を有名無実化→従属化


288 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 21:04:50
>>287
おそらくそうだろうね。
あの時代家康以上の器の人物見当たらないし、結局は今と同じような形になってただろうね。

289 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 21:25:23
>>280
いや三成の判断と先見性は正しかったと思うよ。
あのまま座視していれば
五大老次席の前田家を家臣化し
五大老の上杉を屈服させ天下の大名を動員した実績を作った家康が
毛利、宇喜田を潰すのは必定。名目は簡単、朝鮮出兵後の明、朝鮮との
和睦交渉の難航とかだろ・・なにやら難癖がましいが上杉征伐見ればね・・
毛利宇喜多に朝鮮出兵の際の責任を押し付けて潰し
(実際にあの戦争に主力として参加し政権トップに位置してたの五名中実質あの二名だけ)
その仮定で朝鮮出兵の発言者である豊臣家が関白につけるわけもなく
対外的な国の交渉者として家康を征夷大将軍として政権首班とする。
 あとは史実どおりのコースでしょ。


290 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 21:30:40
>>283
大丈夫です。石田三成殿
あなたの孫は家康様に10万石(だったはず)の大名として明治維新までちゃんと
大名として遇され
徳川家光公の愛妾にもなってますし
曾孫は御三家筆頭の尾張徳川家の正室にもなっております。


291 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 22:27:02
>>290
ごめんシロートで意味わかんね。どういうこと?

292 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 23:03:54
>>291
詳細は三成の系図を調べれば分かるが
例えば青森の大名津軽氏は三成の血筋なのです。
他にも春日局と三成の嫡子重家の関係から
(考えてみれば二人の関係って明智光秀と石田三成の親族の関係なんだよな)
三成の孫娘が春日局の後ろ盾で将軍家光の側室として大奥に嫁いでます。
三成の縁者と言うことも春日局の権勢のまえでは問題ではなくww
生まれた娘家光の娘として尾張徳川家の正室になっております。

293 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 23:09:54
津軽家に子孫がかくまわれて縁戚扱いで明治まで続くんだっけ?

294 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 23:09:56
生まれた娘は当然三成の曾孫(玄孫じゃなかったはず)なので
徳川御三家の筆頭尾張徳川家は石田三成の係累に入るわけです。
ちなみに大河ドラマ徳川吉宗で
尾張徳川家の殿様が自分の正室を○○様と目上呼ばわりしてる場面が出てきますが
あれは正室が三代将軍の娘で五代将軍の姉になるからです。
彼女は三成の曾孫でもあるわけです。

295 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 23:10:51
>>293
確か当主にもなってたと思うが?

296 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 23:13:10
オマエラに惚れた…

297 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/20(金) 23:17:50
そうだったのか。さすがは、くわしい人たちよ・・・

298 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 23:18:25
そんなことよりも大事な疑問は
昭和天皇は豊臣家(それも秀次と淀殿の家系の血を引く末裔だということが皮肉だが)
確かに系図的には昭和天皇は豊臣家の血筋といっておかしくないのだが。
他にも、その系図で言えば維新に貢献した公家三条やら西園寺やらは豊臣家の血筋を引いてるわけだ。
明治維新は逆関が原といわれる所以だな。

系図的にはともかく事実なのやら・・ってスレ違いだなスマソ

299 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 23:20:22
               〈〈〈〈 ヽ            ───────┐
      ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,   〈⊃  }         (|;;;::;:;:;ノ    ● |
    ./"´     ´"γ.   _|___|_        /|;;:;:ノ▽ ▽▽┐ |
    /   ノ ノノノノ./ ヽ |    |    ,,・,_( ┤;:;::ノ     | | <ふんはぁ〜〜〜!!!
   /ノノ ノノノノノ 人ヾ .!|    |  ’,∴ ・ ¨\  └ △△ △┘  \
   彡ノノ .,,,,,   ,,,,, .( 川 |    |  、・∵ ’  |\ 受\      \\
    r |シ/__ヽ./__ヽ !!ゞ.|    |   ,,・,_  |  \信\    | (_) △
    ! | "ヽ-.ノ| |ヽ-ノ ヽ!ノ    /   ’,∴ ・ ¨|    \料\  |
    ヽ{ i ,(r.しn)ヽ ノ}ノ   /  、・∵ ’   |      \払\|         ▽
_ ─ヾヽ/.___U___ |Y//              |    /\  \え |
     ヽ、´ヽ--.ノ` ノ                └──┘  └──┘
      ヽ .'.⌒' ノ くたばれ、コノヤロー!

