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街亭で馬謖の作戦が上手くいかなかった理由

1 :馬謖:2005/05/19(木) 00:55:29
なんで逆落としできなかったんだよ
天蕩山じゃ上手くいったじゃん
なんで駄目なのかさっぱりわかんねーよ
うわ、なんか丞将むちゃくちゃ怒ってるよ、どうしよう

2 :錦馬超:2005/05/19(木) 01:00:34
たしかに兵法って俺達にはわかりかねる部分があるよな。

敵軍が逃げたときに、追撃して成功する例と失敗する例があるけど、
どういうときに成功して、どういうときに失敗するのかがわかりにくい

逆落としも同様だし、川を半ば渡ってるときに攻撃しないのはなんで?

長旅で疲れてる軍勢に夜討ちを仕掛けるのは常套手段って言ってたけど、
毎回夜討ちしかけてるわけじゃないしね。

3 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 01:04:39
夜討に関しては、『日本外史』の『諸将服信玄』の上杉謙信のように
夜討をさそってやってきた敵を倒すという策もありますし、
暗闇の中を攻めこむと言うのはなかなか難しいのでは・・・?

4 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 01:05:28
相手が疲れていても自分がもっと疲れていれば、攻撃しないだろう

5 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 01:14:38
街亭の山頂には水源がなかった。
街亭は守りに力を発揮する地形。
相手は歴戦の張コウ。

6 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 01:16:46
馬謖も実戦経験を沢山つめば名将になったんだろうな。


7 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 01:24:55
実戦経験がほとんど無いのに指揮官になったのが間違い

8 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 01:27:56
>>7だな。まだ王平が指揮官の方が100倍いいよ。

9 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 01:28:36
孔明が劉備の助言を聞かなかったのが悪い

10 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 01:30:11
魏延最強

11 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 01:31:16
横山三国志どおりのマジレスが一通り出たことだし、終了にしとけ。

12 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 01:34:44
劉備はまだ実践経験が浅かったから馬謖を用いるなと言ったのかな
それともこんな奴役に立たないというニュアンスがあったのかな

13 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 01:36:24
終了でも良いんだが、普通に街道を守ってればどうなったんだ?

14 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 02:33:39
奇策に走らず、剣閣での姜維並の覚悟で死守しようとしたならば守り切れたんじゃないかな。
もちろん、他の戦線の状況にもよるけどね。

15 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 02:46:20
>>13
街道を守ってたら張郃にボコボコにやられていたと思われ。
平地での会戦では勝てないでしょう。

>>14
微妙だろ。一番痛かったのは水が得られない地形で持久戦やったこと。
援軍が来るなら別だが、蜀軍にその余裕が無いのは奴が一番よく知ってた
はずだし。それでもやったなら死罪も当然だな。

16 :錦馬超:2005/05/19(木) 03:32:31
馬食だって兵法を一通りは心得ているはずなのに、なんで山頂に陣を布いたのか

馬食の目からは

  水源を断たれるデメリット < 戦術上のメリット

とうつったはずなんだが、なんぞや、と

馬食が馬鹿だからって話になると終了なんだが、仮にも諸葛孔明が任せたのは
馬食がただの馬鹿だとは思っていなかったからであろうし、
小生にはわかりかねます

持久戦に関してもよくわからないところがあるんですが、
参謀役が「関にこもって応援を待ちましょう」と言ったら、
将軍が「守って守れるものでもない、打って出よう」というシーンが多く見受けられますが、
打って出るメリットは?もう、兵法わからんちんですたい

17 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 03:41:36
>>16
俺も詳しいわけではないが・・・

>水源を断たれるデメリット < 戦術上のメリット

短期決戦なら逆落としは有効な戦術って事だろ。基本的に蜀軍は寡兵だから
上手く魏軍を挑発して撃退しようとしたと思われw
ま、机上の空論で勝った気でいたんだろうね。

>打って出るメリットは?

乱戦なら敵将が間違って討死って事が有り得るからと思われ。
流れ矢で死ぬって話よく聞くだろ?

18 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 03:44:43
演義での話だが
逆落としで相手に大ダメージを与えても
防衛線だから陣地に戻るために結局また山を登らなきゃいけない。
そこを攻撃されて
相手より、より大きなダメージを受けてしまったとある。

なかなか感慨深い。



19 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 03:48:28
>守って守れるものでもない、打って出よう

打って出ると士気が上がる。
用兵が相手より上手なら有利に戦える。
玉砕戦法 ( 体面を取る ) 。

>流れ矢で死ぬって話よく聞くだろ?
矢が届く所で指揮なんてしないでしょ…
指揮官は大抵、中軍にいるはず。

20 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 03:51:48
>>19
狭隘地の関なら分からんぞ。ま、んな事言ってても最終的には
玉砕戦術なんだけどね。

