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【武田】2万5千で上洛【信玄】その31

1 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:37:20
前スレ
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1113723907/

2 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:38:47
各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)
ちなみに、万石あたり250人は比較的低い動員率、
無理すればもっと動員できるだろうがそういう兵力は基本的な守りに残すと解釈。

関東
上野:49万6千石/12400

甲信・中部
甲斐:22万8千石/5700
信濃:40万8千石/10200
飛騨:3万8千石/950
美濃:54万石/13500
近江:77万5千石/19375

東海
駿河:15万石/3750
遠江:25万5千石/6375
三河:29万石/7275
尾張:57万2千石/14300
伊勢:56万7千石/14175
志摩:1万8千石/450

北陸
越後:39万1千石/9775
越中:38万3千石/9500
越前:49万9千石/12500(慶長検地では68万石)
若狭:8万5千石/2125

3 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:40:47
畿内
山城:22万5千石/5625
大和:44万9千石/11225
摂津:35万6千石/8900
河内:24万2千石/6050
和泉:14万1千石/3550
伊賀:10万石/2500

四国
讃岐:12万6千石/3150
阿波:18万4千石/4570
淡路:6万2千石/1550

4 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:41:46
1572年(元亀三年)十月三日(信玄、古府中を出立)の各勢力の状況

●武田
・甲斐…100%(5700)
・信濃…90%(9180)
*飯山周辺は残す。
・上野…36〜43%(4450〜5375)
*倉賀野、松井田、箕輪など領地は広げているが、ほとんど北西山間部なのがネック。
 面積で言えば4割だが、石高では三分の一程度とする意見あり(上野の平野部は南東)。
 14郡中武田は吾妻郡 碓氷郡 甘楽郡 群馬郡の半分 故に石高的に3分の一 の説。
 利根川以西を領土とすると、これに録野、片岡、多胡郡が加わる。(約四割)
・駿河…100%(3750)
・飛騨…10%(95)
*72年7〜8月に飛騨諏訪城を落としている。これ以前の直接の軍事行動はなし。
 もともと飛騨の豪族は越中の対一向一揆で上杉と仲がいい。諏訪城主江間氏も逃亡
 して上杉氏を頼る。
・越中…?
*68年に松倉(富山)城主椎名氏が武田に降っているが、71年には謙信に落とされている。謙信は73年
 には加賀まで攻め寄せているから、その頃までに越中の武田勢はなくなっていたとみるべきか?
・遠江…7.8%(500)
*遠征前に陥したのは71年に国境の榛原郡小山城(この時高天神や掛川も攻めるが落せず)と犬居の天野氏のみ 天方等はこの時点では未攻略 。
 武田が本格的に東に出てくるのは、氏康が死んで同盟復活する71年後半(正式な復活は71年12月)。
 遠征後は20%ほどに増大

5 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:42:30
・三河…12%(850)
*足助城を落とし、賀茂郡一部・設楽郡ほぼすべて・八名郡一部を支配。ただし全て山地なのがネック。
・美濃…5〜10%(675〜1350)
*秋山信友が岩村城を落すのが72年11月。 それ以前に落していた恵那郡の小城を、どの程度に見積もるか?
 18(22?)郡中これだけでは5%もないとする意見もあり。

総計25200〜26800
後北条と同盟。義昭や顕如ら畿内の反織田勢力と連絡を取り合う。背後に上杉と上野方面を巡って火種。
ただし、もともと高税率のうえ、69年以降は戦もそれまでの二倍以上となり、さらにこの作戦にあたっては
さらなる臨時税から借入まで。領国の疲弊はすでに始まっていたと思われる。継戦能力にも疑問。

6 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:43:59
●織田
・尾張…100%(14300)
・美濃…90%(12150)
*美濃 21(18郡?)郡中武田は恵那郡岩村周辺のみ 郡上郡遠藤氏は武田織田を秤にかけて日和見。
・志摩…100%(450)
*ただし、戦力としては水軍衆がほとんどと思われる。
・近江…70%(13563)
*浅井・六角は追い詰め中。他には甲賀郡の土豪と野洲郡のいつ蜂起するか判らない一揆衆。
・伊勢70%(9923)
*桑名・三重郡の一揆衆。配下からも寝返られ、本城も明け渡され乗っ取り進行中の北畠氏を除く。
・三河…10%(728)
*水野氏など、桶狭間以前から織田についていた豪族。

総計51114
この他、畿内各地に協力勢力と敵対勢力あり。義昭とは抜き差しなら無いところまで。堺などの都市も抑える。
若狭の豪族たち(逸見・粟屋・内藤)、大和の筒井他、摂津河内和泉の細川畠山池田荒木和田など、淡路の安宅
などが味方勢力として存在。

●徳川
・三河…78%(5675)
・遠江…92.2%(5875)
*両国とも、武田にどの程度侵略されているか。また調略如何によっては動員はさらに下がるかも。

総計11550
三方ヶ原の戦力を考えれば妥当か。ただし武田軍撤退後、特に遠江では支配率は グンと下がっているだろう。上杉と同盟。

7 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:45:01
その他の勢力 東国

●長尾上杉
・越後…100%(9775)
*ただし、揚北衆特に本庄氏の扱いは微妙。
・上野…10%(1240)
*沼田・厩橋近辺と考えるとこれぐらいか? 武田・北条におされ気味。
・越中…20〜25%(1900〜2375)
*神通川以東(新川郡)松倉・富山は1573年正月まで攻撃中。72年〜73年にかけての遠征によって、越中の大部分を支配下に収める。
この時は越中から加賀にまで攻め込み、顕如から信玄へ援軍要請が行われた。
・飛騨…三木氏や江間氏とは友好的。1572年の富山攻めでは江間氏が援軍派遣してる
・信濃…10%?(1020)
*飯山城とその周辺は保っていた模様。

総計13935〜14410
・遠征能力○
遠征能力は高いが、北陸へ出陣中。仮に北信・上野に出陣するとしてもメリットは薄い? ただし史実
ではこれ以前も以後も関東への出兵を繰り返している。武田・北条・加賀を敵に回して織田・徳川と同盟。
関東の諸将(佐竹ら)とは疎遠になった。

●後北条
・遠征能力○
武田・上杉と並ぶ大国だが、武田とは同盟中。今回の武田西上でも援軍(二千~三千?)も出している。
数年前まで戦っていたとはいえ、手切れをしてまで武田を攻める事は無いだろう。北関東には他に敵
もいる。

8 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:46:11
その他の勢力 畿内

●朝倉
・越前…100%(12500)
*寺社領は議論中。慶長検地から、+18万石くらい?
・若狭…?
*守護武田氏は抑えているが意味なし。有力国人である逸見氏・粟屋氏などはこぞって織田について抗争中。
 朝倉軍の一部は粟屋氏の居城を攻撃していた模様。(武藤氏が反織田に回ったが、この時期の動向は不明)

総計12500+?
・遠征能力○
遠征は10000程度は可能か? 現在、越前にフラフラ様子み。70年の講和以降、浅井への援軍以外に
出兵なし。経済疲弊。一部軍役拒否の状態。若狭の支配圏は低下中、むしろ抑えるための兵力派遣
が必要。

●浅井
・近江…9.5〜13%(1850〜2550)
*伊香郡、高島郡の半分、浅井郡の小谷、山本山城しか残っていない。
高島郡はもう少し高いとみる説あり。

総計1850〜2550
・遠征能力△(朝倉が来れば助力可)
単独での侵攻は辛い。木下隊に苦戦。小谷城の眼前に虎御前山砦を築かれて押し込められる。

●六角
・近江…?
*愛智郡鯰江城で逼塞状態。甲賀の土豪がどれほと力になるか?

9 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:47:17
●松永・筒井(反松永)
・大和(11225、ただし双方合わせて)
*寺社勢力は心情的にも筒井派。土豪も多くが筒井につく。
・遠征能力×(両派とも)
大和で両派が泥沼の抗争中。お互い支援を求めて織田や三好と手を組むことに。
元亀三年の時点では織田の支援を受けた筒井側に有利。松永は押されっぱなし。

●長島一向宗+国人
計20000?
遠征しないが尾張は目と鼻の先。ただし動きは鈍い。守備力は高い。

●石山本願寺+雑賀衆?
計23000?
遠征準備は謎だが、近江まで歩いて1日。 ただし動きは鈍い。守備力は鬼。本願寺自身は織田と直接
軍事衝突は行っていない(するのは後年)。信長との外交ルートあり。
※もともと本願寺と一揆は別ものであり、絶対的な命令権があるわけではない。各地の一揆はそれぞれ
の権益を守るために支配者に抵抗した。また、兵力には老幼婦女が多数含まれていると考えられる。

●北畠
・伊勢…30%(4253)
*大湊など、伊勢湾の海上交易に大きな影響力をもつ。かつては南伊勢五郡を有したが、織田へ離脱
 するものが出る。
計?
・遠征能力×
織田による内部からの乗っ取り進行中。そのため勢力としては身動きとれない。隠居させられた北畠
具教は面従腹背。武田と接触をとっているが(根拠は不明)、実質どれほど動かせるかは不明(後年、
具教が討たれたときに北畠残党が挙兵するが、一族などの一部に留まる)。
ほとんど織田の一部とみなしてもいいとする意見あり(ただし、信雄が正式に跡目を継いで北畠軍が
織田の一環として行動するのは74年以降)。

●伊賀
六角に協力したり北畠についたり。基本的には中立。

10 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:47:43
その他の勢力 三好

三好一族の主だった頭(各国の支配率は不明、動員数は100%の場合)

 畿内
・本家:三好義継 三人衆との関係から信長に従っていたが、義昭と共に敵対する
・三人衆:三好長逸、三好政康、石成友通 これも一枚岩ではない。義継や久秀と
抗争の為に行動をともにしていただけ。特に石成は一人信長についた時期もある。
・三好笑岩 基本的に、四国三好家にちかい。信長以前は本家と戦い続ける。
・三好政勝 管領細川家の家臣。長慶を親の仇と長年争い続ける。

・摂津(8900)
・河内(6050)
・和泉(3550)
*ただし、この全てを三好一族が抑えていたわけではなく、細川、畠山、池田、和田、荒木、伊丹、
 その他在地勢力が根を張り、反三好から織田につくものも多数いた。

総計18500-敵対勢力
・遠征能力×
反織田という形で立場は同じになったが、指揮が統一されたわけでもなく分裂状態のまま。
統一行動は難しいか。

11 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:48:10
 四国
・阿波三好家:三好長治-篠原長房 基本的に、主筋になる細川家と争ったり講和したり。 畿内には
あまり関わらず。播磨方面で抗争があった模様?
・讃岐十河家:十河在保 阿波三好家と行動を共にす。
・淡路安宅家:安宅信康 四国三好家についていたが、1572年には信長につく。

・阿波(4570)
・讃岐(3150)
・淡路(1550)
*安宅信康が織田についてしまったので、これは三好には加えられない。

総計9270-安宅氏の勢力
・遠征能力×
お互いに争ったり結んだり。このころには篠原長房との確執が表面化しだす。73年4〜5月に長房が
討たれた後は抑えられていた豪族たちが反旗を翻すことになる。
四国の三好家関連は、後にほとんど信長に属することになる

 おまけ
●足利将軍家
・山城…?
*北山城の国人が義昭に呼応し、明智の配下から離脱者が出たとの記録あり。また細川藤孝や石成友通
などの勢力もあり。細川・明智は織田勢力とみなしてもいい。

総計不明
・遠征能力×(史実でも城に篭った)

12 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:48:41
 ■この情勢をもとにした推測。

織田は
近江に浅井・朝倉への抑えとして木下、磯野で合計七千ほど、
江南の抑えと京へのにらみに八千ほど、
北伊勢への抑えと尾張の守備に五千ほど、
美濃では岩村への抑えに三千ほど抑えに置くとすれば、
(基本的な任務は守備、現状維持)
計算上は2万8千ほどを対武田に向けられるのでは?

武田は
北信および上野へ対上杉に五千ほど、
美濃岩村の秋山隊が三千ほど、
北条の援軍が二千〜三千で、
合計ニ万〜二万五千ほど?

13 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:49:00
 ■三方ヶ原の戦い後の情勢。

1572年
十二月 二十二日 三方ヶ原の戦い

1573年
一月  三日 武田軍野田城を囲む
北山城や摂津河内の国衆から義昭に付く者が続出する。信長は村井、島田、朝山日乗を講和の使者に出すが義昭は一蹴。
近江志賀郡の石山、今堅田に兵を入れる。
二月 十五日 武田軍野田城を落とす。
二十四日 柴田、丹羽、明智、蜂屋の軍が近江を攻撃。石山、今堅田も数日で開城。

三月 二十五日 信長、岐阜を出陣。
   二十九日 細川藤孝、荒木村重が逢坂に信長を出迎えて忠誠を誓う。

四月 三日〜四日 上京焼き討ち。二条御所を包囲。
   七日 調停の仲介により信長と義昭との和睦なる。
   八日 信長、京より岐阜へたつ。
十二日 武田信玄死去
柴田、佐久間らは六角氏が立て篭もっていた近江愛知郡の鯰江城を攻略。さらに百済寺も焼き討ち。

七月 足利義昭京より逃れる。

八月 朝倉・浅井両家滅亡。

14 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:50:15
30スレの概要
>>1-44までテンプレ>>32テンプレの誤り部分の修正(31スレのテンプレで修正済)
>>55-57 >>128美濃信濃郡別推定石高 及びそれによる推定
>59-113 若狭の状況
>123〜164本能寺の変当時の全国の状況
>178-192商取引石高と貫高のレートなど
>194-202 >253-257ぐらいで信玄信長の兄について
>212-247義信が生きていたら継いでいたらのIF
>260-287武田滅亡時の武田家臣及び真田の動向
>292-503信虎関連の話し業績 大名の権限 信玄初期の状況 信虎時の甲斐信濃関東駿河の状況
      家督継承時の他大名との比較 などが並行

>305-306信虎時の甲斐の経済状況
>309から家督騒動
>317から専制体制 他大名との比較
>357から信玄の戦下手について
>373から信濃諸勢力
>381から信虎追放時の信濃の武田勢力
>421から信虎時の今川勢力との関係
>452から >>479信虎家督相続時の状況>>485信虎の業績
>468から他大名の家督相続時比較

>>523義龍の業績
>>587-610貨幣経済の話し
>609-655信玄と謙信 >639-641北信濃の状況
>>653川中島の戦い直前の状況
>632-638儒学的に見た戦国大名
>660から家臣団の力大名直轄地
>710-777武田の織田領をすり抜けての上洛の可能性
>757-773 1572年12月の関東情勢
>831-853信玄の築いた城

15 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:52:30
尾張

天保郡別
愛知郡 :8.98万石
春日井郡:13.17万石
丹羽郡 :6.96万石
葉栗郡 :7.39万石
中島郡 :8.22万石
海東郡 :8.88万石
海西郡 :2.88万石
知多郡 :7.11万石

総計  :63.59万石

戦国推定
愛知郡 :8.1万石
春日井郡:11.9万石
丹羽郡 :6.3万石
葉栗郡 :6.7万石
中島郡 :7.4万石
海東郡 :8.0万石
海西郡 :2.6万石
知多郡 :6.4万石

総計  :57.2万石

16 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:52:44
上野

甘楽 6.7万石  5.2万石
禄野 3.1万石  2.4万石
多古 1.3万石  1.0万石
片岡 0.4万石  0.3万石
碓氷 4.1万石  3.2万石
吾妻 2.6万石  2.0万石
利根 3.1万石  2.4万石
勢多 7.7万石  6.0万石
群馬 12.1万石 9.3万石
那波 2.6万石  2.0万石
佐位 2.1万石  1.6万石
山田 3.7万石  2.8万石
新田 6.7万石  5.2万石
邑楽 8.1万石  6.3万石端数
計  64.3万石  計49.6万石 0.77

17 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:54:13
遠江

引佐 7.7万石  4.3万石
浜名 0.12万石 0.07万石
敷智 5.0万石  2.8万石
?? 0.25万石 0.14万石
長上 3.1万石  1.7万石
豊田 6.4万石  3.6万石
磐田 0.14万石 0.08万石
周智 2.7万石  1.5万石
山名 4.0万石  2.3万石
佐野 2.9万石  1.6万石
城東 6.9万石  3.9万石
榛原 6.0万石  3.4万石
計 45.21万石  25.5万石 0.564


三河

屋美 6.7万石  3.6万石
八名 8.7万石  4.6万石
設楽 3.0万石  1.6万石
宝飯 6.7万石  3.6万石
播豆 7.0万石  3.7万石
碧海 9.7万石  5.1万石
賀茂 6.7万石  3.6万石
額田 6.2万石  3.3万石
計 54.7万石   29万石 0.53

18 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:54:39
近江

坂田 9.2万石  8.4万石
浅井 7.7万石  7.0万石
伊香 3.6万石  3.3万石
高島 7.4万石  6.7万石
滋賀 4.6万石  4.2万石
栗田 6.8万石  6.2万石
野州 6.7万石  6.1万石
甲賀 7.8万石  7.1万石
蒲生 14万石  12.7万石
神崎 4.8万石  4.4万石
愛知 6.4万石  5.8万石
犬神 6.1万石  5.6万石
計 85.1万石  77.5万石 0.91

19 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:55:22
伊勢

度会 5.5万石  4.3万石
多気 4.8万石  3.7万石
飯野 2.7万石  2.1万石
飯高 6.1万石  4.8万石
一志 10.9万石  8.5万石
安濃 6.2万石  4.8万石
庵芸 4.8万石  3.7万石
河曲 3.4万石  2.7万石
鈴鹿 6.7万石  5.2万石
三重 6.7万石  5.2万石
朝明 3.3万石  2.6万石
員弁 5.0万石  3.9万石
桑名 6.6万石  5.1万石
計 72.7万石  56.7万石 0.78

20 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:56:39
美濃

不破 4.03万石  2.9万石
多岐 3.57万石  2.6万石
石津 2.86万石  2.1万石
安八 9.37万石  6.8万石
池田 2.40万石  1.8万石
大野 5.35万石  3.9万石
本巣 4.01万石  2.9万石
席田 0.57万石  0.4万石
方県 3.56万石  2.6万石
厚美 4.16万石  3.0万石
山県 2.63万石  1.9万石
武儀 3.41万石  2.5万石
郡上 3.13万石  2.3万石
加茂 4.57万石  3.3万石
恵那 4.03万石  2.9万石
土岐 2.15万石  1.6万石
可児 3.25万石  2.4万石
各務 2.03万石  1.5万石
羽栗 2.17万石  1.6万石
中島 3.45万石  2.5万石
海西 3.17万石  2.5万石 端数

計 69.97万石  54万石 073

計算上は54を73.87万石で(例のごとくまた数え間違えたようだ)誰か修正してくれ

21 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:57:05
信濃
佐久 9.67万石  5.1万石
諏訪 4.46万石  2.4万石
伊那 13.4万石  7.1万石
築摩 8.21万石  4.4万石
小県 7.70万石  3.8万石
埴科 2.36万石  1.3万石
更科 5.63万石  3.0万石
安雲 6.01万石  3.2万石
水内 10.9万石  5.8万石
高井 8.50万石  4.8万石 端数

計 76.77万石 40.8万石 0.53

22 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:58:50
浅井
伊香郡、高島郡の半分、浅井郡の小谷、山本山城

伊香郡:3.3万
高島郡:3.4万(6.7万の半分)
浅井郡:3.5万(一応半分で算出)
計10.2万石 13%
よって、兵力は2550。

伊香郡:3.3万
高島郡:3.4万(6.7万の半分)
浅井郡:0.7万(10%案)
計7.4万石 9.5%
兵力は1850

がでたが高島郡は織田が73年に攻めた城、浅井滅亡後服属した国人などから
前スレ27?で高島郡:4.5万(離反者を除く)
が有力視されている

23 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:59:07
遠江
遠征前
周智郡:0.8万(1.5万の半分)犬居の天野氏のみ 天方等はこの時点では未攻略
榛原郡:1.2万(三分の一) 駿河国境沿いの一部のみ 71年に駿河国境沿いにある小山城を落としたこと
計2万石 7.8%で
兵力は500

遠征後
周智郡:1.5万
榛原郡:1.2万(三分の一)駿河国境沿いの一部
豊田郡:1.2万(三分の一) 天竜川沿いの諸城を落としたことから
磐田郡:0.08万石
引佐郡:1.1万(四分の一) 山県が伊平小屋を落としたこと 三方ヶ原後その辺に布陣していることから
佐野郡:0 佐野郡は掛川城周辺だから
計約5.1万石 20%
兵力は1275

24 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 04:59:25
三河
遠征前
賀茂郡:1.2万(三分の一)足助城周辺から美濃国境設楽郡側を領有と考えて
額田郡:0万 額田郡は岡崎周辺だから
設楽郡:1.3万(80%)信濃国境から長篠周辺までと考えて
八名郡:0.9万(20%)長篠以北と考えて約20% 八名郡の中心は下流域だから
計3.4万石 12%
兵力は850

遠征後
賀茂郡:1.2万(三分の一)足助城周辺から美濃国境設楽郡側を領有と考えて
額田郡:0万 額田郡は岡崎周辺だから
設楽郡:1.6万(100%)
八名郡:1.5万(30%)野田以北と考えて約30% 八名郡の中心は下流域だから
計4.3万石 15%
兵力1075

25 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 05:13:07
岩瀬

26 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 05:51:31
ここまでデータづくめだと否応なしに説得力あるなぁ
けっきょく、武田と織田はほぼ互角の勢力でぶつかるわけね?
決戦場所は織田領内、鉄砲の数も織田が上
武田側には不利だねえ

27 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 07:12:29
むしろ、織田領内までは侵入しないのでないか、
という推論が成り立つと思うが。

かなり投機的な性格の人間でないと、この情勢で織田領までは攻め込まないでしょう。

28 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 14:08:21
>>27
しかし勢いってのは一度消すとオシマイだからなー
行く時は一気に行かんと信長も立て直してくる。

29 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 16:28:01
>>5
美濃の武田領は5%もないって出ていなかったか?