300 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 23:22:31
津軽信建に嫁いだ三成の娘が信義と信英生んだの?
てっきり松平康元の娘かと思ってたが

301 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 23:25:06
正室は松平康元の娘を家康の養女として迎え入れたが
それ以前に側室?として三成の娘が信義と信英を生んでいたと聞いたが?
実際には松平康元の娘には子供は生まれなかったんじゃぁ?

302 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 23:34:24
信義の母親辰子説はかなりいかがわしい
ttp://www.asahi-net.or.jp/~ia7s-nki/knsh/kita-saga.htm

303 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 23:49:30
高台院が秀明を裏切らせたの?           嫡子も産めないし結局この人だめぽ〜夫より家康かも

304 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/05/21(土) 00:00:33
>>303
幸田医院はたしかに権力闘争が嫌いなイメージは、はたから見てあるが、
やはりどー考えても、禁じ手(密通)を犯してまで秀頼を生んだ淀の事を気に入るはずもない。


305 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 01:41:56
秀頼が淀殿の密通でできた子供であるとする確証はあるの?
大野修理の子供だとか石田三成の子供だとかいう噂があるのは知ってるが、
さしたる証拠もなしにいかにも事実のように語られると気分が悪いね


306 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 02:27:07
>>305
確証がなくても確率の問題だろ?
元バスケットプレイヤーのマジックジョンソンが
「私は延べ一万人の女性と交わった」といっていた。
むろん誇張だろうがあのスタープレイヤーなら延べ数千は交わっただろう。
天下人秀吉は云うに及ばず。へたすれば延べ一万人で効くかどうか。
かりに一万回セックスしたとして、懐妊したのが淀ただひとりとはどういうわけであろう。それも信長の姪という偶然。
「一万分の一にあたっただけ」
と反論するかもしれないが鶴松と拾の二人産んでだぞ!
一万分の一の確率が二連チャンしたわけだ。つまり、
10000×10000=一億分の一の奇跡が織田信長の姪という格式の高い娘に大当たりしたんだよ。
一億分の一の確率に当たっただけと反論するなら、仕方ないが、ひねくれてるとしか思えない。

307 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 02:45:00
秀吉には子種が無いと考えるのが極めて普通
信長や家康に何人子供がいたか、比べてみれば明らかな話

308 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 04:31:29
秀吉には鶴松・秀頼以前にも秀勝という実子がいたわけだが(他にも娘の存在が確認されている)
「懐妊したのが淀ただひとり」と思ってるなら勉強不足

309 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 04:43:45
信長って秀吉や家康ほど好色なイメージないけどなにげに子沢山だよな…


310 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 04:48:49
秀吉が種無しだっただけ

>>308
そんなの勉強以前にこの板の過去スレだけでウンザリするほど出てる
とにかく>>305みたいに豊臣に変に感情移入する奴のせいでスレがつまらなくなる
なんなんだよ”気分が悪い”って・・・関係者でもあるまいに

311 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 10:37:35
秀吉って側室コレクションをしているだけで、案外セックスレスだった
のかも。

312 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 11:16:20
秀吉が側室を増殖し始めたのは山崎以降だぞ
それまではメチャ少ない

313 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 11:54:01
おねとの間に子が無かったのは
種が悪いのか畑が悪いのか
それともセックスレスなのか・・・

314 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 12:14:45
>>313
おまえは百のソフトのうち一つだけ起動しないからってハードを修理に出すか。普通、そのソフト(精子)の不具合を疑うだろ?