21 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 03:52:34
持久戦は兵士の指揮が下がるといわれているが
俺にはその気持ちがよくわからん…
安全な所から攻撃なんて最高じゃないか。
それとも手柄の立てようがないから出世欲が失われるのであろうか。

打って出るといっても正面からの攻撃ではなくて
敵の側面を突く奇襲戦法がほとんどのはず

というか篭城しないであえて打って出て戦果を上げるパターンというのは
それしかしらない

22 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 03:59:14
三十六計逃げるが勝ち!という言葉を知っているか
三十六計というのは基本的な36の兵法をまとめたものだ。

ここで自分が不利な状況の時に採用すべき6計を紹介しよう

美人計  美人で相手を油断させる       曹操が美人にうつつを抜かして負けたはず
空城計  ありえないことをして相手を驚かせる  孔明がシバイにやったはず
反間計  敵のスパイを仲間にする        さいか、さいちゅうあたり
苦肉計  肉を切らせて骨をたつ。       こうがいのアレ
連環計  敵をほんろうする。         文字通りアレ
走為上  逃げるが勝ち。           夜逃げ最高

23 :錦馬超:2005/05/19(木) 04:59:04
深夜にもかかわらずレスありがとうございます

みなさんのあたたかい解説にもかかわらず兵法とは謎ばかりですね

空城なんていい例ですよ
もし城の門が開け放たれていて、ガラーンとしてる、と
孔明がひとりで悦に浸って琴なんぞひいてるぞ、と

うーん、不気味ですね 不気味ですが…

芝居「むむ、これは空城の計か いや、しかし、諸葛孔明がそのような賭けにでるとは…
   (その辺の兵卒に)おい、そこのお前、ちょっと見てまいれ」

ってならないのが不思議

24 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 05:08:09
つまりシバイは
そんなことしてる間に
敵の攻撃が迫っているかもしれないと咄嗟に判断し
退却したわけですね

これならもし自分の見当違いでも被害を最小限に抑えられます

将に必要なのは迅速な判断です

25 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 05:09:45
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と
好意的に解釈してあげてください

所詮は物語です

26 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 05:10:53
>このとき同じく敗退した高翔はそれ以後も重用されており、馬謖が殺されたのは
>敗戦の責を問われたものでなく、諸葛亮の言い付けに背いたからだと分かる。
>しかし命令違背が馬謖の判断によるならば配下の張休らが処刑された理由が
>説明できない。おそらく違背の主犯は張休らであり、馬謖はそれを制止する立場に
>ありながらそうしなかった監督責任を問われたのではないだろうか。

と、某むじんサイトで考察されとる。
でも兵法に溺れた馬謖が歴戦の張郃に敗れたという演義的な解釈ならともかく、
部下を統率できなかったが故に敗れ、また処罰されたというのでは山頂布陣が意味不明。

そこで、ひとつ妄想を。
部下の将軍が二人も処刑された上に、その統率者までもが極刑を受けるというのはどういうことか。
これは、部下の二将の罪がその統率者をも死罪に処さねばならないほどの重罪だったということではないか。
それほどの罪となると、おそらくは背反。命令違背といった程度のことではなく、反乱に近いものであったと考えられる。
ただしこの背反はあくまで蜀国内の政治向きのことであって、唐突に魏に降るという類のものではない。
具体的には、独裁制を敷く丞相諸葛亮の指図を受けまいとする諸将(おそらく益州閥)の動きであった。
馬謖が街亭城を捨てたというのは、諸葛亮に背いた将軍たちに街亭城を占拠されてしまったため。
したがって諸葛亮子飼いの馬謖は前線にあって孤立するという憂き目を見、山頂に布陣せざるを得なくなる。
そんな事態にあってもなお彼の下に残ったのは、魏からの投降者で政争に関わりようもない王平ただ一人だけ。
やがて混乱状態のまま張郃に打ち破られると、指揮系統の定かならぬ蜀軍は四散し、王平の部隊だけが機能し得た。

27 :26:2005/05/19(木) 05:11:54
某ニセクロサイトでは馬謖の背反であったかもしれないと匂わせているが、それだと後の馬謖の言などが奇妙に思える。
むしろ前線で背反事件が起こるとすれば、魏延や呉懿を差し置いて子飼いの馬謖を抜擢した諸葛亮に対してであったはず。
抜擢された馬謖はオヤビン諸葛亮に背く必要もないが、その配下の諸将には十分に火種があったということ。(王平にはない)
馬謖の処刑に難癖をつけた者のうち、益州閥の李バクは失脚し、荊州閥の蒋エンはお咎めなしというのも、こういう事情なら不思議ではない。
同じく荊州閥の向朗が投獄された馬謖を逃がしたという話もあるし、李バクは後に諸葛亮を誹謗して処刑されている。

あくまで根拠のない妄想だが、奇怪な大敗と行き過ぎた重罰について、馬謖がバカで孔明はテンパっただけだ、と済ますのではつまらんと思う。

28 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 05:31:07
別に演義ベースでいいじゃん

29 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 06:12:14
>>24
三十六計の一番最後のやつだな

30 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 07:16:45
三国志の時代に、敗戦の将が処刑されたのはよくあることなんですか?
この、泣いて馬謖を斬ると、
劉備が関羽の援軍に間に合わなかった人たちを斬ったのと
くらいしか思い浮かばなくて…。
(蜀軍ばっか)
あとは魏でウキンがいじめ殺されたくらい…?