30 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 16:35:02
東美濃を支配した遠山氏の盟主たる岩村遠山家だけに

31 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 16:51:01
織田

・尾張…100%(14300)
・美濃…90%(11000)
・志摩…100%(450)
・近江…40〜50%(8600)
伊香郡と高島郡、浅井郡しかのこっていない浅井。
鯰江、甲賀、蒲生の六角。志賀、野洲郡で、すぐに鎮圧されるけどいつ反乱起すか判らない一揆衆。
・伊勢55〜65%(9200)
桑名・三重郡の一揆衆、北畠を除いて。弟死亡
三河…0%(0)
水野氏などは長らく徳川に派遣中、見方ヶ原後に処分

総計42000

32 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 16:51:23
●徳川
・三河…70〜85%(5000〜6200)
・遠江…60〜75%(3750〜4800)
*両国とも、武田に侵略されまくり。領地は戦前のもの
計約10000

浅井
伊香郡:3.3万
高島郡:4.5万(離反者を除く)
浅井郡:3.7万(虎御前山の位置からして、こんなものか)
江北にはそもそも小谷、山本山城くらいしか城は無い
11.5万石 2825、思ったより少ないか

朝倉
越前68万石 17000

33 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 16:55:08
武田

・甲斐 25万石
・信濃 50万石
・西上野 20万石
・飛騨過半 5万石
・駿河 20万石
・遠江、三河 5万石程度

計約32500

34 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 17:07:30
遠征開始時点での情勢

織田及びその従属勢力
織田42000+徳川10000

織田包囲網勢
武田32000+朝倉17000+浅井2800+長島一向宗20000
大阪本願寺23000+美濃国人3城主+六角、三好、北畠他6000〜12000(ぐだぐだ)

52000VS75000+30000 
ただし、徳川は海道一の弓取りで信長は天才

35 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 18:01:22
>ただし、徳川は海道一の弓取りで信長は天才

クマ

36 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 18:14:10
石高だけで見ると織田の兵力が小さいな。
そんな寡兵であれだけスケールのでかいことはできんだろう。
なにか数字がおかしいのは、都市の人口の多寡が
評価されてないからじゃないのか?

例えば、同じ石高でも10万人の都市と5万人の都市とでは動員力も異なるだろう。
当時の京都など石高は少ないが人口は異常に多い。
商業で成り立つ都市のスケールは田んぼの規模だけじゃ到底測れないだろう。

37 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 18:23:26
余剰人口と言うものは当時は農業から生まれるのですよ。
都市人口は動員兵力にはほとんど影響しません。

38 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 18:52:04
>>36
もしかして、>>34の適当に書かれた兵力のことかな?
そっちは、間違ってるよ。


39 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 19:00:03
ただし、当時の京がすでに消費都市してあったとする指摘はある。
京都の食料は、諸国から運び込まれていたと。

それにしても、根拠がいまだに挙げられていないでたらめ兵力もしぶといな。

40 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 19:01:13
テンプレの数字も適当だし

41 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 19:01:23
直接食糧生産に携わらない余剰人口が集まった場所が都市なのではないかな?
学者・宗教家・浪人など。
それと、当時は商人や運送業者も私兵を抱えて武装していた。
信長はそれらに対しても動員令を出せたと思う。・・・たぶんね

42 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 19:22:53
有名なのは堺ですな。
もっとも信長は、兵力ではなく金銭を吐き出させていたが。

43 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 19:51:49
尾張が商業地ですからな
兵農分離と楽市楽座による人や物資の流通で
織田の兵力は他所とはかなり異なるだろうな。

44 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 20:00:35
当時は農業生産力が増大して、非農民(職人、僧侶、武士、商人など)がやたらと
増えていた時期だから、その非農民を自国の領内に集めて兵力を増幅させようと
いうのが信長の構想でしょう。
なにやら小説などでも信長は相撲大会やらをやってじゃんじゃん召抱えたという事が
書いていたような気もする。

45 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 20:35:11
この期に及んでまた兵農分離が来たか・・・・・

一々指摘するのも面倒だが、
信長がそんな事をしたという根拠はどこにもありませんよ。

46 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 21:10:43
兵農分離せずにあんな各方面の軍団はつくれんでしょうが。
織田軍に職業軍人が大勢いたのは常識ですよ。

47 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 21:18:55
>>46
その「常識」に実は根拠がないって話。

全盛期の信長はそれ以前の戦国大名を幾つも合わせたほどの勢力でしたので、
それそれが大名並みの兵力を持った軍団を複数個作ることは、
少なくとも兵力的にはごく普通のことです。
兵農分離とかとは関係ありません。

48 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 21:28:40
>>47
君の突飛な話のほうが根拠がなにも示されていない。

織田→豊臣→徳川へと兵農分離が確立していったのは歴史が示す事実なのだが。

49 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 21:35:33
まあ、常識的に商業で経済的余裕がでれば、その金で家宝を買い集めるのは
ゲームの話で、余剰の経済力は職業軍人の雇い入れに回されるのが当然でしょ。
どんどん裕福になって職業軍人が増えれば、
農民を駆り出す必要も薄れていき、自然と兵農分離していく。

尾張が商業的に栄えたことから、織田家の兵農分離が進んだのは歴史の必然ですよ。

50 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 21:39:08
>>48
あのねえ、何かか「あった」と主張する方が根拠を提示するのが当然でしょう?

織田→豊臣部分に関する根拠が何もないのに、
なぜ歴史が示す事実と信じられるのか。

まあ、教科書とかにもそう書いてあるものがあるらしいし、
そう信じ込んでも無理はないかも知れないが、
少なくとも歴史好きを自認するなら、少しは自分でも勉強をした方がいい。

51 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 21:42:30
>>47
あのね、
信長の軍団は規模もさることながら、
各地方にそれぞれ長期にわたって遠征をしている。
いちいち稲刈りに故郷に帰っていったというほうがバカかと・・・

52 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 21:45:46
>>51
他の戦国大名も、稲刈りに故郷に帰ったりしていませんよ。
半年や一年続けて軍事活動しています。
その、信長以前の戦国大名は農繁期には戦が出来ないってのもよく言われますが、
これは明白な誤りです。

53 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 21:50:09
>>52
それは城の蓄えを消費しながらの遠征でしょ。
蓄えが尽きるまで遠征できる。

織田家の場合は、何年もずっと遠征しつづけている。
消費しながらの遠征ではないからでしょうが。

ここがちがう。

54 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 21:55:45
>>53
蓄えを消費しない遠征って一体何のこと?
そんなもの仮に兵農分離しても不可能だが?

ちなみに他の大名も何年もかかるような軍事行動もしていますよ。

55 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 21:58:06
>>54
具体例を挙げず何年もは言過ぎじゃないかな

56 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 21:59:31
>>54
いいかい、
例えば、江戸時代の武士は全く生産活動をしていない。
飯を食って消費するだけだ。

もう理解できたかい?

それに、農村が空っぽになるわけでもない。
女子供や年寄りもいる。

織田家には土地に縛られない江戸時代のような養われるだけの軍人がいたということ。


57 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 22:01:48
>>56
だから、そんな根拠は何もないけどね。

58 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 22:02:46
>>57
だから、おれの話が歴史の常識で定説なんだから、
お前が反論の根拠を示すひつようがあるだろうが。

59 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 22:06:50
常識を覆す根拠は脳内妄想でつ

60 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 22:16:40
要は、織田家の兵は生産基盤と切り離されているってことだな。
他家においては軍事行動によって生産活動に支障が出るが、
織田家はほとんど生産活動に影響がでない。
これが信長がその人生のほとんどを年がら年中、
四方八方にひたすら戦争を続けることを可能にしたエンジンだな。
でなければ、説明がつかないだろう。
普通、あれだけ戦争をやり続ければ国力が疲弊して衰退するのだが、
信長にはそれがなかった。

61 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 22:19:48
>>55
例えば、上杉謙信は1560年3月から1562年3月まで、
ほとんどぶっ続けで戦っている。
正確には1・2ヵ月ほど間隔があく時もあるけど、
特に農繁期と言うわけでもないのでその間農業をしていたということもないだろうし、
あっても農業生産にはあまり関係ないでしょう。

他にも毛利家は尼子家の月山富田城攻めに3年からの期間をかけている。

>>58
あなたが常識だと思っていることにも、
実は全く根拠のないあやふやなものもあるということです。
「常識だから」という理由で根拠もなく信じてしまうのはあまり褒められたことではありませんよ。

>>60
あれだけの戦争とは具体的に何のことで?

62 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 22:41:51
>>61
人に聞くまえに自分で調べろや!いらつくガキだな

尾張統一戦
那古野城攻略 1538年 古渡城下の戦い 1547年 柏井の戦い 1549年 赤塚の戦い 1552年
萱津の戦い 1552年 安食の戦い 1553年 清洲城攻略 1554年 守山城攻撃 1555年
稲生の戦い 1556年 浮野の戦い 1558年 岩倉城攻略 1559年 小口城攻撃 1562年
犬山城攻略 1564年

対今川
三河安城城攻略 1540年 三河小豆坂の戦い 1542年 三河吉良大浜の攻撃 1547年
第二次三河小豆坂の戦い 1548年 尾張村木城攻略 1554年 三河野寺原の戦い 1556年
尾張品野城攻撃 1558年 尾張桶狭間の戦い 1560年 三河梅ガ坪・伊保城攻撃 1561年

美濃攻略戦
稲葉山城攻撃 1544年 加納口の戦い 1547年 斉藤道三救援 1556年 西美濃侵攻 1560年
森部の戦い 1561年 十四条・軽海の戦い 1561年 新加納の戦い 1563年
宇留摩・猿啄城攻略 1565年 堂洞・関城攻略 1565年 河野島の戦い 1566年
稲葉山城攻略 1567年

伊勢平定戦
北伊勢侵入 1567年 楠・高岡城攻略 1567年 北伊勢攻略 1568年 国司北畠氏攻略 1569年
伊勢森城攻略 1577年

上洛作戦
近江箕作・観音寺城攻略 1568年 山城勝龍寺城攻略 1568年 摂津芥川城攻略 1568年
摂津池田城攻略 1568年


63 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 22:43:58
畿内平定戦
六条本國寺の攻防戦 1569年 摂津野田・福島城攻略 1570年 河内若江城攻略 1573年11月
摂津伊丹城攻略 1574年 河内高屋城攻略 1575年 大和信貴山城攻略 1577年
摂津有岡城攻略 1578年 摂津花隈城攻略 1580年

対 朝倉・浅井、対 比叡山戦
朝倉氏討伐 1570年 近江姉川の戦い 1570年 近江宇佐山城攻防、坂本の対陣 1570年
近江佐和山・小川・志村・金が森城攻略 1571年 比叡山延暦寺焼き討ち 1571年
西近江木戸・田中城攻略 1573年 越前一乗谷攻略 1573年 近江小谷城攻略 1573年

対 六角戦
近江なまず江城攻撃 1573年 近江石部城包囲戦 1573年 近江石部城攻略 1574年

対 本願寺戦
石山本願寺挙兵 1570年 第一次伊勢長島一向一揆戦 1571年 第二次伊勢長島一向一揆戦 1573年
伊勢長島一向一揆帰討戦 1574年 石山本願寺攻め 1574年 河内飯盛の戦い 1574年
石山本願寺攻め 1575年 越前一向一揆帰討戦 1575年 石山城下の戦い 1576年
第一次・第二次紀伊雑賀攻め 1577年 石山本願寺攻め 1578年 和泉淡輪沖の海戦 1578年
石山本願寺平定 1580年

64 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 22:45:38
対 武田戦
遠江三方ヶ原の戦い 1572年 東美濃方面の戦い 1573年 美濃明智城救援作戦 1574年
遠江高天神城赴援出兵 1574年 三河赴援出兵 1575年 三河長篠の戦い 1575年
美濃岩村城攻撃 1575年 美濃岩村城攻略 1575年 甲斐・信濃平定戦 1582年

足利義昭追放戦
近江石山・今堅田城攻略 1573年 上京焼き討ち・二条城攻囲 1573年 山城槙島城攻略 1573年

丹波・丹後平定戦

丹波黒井城攻撃 1575年 丹波八上城攻め 1578年 丹波園部城攻略 1578年
丹波八上城攻略 1579年 丹波宇津城攻略 1579年 丹波黒井城攻撃 1579年
丹後弓木城攻め 1579年 丹後嶺山城攻略 1579年 

対 毛利戦
摂津木津川口の海戦 1576年 但馬竹田城の戦い 1577年 播磨福原城の戦い 1577年
播磨上月城攻略 1577年 播磨三木城攻め 1578年 播磨上月城攻防 1578年
播磨神吉城攻略 1578年 第二次木津川口の海戦 1578年 播磨三木城攻略 1580年
美作寺畑城攻防 1580年 播磨英賀城攻略 1580年 播磨長水山城攻略 1580年
因幡湊川口の海戦 1581年 因幡鳥取城攻略 1581年 淡路岩屋城攻略 1581年
備中冠山・宮地山城攻略 1582年 備中高松城水攻め 1582年

65 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 22:46:54
対 上杉戦
加賀出兵、手取川の戦い 1577年 越中月岡野の戦い 1578年 加賀平定戦 1580年
能登菱脇の戦い 1580年 越中小出城攻防 1581年 能登七尾城攻略 1581年
越中天神山の戦い 1582年 越中魚津城攻略 1582年 

伊賀平定戦
伊賀侵入 1579年 伊賀平定 1581年 

高野山征伐戦
紀伊高野山征伐 1581年

66 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 22:48:35
>>50
だったら、初期秀吉軍団が兵農未分離の軍団であり、途中で兵農分離の
軍団になったっていう事実を示してよ。
信長から連続している豊臣家の軍団が兵農分離がされているのなら、
前身の織田家の時代から連続して兵農分離を進めていたと考えるのが
当然の帰結でしょうに。

67 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 22:50:35
いや、何もそんなに書き上げてくれなくても、
「兵農分離をしなければ継続できなかった戦争」を挙げていただければ結構だったのですがね。
毎年戦っていたというなら、武田信玄も同様ですが、それだけでいいなら、
武田家も兵農分離していたことになってしまいますので。

68 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 22:54:04
>>66
豊臣の場合は刀狩以降徐々にですよ。

69 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 22:55:02
>>67
文句つける前にこれらの戦いのすべてが兵農分離をしなくても
継続できたことを示さないといけないな。

70 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 22:55:09
>>67
論点が違うだろうが。
これだけやれば兵が生産基盤とするなら、国力が疲弊するといっている。
もうウザイから勝手にオナニーやってろ。

71 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 22:56:57
>>68
テキトーに言わないでくれないかね。
毛利攻めの秀吉軍団が農繁期に領地に帰っていたって証拠は?

72 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 23:09:42
上杉謙信の11ヶ月間に及ぶ関東出兵や、
武田信玄の木曾攻めから第二次川中島の戦いをはさんだ10ヶ月間の信濃出兵、
毛利元就の3年間に及ぶ月山富田城攻めは、兵農未分離でも可能だが、
信長の戦いは不可能だというなら、その根拠から示す必要があるでしょう?
少なくともそれ以上の規模のものでないとね。

そして武田家も国力が疲弊して自滅などせず、
着実に領土を拡大したいたのですが?