315 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 12:30:44
      ||||
     ( ´Д` )  VIPに投票おながいします
     /     ヽ  マジで今狼に負けてやばい状況です
     し、__X__,ノJ

      /´⌒⌒ヽ  もう2度と突撃なんてしません
    l⌒    ⌒l  この通りです ぜひおながいします
   ⊂ (   ) ⊃ 負けたらこの板荒らします
     ||||

316 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 16:57:58
まあ、秀頼が秀吉の子ではないと言い切るのは問題だと思うけど、
確率的にかなりその可能性は高いと判断してもよさそうな気はする。

全ての実子が3人なのか4人なのか詳しくは知らないが、
かなりの数の側室を抱えながら長いこと子が出来ずにいたのに、
50を過ぎた頃にいきなり続けざまに同じ女が2人も子をなすというのは、
ちょっと不自然だと思うから。

317 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 18:52:48
秀吉はアナル好きだったんだよ
中田氏を滅多にしなかったんです


318 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 19:11:40
>>317
それにしたって名うての衆道家である信長の方が上

319 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 19:24:51
バカだなぁ
秀吉は女のアナル好き
信長は男のアナル好き


320 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 19:27:04
アナリスト

321 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 19:58:14
まあ確実に言える事は関が原で西軍が勝っていた場合
豊臣秀頼は江戸幕府11代将軍家斉化することを強いられるのは避けられなかっただろうということ。
 豊臣家が天下の主のままだとしたら豊臣秀頼という御神輿は君臨すれどもお飾り
しかも毛利や上杉、宇喜多と言った大身の家臣に遠慮せざるを得ないだろうし
奥向きでの子作りを強いられるだけの生活に・・
大量の子女をめぼしい有力公家諸侯に縁組させて豊臣家一門の係累を磐石にすることを
強いられるわけで・・
 

322 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 20:09:20
秀頼は良くて足利義晴、悪くて楚の懐王

323 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 21:03:47
秀長も子供いないよな?
兄貴ほど女好きじゃなかったとしても、兄弟そろって子種が少なかったのかもな



324 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 10:14:57
秀吉の妹も子がなかった。









秀吉の姉は子が多数いた。

325 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 22:08:39
多数ってほどでもないづらよ
まあ母系のはなしだと大政所は4人兄弟生んでるわけで

326 :イ宅 金青*ぷらっと ◆QqQquqqauQ :2005/05/22(日) 23:10:53
大政所に問題があるなら
福島正則の家系にも異変が現れるはずなんだけど。

327 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 23:15:28
>>325
福島正則も、年を取るまで子供が出来なかったので、養子を取っている
だろ。福島正之。
福島正之は後に福島正則に手打ちにされているが、家康の義理の娘婿
なので徳川贔屓だったのが原因とも、正則が実子を世継ぎにしたかった
為とも云われている。

328 :イ宅 金青*ぷらっと ◆QqQquqqauQ :2005/05/22(日) 23:22:17
>>327
晩年にしか子供のできない家系という結論になるのかね。

329 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 14:28:41

西軍が勝っていた場合は今でも大坂が首都です。


330 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/06/03(金) 14:31:03
あったんだこのスレ。

331 :ο丁児 ◆71izTCnSlI :2005/06/05(日) 22:59:40
関ケ原の合戦の折り、三成は「ああ、あの時、素直に太閤殿下から百万石を拝領しておけば」と自らの身代の低さを嘆いていたというが、もし西軍が勝っていたら今度こそ百万石の大名になっていたのでは?

まさか二十万石から・・・無理とみる向きがあるが、決して難しいことではないと思われる。
秀吉も長浜城主から一躍天下六十余州を獲った。
西軍の総大将は輝元であるが、実質の総大将、旗揚げした首謀者は三成であることはみな周知の事実。
逆賊・家康を負かした大忠臣、ということになり声望は上がることは間違いない。
宇喜多、上杉、豊臣家(淀)などを始め、三成の加増をあと押しする味方もいる。
なにせ天下の半分の知行を振り分けるわけだから、大功労者の三成が百万石程度もらってもおかしくない。

332 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 23:54:36
家康のくびを獲らなきゃね。

333 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 22:48:20
 そうだな近江に石田三成は百万石の身代、大谷は越前に60万石くらい
加賀には西軍の前田利政を据えて
信濃には真田昌幸あり
おそらく岡山の宇喜多は関が原の戦後には関東を恩賞とかどこぞで読んだが
実際は尾張美濃とかあたりに100万石くらいに据えられ
 空いた岡山には豊臣姓に復した秀秋以下木下一門で固め
豊臣一門の藩屏を固めるのが第一

 あとは秀康秀忠とかに徳川の名跡は許し関東を豊臣家の直轄し
て運営する地ならし・・かな?


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