31 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 07:28:19
>>26、27
その文章を読んで思ったのは、
諸葛亮が自分のために馬謖を処刑したんだろうなってこと。

>魏延や呉懿を差し置いて子飼いの馬謖を抜擢した
だったら、責任は諸葛亮が取らなくてはいけない。
諸葛亮に対して反乱が起こるような雰囲気であれば、
風当たりはかなり強そう。
そこで、馬謖をスケープゴートに仕立てて矛先をかわす。
(この場合、命令違反は本当か嘘かはどうでもいい)

>馬謖の処刑に難癖をつけた者のうち、益州閥の李バクは失脚し、荊州閥の蒋エンはお咎めなし
これも、難癖の理由が的を射ている方がとがめられたのかも。


32 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 08:12:35
「カク〜」を冠する武将は名将しかいない!!


「カクカ」曹操に郭嘉さえいれば赤壁の戦いはなかったと言わしめた。
「カクワイ」夏侯覇や姜維を圧倒。
「カクト」袁紹配下の知将
「カクシ」ミニ董卓
「カクショウ」孔明相手に一歩も引かず
「カク」曹操を圧倒

うーん、すご過ぎる法則を発見してしまった。
「カク〜」という名前の武将を見かけたら逃げたほうがいい。
「カク〜」は外れ無しに名称だ!
夏侯姓なんて結構ヘタレいるし。

33 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 09:11:25
>>26-27
根拠がなさすぎて支持はできないが歴史への妄想としては面白い

34 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 10:35:09
>>32
郭靖

35 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 15:43:01
ミニ董卓って名将なの?


36 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 16:24:13
歴史への妄想といえば、当時の情報伝達手段はかなり不十分だから、
諸葛亮まで街亭の実態へ伝わらなかったかも。孔明も机で街亭で陣を展開すれば、
何とか一時は持つだろうと予想したが、実際街亭に行ったのは馬謖だろう。
そこで馬謖はその場で街亭の防御状況は予想よりずっと脆いと判断して、
やむを得なく山に退避してしまった。まあ、結局負けたけど全滅を逃れた。

ただ、いずれにしても孔明の軍令に違反して、敗戦を招いた。いろいろ政治闘争
の結果として犠牲になってしまった。
これも妄想としてありえるだろう。

37 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 16:46:32
「防御するにはこちらが余りにも弱過ぎたので、余は攻撃した」
南北戦争の南軍司令官、リー将軍の言葉

38 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 17:44:44
22を読んだら、
今核兵器を作っているところという、かの国が思い浮かんだ。
やっぱり不利な状況ってことなんだろうな。

39 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 19:16:39
>>30
敗戦の将が処刑されたという話にはあまり覚えがない。

とりあえずは関羽を救援せず、孟達を離反させてしまった劉封。
しかしこれ、内実は諸葛亮の進言によって後顧の憂いを断たれただけ。つまり政争の一環。

次に朱桓の子、朱異。
朱異はかなりの名将で、諸葛誕の乱に際してほとんど孤軍奮闘していたが、
孫チンチンの命令を拒否したために処刑された。これも敗戦が原因ではなく違背による処刑。

そして孫晧の時代に交趾奪還二方面軍の一方を担った李ボウ。
荊州から陸路で交趾に向かった虞翻の子・虞らは交趾奪還作戦を成功させたが、
建安から海路を取った李ボウらは行程が険しすぎたようで、途中で軍を返した。
帰還した李ボウは勝手に軍を返した罪を問われ、一族皆殺しの目に遭った。

袁紹の将・麹義の誅殺も、一応は易京包囲の敗戦責任を問われるという形だったかもしれない。

あとは夏侯淵の戦死に責任があったためか、曹操に嫌われて于禁の下につけられたという朱霊。
「包囲されてから降服した者は許さない」といって昌キを処刑しておきながら、自分は関羽に命乞いした于禁。
これらは処刑こそされていないが、敗戦によって主君に疎んじられたクチかと思われる。

もっと探せば出てくるかもしれないが(特に後漢末)、少なくとも敗戦で処刑というのは一般的ではない。
劉封・麹義は政争の犠牲者、朱異・李ボウは命令違反(おまけにトップが超DQN)。