>>71
だから、どこの大名も農繁期に領地に帰ったりはしていませんから。

73 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 23:15:30
この合戦一覧は圧巻・・・
よく見ると常時数万〜十数万規模の兵を動員し続けていることになるね。
どう考えても、農民にこれをさせるのは不可能だよ。


74 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 23:19:03
どうも、兵農分離をしないと農繁期には戦争は出来ないと思っている人がいるようだが、
実際には信長以前の戦国大名も農繁期に関係なく戦争をしているし、
かなりの期間戦争を継続している。
このことは「兵農分離」の根拠にはならない。

逆に言うと他の大名もそのくらいのことが出来る程度の体制は固めていたということで、
いずれにしても特段織田家だけの特殊な事情を示すってわけではない。

75 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 23:24:08
結局、信長と対峙した大名は、信長と同規模の出兵を強要され続けるわけだから、
農業と軍事が切り離せていない大名は国力の衰退を強いられて滅亡していったということになる。

76 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 23:27:06
>>66
朝鮮出兵の時でさせ、人数の半分は農民。
全国の農地が荒れたと言われていますよ。

江戸時代になって参勤交代以外に動員らしい動員がなくなって初めて
兵農分離らしきものが完成したと言えます。
それ以前は何かあれば農民を動員するという体制を常に取っていた。

77 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 23:28:48
少なくとも、同じような規模の軍事行動を行い(強いられ)、朝倉や武田や毛利は疲弊
していったのに対して、織田には見られないんだよな。
軍があくまで農村に依拠し、かつ疲弊には繋がらないとすると、織田以外の大名がどうして
疲弊していったのかという点が。

78 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 23:36:50
割合の問題だろうな。信長は合理主義者だから。
例えば、農本体制で5千の兵が動員できるとする。
その国に農民でない純粋な兵を養う力が3千が限界とすれば、
完全な兵農分離では動員力が減るわけだから、
残りの2千〜3千はやはり農村からも動員するだろう。
そうすると常時動員可能な兵が3千と農村から3千という風になる。
こう考えるのが自然。
信長は経済の活性化で農民でない兵を雇う金を増やし、
これを強力に押し進めたというのが実相だろう。
0%か100%かで考えるのは合理的じゃない。

79 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 23:38:35
いや、だから武田も上杉も織田と対峙する前から、
上記のような出兵をしているわけだが、それが原因で国力が衰退したと言う事実はない。
無論、より国力の強大な織田家と対峙するようになれば、
それによって苦しい状況に追いやられるのは当然だがね。

結局織田家の軍事活動はその石高に見合ったもので、
他の戦国大名と隔絶するわけではない。
また、織田家だけが農繁期に軍を動かせたという事実もない。
そして、この時期の織田家に大規模な軍制の変更があったという文献的な証拠もない。
つまり、当時の織田家体制は少なくともこの面では、
他の大名と特に変わっている面があったと言える根拠は存在しないということ。
まあ、根拠はなくとも私は信じるという人を説得することは出来そうもないが。

>>73
兵農未分離といっても純粋な農民が駆り出されるわけではなく、
動員されるのは平時には農業も行っている地侍ですからかなりのことも出来ます。
謙信の小田原包囲とかね。

80 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 23:41:19
>>77
より大きな国力の相手と戦うようになれば、疲弊していくのは当然。
信玄に滅ぼされた豪族たちも徐々に国力を疲弊させられて滅びていますしね。

81 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 23:49:58
信長はザオリクでも使えたんだろ
もしくは兵の損失が非常に少なかった=他の武将が弱いor織田軍強過ぎ

こんなとこだな

82 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 23:51:27
>>80
信長は全方位作戦で総計では地方大名と比べ物にならない
とてつもない規模の出兵を継続している。
なにも一地方に全軍を差し向けているわけじゃないから、
毛利にしても自分に向けられた兵に対応するだけでよい。
なのに織田の勢力は衰えないが、敵は衰退していく。



83 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:02:49
おまいら農業やった事無いだろ。
北国で田植えが遅れるのは致命傷だが関東以南、特に太平洋側は少し遅れてもたいしたことない。
これはどういう事かと言うと、南に行くほど田植えに人手がかからないって事。
女子供だけでも時間があれば出来る。
一斉に田植え、一斉に刈り取りなんて事を想像するから兵農分離派も批判派も論調が極端なのだ。

84 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:04:57
農業なんて大抵やったことないわな

85 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:05:32
>>82
必要がある度に戦力の集中を行っているわけだが・・・・

86 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:08:55
>>83
あなたも極端だと思うけど

87 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:10:47
どの大名も織田とまともに対峙したくないってこと。
包囲網は表向きは共闘って形だが
できるだけ自国の疲弊を少なくしたいから機が熟すまで出て行かない
織田が強いってことではなく
周辺大名は織田とやり合っても得る物ないしね


88 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:12:45
>>82
そして毛利はさほど衰退していないし。
要所で圧倒的な織田軍を相手にしなければならなくなった、
浅井・朝倉そして武田は衰退著しいが、
方面軍のみを相手にしていた上杉はさほどでもない。
要するに相手の兵力しだい。

>>83
それにしたって、田植え稲刈りの時期にまるっきり戦争継続中って例も結構あるが。

89 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:13:19
結論は農村からの動員率の差ってことで。
大兵を動員すれば、農村からの兵を主体とする大名は、
農村ががら空きになる。

経済基盤を商業とする織田は職業軍人が多く、
農村からも動員するが、農村ががら空きになるほどではない。
よって国力を維持したまま大規模戦が継続できる。

こんなとこだな。


90 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:15:25
>>89
はいはい、根拠はなくとも信じると言うなら勝手にどうぞ。
まあ、信仰みたいなもののようだからどういっても分からないのだろうが。

91 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:17:17
>>90
お前さんが狂信者に見えるのはわしだけかいの

92 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:21:04
>>91
根拠がないものについて、
単純に根拠がないと事実を指摘しただけで狂信者とは正直心外ですね。

私には何の根拠もないことを信じ込めるという心理状況は、
信仰に似ていると思えたのでそう言ったまでですが。

93 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:24:00
兵農分離を否定するほうが頭がどうかしている。
秀吉が突如として、一気に兵農分離したとでもいうのか・・・
しかも否定論者ってなにも理由も根拠もなくわめいてるだけだし・・・
自分の意見は皆無で文句だけ言うしか能が無いやつの言うことを
どうやって理解しろというのかね

94 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:24:09
根拠が無くても、不思議な部分は類推するしかない。
資料が無い、はっきりしないという理由で合理的な推測を足蹴にするのは大学の研究室で
でもやっててくれ。


95 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:27:28
すぐに「証拠をだせ」って言うのは、
キチガイか犯罪者かのどちらかだよ。

96 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:30:20
>>94
一般的にも兵農未分離だったといわれる、
信長以前の大名も農繁期に係わりなくかなりの動員を長期間行っている。
そして、国力が上回る織田家と直接戦うようになるまで、
目だった国力減退は見られない。
にも係わらず、信長だけが特別なことをしたということになる方がよほど不思議でしょう。

>>95
真面目にものごとを考えるならその根拠を調べるのは当然では?

97 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:33:54
おまえが一般論を覆すだけの証拠を出せ

話はそれからだ

98 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:36:55
>>93
だから秀吉もやってない。
朝鮮出兵の時も半分が農民ですよ。

99 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:37:46
司馬遼太郎さんも信長が兵農分離をはじめたとおっしゃっている。作家ではあるが歴史家でもある。なにも理由も根拠も言わない96の万倍も信憑性がある。

100 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:39:06
>>98
じゃあ残りの半分はなんだ?
つまりそういうことだ。
何事も100%でないから兵農分離してないなどというのはアホかと。


101 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:41:23
>>100
おまえ何度も何度も見苦しいぞ。
今は学会でも兵農分離はなかったとするのが通説だ。
織田の軍役の動員の書状見ても農民呼んでるのは明らかだよ。

102 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:41:53
>>97
既に何度も言っているでしょう。
他の大名も信長以前から農繁期農閑期にほとんど係わりなく、
時にはかなり長期間に及ぶ軍事行動を行っている。
それでいて国力衰退による自滅なんてことには陥らず、着実に領土を拡大している。
つまり、この点では信長との間の差異は見られない。
よって、この点で信長だけが特に何か特別なことをしたとは言えないということ。

103 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:43:07
>>101
見苦しいな
100%でないってだけのことにしかならん。
必要と在れば農民も動員するのは当然だろう。
なにを当たり前のことを言っている。
で、どこの学会だ。
それが主流だという根拠を示せ。

104 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:43:24
>>99
司馬さんは優れた作家ですが歴史家ではありません。

105 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:45:10
>>100
君もたいがいなこっちゃねw
それなら信長以前から武士身分というものは
自分で農業なぞする必要の無い大身のものから
江戸時代で言えば郷士に当たる小身のものまで
たくさんおったわけでねえ・・・・


旗本という信長の最も近くに仕える者たちですら、
安土に家族を移せずに単身赴任して怒られたのは
領地に小作や代官を置く余裕が無いからですよ。

106 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:46:23
>>105
単身赴任で怒られた、というのは逆に領地に小作・代官置けって事だろ。

107 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:46:26
否定派の論調ってさ、
「田舎には信号がないから日本には信号機などなかった」
って言うのと何も変わらない。

108 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:48:05
100%でないというなら、信長以外だってそうだし、
そもそも動員されたのは純粋な農民ではなく、
農業も行っていた地侍層。
兵農分離とはつまり曖昧だったこの階層に線を引くというもので、
軍事的な目的で行われたというよりも、
統治上の必要性から行われたものというべきだ。

109 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:49:07
>>106
旗本たちの尾張の実家に放火してまで引っ越させているが、
転封したわけでも領地を加増されたわけじゃない。
さぞや生活が苦しくなっただろうなw

だいたい身代のごく小さい旗本に対して
転封すらなく尾張に領土持たせたまま
安土で仕えろ、家族は安土に置けというのは無理だろ。

それを無理にでも実行して

「信長は本拠地をどんどん移しているから先進的」

などと崇められているのだからしょうがないw

110 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:51:22
>>107
全然違いますが。
その場合実際に信号機があるということさえ示せばそれで決着です。
この場合も同様に信長が兵農分離をしたという根拠さえ示してもらえば、
それで解決なのに、いつまでたってもそれが出ないという状況です。

111 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:52:55
>>110
状況証拠から織田軍は賃金を貰って働く職業軍人から構成され
常に大兵力を動員し続けられた事は明白ですよ?

112 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:53:48
>>111
どんな状況証拠?

113 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:55:07
次第に武士が農村から離れていくのは当然で、
そんな変化は一朝一夕に起きる訳でもない。

商業=非生産者 商業が盛ん=余剰人口が多い

つまり、商業が活発な裕福な畿内などの地域を中心にそういった変化がおきるのは
自然のなりゆきで、信長がそれに着目して、推進したというのが歴史だ。



114 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:55:55
>>112
羽柴秀吉がどれだけ長い間遠征していたかも知らないのですか?
三木城も鳥取城も、織田軍が兵農分離を成し遂げていたからこそ
相手の想定外の長期間包囲する事が出来、落とす事が出来たのですよ?

115 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:58:10
>>114
毛利も月山富田城を3年間も包囲して落していますが?

116 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:58:32
何でこう根拠もなく断言する人が多いのかね?

117 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:58:33
>>113
都市や町に住む町民は
信長から軍役の負担を義務付けられている、そして実際に織田軍を
構成している武士層にとって領土・領地として支配下に入っていないから
動員不可能。
光秀の軍役も石高準拠での動員が書いてあるが、
結局武士のほとんどが農地を領土として支配する以上、
そんな余剰人口など無意味だ。

118 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 00:58:36
信長の時代に職業軍人が0だというのは頭がおかしいとしか思えない。
秀吉の時代にいきなり職業軍人が湧き出てきたという説は無理がある。

119 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:00:40
>>118
君の言う職業軍人というのが領地の支配は使用人に任せて
軍務に専念できるぐらいの領地を持っている武士という意味なら
そんなのは全国どこにでもいるだろw

君たちはまずその「職業軍人」という無意味で軽薄なる単語を
正確に定義してみせたらどうかな?

120 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:01:22
>>117
文意を読み取れ。
商人が兵士だといってのるではない。
商業が盛んな地域は、それだけ非生産者を養うだけの経済力があるということ。
武士が非生産者へと変化していくだけの下地がそこにあるということだ。

121 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:02:39
>>119
非生産者でかつ、軍事に携わる人間

122 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:03:45
>>118
誰が0だなんていったの?
というか、職業軍人って言い方からして少し違うだろう。
兵農分離ってのは、
それまでは戦時には兵、平時には農業を行うという階層だったものを、
農は農兵は兵と分け始めたというもので、
そもそもそれによって動員兵力が増えると言う類のものではないのだが。

123 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:03:44
室町時代に年貢の村請が一般化しているが、これなどは
「農民層」と「領主層」のある程度の分化が無ければ成立しないわけよ。
つまり自分自身で耕さなくても税収の上がりだけでやってける武士ってのは
全国的に相当数存在したと言えるわけ。
逆に、郷士とか一領具足みたいな、自分でも耕さないとやってけない武士も
やっぱり相当数いたと言えるんだけどね。

124 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:05:13
>>122
かってに言葉を狭義に定義するな。
ようは畑を耕さない兵士のことだ。


125 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:05:35
>>121
それは正に全国どこにでもいる。
到底信長による改革の結果とは言えないね。

126 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:05:36
>>120
商工業者の利益は座を通じて信長のフトコロに入っていましたが
信長直属の旗本ですら尾張の領地を家族が耕してやっとこさ
信長に仕えているんだよねw

信長が商業的な収益を、例えば兵隊を雇うために相当量用いたという
証拠が何も無いんだけど。

127 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:08:16
織田は農繁期に他国を攻めたから
強いってことかい?


128 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:08:46
もう信者が多すぎ

どうしても信長の兵農分離を認めたくないらしい。

きもちわるい

129 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:09:18
>>127
大軍で攻めたから強い。
国力に差が無かった美濃を攻めるには時間がかかってる。

130 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:09:48
何べんも言うが根拠のないことを信じているものの方が、
よほどおかしいわけだがね。

131 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:11:57
>>127
他の大名も農繁期にも攻めてます。
特に武田信玄は稲狩りの時期に戦をしかせることが多いですね。

132 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:12:01
>>130
だったら信長が兵農分離をやっていない、金で兵隊を雇っていないって
言うんなら、そういう証拠を出してくださいよ。
全国的にどうだったとか、そんな状況証拠ばっかりじゃないですか。
信長の兵農分離ってのは、作家の先生も歴史の本書いてる人もみんな
言ってるじゃないですか。これが最大の証拠ですよ。
信長は商人を支配して得た利益で兵隊を雇って一年中戦える軍隊を作った。
これが定説であり事実であり真実だと思いますよ。

133 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:12:27
>>130
だから、おまえが常識を打ち破るだけの根拠を示さずに
かってに無かったと信じることがおかしいのだよ。

134 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:15:00
信長の兵の動員力は他に説明のしようがないしね。

135 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:15:23
>>132
何回言えばいいのよ?
他の大名も農繁期だの出兵期間だの、
信長と大して変わらず行っている。
よって信長とそれ以外にこの点で大きな違いがあったとは言えない。

136 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:15:31
>>131
稲刈りの時期に合わせたから徳川との戦が冬にまで長引いてしまい

137 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:17:46
>>134
信長は実際は何万もの大軍を動員してないのですよ。
石高から類推されるわずか数千の兵で各方面の大名を打ち破った
天才なのですwww

138 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:18:20
何かの説が間違っている、あるいは疑わしいことを示すのに、
その説が正しいことを示す根拠が全くないってことを指摘するのは、
極めて有効な根拠だと思うけどね。

139 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:18:30
>>137
石高から類推したら、美濃攻略後の信長に動員力で敵う奴がいないんだが・・・・

140 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:19:41
>>137
実際は石高から類推される数万の大軍で各地の大名を打ち破ったわけですが。

141 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:19:52
>>138
秀吉が引き継いでいるのが証拠だろ。
信長の軍の運用のしかたと合わせれば、もはや動かしがたい。

142 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:20:57
本願寺に10数万とか派兵してるのがおかしいじゃん。

143 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:22:07
まことに勝手ながら、>>62さんの書いた表を、年表にしてみた。

1538 那古野城攻略
1540 安城城攻略
1542 小豆坂の戦い
1544 稲葉山城攻撃
1547 古渡城下の戦い・吉良大浜の攻撃・加納口の戦い
1548 小豆坂の戦い
1549 柏井の戦い
1552 赤塚の戦い・萱津の戦い
1553 安食の戦い
1554 清洲城攻略・村木城攻略
1555 守山城攻撃
1556 稲生の戦い・寺原の戦い・斉藤道三救援
1558 品野城攻撃・浮野の戦い
1559 岩倉城攻略
1560 桶狭間の戦い・西美濃侵攻
1561 梅ガ坪・伊保城攻撃・森部の戦い・ 十四条・軽海の戦い
1562 小口城攻撃
1563 新加納の戦い
1564 犬山城攻略
1565 宇留摩・猿啄城攻略・ 堂洞・関城攻略

144 :続き:2005/06/05(日) 01:22:13
1566 河野島の戦い
1567 稲葉山城攻略・北伊勢侵入・楠・高岡城攻略
1568 北伊勢攻略・近江箕作・観音寺城攻略・勝龍寺城攻略・芥川城攻略・池田城攻略
1569 北畠氏攻略・六条本國寺の攻防戦
1570 野田・福島城攻略・朝倉氏討伐・姉川の戦い・宇佐山城攻防、坂本の対陣・石山本願寺挙兵
1571 佐和山・小川・志村・金が森城攻略・比叡山延暦寺焼き討ち・長島一向一揆
1572 三方ヶ原の戦い
1573 若江城攻略・江木戸・田中城攻略・一乗谷攻略・小谷城攻略・なまず江城攻撃・石部城包囲戦
    第二次長島一向一揆・東美濃方面の戦い・石山・今堅田城攻略・上京焼き討ち・二条城攻囲
    山城槙島城攻略
1574 伊丹城攻略・石部城攻略・長島一向一揆帰討戦・石山本願寺攻め・河内飯盛の戦い
    明智城救援作戦・高天神城赴援出兵
1575 高屋城攻略・石山本願寺攻め・越前一向一揆帰討戦・三河赴援出兵・長篠の戦い
    岩村城攻撃&攻略・黒井城攻撃
1576 石山城下の戦い・木津川口の海戦
1577 伊勢森城攻略・信貴山城攻略・第一次・第二次紀伊雑賀攻め・竹田城の戦い・福原城の戦い
    上月城攻略・加賀出兵、手取川の戦い
1578 有岡城攻略・石山本願寺攻め・和泉淡輪沖の海戦・八上城攻め・園部城攻略・三木城攻め
    上月城攻防・神吉城攻略・第二次木津川口の海戦・月岡野の戦い
1579 八上城攻略・宇津城攻略・黒井城攻撃・弓木城攻め・嶺山城攻略・伊賀侵入
1580 花隈城攻略・石山本願寺平定・三木城攻略・寺畑城攻防・英賀城攻略・長水山城攻略
    加賀平定戦・菱脇の戦い
1581 湊川口の海戦・鳥取城攻略・岩屋城攻略・小出城攻防・七尾城攻略・伊賀平定・高野山征伐
1582 冠山・宮地山城攻略・高松城水攻め・天神山の戦い

後半は方面軍の戦も入ってるが、織田家全体で見れば1558年〜1582年までずっと戦争してるな、
初期の頃からのこの恐ろしいまでの継戦能力は素晴らしい。

145 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:24:16
>>141
だから秀吉が引き継いだ結果が
朝鮮出兵の時に半分が農民なんだけどw
「身分」が「農民」なのが半分というだけで、
刀狩りなど士農分離に熱心だった秀吉でさえこれでは、
「身分」が「武士」や「中間」や「小者」の連中でも
確実に非農業層だなんて言えやしないわな。

武士が「領地を支配して税収を得る」スタイルから
「領地相当の収入を米か現金で大名から受け取る」スタイルに
変化したのは江戸時代。

つまり言葉通りの「職業軍人」が生まれたのは江戸時代だよ。

146 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:24:22
>>141
引き継いでるって言っても、
天下統一近くになってからの事業ですし、
しかも、それは兵力を増やす為ではなく、
身分制度の確立によって統治を行いやすくするためのもので、
ここで議論になっている動員兵力云々とは関係ない話です。
それから、ごんの運用の仕方とか?

147 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:25:39
>>142
職業軍人だったら天王寺の救援にもっと大軍で行けるだろ?
信長自身が流れ弾で怪我するような目に遭わないで済むのにw

148 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:25:41
信長の野望なみの勢いで戦ってるな(w

149 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:26:01
>>146
最後の一行は
軍の運用の仕方とは?
です。

150 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:29:28
>>145
秀吉の時代は地方がまだまだ農民主体だからだろう。
信長領は畿内が中心。

151 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:32:32
そういえば昔天王寺の救援の話題で、
3000が集まったから凄い、職業軍人がいた証左だ、
いや、3000しか集まらなかった、職業軍人が居なかった証左だ、
と盛り上がってたな。

>>147
職業軍人でも2日で直に大軍を召集するのは無理でしょ、
2日という期間ではどっちかといえば通信網と、交通手段の問題だろう。

152 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:32:40
信長にしても、突然、兵は農業をやめろなどと言えないと思うよ。
食べていけなくなるし。
小泉の構造改革のようにじわじわ体質を変化させていったのでしょう。

153 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:34:04
そもそも、ここで話になっている信長の兵農分離とは、
平時に農業を行っているものの他に兵を雇い入れて兵力を増やすって物だろう?
でなければ、信長の動員力が大きかったからという話とあわなくなってしまうし。

しかし、秀吉の兵農分離ってのは今まで平時には農業を行っていたが、
非常時には兵になったものを、
常に兵だけのものと、常に農だけのものにわけだだけで、
それによって兵力は増えたりしないわけだが。
むしろ減ってしまう、それでは大規模な戦いの時には困るから、
結局農民も動員することになると。
で、最終的に兵(というよりも既に戦争はないから武士階級)と農民が完全に分離したのは、
戦がほとんどなくなった江戸時代以降。

154 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:36:08
>>150
畿内が中心だろうが何だろうが、
信長の軍隊を構成してるのは農村に領土を持ってる武士層で、
その領地は農村の土地の石高で示され
動員は石高に応じて行われているわけで。
収益モデルは地方と同じ。
信長が特に賃金を払って兵を集めたような記録でも無い限りはね。

155 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:37:03
そもそも論だが、
だれが兵=農民って決めたのだ?
どこにそんな根拠があるのだろ。

単純に農業でも商業でも人口の多いところは兵士も多いだろ・・・

156 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:38:15
>>153
>平時に農業を行っているものの他に兵を雇い入れて兵力を増やすって物だろう?

信長直轄の兵を除けば、後は武将層に軍役を負担させて武将それぞれが
連れてくる兵が軍隊を構成する中心なわけで。
とすれば動員力を増やすにはどういうルートで人を雇い配属するんだ?
信長に最も身近な旗本ですら、地元の領地を家族に任せて単身赴任なのに。

157 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:39:32
まあ、兵役が農村だけだなんて話はちゃんちゃらおかしいわな。
職人の子であれ、商売人の子であれ、戦に行きたいやつは行く

158 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:42:49
>>155
そりゃあ、寄親寄子制という、農地の所有を介した地縁関係によって、
兵を動員していたからだろう。
また、特に太閤検地以降米の取り高によって動員兵力が定められたこともその根拠。

この点に信長が大きな変革を行ったという根拠は全くない。

159 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:43:42
>>156
単身赴任して、それを信長が怒って禁止した訳だから、
単身赴任してないだろ。

160 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:44:17
当時は身分制度などもあいまいだから、
商業が盛んになれば、いままで農業をやっていた兵も
商売に切り替えたりするでしょうね。
田舎なら石高=人口=兵力かもしれないけれど、
商業の盛んな地域は事情が違うと考えないとおかしいな。


161 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:45:32
>>160
そんな簡単には出来ません。

162 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:46:19
>>161
なぜ?


163 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:46:45
>>159
禁止されて家族を安土に移したが、
領地を安土の近くに移したわけでも
小作を雇えるぐらい収入をアップされたわけでも
領地から賃金に切り替えられたわけでもない。
つまり「努力して頑張れ」って事だなw

164 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:48:22
>>158
信長はその制度を無視したんじゃね?
秀吉みたいなのを大将にするほどだし、
なんでもかんでも召抱えたのだろ。

165 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:48:49
>>160
副業持ってる農民てのはそれこそ全国的にわんさとおるがね。
しかし武士に領地が石高や貫高を基準に与えられ
その石高や貫高を基準に兵を連れて行くというのは同じだよ。
システムをいじらなければ事情の違いなんて意味無いだろ。

166 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:49:28
>>163
それでも家臣が単身赴任を禁止されて、
家族と一緒に安土の城下に住んだ事実にはなんら変わりない。

167 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:49:37
>>162
座って奴があって実はこれも信長は廃止したわけじゃあないので。

168 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:49:50
>>164
光秀の軍法などあるから
織田家でも軍役が機能しているな。
とすれば武士が領地から兵を動員するシステムは同じだろ。

169 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:52:13
>>164
低い身分からの抜擢なら、
例えば高坂とか武田家等にも例はあるけど、
抜本的な集兵システムに変化はないですね。

170 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:53:07
90くらいまで読んだ。
結論、織田厨あたま悪すぎwww
勢力伸張した大名家は、どこもある程度兵農分離してるんだよ
軍役を勤める兵士はほぼ一定で、代わりに租税、諸役を免除される
それに、そもそも総兵力は人口の1/40前後だろ?
40人のうち1人が欠けると農作業が滞って疲弊するとか
バカすぎ、頭おかしい

171 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:53:43
石高は伝統的な単位だからでしょ。
実際には石高と軍事力の実態は商業の発達でだんだん食い違ってきてる。


172 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:54:07
武田家では商人だの神官だの、適当な奴を数合わせで連れて来る事を
戒めている。
また恵林寺検地帳によれば武田家では農民を御家人衆・軍役衆・惣百姓といった
分け方をしている。納税額はそれぞれゼロ、三割、五割となっている。
御家人衆は一軒あたりの土地が最も多い。そして年貢がゼロだから
江戸時代で言う所の郷士のような身分だと考えられる。
軍役衆は一軒あたりの土地は御家人衆よりは少ないが惣百姓よりは多い。
年貢は一部免除、棟別銭は完全免除などの特典を付ける代わりに
富裕農民を中心に軍役に駆り出していたという事が分かる。
惣百姓は一軒あたりの土地は最も少ない。納税もキッチリ行う。
しかし軍役には就かない。

173 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:55:15
>>166
で、信長の旗本ですらそんな感じで、
全軍の動員システムなんて作れますかね?

174 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:56:05
>>173
他の大名と同じ程度には作れるだろうし、
実際もそんなものだ。

175 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:57:43
ちょうどこの時代は、農業生産力が向上して非農民が増えた時代ですね。
従来の農民=人口の図式が崩壊した時期でもある。

石高だけで兵力を想定するのは、あまりに単純バカです

176 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:58:23
>>171

貫高が伝統的な単位だったけど、銭の信用が低下して
米が取引の基本になった戦国期から石高を使用、のはず。

177 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 01:59:39
>>173
単身赴任してるっていう間違いに突っ込んだだけで、
別に全軍の動員システムが出来てるなんて言ってないが?
つーか誰一人そこまで言ってないだろう。

178 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:00:46
>>175
武田家はハッキリと
「農村を支配する武士が農村から兵を動員する」図式を
作っている事が分かってるわけよ。

織田家に仕える武士も領地は農村なんだけどさ。
どういう動員システムを作ってたわけ?
軍役で武士に駆り出される都市民とか聞いた事ねえんだけど、
そういう史料でもあるかい?

179 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:01:29
>>176
どちらにせよ、石高と軍事力の実態は食い違ってますよ。

180 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:01:34
結局のところ、
信長の動員兵力や戦の時期その期間等は、
他の戦国大名と比べても特に変わらず、
この点で信長が他と違っていた点を無理に指摘する必要はない。

根拠もないのに兵農分離だのなんだのと、
何か信長が特別なことをしたことにする必要自体存在しないわけだ。

181 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:01:39
>>175
バカはおまえ
>従来の農民=人口の図式が崩壊した時期でもある。
石高=人口の図式が成立した時期でもある。ってか?w

182 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:02:04
>>177
信長が気付くまでは単身赴任だったがw
安土で初めて気がついたんだから岐阜時代は
家族は尾張で自分は岐阜か。

183 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:04:07
石高=人口という図式は江戸時代から明治初期にかけての
石高や人口調査を元に作られているんだけどな。
江戸時代の石高という奴は畑も家屋敷も含むから
米の生産力とは全く一致しない。
農業生産力とも一致しない。
でも何故か成り立ってるw

184 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:04:15
>>181
バカですねー
農業生産力の向上が非農民を生んだのです。
それまでは、人口のほとんどが農民だったから、
石高=人口=軍事力

ですが、非農民の多い地域ではもう形骸化した図式です。


185 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:06:43
>>184
農民の副業は別として
都市民というのは座を通して上納金を納めたりはするが
武士の領地には組み込まれないし軍役も関係無いよな。

186 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:07:00
>>184
まあ、実際農業活動に従事しない武士の割合はどこでも増えているようだが、
特に信長とは関係ない事象だね。

187 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:07:03
兵農分離・職業軍人って大阪の陣がある意味完成形だったな。
多くの浪人衆を雇い入れて、領土を持たない、自前の家臣も殆ど居ない
真田幸村等に3000、4000を預け、指揮させるところとか。

188 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:09:00
非農業民が多いと言っても
それを支配し動員するシステムが無きゃ
意味ないね。
江戸が100万都市になった時代と比べたら
京都10万が日本一の時代ではだいぶ下だろうしな。

189 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:09:40
問題は信長の出発点である尾張が商業都市ということでしょう。
信長の発案かどうかなど関係なく、尾張は非農民が多い土地。
自然と非農民の兵も多いと考えるのが普通ですよ。

190 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:09:57
>>184
アホすぎ‥
>農業生産力の向上が非農民を生んだ
要するに、農業生産力の向上した分のうち
いままでは農民となっていたのが、雑民となるケースも出てきたってことだろ
石高=人口=軍事力という事実には何の変化も無いじゃないかw

191 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:10:12
武田家には牢人衆というまさに金で雇われた腕自慢どもの部隊が
大した数でないにせよいた事は分かってる。

織田家は?

192 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:10:36
織田厨歴史家が適当な事書くから
ややこしくなるってことだなw

織田がのし上ったのは
兵農分離なんて関係なく運良く美濃を攻略できて
真っ先に堺を押さえることが出来たからなのに


193 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:11:27
>>189
だから、そんな事をする制度自体ないが?

194 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:11:42
>>188
商業地に農村の田舎大名の支配システムを当てはめるのに無理がある。
土地ごとに、また大名ごとに、それぞれの支配システムが発達しているわけで、
全国共通ルールブックなど存在しないのです。



195 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:12:14
>>182
別に全員が全員単身赴任だった訳じゃない、
別に単身赴任してたのは御弓衆60人・御馬廻60人、こんだけ。
岐阜の前の、小牧に移住する際も家臣に移住を命じてる事から、
岐阜時代から家臣を城下町に住まわせる政策はとっていたんだろう。

196 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:12:51
>>189
>信長の発案かどうかなど関係なく、尾張は非農民が多い土地。
>自然と非農民の兵も多いと考えるのが普通ですよ。

だから非農業層をどうやって支配し、どうやって動員していたのか
モデルを示しなさいよ。
尾張は石高もべらぼうに高いんだから農業民もたくさんいたでしょ。


むしろ分かりやすく。
山城は人口10万を超える当時最大の都市・京を抱えていたわけでさ。
室町幕府は町衆を戦に動員していたかい?
そういう制度があったかい?

197 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:13:38
>>189
尾張は割りと農業に向いた土地柄なんだが‥
非農民が多いというのは、どういう根拠?
司馬某の太閤記にそんな記述があった気はするが、事実かどうか疑問。

198 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:13:58
>>195
まあ余裕があれば小作の一人二人入れりゃ済むからね。
その120人は本当に暮らしが厳しい120人だったんだろう。

199 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:14:18
>>194
商業地から商人を兵に動員した大名なんていませんが?

知っているならご指摘ください。

200 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:14:32
堺町衆は用兵を雇ってたのじゃないか。


201 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:15:12
>>194
武田家はその片鱗を窺わせる史料を残したね。
北条家も農村の検地を盛んに行い貫高を基準に軍役を
割り当てたね。


織田家は?

202 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:17:16
>>200
比叡山の僧兵という名の傭兵とか
堺の町衆が雇っていた連中とか
武田家の牢人衆とか
金銭的余力を用いて維持した兵力は確かに存在するよね。
で、それが例えば「他の大名と違って通年の大量動員を可能にする」とか
そういう大規模なレベルで信長によって行われたのだとすれば。

何の記録も無いのはおかしいよね。

203 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:19:16
>>199
単純バカばかりですね

なぜ、土地を支配するヒエラルキーが全国津々浦々まで画一的に統一されているなどと思えるのか
不思議でしょうがない。

わたしは歴史家ではないから、いちいち土地ごとにどうなっていたかなどしりませんが、
あなたが言うのは、一般的にそういった形態が多かったってだけのことであって、
それはそういった農村が日本に多いのだから、農村部の一般的なモデルの一例って範囲をでない。
むしろ画一化されていたという根拠をしめさなければなんの説得力もない。

戦乱の時代にありあまる余剰人口を手付かずで放置するというのは
よほどのバカとしかいいようがない。

204 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:22:19
>>203
>戦乱の時代にありあまる余剰人口を手付かずで放置するというのは
>よほどのバカとしかいいようがない。

余剰人口って・・・・
商人や職人なら戦に連れてくよりも兵站を賄わせたりする方がずっと有益では・・・・

205 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:23:28
>>203
堺とかは特殊なケースだと思うが
交易が発達した商業都市は、水運がいいか交通の要衝で
近くが沃土で大都市か、鉱物とか材木とか資源が豊富とか
特別な存在だからね、>戦乱の時代にありあまる余剰人口
なんてのは有り得ない。むしろ
戦乱の時代にありあまる余剰人口を発生させてる時点で欠陥ありだと思うね。

206 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:26:07
>>205
余剰人口という言葉に語弊があれば、農民でない人と言い換えますよ。
文脈からわかるでしょうに

207 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:27:25
運かどうかは別にして、
信長が大躍進したのは尾張に続いて美濃も併呑して広大な国力を手に入れたからで、
その後も外交・戦略的成功によって勢力を伸ばしていった。
美濃攻略にしても、何年もかけて工作を仕掛けた上での成功で、
特に根本的な軍制改革を行ったという形跡もないし、
そのようなことの必要もなく、素の軍事力で成し遂げている。
兵農分離なんてものが行われる必要もその必然性もない。

208 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:29:17
>>203
申し訳ないがそれはあなたの推測に過ぎませんね。
普通は何か他と違う特殊なものがあるということを主張する側が、
そのことを証明する必要があるのですよ。

209 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:31:28
>>208
だって井沢さんが言ってたから。

210 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:33:09
>>208
ただの土地の豪族が支配しているだけですよ。
その豪族を束ねるのが大名です。

その土地ごとの豪族の支配方式が農村や商業地やすべてにおいて
たった一つの方式で統一されているというあなたの意見が
極端に特殊な見解であり、それを証明するのはあなたです


211 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:33:51
有り余る余剰人口って・・・・
都市から兵士なんてつれだけせば、それだけで都市が崩壊してしまうぞ、
少なくとも都市が都市であるメリットはほとんど失われてしまう。
従来より、その一部が兵士としてとられることが織り込み済みの農村部なら何とかなるわけだが。

212 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:34:12
>>206
商人、職人は何も産み出さない存在
ただ単に、農民の生産物や資源を横から横に流して儲けるだけ
銭の価値が不安定な情勢じゃ、色々調達に便利かもしれんけど
居てもいなくても、総生産に大した変化は無いと思うが。

213 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:36:55
>>210
都市を支配した豪族なんていませんが。
都市は主にそれぞれも町衆・座、等により統治され、
それらを通じて領主に金を貢いでいました。

特殊な例っていうか、
正直あなた日本史を知らない?

214 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:37:02
>>212
経済の勉強でもしてください。
香港はなにも生産しませんが、国民一人当たりのGDPは日本とかわりません。
物を流通させることが大きな意味を持つ。

215 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:38:19
>>214
現代はね。

216 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:39:41
というより商人と職人がいなきゃ戦なんてできんぞ・・・・
素っ裸で木の根っ子でも食いながら戦うなら別だが・・・・

217 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:39:57
>>213
町衆に統治されるような独立都市のほうが例外でしょう。

218 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:41:41
>>215
当時も貨幣経済であることが、矢銭などからもわかるでしょう。
金があれば物が集まる。
尾張は海運も恵まれている。


219 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:41:49
>>217
町衆に支配されると独立してんの?
京は幕府に地子銭払ってたし
堺ですら三好の保護下にあったし・・・・

220 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:42:24
そもそも、余剰人口が発生するのは、
まずは生産地である農村なわけで、
だからこそ、当時の大名は信長に限らず、
農繁期にもかなりの数を動員した戦が出来ていたわけだがね。

いきなり、余剰人口が都市に集まると思うところがちょっと・・・

221 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:43:08
町衆が堺のように金しか出さないと考えるのがおかしいのでは?


222 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:44:13
>>217
普通私たちが想像するレベルの「都市」は大抵町衆支配だよ。
それ以下では今の話に関係しないと思うが?

223 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:44:21
>>220
商業地だから余剰人口が多くて信長だけ特別なんじゃなかったの?w

224 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:44:37
>>220
サルですか
都市は農民がいない=非農民
あほですか

225 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:45:39
>>223
いや、特別じゃあないんだよ。

226 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:45:58
ていうか、どうしても農民=兵力
信玄マンセー
なだけのアフォばっか

227 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:46:16
中世日本においては「都市」と言えばまず大寺院であろう。
延暦寺、高野山、根来寺、東大寺、どれも立派な都市でもある。

228 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:46:57
>>221
兵員を提供したと言う例がどこかにあります?

229 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:47:41
>>224
なにが言いたいのか理解できないが?

230 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:47:44
>>226
例えば明智光秀配下で1000石の「領地」を持つ者には55人の
軍役が課されますが、「領地」ってのはどこにあるもので、
そこから誰を動員するんですか?

231 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:48:46
>>229
アホですか
都市そのものが、余剰人口(非生産者)だということ

232 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:49:07
>>226
石高によって動員兵力を定めたのは秀吉ですがね。

233 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:49:35
>>228
まあ石山本願寺なんかは都市であり城塞でもあって
都市民が戦闘に参加しただろうけどね・・・・

大名が城下町の住民に動員を命令した書状とか
ありそうだけど無いもんかねえ。

234 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:50:04
>>231
それがどうかしたの?

235 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:50:05
城下の町からは一人も兵が出ないという記録がどこかにあるのかね

236 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:50:11
>>232
秀吉以前から普通にやってるかと。

237 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:51:18
>>235
出ない記録なんぞあるわけないだろ。
出た記録を出さないと。

そりゃ城が攻められて城下が焼き払われて城に非難したりしてたら
弾薬運びぐらいするだろうが。

238 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:51:53
>>235
また、否定する根拠がないなら肯定ってのか・・・
まずは「あった」という根拠を持ってきなさい。

239 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:53:07
探せばあるだろうな。
どう考えても町人は一切戦に関与しないという現象は信じがたい。


240 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:54:13
根拠はない、だが自分の言うことは正しい。
否定するならその根拠をもってこい。か、
なんというかすがすがしいほどアレな人だな。

241 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:54:54
>>239
不思議な現象を信じる人々なのですよ。
歴史家じゃあるまいし、常識的な話も「証拠を出せ」なわけです

242 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:55:33
>>239
頑張って探しなよ。
見つかったら話を聞いてあげましょう。

243 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:56:39
>>241
常識的には

武士の領地=農村

であって

武士が率いる兵=自分の使用人と領地内の農民

というのが常識かと。

244 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:56:53
もう町人は、戦とは一切無縁でいいじゃんwww

簡単だしwww

信玄サイコー

245 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:57:25
>>241
仮にも何かに興味があるなら当然のこと。
「常識だから」で止まっているならただの思考停止だぞ。

246 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 03:05:20
>>244
>>231によると、町人は余剰人口(非生産者)だということらしいから
何の収益ももたらしてくれないぞ
軍役に就かせる場合は租税免除しても意味ないから
給金払わなきゃいかんし、しかも逃げようと思えばさっさと逃げれるし。

247 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 03:19:12
身分制度の厳しい戊辰戦争の時などでも、職人も軍に編入されたりしてるから、
戦国時代なら普通にあったのじゃない?