してみると「馬謖は敗戦の責任を取って処刑された」というのはかなり異常な事態といえるかもしれない。
勝敗は兵家の常というし。

ただ、呉主伝注に、
是歳將軍テキ丹叛如魏.權恐諸將畏罪而亡,乃下令曰:「自今諸將有重罪三,然後議.」
とある。
部将が失策の責任を問われるのを恐れて魏に亡命することがあるので、ミスは三回までOKということにした、と。
こんなのを見ると、敗戦責任を問われて処刑されることも少なくはなかったのかなぁという気もする。

40 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 19:59:45
>>39
くわしくありがとうございます。
敗戦に関して何か重大なミスがあれば、
処刑まではいかなくても、なんらかの罰はありそうですね。
でも3ストライクでアウト! はかなりつらそう。

で、やはり馬謖は異例なんですね。
まぁ、ことわざになるくらいですし…。
政変系なんでしょうか。


41 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 20:12:04
>>31
李バクと蒋エンの言っていることは同じ。
楚の将軍・子玉の故事に喩えているところまで同じ。
ただし、李バクは馬謖が処刑される前にこれを止めようとして諌め、
蒋エンは馬謖の死後になってそのことを非難したという違いがある。

ところで李バクと蒋エンの二人は、出身こそ益州と荊州の違いがあるものの、
劉備の機嫌を損ねたところを諸葛亮に助けられたという経歴が同じだったりする。

42 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 21:02:54
>蒋エンは馬謖の死後になってそのことを非難

これはリバクの処刑後? 処刑前?

43 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 21:14:51
>>42
李バクが処刑されたのは孔明死後だぞ。聞くまでも無い事だろう

44 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 21:25:48
李バクは馬謖に関する諫言で処刑されたわけじゃない。丞相参軍を外されて蜀に帰国させられただけ。
諸葛亮が死んだとき、「諸葛亮には帝位簒奪の野望があった」とか上表したために、怒った劉禅に殺された。
劉禅は心から諸葛亮を信頼していた、という美談として取り上げられたりする。

裴松之は李バクについて「超空気読めないヤツ」というような評を下している。

45 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 22:11:05
じゃあそもそも、リバク処刑は馬謖にカンケーないのでは

46 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 22:15:32
李バク失脚といってる人はいるが、処刑といってる人はいないな
丞相府から追い出されるってのは当時の蜀漢ではかなり左遷ぽいかも

47 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 22:21:13
しかし李バクってのは空気の読めない奴だな。
劉備を怒らせ、諸葛亮を怒らせ、劉禅も怒らせて終いには死んじまうんだからな。

48 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 23:39:58
海のリバク

49 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 00:06:42
読めないのは相手の力ではなく場の空気か

50 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 01:53:44
馬謖が実直だったらなあ・・・蜀好きの俺には耐えられん。

51 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 02:01:49
蜀好きだけど馬謖は別に嫌いではないな
相手が張郃では諸葛亮の指示通りに戦ってたとしても勝てるかどうかわからんし
諸葛亮を責めるわけではないが、なんであの局面で馬謖に大将任命したのかの方が不思議だ

52 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 02:52:01
馬謖は古の名将の必勝の策を使い、勝ったつもりでいたのだろうが…
古の名将の必勝の策とは彼らの声望によるところが大きい。

戦にセオリーは有っても、それを行えば勝てる策などない。まさに生兵法!!


53 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 03:29:39
そもそも、逆落としをするな! と諸葛亮が言ったのは本当ですか

54 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 05:50:18
>>53
三国志演義では街亭は砦のない平地だったが
正史では、街亭には砦があり
諸葛亮は、蜀の本隊が到着するまで
街亭の砦を魏軍から死守せよと命じた
だが馬謖は、砦を放棄して山に陣を置いたため
水道のある砦を魏に占拠され、米を炊く事が出来なくなった
これに関しては、馬謖が決めた事ではなく
部下が勝手に暴走して、馬謖はその部下に強く意見する事が出来ず
その部下の言いなりになってしまったという説もあるが
どちらにせよ、王平の忠告を無視したのと
王平のおかげで魏兵の追撃を免れたのは確か

ショウエン、李バクが馬謖の処刑に反対したのは
"馬謖は罪を犯したが、活かして育てておけばモノになるかもしれないのに
 もったいない"とする趣旨の主張であり
街亭敗戦の責任が馬謖にあるという意見自体を疑う発言はしておらず
参軍した将の中に馬謖の責任を弁護する者がおらず、馬謖自身が一度逃亡してる所からも
馬謖のせいで負けたという空気が、軍全体に流れていたのだと思う

もちろん馬謖に大任を任せた諸葛亮にも責任はあるが
諸葛亮の目に見える範囲では、馬謖は非常に有能だったので
馬謖が街亭で失態するとは予測出来なかったんだろう
馬謖が自分の能力を自覚していれば、任命された時辞退する事も出来たが
どっちも結果論のレベルでしかない。