248 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 03:26:34
まず無いだろうね
軍役に就く兵は農民からいきなり徴兵するのではなく
規定された1つの身分ですから。
徴兵制度が成立していて編入されたのとは、話が違う。

249 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 03:36:15
いや、戊辰の時のは徴兵ではなく、寄合組に編入されて戦争にいっている。
職人衆や町衆がどこに属しているかってはなしじゃないかな。
大抵は寺社仏閣だろうけど、直接に領主に帰属する町人衆や職人衆は
足軽の身分が与えられていても普通な気がするな。
なんにせよ、戦国時代だし、各領主が各々勝手に自治をしだした時代だから、
わやくそになってそうだが。


250 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 03:59:05
秀吉が人掃令で武家奉公人が百姓をしたり商売をすることを禁じたことから、
逆にいえば、それまでそれらの区分が不明瞭だったのだろう。
織田の蜂須賀党などただの野盗で武士ですらないから、江戸期のような身分といえるものが
あったかどうかもあやしいが。


251 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 04:04:06
職人衆なら軍に参加しても不思議無い罠
ただ、単なる職人と職人衆じゃ全く別だろうけど‥
金山衆とたまたま居る鉱山労働者を一緒にするようなものかと。


252 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 04:12:09
足軽や雑兵というものが、そもそも士分ではないわけで、
人手不足から武士だけでは戦争などできるわけもなく
そのへんの浮浪民や農民やらなんやらをかき集めて兵として組織したものだから、
そいつらが普段は商いや物作りをしているのか、農業や林業をしているのかは不明だな。
足軽が武士の身分になったのは秀吉の身分制度からだし。

253 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 04:21:18
>>252
>そのへんの浮浪民や農民やらなんやらをかき集めて兵として組織したもの
嘘つかないように。
かき集めて兵として組織なんて事実は無い
浮浪民や商いや物作りをしている者は、基本的に軍役へ就かせられなかった。


254 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 04:30:02
>>253
歴史の教科書にもそうあるのだが。
応仁の乱から生じた人で不足から足軽などが組織されるようになった。

255 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 04:37:28
>>254
その教科書どこの出版だ?
かき集めで足軽を組織されたのは、まともな支配地、統治機能が無い勢力の話
戦国大名が浮浪民や農民やらなんやらをかき集めて
兵として組織した事実は無い。

256 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 04:37:38
教科書じゃなくとも、どこのサイトでも同じ記述がある。
自らの無知蒙昧を棚に、人を嘘つきとは片腹痛い。

http://www.geocities.jp/yuutarou19800126/sengoku1.html
★応仁の乱が長期化すると兵士不足となり、従来のような甲冑に身を包んだ武士ではなく、
  京都近郊の没落農民や浮浪者に軽装備を付けさせ、戦闘力として活用した。これらの兵士は
  「足早に疾走する歩兵」の意味を込めて「足軽」と呼ばるようになった。


257 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 04:41:46
自分の使っていた教科書が何出版かまで覚えているか?

他にも同じ記述はいくらでもある
http://db.gakken.co.jp/jiten/a/002660.htm

足軽 あしがる
武家社会における雑兵(ぞうひょう)。▽「歩行がすばやい歩兵」という意味であり
,応仁の乱*に農民や浮浪人が足軽と称して,奇襲戦法に用いられた。
戦国時代には弓足軽・鉄砲足軽などとして訓練され,特に織田信長の足軽鉄砲隊は有名であった。
◇江戸時代,侍の中で身分が最もひくかった。

学研学習事典データベース

258 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 04:43:57
>>256
無知蒙昧なのはオマエ
応仁の乱に参加する軍勢は国元から離れてる
しかも統治の進んでる領主が少ない時期の事。
そのころの間に合わせな手法を戦国中期にもなって
使用していると思ってるなら、頭がお目出度い。

259 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 04:47:40
>>258
情けない男だな。こっちが恥ずかしくなる。
間違いを認めたらどうだ。

おれの記述は下の通り。
<足軽や雑兵というものが、そもそも〜〜そのへんの浮浪民や農民やらなんやらをかき集めて兵として組織したもの>

どこがどう嘘なのか説明してもらおうか。

といってもこんな恥ずかしい奴と会話する気はないのでこれにて。



260 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 05:04:07
>>259
>足軽や雑兵というものが、そもそも士分ではないわけで、
>人手不足から武士だけでは戦争などできるわけもなく
>そのへんの浮浪民や農民やらなんやらをかき集めて兵として組織したものだから
信長も信玄も、そのへんの浮浪民や農民やらなんやらをかき集めて
兵として組織する事はしてませんからw
基本的に村や家を対象として、租税、諸役を免除し軍役を負担させている
つまり、戦の時だけ掻き集めるワケじゃなく、ずっと軍役を勤める。
ようするに、アンタは根本的な勘違いをしてるってこった

261 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 07:46:11
軍役で集めた奴の他に寄せ集めの連中を集めるんだがな
まあどうせ信玄厨だろうな

262 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 08:13:59
>>259
とりあえず、信長とは関係ない話ですね。

いずれにしても、
信長が兵農分離に類するような改革を行ったということを示す史料はないし、
それをしたと思われる状況証拠も、しなければならなかったという事実もない。
つまり、信長がそのような改革を行ったとは思えない。
ということに違いはない。

263 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 08:37:47
足軽というものの発祥の問題、単なるそもそも論と
その後戦国大名が兵力を安定的に動員可能にするために
何をしてきたかという事をごちゃ混ぜにしてどうするのだろう。

264 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 09:36:35
ただの話の流れでしょう。

265 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 11:01:04
ま、どっちみちちんげんと信長の作り上げた勢力差は歴然としてるわけで、
ちんげんは信長の足元にも及ばないわな。


266 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 11:09:32
どうしても織田の勢力を過小評価したい信玄厨が必死なだけ。
信長の八面六臂の戦っぷりを可能にした原因はどこかにあるはずで、
日本中の歴史家が兵農分離を指摘するのに、根拠もなくヒステリックに
否定しているだけのように見える

267 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 11:25:18
>>266
だから、石高から計算される普通の兵力だけで可能だっての。
信長の支配領域を過小評価しているのはあなたではないかね?

268 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 11:29:29
実際武田信玄あたりも毎年のように戦っているし、
謙信も北陸・関東・信濃と続けざまに連戦を重ねているし、
毛利家にいたっては3年間も功城戦を続けている。
そういう事実を知らずに、
信長だけが特別だったなどと思い込むから、こういう誤解をしてしまうわけだ。

269 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 11:31:06
>>267
根拠もなく、歴史を嘘だとか言う信玄厨を信用しないだけ。
日本中の歴史家が兵農分離を認めている。
歴史をくつがえすだけの根拠がなにも示されないまま、
そんなものは無かったというキチガイはどういった理由でそう思うのか
なにも書いていない。

単純に織田の勢力を過小評価したくて必死というしか説明のしようがない。

270 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 11:40:47
>>269
だから、織田家と他の大名家に、
徴兵方や動員、戦の時期継続期間等の違いはないと何度も言っているでしょう。

なぜ違いがないのに何か特別な信長がことをしたことにしたいのか、
根拠を述べてみなさい。

271 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 11:48:25
>>270
教科書にも書いている事を嘘だと言うほどの根拠が必要。
こんな素人しかいない掲示板で歴史の教科書の内容を実証しろというほうがおかしい
大勢の学者の研究がベースに歴史が編纂されている。
それが根拠であり、それが嘘だというなら、それを説明しなければ誰も信じる人などいない。

272 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 11:56:45
信長が他の大名に比べて特に士農分離に関して差はないと主張する人は、
士農分離と言えば信長が行ったとなぜ言われるか考えないのだろうか。

「言われる」と言う事は「言われるだけの何かがある」と言う事だろう。
火のないところに煙は立たずだね。

否定派は他の大名も士農分離は行っていたというが、規模が違うのだろう。
もちろん信長も100%士農分離を行っていなかっただろうが、
例えば
他の大名の士農分離が20%程度で
信長の士農分離が40%だとすれば
十分信長は士農分離の先駆者だろう。

他にも
他の農兵が大半の大名だって必要があれば農民に無理をさせて農繁期に戦もするだろうし。
死活問題の戦をする時に、農民が困るからといって兵を動員しないなんて
心優しい奴はすぐに滅ぼされるよ。

信長だって兵力が足りなければ農民から召集する事もあるだろう。
合理主義者の信長が兵が必要なときに軍団の方針だからって、
兵を集めないなんて事はないだろう。
信長は恥や外聞より以下に自分にとって都合がよいかを考える人間だからね。

大体信長の軍団って言っても、降伏させた大名や豪族を
重臣たちにまとめさせているんだから、
信長の直属軍はともかく、軍団配下の大名や豪族が農民をどれだけ召集しようが、
が信長自身の士農分離方針とはまた別の話だろう。


273 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 12:20:11
>毛利家にいたっては3年間も功城戦

具体的にはどの城?

274 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 12:26:29
秀吉の中国攻めのような、4〜5年にも及ぶ
大軍の長期遠征は他に例があるのか?

275 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 12:26:46
月山富田城他








でも三年はすげーな

276 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 12:42:43
3年間なんてそんなに大した事はない、
織田は石山本願寺で5年、しかも各方面で戦争しながらやってる。

277 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 12:55:09
3年も包囲しつづけたのはけっこうすごいな

278 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 12:55:30
規模が違うだろうが

279 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 12:59:43
包囲したのは数ヶ月間だけじゃね?
3年も出ずっぱりって事じゃないだろ・・・

織田の遠征軍は何年も出っ放しだから、兵農分離は間違いないだろうが。

280 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 13:44:45
>>275
それこそ織田家は国力が違う。

>>279
遠征軍が何年も出っ放しなんてことはないが。

281 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 13:54:28
>>269
いまどきどこの歴史家が、織田信長が兵農分離をしたと言っているの?
確かにこの時期に兵と農が別れる動きはあったがそれは全国的なもの。
例えば、吉川弘文館の「日本の時代史」あたりでも、
戦国大名一般に通じること言われているし、
東京大学出版会の「日本史講義」には武田家よる「兵農分離」の例が詳しく紹介されている。
いずれも戦国大名一般に見られた動きであって、特に信長だけってわけじゃあない。

>>272
だから、その根拠がない。
なぜ、根拠がないのに織田派40%他は20%なんてことが言えるの?

282 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 13:57:40
>>274
それは、中国方面軍としてその方面に腰を落ち着けてのことでしょう。
ずっと継続したいたわけではない。
信長は圧倒的な国力を得たことでそういった「方面軍」を複数設立することが可能になり、
それぞれの地域をそれぞれの指揮官に任せたと言うだけのこと。

283 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 16:52:03
>>282
意味が違う
各方面軍を自在に編成できることは、兵が土地にくっついてないことを示す。
秀吉の援軍に向かった明智は中央から兵を率いていったことからも、
その兵は地元の農民ではない。
畑仕事のために故郷に帰還して出兵のときだけ加勢する兵じゃない。
何年も長期遠征可能な兵であり兵農分離がなされていることを意味する。


284 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 17:00:31
信玄は田舎百姓の親分やもんな。信長と格が違う

285 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 17:09:27
まぁな。信玄なんて山賊の親分みたいなもん

286 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 17:19:15
>>283
意味がわからん何で
>明智は中央から兵を率いていったことからも、
>その兵は地元の農民ではない
地元じゃないって中国地方の農民じゃないってこと?
何でそれが兵農分離がなされていることを意味するになるのか理解できん。

287 :Mr.無双 ◆pLbXzL01dk :2005/06/05(日) 17:22:43
(*´Д`*)ハァハァ 無双のエロAAやエロ画像貼って下たい。
兎に角今晩のおかずにする為に貼って下さる人募集。
誰か貼ってくれなきゃ餓悶死しちゃうw。お市たん(*´Д`*)ハァハァ


288 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 17:23:43
>>286
中国方面軍が中国地方の農民ではないこと
各方面軍は数年間もその地方にとどまり、攻略を続ける

したがって中国方面軍などの兵は
他の大名の兵のように、普段は百姓をしいて、戦のときだけ加わる兵ではないと
いうことが分からない?





289 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 17:26:01
>281
>なぜ、根拠がないのに織田派40%他は20%なんてことが言えるの?
「例えば・・だとしたら」って言う話に具体的な数字の話で突っ込むとは頭悪すぎじゃないか?

272で言っているのは、他の大名もやっていたと言う事と、
信長が他の大名と同レベルかは別だという話。

否定派が言っているのは、
例えば
ボクシングの世界ランカーはボクシングの試合に出ている。
近所の兄ちゃんは4回戦ボーイだ、
プロのライセンスをもっているしボクシングの試合にも出ている。
だから世界ランカーは4回戦ボーイと一緒だ。
と言っているようなもの。

農繁期に他の大名が戦をしていようが、信長が農民を招集していようが、
信長が士農分離の先駆者じゃないと言う証明にはならない。

信長が士農分離の先駆者じゃないと言うなら、
その根拠が必要。
今までの否定派の言っていることは全然根拠にならないからね。


290 :Mr.無双 ◆pLbXzL01dk :2005/06/05(日) 17:28:04
(*´Д`*)ハァハァ 無双のエロAAやエロ画像貼って下たい。
兎に角今晩のおかずにする為に貼って下さる人募集。
誰か貼ってくれなきゃ餓悶死しちゃうw。お市たん(*´Д`*)ハァハァ


291 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 18:56:05
>>288
そりゃあ、各方面軍は基本的にその方面の地元の兵ですから。
北陸方面なら越前、中国方面なら播磨周辺を中心にしたね。
もちろん、司令官の側近や馬周りは司令官の地元からついていったものもいただろうが、
それは、それ以前の大名も同じ。
武田家で北信濃あたりを統括した高坂、西上野の内藤、伊那の秋山あたりは、
甲斐から派遣されたものだが、彼らが率いた兵は兵農分離していたと思う?

292 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 18:57:17
>>289
だから、
なんで、根拠がないのに「例えば・・・だとしたら」って言い方が出来るの?
あなたは信長が先駆者だと言われるのは言われるだけの何かががあるからだと言っているが、
それなら、その「何か」を示せばいい。
少しは自分で探してみれば、その根拠とされるものが、
実は他の大名も同じようなことを既に行っていたということがわかる。

で、なぜ信長が先駆者と言われるようになったかだが、
恐らく信長の研究だけをして他の大名との比較を怠ったからだ。
信長は歴史的に重要だし注目度が高いから他に比べて研究は先に進む、
その段階で他の大名との比較を怠り結論を急いでしまうからこのような誤信に陥ってしまう。
当然最近ではそのようなものは見直されている。

293 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 19:07:07
>292
>実は他の大名も同じようなことを既に行っていたということがわかる。
だから、他の大名が同じ事をしているからどうだって言うんだと言っているんだが?

あなたが現在常識として言われている事が間違いだと言っているんだから、
あなたがその根拠を出しなさいな。
「恐らく」なんていう個人的な思い込みじゃなくて、客観的な説得力のある根拠を。
他の大名も信長と同じ事を「同じレベルで」している事の根拠を。


294 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 19:09:24
>>293
>あなたが現在常識として言われている事が間違いだと言っているんだから、

勝手に常識にするなよw


295 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 19:13:54
信玄厨は基地害でFA

296 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 19:17:27
>>293
例えば、武田家でも在地の豪族衆を、農業はぜずに軍役のみ負担させるもの、
普段は農業を行っているが戦の時には兵になるもの、
農業のみを行うものに分けているし、士分のものを土地と切り離そうともしている。
そうしないと、長期遠征や遠隔地への派遣が出来ないからね。
これは織田家の場合と基本的に同じものだ。

で、常識常識といっているが、それはあなたがそう思っているだけのこと。
研究者でそんなこといっている人がいるなら誰か紹介してはどうか。
こちらは既に、>>281で市販の本でもそのように書かれているものがあると、
紹介しているが。

297 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 19:21:25
まあ、教科書に書いてあればそれだけで常識と信じ込んでしまうものは結構多いだろうから、
そう責められるべきものではないとも思うがね。

298 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 19:22:18
いや、一般社会では信長の兵農分離は常識だろう(その真偽はともかく)
教科書・辞書にも載って、学校で習う位だし。
道行く人に訪ねても、十中八九兵農分離を信長の施策という答えが返ってくるだろう。

学会とかになると、俺はさっぱり分らんけど。

299 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 19:23:59
>296
だから「信長だけじゃない」と言うのと、「信長が他の大名と同レベルだ」
と言う話は全然違うだろう。と言っているのがなぜ分からん?
281の本に書いているのは「信長だけがやったわけじゃない」と言う話だろうが。

300 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 19:27:59
>>293
「恐らく」という部分を少し補強させてもらうと、
例えば、確かに信長が他に先駆けて兵農分離をしたということを言う人もいるが、
そういう人は、同時に他の大名は農繁期には戦が出来なかったということも言っている場合が多い。
しかし、このことは明らかな誤りで他の大名も農繁期にも戦をしている。
この程度のことは各大名の出陣時期を知れべれば簡単に分かることなのにそれすら怠っている。
いかに信長のみを調べて他を省みていないかの証左といえるでしょう。

301 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 19:30:28
>>299
だから、何べんも言うように、他と違うと言う根拠がないでしょう?
他の大名も同じようなことをしていた、
しかし、信長だけは他とはレベルが違うというなら、
その「レベルが違う」ということを証明しなければならない。

302 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 19:32:56
>>299
あと、吉川弘文館の「日本の時代史」については、
他の大名と共通するものだと言っていて、
他の大名と比べた場合の特異性を否定してますね。

303 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 20:09:10
信長が他の大名と一味違うのは
堺という鉄砲の生産地をおさえていた点。

304 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 20:57:21
信玄厨の変化

戦国時代は兵農分離なんてしてなかったんだー!
     ↓
信玄も兵農分離してたんだYO!

305 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 21:21:23
すごいデムパが降臨してるようですねw

306 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 21:30:54
>>304
信長と同じ程度にはという点ではその通り。
信玄に限らず、他の戦国大名も同じようなもので、
特に信長だけが違ったということを示す根拠は何もない。
つまり、「信長がのみが他に先駆けて行った兵農分離という政策」
などというものは存在せず、戦国時代一般に見られた変化の一つに過ぎないということ。

307 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 21:48:42
>>296
>例えば、武田家でも在地の豪族衆を、農業はぜずに軍役のみ負担させるもの、
>普段は農業を行っているが戦の時には兵になるもの、
>農業のみを行うものに分けているし、士分のものを土地と切り離そうともしている。


『恵林寺検地帳』では農村内の富農・豪農などを御家人衆などとして
納税ゼロとする代わりに軍役の核としているが、
「納税する代わりに人手を出せ」という制度であるから、
家業は農業だし身分は農民。
兵隊やって賃金が出るわけではなし。

これって兵農分離なのかいな?
せいぜい曹操の兵戸制みたいなもんだな。

足軽から何から石高相当の米や金を大名から貰うようになった、
真の意味での専業軍人化が行われたのは江戸時代だよね。

308 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 21:55:04
それらのことを兵農分離というかどうかは別にして、
結局、信長も他と変わりはないということには違いない。
少なくとも違ったということを示す根拠は何もない、と。

309 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 22:04:13
こんな山奥の土着の農村の親分と織田の軍団を比較するのもあれだが、
織田は万単位の常備軍団を組織して遠隔地に派遣しているのに対し、
武田にはそのような実績が皆無。
武田の場合、馬に乗るような身分の武士だけ農民でないという程度の話を
針小棒大に兵農分離といってるだけ。

310 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 22:32:13
なにが信玄だよw
宗教にかぶれて出家した、カルト宗教の男色ホモ親父じゃん

311 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 22:39:02
>>309
>織田は万単位の常備軍団を組織して遠隔地に派遣しているのに対し、

だからさー
常に城下にスタンバッてるような強い強い常備軍団をさー
天王寺砦の救援で使えよw

312 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 22:41:19
>>309
それが正解だと思う。
織田家の専業兵士の軍隊と、
武田の一部の身分の者が軍役と引き換えに納税免除されているのとは
根本的に違う。

313 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 22:46:35
専業兵士・・・・ねえ・・・・
よくよく考えりゃ、源義経が西国まで平家おっかけていき
足利尊氏が九州から都に逆襲しに来て
大内氏が京都を支配し
上杉謙信が手勢と共に上洛し。
何を今更?って感じだが。

どんどん領土を広げ兵力を増やしていった信長が
何の証拠も残さずに歴史に残る軍制改革をやっていたとしたら
そりゃ信長は宇宙人か何かだろw

314 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 22:58:08
>>313
そんな大昔の合戦と戦国の集団戦と違う

昔はせいぜい数百人の「武士」が弓と打ち合うとか、
「やあやあ、我はどこそこのなにがし〜」などと名乗りながら
勝負するのをみなでのんびり眺めるような合戦。

足軽などの数万規模の集団戦じゃないから、彼らは百姓ではなく、れっきとした武士

315 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 23:04:22
信長が兵農分離?www
楽市楽座??wwwww

ここは片腹痛い織田厨スレッドですね

316 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 23:34:32
楽市楽座に関しては安土に楽市令だしてるし、
行っていない訳じゃないだろう。

317 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 23:55:37
信玄「ことしも謙信どんが川中島にきたでよ」
山県「んだな。おらたちもぼちぼち行くべさ」
信玄「風林火山だべさ」
山県「んだんだ」

信玄「今年はもうこのくらいでいいべ」
山県「そろそろ田植えもあるし村に帰るべか」
信玄「んだんだ」


318 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 00:27:25
武田って中国でいえば匈奴みたいなもんっしょ
馬がうじゃうじゃいて、誰もが普段から馬にのって生活しているから
けっこう戦争では強かったりする

うっとおしいから万里の長城で馬が来ないようにしたのと同じで、
信長も馬防柵をつくった。

そっくり

319 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 00:33:19
信玄は、馬で突撃するだけで、攻城戦とか頭を使うことは下手くそだしね。
似ていると言えば似ている。

320 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 01:47:27
いや、信玄は功城戦は下手では無いはずだ。信濃なんか難度の高い山城、山塞ばかりだろう。

ところで自領で余った米はどうする?蓄えも充分なら、買手があれば売らないか?
金の無い武将が鉄砲の購入代金として米で支払った可能性は?
買って賄えるなら少なくとも織田、上杉、武田、毛利に関しては通年出兵は何の問題も無いと思うが。

321 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 02:07:04
>>320
兵庫北関入船納帳などからすると
大量の米が流通商品となっておるな。
妙法寺記にも「米の価格が上がり飢饉となった」なんて記述もある。
米は立派な流通商品ですよ。

322 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 07:46:33
>>309
だから、常備軍なんて配備していませんから、
各地域の領主・地侍を糾合してその方面をまかせる司令官に率いさせていただけだから。

>>316
楽座はしてないよね。

結局のところ楽市楽座もしてはいないし、兵農分離も行ったという証拠は何もない。
要するに根拠はないのに信じられている信長神話の一つということ。

323 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 09:05:39
楽市も楽座も同じ事になるのでは
誰でも市を出せる楽市を認めることは、座による市場独占販売が崩壊する



324 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 09:51:04
>>320
ただし、当時の甲斐は信虎の時代から自然災害の嵐だった模様。
よそに売るほど米が余るとは思えないが。

>>322
楽座もしているよ。
「いかなるものも参加できる」ってのはそのものずばり楽座だ。

325 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 10:11:31
>>322
当所中楽市として仰せつけらるるの上は、諸座・諸役・諸公事等、悉く免許のこと。

既に書かれてるが、楽座も行っている。

326 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 10:13:46
武士の在地離脱と城下町集結が
織田・豊臣政権下によってなされた事実は動かしがたい。
これを否定すると江戸時代につながらなくなる。


327 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 10:38:54
まだ懲りてないのか、兵農分離儲兼織田厨は
>>326
>武士の在地離脱と城下町集結
参勤交代のことですね?
それとも織田家の家臣は給金制で、帰るべき所領が無かったのかなw
>>325
座に関しては、既得権をそのまま保護しているハズだけど?


328 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 10:44:18
根拠もなく歴史を脳内改竄する信玄厨がまたでたよ

329 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 10:49:29
>>327
>参勤交代のことですね?
違うだろ

330 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 10:51:43
江戸幕府の開設と同時に、武士は一斉に農村から城下に引越ししたのですwww


331 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 11:08:16
>>328
はいはいw
で、どの辺りが改竄に見えるのでしょうか?

332 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 11:33:32
信長の城下町が栄えたのは、江戸が栄えたのと同じ理屈で、
城下に大量の消費者つまり家臣やその配下が住み着いているからで、
消費者が多いことから、商品がよく売れ、商業が繁栄し城下町が肥大化していく。

武田のように、皆が農業をしている城下は栄えない。

333 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 11:37:50
最近の信玄厨が低脳すぎて
ひょっと全部釣りなんじゃないかと思ってしまう
まあただの妄想ニートなんだろがな

334 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 11:57:46
信玄の百姓連合2万5千なんて百姓一揆と同じだなwww

335 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/06(月) 12:20:05
2万5千の百姓一揆・・・

(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

336 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 13:37:57
>>332
武田家でも配下武将は甲府に館を持ち家族を置いていたわけだが・・・・
また甲府は当時の地方都市としては栄えている方で六斎市が開かれていたな。
信長も城下に主だった武将や旗本の屋敷は置かせているが、これだけでは
武田家と違わんだろ。

江戸時代に郷士というものが明確に分離されたのは大きな転機だろうな。
しかし>>330のような極端な奴は相手にしようがないが・・・・

337 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 13:58:26
330は、327への中てつけじゃないかな‥
>>326の言う武士が、郷士や兵を含めるかどうかはっきりしないからなんとも言えないが
武将クラスは、武田家でも城番や城下に詰めてるし
郷士や兵も、状況次第では長期遠征に参加させる事が可能な身分だ罠。

338 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 14:20:43
織田領は足軽も城下に住んでただろ
秀吉は足軽長屋でねねと結婚したし

339 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 14:28:09
あらゆる指標が織田の兵農分離を裏付けているな。
当たり前といえば当たり前なのだが。

340 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 14:34:05
>>339
問題は、兵農分離の意味が何なのかだな
あらゆる指標が武田の兵農分離を裏付けている、とも言える。

341 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 16:08:32
つまんねー言い争いしてんじゃねえ
もっと数字を書け

342 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 17:03:26
なぜ一地方の武田を織田と並べたいのか・・・
武田の兵農分離など聞いたこともないし、
裏付けるような出来事もなにもないのに

343 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 17:25:45
武田には興味が無いけれど、中国地方の攻略を秀吉は足掛け5年も継続しているし
その援軍の先発隊の明智光秀でさえ1万数千の軍を坂本から出発して、
途中、本能寺にて織田信長を急襲している。
本能寺がなければ、この軍隊は中国方面軍に加わり、
何年でも中国地方の攻略を継続する兵。
その兵は何年間も遠隔地に遠征可能なことがわかる。
農民ではないのだろう。
他にもいくらでも織田軍にはこのような事例は枚挙に暇がない。


344 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 17:42:53
そういえば勝家は越前で刀狩りをしたな
農民一揆を目の敵にする信長のことだから、
農民と兵の区別がない状況は耐えがたいというのは想像がつく。

345 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 18:21:06
>>343
5年間継続して休み無く戦っていたわけでもあるまい

346 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 18:34:19
秀吉の直轄軍は八千ね
後は播磨、備前、備中などのその地元の軍勢だよ。
光秀も主力は丹波勢だったような

347 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 18:34:36
>>343
あれを5年間継続して戦っていたと称するなら、
信玄なんか20年も継続して信濃攻略のために戦っていたことになりますが?

>>342
その言葉をそのままお返しする、
織田の兵農分離を裏付ける証拠が何か一つでもあるなら指摘してみてはいかがか?

348 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 18:38:51
こまかい揚げ足取りはどうでもよいが、
明智の軍は畑仕事ができないだろ。

349 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 18:39:50
信玄厨に合理的説明など不可能www

350 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 18:40:43
>>347
法令や文書しか歴史を認めないなら、
日本史はほとんど白紙になる

351 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 18:42:13
武田には直轄軍のような、土地と切り離せる軍勢が存在したのか?

352 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 18:48:16
根本的に兵農分離というものを誤って解釈している人がいるようだが、
そもそも、戦国時代に始まり豊臣時代から発展し江戸時代に確定した兵農分離というものは、
今まで平時には農業、戦時には軍役についていたものを、
常に農業或いは軍務にと分けるというもの。
例えば今まで平時には農業、いざと言う時は軍務についていたものが100人いたとすれば、
それを、常に50人は農業、50人は軍務に変えたと言うこと。
つまり、これを行うと身分制度を確立することや生産が安定的になることが認められ、
統治はし易くなるが、戦に動員できる数は激減することになる。

もし、信長がこのようなことをしたなら、
信長軍は石高に比べてごく少ない兵力しか動員できないことになるが、
実際にはそんな事はなく石高に見合っただけの兵力を動員している。
信長の動員力が大きかったことを盛んに強調する人がいるが、
正にそのことこそが、
織田信長が兵農分離などということはしていないだろうということを如実に示しているわけだ。

353 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 18:49:30
>>348
それなら、他の大名の兵隊だって畑仕事なぞ出来ませんが?

354 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 18:58:12
>>350
例えばどのようなものが白紙になってしまうと言うのです?

355 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 19:00:03
トリポリ

356 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 19:01:38
人口が多く商業が栄え、交通の要所であった美濃・尾張を抑え、
後には畿内を掌握した織田が石高に見合った程度の兵力なら、
動員してるむしろ兵力は少ないと言える。

357 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 19:05:08
>>356
商業地から兵は動員していませんし、
そもそも、信長軍は石高に応じて部下に兵を集めさせていますが、
その割合は他に比べて少ないということはありませんよ。

358 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 19:12:44
>>343
なぜ明智軍が何年も継続して戦うことになることが確定なのですか?
信長は諸々の戦いで必要な時に各地の兵を集めることで幾つもの勝利を得ていますが、
終わったあとはそれぞれの兵の根拠地に戻していますよ。

359 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 19:22:03
厳密に兵農分離じゃないから兵農分離じゃないというのは幼稚な話だ

要点は信長が農民兵以外の軍勢を有していたことに歴史的な意味がある。

そして武田など地方大名はそのような軍勢を持たなかった。

これだけの話。

360 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 19:27:17
応仁の乱の際でも金で雇われた足軽が活躍したのに、
信長が絶対にそのような軍を作らないと言い張ることに無理がある。

361 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 19:28:15
織田軍って言ったっていろいろあるだろ。
特に後期の信長軍が周辺の中小勢力を取り込んで膨張しているから、
その連中はまだ旧来の農地に武士がへばりついてた状態と変わらなかった
ろうな。だが、そうでない専属武士も多くいて、それが織田軍の中核になっ
ていた。

362 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 19:30:26
>要点は信長が農民兵以外の軍勢を有していたことに歴史的な意味がある。
それは認めるが
>そして武田など地方大名はそのような軍勢を持たなかった
それはおかしいだろう

363 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 19:32:22
まあ織田は常備兵の割合が他の大名より多かったかもしれないというなら分かるが
他の大名に専業武士が全くいなかったということは無いな。

364 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 19:35:49
>>321
サンクス
という事は米を買って兵糧の一部を賄う場合もあっただろうね。

そうなると程度の差はあれ、最低限必要な人数がいれば農繁期に全員帰る必要はないね。
有力武将の金銀は米購入にかなり流れた可能性もある。
それを信長が吸い取る訳だ。

365 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 19:41:08
用兵軍が軍隊として運用できる規模かどうかだろうな。

他の大名のように、軍隊の内、10人に1人がそのようなものが混じっているという程度では
戦略的に普通の軍勢と同じ意味しかもたない。

366 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 19:45:59
>>357
何故商業地からの徴兵に話が飛ぶのか分らんが、
人口が多ければ相対的に徴兵を適応される層の人口が増える、
そして商業地を背景に、織田はその軍を支える資金を調達できる。
つまり、石高に見合った兵力、というのは背景を考えれば少ないと言える。

しかしそもそも石高に見合った兵力とは、一万石辺り何人なら石高に見合ってると言えるのか?
そこらへんの定義は少し問題だけど。

367 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 20:09:09
兵農分離なんざあり得ない、厳密な意味では。

総兵数の三割〜四割しか居ないんだぞ、戦闘要員は。
専門性の高い準戦闘要員までを専業に割り振るとしても
小荷駄・長持などまで専業武士である必要は無し。

ただ全体の二割前後は武士だったらしいので、
そういった半農半士の土豪・地侍層を農業から切り離して、ある程度雑兵を揃えれば、
戦闘要員位はかなり高い割合で専業化できるかもしれない。

368 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 20:11:15
>>338
>織田領は足軽も城下に住んでただろ
>秀吉は足軽長屋でねねと結婚したし

根拠の曖昧なネタで力説されてもw

>>359
>要点は信長が農民兵以外の軍勢を有していたことに歴史的な意味がある。

だから証拠出せよ。

369 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 20:13:17
>小荷駄・長持などまで専業武士である必要は無し。

専業にする意味は大きい。
季節や土地に縛られない軍を編成できるかどうかが最大のポイントになる。

370 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 20:15:56
出兵中の費用は大名負担だから、財政に余裕がある限り出兵できるだけじゃね
兵農分離関係無く

371 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 20:18:13
ふと思った、中国で5年も秀吉が戦いつづけたと言うがまたは本願寺を5年包囲していたと言うが
その織田軍と戦ってる連中も同じ期間戦いつづけているのでは?

372 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 20:19:47
>>370
秀吉が鳥取攻めで、光秀忠興に兵糧を供給されてるな。

373 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 20:20:07
織田兵農分離先駆者論を主張する研究者の一例。
http://siro.parfait.ne.jp/oumi_castle/gensetu/kamaha/panel.htm

●加藤氏
 簡単に織田軍の特徴を説明させていただきます。やはり、一番の特徴は、
常備軍団になっているということだと思います。職業軍人化された軍団を
持っているというのが織田軍の強みだと思います。たとえば武田の兵であるとか、
上杉の兵は、自分たちの領地の中で米を刈ったり穀物をとったりするときには
出てこれない。農閑期しか出て来ることができない。要するに職業として軍人化
されていない。ところが織田軍は職業として軍人化されているから、年中戦争に
行くことができる。要するに戦いのプロな訳なんですね、これは非常に大きな
ことだと思います。

この認識が妥当かどうかは、ここでのログを読めば…

374 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 20:20:24
>>371
地元か遠征かだろ
兵の地元なら農作業も出来る

375 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 20:22:33
ここの否定論者は否定する理由を何一つ挙げてないぞ

376 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 20:26:31
>>371
ていうか、攻められる側は農繁期であれ強制的に出兵せざるを得ない。
農繁期の出兵が異常に多い織田の軍はやはり特異。

377 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 20:36:18
最近このスレを見てなかったのだけど、いつから兵農分離スレになったのだ?

378 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 20:42:06
織田の兵力の算定の問題じゃないか。
戦力のほとんどが農業を兼業する兵ならば、田んぼの面積に兵力が比例するが、
織田のように銭で兵を養うならば、田んぼの面積では兵力を想定できないことになる。
人口や商業からの収益を元に兵力を想定しなければならない。
実際に記録では織田は十数万の兵を動員しているのだから、
そこがどうなっているかという話。

379 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 20:42:43
>>365
戦闘専属の兵だけで構成された部隊が存在するかどうかだろ。
武田の騎馬隊が騎兵部隊でないように、傭兵と農民兵がまざっていたら、
それでは意味がない。

380 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 20:55:53
織田家で繰り返された移転や転封から自然に兵農分離していくはず。
転封された家臣は単身で任地に行くわけもなく、そのような事をすれば、
いつ地元の勢力に攻撃されるかもしれない。
従って、自分の従来からの手勢を引き連れて任地に赴き、
彼らは自然にその土地の管理者という地位になる。
この流れから江戸時代のような完全な兵農分離に発展すると考えるのが論理的だろう。

381 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 20:58:00
ゼンガーが好きで許されるのは厨房までだがな

382 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 21:26:52
遅レスですが、>>327
信長は、座という組織というか社会構造を否定抹消なんぞしていません。
何故なら、当時の座というのは単なる商人の集まりではなく、生産から加工、流通、
販売までを掌握した社会システムだからです。こんなものを簡単に否定・解散なんて
出来るものでもないし、強引にやれば社会が崩壊します。

では楽座とはどういうものなのかというと、座というものは例えれば一種の国のような
もので、よその国(座)に対しては経済的に鎖国しているようなものだと思ってください。
信長はこういった既存の座を保護しつつ(それだって経済の保護育成にあたる)、自分の
城下町を自由交易地として開放したわけです。
これによるメリットは様々にありますが、実は座の商人にとっても、「新たな販路の開拓」
という点で、すなわち商取引の規模が拡大するという意味でメリットがあったのです。

383 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 21:43:04
もはや信玄厨の珍説はことごとく葬られたな


384 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 22:15:28
信玄厨の珍説って何だろう…

385 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 22:46:58
>>380
織田の主力兵が農業従事者から管理者へと変質するのは自然の成り行きだね。
それプラス、余剰の金や収穫から雇った傭兵。
これが織田軍の中核になる。
意図的なものかどうかともかく、中心的な軍はほぼ常備軍となてしまう。

386 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 23:06:11
>>384
過去スレにもここにもいっぱいあるぞ
俺は釣りなのか本気なのかわかりかねてる

387 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 23:33:52
>>373
それこそ正に誤った認識の典型。
他の大名は農閑期にしか出てくることが出来ないといっているが、
これは完全な誤り、他の大名も農繁期にも普通に出兵している。
特に武田軍は他の時期に比べて稲刈りの時期の出兵が最も多いほどだ。
その程度のことすら認識ぜずにいる圧倒的な認識不足が、
織田家による兵農分離という迷信を生んでいる理由なわけだ。

388 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 23:37:37
>>380
武田家でも上杉家でも普通に移転されていますが?
上野に動かされた武田家の内藤や上杉家の北条はどうなの?

まあ、要するに他の大名も同じことをしていたということを知らないという点が、
この誤った認識の根底にある。

389 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 23:43:14
>>366
商業が盛んだから人口が多いというなら、
普通は都市人口によって多くなっているということにならないかい?
農村の人口はほぼ生産量に比例するのだから当然そうなる。

しかし、商業地の人口を軍役につかせること出来ていない。
よって商業地が多くても兵の量にはほとんど関係がないのよ。

390 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 23:52:15
>>380
>織田家で繰り返された移転や転封から自然に兵農分離していくはず。

末端の兵に何の意味が。
武将クラスなら最初から農業から離れてるしな。
室町時代には年貢の村請が一般化し、「この村が支払える年貢額は合計いくら」
というのを徴税者サイドが分け合うシステムになっていた。
この時点で既に、「村落内の豪農・富農で兵役においても中核となる者」と
「村落外に住み税収入で暮らす者」との区別がある程度できてるんだよね。
前者にあたるのが武田家で言う御家人衆。長宗我部なら一領具足。
で、後者にあたるのが国人領主や有力武将。
信長に領地の移動をさせられていたのは後者にあたる連中。
つまり「どこから税収入を得るか」が変わるだけ。
前者に当たる連中を村から引き剥がしてどこかに移したわけじゃない。

>>385
大規模に傭兵を雇っていたならそれこそ記録が残るはずなんだけど。
武田家の牢人衆ですら記録に残っている。

391 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/06(月) 23:54:58
>>359-360
確かに全くいなかったと言うのは無理があるだろう。
実際武田軍にも浪人衆はいた織田軍だけがゼロだったと言うことはないだろう、
しかし、飛びぬけて織田軍が多かった、
あるいは何か特別な制度を用いていたという根拠も状況証拠も何もない。

結局、信長の軍事行動は兵量・出兵時期・継続期間いずれも、
石高から推定されるものからして標準的なもので、
他の大名との間に抜本的な違いはない。
違いは以上織田家だけが何か特殊なことをしていたということにはならないということ。

392 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:01:11
>>375
何かが存在したということを否定する理由としては、
存在したことを示す証拠が何もないというものは極めて有力なものなのだが。

存在したという証拠はないが存在しなかったという証拠もない、
だから、存在したのだ。なんていうのは全くナンセンスな理屈ですよ。

393 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:08:00
富農・豪農に対して「納税の代わりに兵を出せ」と要求するシステムは
武田家も持っていたし、恵林寺検地帳からすると兵の半分近くは
これに当たると言えそうだね。
もともと広い土地を持つ層の場合、軍役に人手を出せば年貢(最大五割)
が無くなるというのは非常に大きい。小作を増やしたってお釣りが来る。

394 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:09:20
つまり「御家人衆」を中核に、「軍役衆」を交代制で軍役に就かせれば
相当の期間、戦が出来るだろうね。いたってシンプルだね。
でもまあ、家業が農業で身分が農民である事に変わりは無いのだけど。
やはり「専業兵士」という言葉を使いたいのなら、それは江戸時代を
待つべしという事になるだろうね。

395 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:16:48
信玄厨って中学生くらいじゃないか
武田は織田家とやや目元が似てて、北条はやや口元がにててとかそんなレベルでしかないな

396 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:21:03
>>390
いちいち厨房は一から十まで説明がいるのか。
新たな任地を支配するのに相当の兵力を必要とする。
兵力が無ければ、その土地の有力者や一揆やらを抑えることができない。
したがって、将兵をそのまま引き連れて転封先に赴く。
引き連れていった将兵は農業と切り離されて、その土地から搾取するだけの
支配者と変化する。

ほんっと信玄厨はダルイな

397 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:24:36
こういった下地がなければ、後に豊臣徳川へと歴史が連続しない。

398 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:26:25
>>391
織田に傭兵が多かったという状況証拠はあるじゃん。
大都市に大勢いた徴兵されない町人はどうやって生計たててたんだよ。
都市人口が多いって事は消費者が多いって事だろ。棒給で生活してた人間が多かっただろう
事くらい推測できるじゃないか。


399 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:28:56
織田の兵農分離を否定する信玄厨はまず織田→豊臣の間の歴史の断絶を証明しろ。

400 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:31:19
>>396
だから、武田も上杉も他の大名も普通に新たな任地に武将を移しているのだけど?