55 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 06:22:20
妄想シリーズ
街亭に到着した馬謖は張郃の軍勢と布陣を一目見て「平地に陣取っても負ける」と
想像した。ここで負けると結果として街亭も蜀の野望もご破算になり、抜擢した孔
明師匠に全責任がかかってしまう。
そのくらいならば自分が突出したことにして孔明が浴びる批判を避けることが蜀の
将来には不可欠ではなかろうか。
逆落としをすればあるいは大勝利を得るかもしれず、勝利すればその栄誉もまた孔
明のものになる。
「よって私は山上に陣を構える!」

56 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 07:17:41
あの超エライ諸葛亮先生に期待されてたら、
そりゃー自分の能力を過信するでしょ。
しかも歴戦の勇者に「策」で勝つ。
諸葛亮先生にさらに絶賛される自分を想像して
うっとりしてたと思うよ。

57 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 08:14:42
>>54
ただし十万の軍兵が馬謖を悼んで涙を流したともある。

それにしても、降将で文盲で性格も偏狭であったとされる王平の助言を馬謖が聞き入れるわきゃない。
諸葛亮が王平を高く評価して、実戦経験に乏しい馬謖を補佐させたというならともかく、そんな気配もない。
王平が優秀な軍人だったのはまさに拾い物の発見であって、馬謖との対比はかなり結果論くさい。
これは馬謖を責めるべき点じゃないと思う。

劉備が高く評価して後に蜀の各方面軍を担った人材に鄧芝・馬忠がいるが、
第一次北伐時にはそれぞれ趙雲、諸葛亮に付けられており、いまいち重用されてない。
これ以降、鄧芝が東方、馬忠が南方、王平が北方を統率していくことになるが、
どうもこの時まで諸葛亮は軍事における将帥の価値というものを理解してなかったっぽい。
見事な撤退を成し遂げた趙雲隊について鄧芝に尋ねていることからもそれがわかる。

たぶん馬謖の処刑は、敗戦責任という以上に、諸葛亮の路線変更という意味合いが強かったんじゃないだろうか。
諸葛亮はそれまで、エリートに叩き上げをつけるという采配を取ってきた。これは軍師中郎将、軍師将軍という
経歴を辿ってきた諸葛亮なりの構想であり、また変わり者を嫌う諸葛亮の人材嗜好が反映されたものでもあった。
それに劉備の漢中戦時にはゴロゴロ転がっていた乱世の猛将が北伐時にはほとんど失われていたこともある。
しかし街亭以後は一転して、アクの強い叩き上げを重んじるようになる。その皮切りが馬謖の処刑。

蒋エン、李バクはそういう意味では諸葛亮の真意を読めず、的外れなことを言っているといえるかもしれない。
諸葛亮にしてみれば、馬謖や馬謖タイプの才子肌の人材はもう二度と重んじないつもりであったから。
特に李バクの挙げた百里孟明は、晋の先軫に連戦連敗しながら名将に成長していった秦の将軍だが、
小国の蜀漢にそんな余裕はなかったし、また諸葛亮には秦の穆公のような度量を見せることも出来なかった。
(才能や性格の問題ではなくて、人臣にすぎない諸葛亮にとって立場的にやってはならないことだった)

58 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 19:45:04
>>57
一箇所だけ。
「降将で文盲で性格も偏狭であったとされる王平の助言を馬謖が聞き入れるわきゃない」
つまり、感情論で部下の進言を却下したと。そして、その進言どおりに事態は推移して
破れたと。それじゃあとても弁護はできないぞ。

59 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/20(金) 21:34:08
>>57
お前は何を言っているんだ。

60 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 00:55:44
>>58
馬謖でなくても聞き入れないだろ
そりゃ感情論じゃなくて常識の範疇
もし王平の意見を聞いて失敗した場合は、
「なんでいいとこ一つもない人の意見を聞いたの?」
ということになるな

61 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 01:00:59
>>57
確かに孔明は馬謖の失敗を繰り返してないな
魏延を単独で使うようにもなったし
魏は曹休が街亭以上の失敗をやっちゃってる

62 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 02:48:02
なんか歪んだ発想になってるな。
ちょっと一から考え直してみてくれないか?
馬謖は大将。王平は部隊長。それ以上でもそれ以下でもない。
誰の意見に従う従わないじゃなくて、
馬謖は大将として、彼自身の最終決定として戦術上の正しい判断をする義務があった。
当然、そのためには必要な情報を集め、部下の意見も聞くべきだった。
そこまではいいよな?

で、>>58>>60は王平の将としての資質だけあげつらって
「王平は将才がないから、何を意見しても一切聞き入れないのが当然で、無視した馬謖に非はない」と決め付けてるけど
王平みたいな叩き上げの部下がいて、
彼の現場経験に基づく意見を考慮しなかったために戦術上のミスが生じたとすれば、
当然大将たる馬謖が責められるべきでないのか?
何か間違ったこと発言してるかね?