>>398
商業や工業で生計を立てていたに決まっているでしょう?
そういうことで生計を立てることが可能だから、
人が集まり都市に発展するのですよ。

401 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:31:40
>>350
風習だの風俗だの文献に残りにくいものはともかく、
制度改革について何も残っていないというのは異常だろう。
軍の制度を改めるなら、そのことを家臣たちに命じなければならないし、
それが大規模なものなら、家臣の隅々までその命令がいきわたるように、
大々的に行わなければならない。
また、兵農分離ということで広く農民以外から兵を募ったというなら、
当然大々的に公募したはずで、多くのものに知れ渡ったはずだ、
さらに、それによって織田軍の行動が変わったなら、
その影響を受ける他家の記録にもそれが残っている方が普通だ。
ところが、そのいずれも全く残っていない。
そんな状況で、大規模な織田家のみに特徴的な変革が起こったなどとはなぜ言えるのか?

402 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:32:48
>>400
断絶なんてされていませんよ。
ただし、他の戦国大名も同じ要にやっていて、
織田だけが特殊だったということはないのです。

403 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:34:24
兵の調達を家臣の裁量に任せているからだろ。
いちいち信長が文書で決めなければなにも出来ない家臣はすぐに追放される。

404 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:37:50
>>398
まあ、落ち着け。
もし、それが正しいなら、
より大きな都市を支配していた三好家はさらに傭兵化か進んでいたことになるぞ?
それでは「信長が兵農分離をした」ということは否定されてしまう。
自分で自分の首を絞めてどうする?

405 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:40:10
>>403
家臣の裁量に任せたら普通は他の大名と同じ事をするようになるだろう。
何しろ他の大名はそれで問題なく出来ているのだから、
わざわざ違うことをする必要はない。

406 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:40:49
織田ほど極端な移転や転封の例は他にないだろ。
というか、その時代を語るのに、もっとも顕著な例を語るのが普通だろ。
少し似たところがある程度なら全ての大名にいえる。
しかし、田舎の大名が傭兵を10人雇ったところで時代の変化をもたらすほどのものじゃない。

407 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:44:02
>>406
いや、甲斐から北信濃や西上野に移されても、
何かあるたびに甲斐から兵を連れてくるわけにはいかないのだから、
構造上は全く変わらないが。

408 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:44:24
カレにすれば三好は鼻元が似ているというレベルってことだろう
そして織田、豊臣、徳川はそっくりさんレベルw

409 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:44:35
田舎の大名が100や200の鉄砲を導入したところで、
時代を変革するわけでもない。

信玄はそんなレベル

410 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:47:59
>>400
違うだろ。
中世日本の工業製品ってなんだよ。京都に刀鍛冶や鉄砲鍛冶、農器具生産者が何万人もいたのか?
商人もお互い売る物がだぶれば値が下がる。
商人でもなく工業従事者でも無い人間が多数いた事を否定する方が無理

411 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:48:07
信玄厨の理屈は、
織田にも馬がいたから、
武田の騎馬隊は特殊でもないとほざいてるのと同じ。

412 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:53:15
31スレの今までの概要

>1-24 テンプレ
>36-411-… 兵農分離
>62-65 信長の戦争歴(>143 年表)


これでいいのか、このスレ(´・ω・`)

413 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:53:45
>>405
いちいち文書にしてないだけだろ
金で兵を雇って来いと口で言えばすむ話だ

414 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:57:37
>>396
最初にいた有力者を追い出した後にその土地を戴く形で
重臣が進出してるわけですが・・・・
それに佐久間などのように元の領地をそのまま持ってる例も
ゴロゴロと。

415 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:57:52
>>413
同じ人数揃えるならその方が農民受けもいいしね。金があるなら普通はそうする。
そして織田には金があった。

416 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:58:49
>>413
定常的に軍団を維持するためにはそんな適当じゃ無理でしょw
だいたい、家中に金の動きがあったら記録されますよ。
しかも相当数の兵を雇うような大金が年がら年中動いていたらね。

417 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:59:19
>>389
人口が全て商業層へ流れる訳ないだろ。
日本中部は京都が日本の中心だったり、気候が温暖だったりで、元々の人口が多く、
美濃・尾張は商業が盛んで、交通の要所であった為にさらに人口が多い、
>商業が盛んだから人口が多いというなら
というの事実だが、商業が盛んなだけで人口が多い訳じゃない。

それに信長が都市部にも課役を行ってる、
楽市令にも安土の住人に対して、戦争時における課役が書いてる。
あと、そもそも軍役ってのは、主君が配下の武士に行う物だ、
商業・都市部の一般層が直接軍役を掛けられる訳ねえだろ。

418 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:59:44
>>415
信長にはカネはあった。
おかげで安土城も作れた。

しかし信長の部下に金があったわけじゃないんだよね。
部下に俸禄などの形で領地以上の給付をしていたのなら
それこそ必ず記録に残ります。

419 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 00:59:55
>>414
お前はあらたに切り取った不安定な土地に、家臣や数十人程度の主だった者達だけ
引き連れてその地に赴けるか?
考えろよバカ

420 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:01:54
>>417
>楽市令にも安土の住人に対して、戦争時における課役が書いてる。


捏造?

421 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:04:07
どこの誰を召抱えろなんて指示しないだろ普通。
自分の土地からあがる米とカネ、あるいは信長から与えられる俸禄で、
それに見合っただけの人数を召抱える。
それだけの話がわからんのか。
頭イテー

422 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:05:00
>>419
馬鹿はオマエだろw
有力武将とその武将の配下の武将が転封したら、その関係者だけでも
相当数の人間が動いてるわけでねえ。
何故に「村落内の富農・豪農」といった所まで移動せにゃならんのだね?
もちろんしていないわけでね。
当時既に農業から離れている層は相当数おったわけで、
しかし軍勢の過半を占めるような割合では当然無い。
そういう当たり前のバランス感覚を欠いた意見だな。

423 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:06:41
>>421
>どこの誰を召抱えろなんて指示しないだろ普通。

誰も言っていない事を捏造。詭弁の典型。

>自分の土地からあがる米とカネ、あるいは信長から与えられる俸禄で、
>それに見合っただけの人数を召抱える。
>それだけの話がわからんのか。
>頭イテー

実に当たり前であるが、当時として他と違う軍制だったというほどのものであれば
必ず記録が残る。
それだけの話がわからんのか。
頭イテー

424 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:06:55
>>420
戦争とか特別な事がない限り、普請や伝馬役などの課役を免除する、
という様な、普段は免除するぞ、みたいなニュアンスで書かれてる。
逆に言えば戦争時には課役するって事だ。

425 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:07:49
どうも、兵農分離という言葉をヨーロッパの傭兵軍とごっちゃにしているような。

426 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:08:13
>>422
答えになってないだろバカ
戦に勝って土地を得るのと、そこを実効支配するのには、まだ隔たりがある。
兵力がいるにきまっとろが。
痛すぎる 信玄厨 痛すぎる

427 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:11:22
>>410
紙・織物・油・それらを加工した日常雑貨等の製品、
それらの販売流通業、他に大工等の建築業。
というか、当時の工業と聞いてそれくらいしか思いつかないのか?
それじゃあそもそも都市が成立しないだろう。

428 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:11:41
>>423
他と違うとか他と同じとか、
そもそも全部同じと思うほうが頭が痛い。
茶筅を突っ立ててるおっさんがそんなこまい事気にするわけがねー

429 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:13:31
>>426
だから、それは他の大名も同じなんだよ。
いい加減理解してくれ。

430 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:14:11
秀吉みたいな、武士の最下層である足軽なんかはどうなの?
こいつ等が全員土地持ちとは思えないんだが。

431 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:15:18
>>426
では山県昌景はどうやって駿河を押さえたのだ?
春日虎綱はどうやって善光寺平を押さえたのだ?
君の理屈が正しければ信長は普通の事をやっているな。以上。

何度も言うが。
農村内の富農・豪農といった層までは移動させられていない。
移動しているのはあくまで領主層及びその関係者である。
言わばこれは軍勢の核を成す正に専業武士の層であって、
この層とその家人が日常における支配の中核である。
これを以って兵農分離だと言うのなら信長は一切特別の事をしていない。

432 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:16:32
>>421
それじゃあ今までどおりにするだけだろ?
何かを変えたから「信長の改革」なんじゃあないのかね。

それになぜ他の大名は織田軍の違いについて何も記述しない?

433 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:16:54
>>430
秀吉はそもそも織田家の使用人という立場から始まっていて別問題だろ。

434 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:18:25
まあ、たしかに遠隔地におかれる場合は兵力をもっていっただろうけど。
例えば武田滅亡後に甲斐に置かれた川尻、北信濃の森、上野の滝川なんかはある程度の
兵力と共に配置されたはずだし。これらの兵力が土地(農村)に依拠しないものである
と見なすのはそうおかしな事ではない。
ただ、それはやはり比率でみれば少数になるし、規模を問わなければ織田家だけのものでもない。

435 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:20:06
>>434
滝川は北伊勢五郡の領主を引き続き続けている。
大内氏が交代制で京に兵を置けるのだから
北伊勢の兵を連れていても何も不思議は無いのでは?
三好なんて本拠地四国だったしな。

436 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:20:21
何十年も同じ土地にこびりついて、ずっと同じ日々を送ってきた連中には
その家のしきたりのような分国法があるやもしれないが、
年々、日々状況が激変する織田家に於いて、
いちいち変化のある度ごとに法令を出すわけがない。
火急に兵が必要となれば、そこらじゅうからかき集めたりもするだろう。
激動の戦乱の中で悠長なことをいってれば滅びる。

437 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:20:55
河尻ちゃん、武田の遺領を任されたのはいいけど、
一揆に成す術なくやられてるあたり、自前の兵は少なそうやね。

438 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:21:51
>>436
だんだん講談家の口上みたいになってきたなw
むしろそういう旧態依然とした連中のいた所に乗り込んでいったんだから
証拠も残さず改革するなんて不可能なんだよ。

439 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:22:03
なにやら織田家では命令指令が文書を使われず、
全て口頭で行われていたと言っている人がいるようですね。

何が何でも兵農分離を肯定したいのは分かりますが、
ちょっと無茶しすぎでしょう。逆に織田家を貶めてますよ。

440 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:24:32
>>433
いや始まってないだろ、貧しい百姓の家に生まれたとされる秀吉が、
いきなり使用人になれる筈もなし。

441 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:25:02
>>423
頭痛いのはこっちだよ。
流民棄民が多い時代、そいつらに金を渡して兵にする。
なるべく自分の領地の農民は殺さず主君の求める数の兵士を揃える。当たり前の思考じゃないか。

言っておくが、流民浪人を集めるのに金をばらまく必要なんて全く無いんだよ。

飯だけは食わせて、あとは敵の首一つ幾らの世界だ。
費用は自領の農民を雇うのとかわらん。

442 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:25:48
>>438
まったく。
火急のときに迅速かつ正確に命令を伝える為にこそ、
文章化した命令書が必要なんだろうにね・・・・

>>436は命令を丸暗記した使者が各地に飛んでいたとでも思っているのだろうか?

443 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:26:26
>>439
ほとんどが口頭で作戦が決められている。
むしろ文書に残ったもののほうが少ない。

444 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:28:20
>>441
そういう連中は応仁の乱であまりにも役に立たなかったので廃れました。
戦が始まるや雇い主の統制を離れて略奪に走り、
戦いもせずに逃亡しますから。

445 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:29:43
>>443
作戦?
今言っているのは軍制を改革するという政策の話ですよ?
政策の変更が口頭で?

446 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:32:36
>>445
軍制などと大層なことを言ってれば滅びる。
織田家は常時緊急事態のような日々が続いている
信長が兵を集めろと言い、足りなければ、家臣が手分けして兵を集める
応仁の乱でも、そのへんの浮浪者をかき集めて戦った。
それだけのこと。

447 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:35:24
>>446
常時緊急事態で、
指令や支持を口頭で伝える使者が行き来する織田家・・・・

って、あなた織田家を馬鹿にしすぎじゃあないかい?

448 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:36:25
>>446
最早絶句。
紙に字を書く手まで滅びるかもしれないのですか、織田家は。

449 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:37:21
まず、歴然たる事実として、
信長がこの時期に軍制を改革したということを示す文書文献の類は、
一切存在しない。
織田家家中はもちろん、織田と戦った多くの大名家の記録、
書状、同時代人の日記等の一次資料、それらのいずれも全く残っていない。

450 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:37:31
>>447
実際に常時非常事態の連続じゃないか。

451 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:38:34
応仁の乱の際に、浮浪者を集める軍制改革をしめす法があるのか。

452 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:39:54
>>450
問題は口頭で伝えるの方なのだが・・・・
というか、マジで字を書く暇すらないと思っているの?
そんな事では過労死で滅びてしまいますよ?

453 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:41:08
>>452
そんな紙切れがあったとしてもゴミ箱いきか、燃えてなくなってる。

454 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:42:35
何だ、祭りか?
みんなもちつけよ。

455 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:42:38
つか、もう寝るわ。
あたま痛い。
応仁の乱の浮浪者をあつめる軍制改革が法によってなされたことがわかれば
書いておいてくれ。

456 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:55:02
>>455
少なくとも、樵段治要等の文献で確認出来ますよ。

織田家の兵農分離も何か一つくらい文献で確認できるといいのですが。

457 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 01:58:37
>>453
他の大名家の場合は兵の召集等に関して、何かどうか記録が残っているのですが。
特に変化がなかった場合でも残っているのに、
織田家の場合だけ残らないと言うのはどうだろう?
織田家以外もそのことに関して何も残していないのだが。おかしいと思わない?

458 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 02:07:45
>>412
おかげで今回はまとめるのが簡単そうだよ、今までは20〜30分は確実にかかっていたからな
量が多いから一旦テキスト文書で整理してから貼っていたし。

459 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 02:12:06
信長の右腕の秀吉は文字も満足に書けなかったしなぁ・・・
しかも秀吉は草履売りなどしていた胡散臭い男で、
これを召抱えたりなどしている。

これも軍制改革なのかねぇ・・・

460 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 02:46:37
文書がないなんて、ここの連中が知らないだけだろw
それともあんたは歴史家かなにか?

461 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 03:38:23
>>440
その前にどうやって遠江の松下家に雇われてしかも経理を
やれたんだという話になるなw
尾張では友人のガンマクの紹介で使用人になったんだとさ。
だからそもそも足軽じゃないよ。
戦に出るにしても小者とかでしょう。

ま、歴史上は秀吉は名前が始めて出た時には既にそれなりの地位の官吏で、
戦の場で名前が確認出来たときには馬廻なんかもすっ飛ばして一軍の将という
よくわからん男なのだけれども。

>>441
応仁の乱の頃に、足軽雑兵が出始めた頃なら、ね・・・・
そのまま歴史が進んでいたら日本も傭兵制の時代になったかもしれんが、
安定・確実・大規模動員の要求から領民に軍役を課して動員する
スタイルが発展したわけで。

>>459
漢字は知らないが算術は出来たんじゃね?松下家に仕えてたし。


462 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 07:44:02
>>460
別に歴史家ではなくとも根拠になった文献くらいは普通挙げられますが?

463 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 10:25:16
オヤジに疎まれ
息子と反目する奴は上洛できたところで横死決定だな

464 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 10:44:56
兵農分離ができてりゃ一揆起こってねーだろ

465 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 11:32:33
軍制改革にワロタ
市役所の窓口にいるようなタイプの人間だな。
マニュアルに書いてないことは出来ませんみたいな
あいつら、本当にマニュアルに書いている以外の事は一切できないから
イライラする。
物事を自分で考えたり判断したことがない連中の発想だ。
農村以外から召抱えると軍制改革で、そのような記録が無かったから、
そんな事はありえないと・・・
常識で考えることができないのかwww
戦国時代の募兵の記録なら山ほどあるだろう。
でも、織田家の記録がないから織田家は募兵しなかったとwww

466 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 11:33:18
兵農分離の戦いは決着ついたんジャマイカ?
次のお題は、都市の商業がもたらす効用なんてどう?
関連する文書が少ないから、話の証明が難しそうだけど。

ちなみに俺は、物資調達が便利になる程度かなと思う
民衆は利便を享受できるけど、支配層に大した恩恵は無いような
ま、100%憶測なんだけどw

467 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 11:39:19
>>464
おまえは少しは読んだのかとwww
織田領になったとたんに100%兵農分離されなければ兵農分離と言わないのかとw
江戸時代でも一揆は起きている
もうね、あ(ry

468 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 11:48:04
ここは議論じゃなくてただの資料あさりだろwww
資料に無いことは起こらない。
これが定説www

469 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 11:53:36
兵農分離も資料として登場するのは江戸時代かwww
江戸時代に突然、農村から城下に強制移住させられたと言うことかwww


470 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 12:08:25
>江戸時代に突然、農村から城下に強制移住

それは大変ですな。いままで耕していた田地を全国でいきなりボッシュート!
大パニックが起きるはずですが、そのような文献は見当たりませんから、
皆さんおとなしく城下の長屋にお引越ししたのでしょう(笑

471 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 12:20:59
テレビ情報だと、最近日本史の常識に対する検討、見直しが進んでるらしいから
兵農分離は教科書に載っていたから正しい、ってのはどうだろう‥
学んだ頃は、正しいと考えられていた
でも、今は認識が変わってきて否定された。 んな感じじゃないの?

472 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 12:50:01
>>471
江戸時代も兵農分離されていなかったという新説でもでたの?