63 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 03:03:07
も一つ追加
繰り返すようで申し訳ないが
部隊長は進言するだけ、最終決定権は大将にあるわけで。
極論すれば、王平が無能で偏屈でサディストで精神錯乱で性犯罪者だとしたとしても
戦術上正しい意見をすればそれを考慮するのが大将の責任。
もし進言の内容の是非をロクに検討しないで、
進言した人間の人間性だけで却下したのなら、大将が責められるべきなのが当然。
…てなことを>>59は言いたかったと思うんだが
>>60は相変わらず王平の将才だけにこだわってるようだ

64 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 03:14:49
その大将が、死ななきゃつぐなえないミスをしたら、
大将を任命した人も責任取らないとおかしくない?
現場のミスで社長引責退任みたいなの

65 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 03:44:40
>>62、63が何を言ってるのか解らないのは俺だけか?


66 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 04:22:35
>>62
王平は将才あるっての。
ただし性格が悪い上に無学文盲、おまけに当時は蜀将として実績があるわけではなかった。
そういう人間は進言を聞き入れてもらえなくても仕方ない。
そういう人間の進言を聞き入れない大将は、無能というよりは凡庸と評すべきなのよ。

そこをあえて聞き入れられれば確かに有能な人物といえる。
たとえば品行の修まらない郭嘉をとことんまで重用した曹操は凄い。
これに対して郭嘉を弾劾した陳羣に国家の戦略を損なおうとした罪を問えるか?
もちろん曹操はそんなことはしない。郭嘉が批判されるのは当たり前のことだったから。
むしろ寵臣であっても不品行であれば弾劾するという陳羣の姿勢をこそ、曹操は評価している。
また、周瑜は元DQNの呂蒙を重んじ、その進言を度々採用した。まさに名将といえる。
しかし魯粛はそれでもまだ呂蒙を軽んじていた。魯粛は狭量と言えるだろうか?
夏侯尚は智謀に優れていたが杜襲は軽蔑した。これも主に品行の故ではなかったか?
劉表は元超DQNの甘寧を軽んじ、黄祖もまた同じようにした。このことも単純に責められるか?
当時の儒教社会にあって、進言の内容だけを見るというのはそれ自体が異質な思想であり才能だった。
だからこそ曹操、劉備、孫権の人材運用は素晴らしかったといえるわけだ。
>>57で長々と述べているのは、諸葛亮が第一次北伐の失敗以後、
「偏屈でサディストで精神錯乱で性犯罪者だとしたとしても」という発想をするようになったということ。
「無能」は入らないな。当たり前のことだが。

67 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 04:26:18
さらに言えば。
劉備を攻めた夏候惇と李典、赤壁前の曹操と賈詡、第四次北伐での司馬懿と張郃、
いずれも大将が参謀ないしは副将の意見を聞き入れずに失策を犯した例だ。他にもこの手の話はいくらもあり、
呉の鍾離牧はおよそ進言は入れられまいとグチをこぼしているし、孔明自身も魏延の建策を却下している。
参謀や副将には予備プランを用意して進言する責務があるが、それが入れられるかどうかは場合によりけり。
しかも李典や張郃は武人でありながら儒学を重んじ名声を得ていた人々であり、それまでの功績も多大。
おまけに王平のごとき一部将というのではなく、進言を責務とする地位についている。それでも入れられなかった。
戦略・戦術上の進言というのは、そういう性質のものなのだ。

>>63は「戦術上正しい意見」と言っているが、それが正しいかどうか判れば苦労はしない。
したがって、「無能で偏屈でサディストで精神錯乱で性犯罪者」という人間をエリートの参謀としてつける上司は大バカ。
もちろん諸葛亮はそんな大バカじゃないから、副将・参謀という意味合いで馬謖に王平をつけたわけじゃなかろう。
おそらくは自分の立案した大戦略を予定通りに行うためのプチ諸葛亮として馬謖を先鋒としたのであって、
王平はあくまで部隊長にすぎず(事実1000人しか率いてない)、彼だけが馬謖を諌めたのは、采配上は偶然でしかない。

>>64
諸葛亮は自分でも責任を取って、派手に降格してる。

68 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 04:57:25
何か、みんな燃えてんな。馬謖は燃料樽だったのか・・・。

69 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 06:25:50
最初から、馬謖がよほど無能に見える男であったら…
いや確かに馬謖には、才能はあった
辿った運命によっては、経験を積み、自戒し
名将になれたかもしれなかった
だが馬謖は、自惚れている割に経験がなく
そして彼の成長を待つ時間の余裕がないのが不幸であった
馬謖に才能があったのは確かで、諸葛亮はその才能を見抜き
愛していた
だがその才能のため、諸葛亮は大任を任せてしまい
自分の能力を過信した馬謖も、それが出来ると思って快く引き受けてしまった

70 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 07:01:53
まあ、部下が失策を犯したとき上司に責任が追及されるのは社会の常識ってことだけは確かだ

71 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 10:21:48
馬謖好きって意外と多いんだな。


72 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 10:41:35
だからこそ十万の軍兵が涙したんだよ

73 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 10:57:52
嬉し泣き

74 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 13:05:26
好きなわけじゃないんだよ。むしろ嫌い。
でも、戦術ミスで大敗した将軍は他にもいっぱいいるのに、
なぜか馬謖だけ問答無用でカス扱いなのが嫌なんだよ。

75 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 15:53:55
劉備が配下に婉曲ながらダメ出ししたほぼ唯一の武将なだけに、この歴史の評価は
仕方ないねぇ。

76 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 17:51:56
劉備が、口先だけの男だと評価したのも
諸葛亮が才能を評価したのも
どっちも間違ってはいなかったんだろう
才能はあるが自分を過信しているという
微妙な位置にあったのは間違いない

77 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 18:15:28
そもそも先鋒に向いてないし、才能があったとしても張コウほどなわけがない。
第一次北伐で前線指揮官として使える手ゴマは三つ。趙雲、魏延、呉懿。
趙雲は曹真の本隊を引き付けるのに打ってつけの人材だから陽動に用いる。
残りは魏延と呉懿。孔明以外は全員そのように具申した。
孔明はなんで馬謖にしたんだろう?

78 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 18:37:40
それに関しては、>>57にそれっぽい解釈が載ってる

79 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 04:28:15
責任なすりつけられて殺られたんだよな。
たぶん孔明は派閥争いの件(ケイ州組・益州組・武官派)から自勢力の馬鹿を使ったんだが失敗。
素直に反骨使えばいいだろう。

80 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 09:59:42
街亭は囮。
街亭で防衛に専念して張郃の軍をひきつけている間に、
魏延が別働隊として長安を奇襲する算段になってた。




って北方のおっさんがソープで言ってたよ

81 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 11:39:57
>>80
長安に曹叡が陣取ってるんだから、奇襲なんて無理だろうがな。

82 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 12:18:05
長安で曹叡対孔明の直接対決が実現されたとしても
結局、どこに陣取ろうが馬謖は張コウに敗退。
曹叡に篭城され孔明もなすすべも無く撤退。

83 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 12:57:05
>>66
なんか混同していないか?
馬謖が、「王平の意見は兵法上こういう理由から取り上げられない」と却下したのなら、
結果はどうあれ問題はない。
しかし>>57 は「王平は単なる部隊長で当時はたいしたヤツじゃあないから、馬謖が内容
ではなく発言者を理由に却下したのは当時の常識からいって当然」といっているのだが。

84 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 16:55:13
>>83
正直、何がいいたいのかわからん

85 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/22(日) 18:22:21
>>80
それじゃ囮ばっかで本隊がないぞ。

馬謖はたぶん魏軍の侵攻ルートを限定するために置かれたんだろう。
趙雲はトウ芝とともに陽動として曹真本隊を引きつける。これは成功。
諸葛亮本隊は丞相司馬・魏延を率いつつ天水を攻め落とす。これも成功。
曹真が囮に引っかかった以上、張コウは諸葛亮本隊を迎撃しなければならない。
諸葛亮の方も、張コウ隊を撃破できないと曹真本隊をたばかった意味がない。
張コウの進軍ルートは陳倉を通るか街亭を通るか。
街亭ルートだと離反しなかった涼州諸郡の方面に抜けられてしまう可能性がある。
だから諸葛亮は街亭の別軍でこれを阻み、転じて陳倉ルートを辿ってきた張コウ隊に
自身の率いる本隊でもって決戦を挑む必要があった。ところが張コウが街亭を抜いてしまう。

諸葛亮は陽動に陽動を重ねた結果、本隊が宙に浮くという戦略上の大失態を演じてしまった。
司馬懿や姜維だったら全速力で街亭に進軍して馬謖を救援しつつ張コウ隊と会戦しただろうに、
あくまで当初の作戦計画にこだわったところがいかにも不器用でよろしくない。

86 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/23(月) 03:57:31
はぢめての北伐で緊張してよくわからんかったけど、気張って厳しくいこうと斬ってみたんだよ
荊州に関羽置いたり、夷陵で大敗したりした劉備の眼力をいまいち信用してなかったりもするかもね

87 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/23(月) 04:50:41
つーか、諸葛亮のほうが劉備に眼力信用されてなかったわけだが

88 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/23(月) 06:14:52
劉備の成功の秘訣の一つが、
人材を見る目だからな
諸葛亮は確かに頭良かったが
その点が劉備に劣ったと思えなくはない
ヤクザもんと優等生の違いのようだ

89 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/23(月) 15:08:46
最初の北伐以後は孔明の人材を見る目も成長していくんだけどな。
劉備がヤクザもんを重用して、孔明がインテリを抜擢してた頃が、蜀漢の全盛期だな。

90 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/23(月) 22:21:23
全盛期というか、限界な。言い方一つでずいぶん印象変わるもんだ。

91 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/24(火) 00:04:32
>>90
それ逆じゃね?
ある一時期がその国の限界だった、なんて言い方は史書にもあまり見られないが。

92 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/24(火) 00:34:46
まあでも、蜀の後を見ていると限界でも間違っちゃいないかな、とは思うが

93 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/24(火) 00:35:20
蜀の後→蜀のその後

94 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/24(火) 00:35:23
よほど人材かき集めない限りは3国で安定しかかった現状、天下統一はムリ。
結果論者というわけじゃないけど、蜀建国あたりが劉備&孔明の限界でしょう・・・。

95 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/24(火) 00:42:59
っていうか、全盛期ってそこ以上伸びない時期のことなんじゃねーの?
そりゃ史書で「限界」なんて表現使ってる文献なんかありえないだろうけどさ。

96 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/24(火) 00:55:29
全盛期ってのは後世から見た客観的な評価。
「それ以上伸びない」という"意見"じゃなくて「それ以上伸びなかった」という"事実"。

97 :96:2005/05/24(火) 00:58:03
蜀の場合は全盛期=限界だったというだけで、等号で結べない場合もあるわいな。

98 :無名武将@お腹せっぷく:2005/05/31(火) 23:46:43
なかなか面白いスレだと思ったんだがもうこのあたりで打ち止めだろうか。
誰か人いる?

99 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 07:10:53
97が意固地になっちゃったので白けたからここまでだよ。
馬謖に燃えずに自説大好き!に燃えてるからねぇ・・・。

馬謖そのものが街亭くらいしか語る場所ないからこんなもんだったんじゃないの?

100 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 14:19:04
>>97は別に関係ないんじゃないか?

101 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 14:54:31
じゃあ無関係でもいいよ

102 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 15:51:38
99みたいのが一番白けるけどな

103 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/03(金) 23:35:01
石原都知事が「泣いて馬謖を斬る」発言、やっぱり作家は三国志読むんだな

104 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 01:08:42
人形劇三国志を見たのかもしれないぞ

105 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 02:20:17
副知事は命令違反じゃなく偽証だ。
知事のツマラン見栄で引き合いに出された馬謖の方が泣いてる。

106 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 06:37:16
副知事のやったことうんぬんではなく
可愛い部下を斬らねばならないっていう事では

107 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 08:55:39
故事成語か・・・。まぁ、そうなんだけど、石原に言われると片腹痛いんだよなぁ。

108 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 23:34:31
馬謖以下の幹部の処分については、敗戦の責任ではなく、交戦中の指揮に関係するのではないかな。
例えば、馬謖逃亡の記述があるが、街亭で魏軍と交戦中に不利になった段階で指揮を放棄して一部の幹部と逃亡したとか。
それなら、敵前逃亡(と言う概念が当時あったかは不明だが)で敗戦などよりはるかに責任は重いと思うけど。

109 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 17:23:46
正史によれば、馬謖が死罪になったのは、敗戦そのもののせいではなくて
孔明の軍令を無視し、さらに敗北してから逃亡を謀って捕らえられたか、
もしくは逃亡したが思い直して戻ってきたから、らしいな。
いずれにしても卑怯な振る舞いがあったようだ。

軍令を守って負け、潔く孔明に処罰を願い出たのであれば
せいぜい降格処分どまりで、いずれは復権できただろうに。

王平は策を進言したのではなく、軍令違反を嗜めたのだから、
王平に学があろうがなかろうが馬謖は従うべきだったんだがな。

110 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 17:54:07
>>109
街亭だけ取り上げられてるが列柳城を守っていた高翔も郭淮に敗れてる。
重要度の違いもあるだろうが高翔は処刑されず馬謖は処刑されたのはたんに敗戦だけが原因ではない証左だろうね。
ちなみに高翔は最終的には大将軍まで昇ったらしい。

111 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 18:02:10
>>109
正史によれば馬謖の処刑は敗戦と軍令違反のせい。
逃亡については向朗伝に見えるだけで時期も動機も街亭との関連も不明。
捕らえられたのか、戻ってきたのかも不明。

112 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 15:07:32
水が無かったから

113 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 16:53:05
顔が悪かったから

114 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 17:16:40
お腹空いたから

115 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 17:51:24
借りたビデオの延滞料金が気になっていたから

116 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 08:26:01
生理現象だったから

117 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/15(水) 17:05:51
月巴のプログラムでつ

118 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 06:22:01
魏軍が、馬謖の決めた予定に違反して、違う行動を取ったから。

119 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 06:34:37
実は馬謖は魏に通じていてわざと負けたから

120 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 21:47:34
突然柴刈りに行きたくなったから

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