473 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 13:04:35
>>472
いや、兵農分離が織田家のみの革新的な施策というのは
間違いだった、という意味ね。

474 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 13:11:00
軍制改革っていうより、農村にしか兵がいないという事のほうが、
かなり特殊な発想でしょう。
慢性的な人手不足の中、家臣達が縁故や募兵で自分の配下を増やすのは日常的に当たり前のことで、
当たり前すぎるほど当たり前のことを「軍制改革」とよぶことの意味は?
農家の出身者以外は召抱えないという論理はどこから発生しているの?
応仁の乱で当然のようにやっていた募兵などが、同じ戦乱期の戦国になかったとするのは
どう考えてもつじつまが合わないのだけど。

475 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 13:18:43
>>473
それは織田家の大量の鉄砲を配備しての三段撃ちや
非常に長い3間槍の集団戦術などと同じことで、
他にも似た様なことをやっていた大名や豪族がいたとしても、
戦争のありかたを変えてしまう歴史の転換点として織田信長が
挙げられるのは正しいですし、
戦国初期の兵農一致時代から豊臣時代、江戸時代の兵農分離時代へと転換させた
主要因が織田家にあるという意味で、織田信長が歴史に記されるのでは?
仮に、織田信長がいなくても、同じような自然に兵農分離へという歴史的変化が生じていたと
説明しなければそのことは意味がない。

476 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 13:27:12
>>474
>慢性的な人手不足
軍役に出る割合は、1人/40人前後、人手不足とは言えないでしょ。

>応仁の乱で当然のようにやっていた募兵などが
>同じ戦乱期の戦国になかったとするのは、どう考えてもつじつまが合わないのだけど。
募兵する必要があるかどうか疑問。
掛かる費用は同じ、軍役衆なら死傷、逃亡されても村に代わりを課せるが
募兵は逃亡されても文句を言えない、死傷すれば雇いなおし
逃亡されない配慮をすれば費用が高くつく、辻褄は合うと思うけど。

>>475 今川、北条、武田の方が先です。

477 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 13:31:17
>>476
人手不足の意味を無理やり捻じ曲げていますね。
少しでも多くの兵が必要なことを人手不足と表現しています。
戦時においてはあたりまえでしょう。
あなたのは反論のための反論で、事の本質を議論する気がないでしょう。
2ちゃん的な釣りなのでしょうから、釣られる私もバカですが

478 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 13:41:10
>>477
釣りかにしか見えんw
>少しでも多くの兵が必要なことを人手不足と表現しています。
多くの兵を維持する為に必要なのは、米、物資、銭でしょう?
わざわざ募兵する事には、何の意義も無いと思いますが。

479 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 13:42:44
>>478
つりですか
先ほどの人手不足と同じく、
募兵をあなたの脳内で特定の意味に固定しているとしか思えない


480 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 13:44:49
米と物資と銭に余裕があっても兵を増やさないのかと小一時間・・・
478の下では絶対に戦いたくないな・・・


481 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 13:51:03
各地への転戦に次ぐ転戦で、故郷を離れた兵はもはや農民でなくなっているだろう。
その兵は俸禄で養われるようになり、それが江戸期の兵農分離へとつながっているのだから。
すると兵を抱える基準が土地ではなく、米と物資と銭によって決まってくる。
米と物資と銭によって兵を増やしていく。
そうでなければ、江戸時代が説明不可能。


482 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 13:53:23
>>482
ちょうど土地に対する軍役制から、俸禄制への転換期でしょうね。

483 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 14:01:58
>ちょうど土地に対する軍役制から、俸禄制への転換期でしょうね。

おそらくは織田家においては両方が混在している状態だったと考えられる。
時代の流れから、後期ほど俸禄制の割合が増していっているはずで、
それが今日、兵農分離と称されるようになったと思う。

484 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 14:43:48
>>483
>後期ほど俸禄制の割合が増していっているはずで
そんな事実は、確認できないのですがね
証拠があるなら出してもらえます?

>>480
米と物資と銭に余裕があったという根拠は何ですか?
>>479 言葉遊びで誤魔化しているだけですねw
貴方のいう、募兵の意味を教えてもらえます?


485 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 14:52:27
明智光秀家中軍法でははっきりと石高に応じた軍役になっているが

486 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 14:53:35
>俸禄制
江戸時代でも俸禄ではなく土地だと思うのだが

487 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 15:13:37
>>486
江戸時代に軍役で武士が召抱えられたのか(爆

488 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 15:16:34
農家への軍役制がどうやって消滅して江戸時代の俸禄制になったのか
信玄厨はそんなことには興味ないw
信長はんたーいw
社会党のような連中だからw

489 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 15:20:08
>>487
486は俸禄という日本語をしらない在日かなにかだとおもわれ
知行地も俸禄に含まれることを知らないらしい

490 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 15:21:43
>>489
いや、それ以前に江戸時代の武士は金銭でも俸禄を貰っている

491 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 15:30:09
>>489-490
?ほわっつ??
俸禄は知行が無い武士への給与じゃ?

492 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 15:43:09
>>490
>金銭でも俸禄を貰っている
基本は米だろ
一部金銭での職もあったが


493 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 16:05:59
なんか、変な流れだな。
そもそも、織田家の兵農分離っていうのは、ようするに地侍つぶしだろう。
つまり村々に地侍がいて、それぞれが武装している。支配地の余剰作物で
地侍の領主級は農業をする必要はなく、この層が中心になって戦いに参加する。
農閑期にはつれてくる郎党が増えるし、逆なら農業をしなくていい連中だけ
が参加する。
この地侍層を農地から分離しようとしたの信長だろ。潰して農民にするか、
そうでなければ専属兵として召抱える。だけど、各々の領地については、
織田家自体が経営を行い、領主にはタッチさせない。
いくら自分は農業をしなくてもいいといっても、地侍が土地に食いついて
いる状態なら農繁期での出兵は難しい。土地の面倒みる必要があるからな。
地侍ってのは、自分の土地が大事なんであって、大名家なんぞどうでもい
いわけで、こういう気分の上にあれば大名家はどうしたって農繁期の大規
模な作戦はできない。
織田家は(特に初期のころは)信長が直接農民を把握することで兵農分離
を行っていたと考えるのが妥当じゃないの。後半になると膨張速度の速さに
地侍つぶしが追いつかないんで、旧態のままの場合も多かったろうけど。
で、それを実際に仕上げたのが太閤検地だろ。

494 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 16:08:45
とはいえな、
江戸時代は知行を受けていると言ったって実際その土地に行って統治するわけでもなし、
藩からその知行相当分の米を貰うだけだからな。
実際、生涯自分の知行地に一度も言ったこともない奴も多かったそうな、在地性皆無だね。
正直、箔の付いた俸禄以上の何物でもない。

これと似たような事は北条ではやってるね、
知行地を分散させて、その経営はさせず小田原派遣の代官が代行させることで
配下の在地性を削いで、専業武士化(官僚化)を押し進めている。
織田や武田はそこら辺はどうだったのだろう。

495 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 16:14:40
つまりあれだ、
土地持ちの百姓→軍役
土地無しの足軽→俸禄
こんな感じじゃね?

496 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 16:18:49
>>493
長文のクセして間違いだらけ‥酷いな‥
>地侍層を農地から分離しようとしたの信長だろ。潰して農民にするか、
>そうでなければ専属兵として召抱える。だけど、各々の領地については、
>織田家自体が経営を行い、領主にはタッチさせない。
織田方の地侍層は、そのまま残ってますよ。
専属兵にはなってないし、所領の経営を織田家が行う事も無かった。

>地侍が土地に食いついている状態なら農繁期での出兵は難しい。
>土地の面倒みる必要があるからな。
農繁期に出兵したとして、最大限1/40人を割くだけ
土地の面倒は、軍役を負担しない者に任せれば何の問題も無い。

>>495 >土地無しの足軽→俸禄
否定はしないけど、あるかどうか分からない。俺は無いと思う

497 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 16:21:37
しかしなあ・・

(土地無しの足軽→俸禄)

これが無いと江戸時代のようにならないからさ

土地持ちの百姓→軍役
    ↓
土地無しの足軽→俸禄

こういう変化が起きていないとおかしくね?


498 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 16:33:30
>>497
江戸時代には戦がなくなったから、なんとも言えないような。
土地持ちの百姓に軍役負担させても、年貢丸々損するだけだし‥
俸禄もらう連中も、足軽というより役人、下士官身分だから‥

499 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 16:36:11
下士官身分に限定すれば江戸初期の武士が恐ろしく少なくなるんじゃね?

500 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 16:37:12
>>494
>藩からその知行相当分の米を貰うだけだからな。
それはおかしくないか?まあ藩によってはそうかもしれないが、徳川家の旗本などでは
自分で知行地から米を受けとってるはずだぞ形式上は。
実際には土地経営は富裕農民、運搬現金化は商人などが立て替えたりしてるわけだが…

知行相当分の禄米を受け取ったりするのは足高の制などで幕府から支給される時ぐらいじゃね
スレ違いだけど

501 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 16:42:00
>>496
また、根拠のない反論をしているな。
もともと在地性の高い地侍層が多ければ、名古屋→清洲→小牧→岐阜
なんて信長初期における頻繁な根拠地の変更なんてできやしない。
配下の兵がみんな根拠地から離れられないからな。
40人に一人とか言っているが、地侍が基本的に農場経営者だっていう
根本を見逃している議論だな。いわば、中小企業の経営者が社の掻き入れ
時に社を留守にするようなもんで、どう考えたってやりたくない行動
なんだよ。

502 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 16:44:17
キミたちレベル高いねえ

503 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 16:45:34
兵農分離は2000年前からあった、ということでいいんじゃないか?
頭の固いおばかさんたちよ

504 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 16:52:37
>>503
もともと大昔からある変わったことではないのだが、
戦国初期に兵農が合体していた事が問題で、
それが豊臣・徳川時代でまた分離ている。
そこに織田信長がキーマンとして歴史に記されているのだが、
認めたくない連中がごにょごにょ言ってるだけ。

505 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 16:56:12
>>500
確かに形式上は知行地からだが、受け取り先は俸禄同様、藩から貰っていたらしいぞ。
まあ要するに 知行地→藩→知行人 という流れで、
武士が直接米を貰う先は、俸禄同様藩だって言いたかった訳だ。

徳川の旗本は、確かにどういう手順で貰っているか把握していなかったし、
考えに入れていなかったことは認める。
ただ徳川の旗本は一般の武士に比べれば特殊なのかも知れない。
あまり詳しく無いので強くは言えないけどね。

506 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 16:56:15
>>501
>中小企業の経営者が社の掻き入れ時に社を留守にするようなもんで
違うね、管理職の業務は軍役、俸給は所領地と農民。
地侍の本分が農場経営なら軍役衆辞めて惣百姓やってればいい

>>504 凄いね、学会で発表した方がいいよ

507 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 16:59:19
時代の流れからみるとだな、

初期は数百人規模の”武士”が戦争をしていたけど、
だんだん戦火が拡大して、国の生き残りをかけた戦争になると
「戦力たりねーよバカ!農村から集めろや!」
そんで軍役を課せられた農民が”足軽”になる。
何年も兵とし軍事に参加していると、
次第にもともと農民だった足軽も、いつしか俸禄を貰う”武士”になっていく。

こんな流れだな。

508 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 17:02:45
>>505
その辺は、徳川も織田も武田も同じじゃないか
知行地に代官が入って収入だけ貰う、状況によって色々あるとは思うけど。
>>507
どこに土地を捨てる必要があるのか分からん

509 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 17:05:37
>>508
あれだろ、戦で身を立てれば、野良仕事やるより出世して、
高禄取りの立派な武士になれるからじゃね?
特に日の出の勢いの織田家なんて人気があったろうな。
織田家で頑張れば、いずれは天下人になって、出世するぜ!みたいな。
勢いのある会社に就職するようなもんだろ。

510 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 17:10:31
>>508
問題はさ、伊達や最上のような一揆構造を強く引くずった場合。

中央政府(武田・織田)が直接代官を派遣する場合と、
知行を受けている、保証されている家臣が代官を派遣する場合は違う。
後者はどうしても家臣の在地性、独立性が強くなってしまう。
それこそ小山田や穴山のように。
両者ほどではなくとも自分の知行地に直接タッチできるとそうなる傾向が・・・・

なんか話がずれてきてるな、すまん、無かったことに。

511 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 17:13:28
>>506
そういう珍説を展開するなよ。
地侍が持っている領地と兵農分離後の知行地の違いを全然理解してないだろ。
地侍が持っている領地は地侍本人のものだが、知行取りが受けている知行の
土地は実際に耕している農民のものだぞ。
自分の領地を維持するためにさらに上の領主(大名)の庇護下に入り、その
代償として軍役に参加していたのが、この地侍の層だ。土地経営と戦争の
どっちを優先して考えるか、そんなの自明のことだろうが。

512 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 17:32:34
>>509
そうだな。当時は核家族なんてものはほとんどないし、
畑仕事は家族に任せて、織田家について行くだろうな。
その大将が例えば秀吉なら、秀吉が中国に遠征にいけば、
兵も秀吉についていくだろう。俸禄が貰えるのだろうし出世もしたいだろうし。

513 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 17:34:11
>>505
なんか書いた後不安になったのでちょっと調べてみたら自分は間違ってるみたいだ

高級旗本は分からんがそうでないものは
形式上 知行地→知行人みたいで
実質上 知行地→幕府→知行から得られる収入分を禄米として支給→札差商人等→知行人

足高の制 土地とは無関係に一定の禄米を支給

みたいだ

514 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 17:34:43
>>511
>知行取りが受けている知行の土地は実際に耕している農民のものだぞ。
おいw
>>510
毛利でも代官派遣しているくらいだから、例外を除けば(寝返ってきた領主とか)
徐々に以降していったのかな〜と思うのだが、実際はどうなんだろ?分からん‥


515 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 17:35:34
>>512
口減らしか…

そういえば出陣から3日分の兵糧は自己負担でそれ以降は大名負担とか言う話しもあったな。

516 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 17:39:08
>>512
兵糧をまとめて支給すると酒を作って飲みだしてしまうからわけて与えよとか

雑兵物語だっけ?

517 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 17:39:27
>>514
戦国期の農民は小作人じゃないぞ

518 :514:2005/06/07(火) 17:43:10
>>517
>地侍が持っている領地は地侍本人のものだが
>知行取りが受けている知行の土地は実際に耕している農民のものだぞ。
すまん、1行目を貼り忘れた。

519 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 17:47:08
つまり中央集権化の過程が不明なんだな。
土地を召し上げて、直轄や知行にして、俸禄を再分配する過程がさ。
信長は移転の際に全部召し上げてそうだな。

520 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 18:05:57
>>519
不明といえば不明だが、いきなり秀吉の時代に行われたって考えるのは
ナンセンスだろ。信長の時代から出来る部分はやっていたと考えるのが
普通の判断。実際、新しく得た土地では強い抵抗を受けているし。

521 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 18:18:20
>>504
違うのだよ。
それは、信長だけが特別なわけではなく戦国大名には一般的に行われていたことにすぎない。

まず、兵農分離の成果と言われる、農繁期の軍事行動や配下武将の配置換えは、
実は織田家だけで行われていることではなく、他の大名家でも同様に行われている。
そして、織田家においてこの時期他と変わった制度があったことを示す証拠は全く何もない。
つまり、織田家がこの分野において特に変わったことをしたと類推する根拠は何もないし、
そもそも、そのように考える必要もない。
むしろ、無理に何か特別なことをしたことにすればその方が整合性をつかなくしてしまう。

522 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 18:19:00
結局、戦国初期の段階から江戸時代の体制へと移る変化は、
織田家だけが何か特別な意味のあることをしたのではなく、当時一般的に起こっていたことである。
だたし、織田信長は確かにいくつかの面で戦国時代が統一へと向かう過程において、
極めて重要な役割を担ったし、その領域も他と隔絶して広大だったため、
いろいろな点で目立ち、他に先んじて研究もされるので、
今回のものの様に実際には他と変わらないことでも、
あたかも信長だけが特別だったかのように誤解されてしまう場合があると。
つまりそういうこと。

523 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 18:39:33
兵農分離はもういいんじゃねぇ?
ある程度結論出たみたいだし。

524 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 19:03:16
まあ、確かにね。

525 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 19:13:11
武田の領地は旧態依然としたシステムじゃね?

526 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 19:40:43
>>521-522が、とりあえず結論で。

>>525
根拠

527 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 19:57:54
>>418
遅レスだが、領地以上の給付の記録ってのはあるよ。
坂井利貞に対して、川尻分とその他合計19貫文を扶助してるし、
坪内氏には所領622貫の内、232貫は信長の倉入地の租税から給付する形になっている。

528 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 20:29:46
>>526
なんでそれが結論なのか意味わかんね
日本の支配者の織田→豊臣→徳川
とつながるのはわかるが、
他の大名に関してはどうだか

529 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 20:32:24
なんか越前と柴田勝家の話が出てこんな?
織田政権下の中で、越前は特に兵農分離が大分進んでいた、
「国中江申出条々」には、「国中土民百姓、新儀之主執不可仕」
という、農民の武士への転身の禁止が明文化されている、
これは明らかに兵農分離政策の一環であるだろう。

530 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 20:33:05
武田はだれかが書いてたじゃん。
兵役があって、兵役と引き換えに納税免除うんぬんと。
ここで言われる俸禄制とは根本的にちがうし

531 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 20:50:24
明智家中軍法は、
「軍役の人数は百石につき六人とする」
これは百石の俸禄を受ける者は6人の与力を召抱えろということだろ。

武田の場合、家臣は基本的に農村経営の自給自足で
兵役で納税が免除じゃないか?

532 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 20:53:32
それは召抱えろじゃなくて単に6人役かと・・・
つーか、それは明智軍記じゃねーか

533 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 20:55:53
あと、織田政権下では指出以外にも、検地が実施されている。
村も村切が行われ村単位の確定が始まり、それに加え、
指出から見られる惣村の給人・侍衆と百姓との身分の固定が起きており、
越前での「国中江申出条々」に見られる百姓身分の明文化や一職支配、
豊臣政権との連続を鑑みれば、織田に兵農分離、ひいては近世への
転換の源流を求めるのも、そう不思議な事じゃないと思う。

534 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 20:57:15
要は、200石の俸禄取りは戦争には12人連れて来いだろ

535 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 20:59:21
けど100石につき6人ってのは大分多いな。

536 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:00:40
明智軍記の軍役出されてもなぁ
そもそも信長の時代に丹波が石高表示になったのかいな?

537 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:01:52
そもそも一年で一人が食う米はどれくらいなんだろなw

538 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:03:32
雑兵、いわゆる貧農の皆さんは米をまともに喰えてたのか?

539 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:04:16
>>530
>『恵林寺検地帳』では農村内の富農・豪農などを御家人衆などとして
>納税ゼロとする代わりに軍役の核としているが、
>「納税する代わりに人手を出せ」という制度であるから、
>家業は農業だし身分は農民。
>兵隊やって賃金が出るわけではなし。

これ?まあ確かに兵農分離っていうか、むしろ兵農合体というべきものな気がする、
身分の固定化の逆行ってるし。

540 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:05:22
なにで読んだかわすれたが、飢饉とかなければ、基本的に米は日本の人口に対して
余ってたそうだから、武士だけで米を食い尽くせないだろw

541 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:05:57
納税というと語弊があるから諸役免除にしてほすぃ

542 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:08:38
>>537
1石

543 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:09:35
>>538
食ってたに決まってるだろうが。

544 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:11:17
>>542
じゃあ100石で6人ならそれほどでもないな。
残りの米で使用人や家屋敷や兵装品やその他、日常生活の金にしろって事か。

545 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:13:10
>>543
そぉ?喰えてたとはとても思えんぞ
米が余ってたと書いてるヤシいるが、余ってたら余った分は裕福なところにいくもんだ
余ってなくても富める者のトコにね


金が全く貯まらねー現実がそう言ってるんだよコンチクショウメ

546 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:15:52
>>545
蔵に貯めこむにしても限度があるっしょ。
米は換金されて(というか米が通貨みたいなものか?)めぐりめぐって
誰かに食われないことには増える一方で減らないしな。


547 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:16:18
>>545
近代以前の日本は大部分が農民で、農業生産の大部分が米なの。
で、人口の多くを占める下層民が米を食わないで人口が維持できるわけ
ないだろ。

548 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:19:23
粟とかは?雑兵物語では米なんて滅多にない感じだったやうな

549 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:36:11
麦飯は?

550 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:37:30
>>535
100石に6人が多いのはあれだ

土地で取れる米が1000石としてだな、
仮に、そのうちの4割程が税として徴収されるとしたら、
城主に入る米は400石になるわけで、
その400石が俸禄として家臣に与えられる。
400石なら兵役数は24人になる。

この場合、1000石で24人かな。
100石で2〜3人か。



551 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:42:17
>>521
だから中世日本の工業ってなんだよ。
織田領の商業都市に商工業従事者しかいなかった根拠は?


552 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:43:53
>>532
>>536
明智家中軍法だろ

553 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:45:38
>100石に6人
このときは差出検地だから実際にはもっとゆるいかもしれない

554 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:45:47
米一石で大体150キログラム、米一合で150グラム、
戦国時代は一人一日で5合の米を食ったそうだから、
本当の一人辺りの、一年間の米消費量は約1.8石になる。
当時は保管技術も未熟で、戦争による喪失も大分あったろうから、
本当に下層の人々が米を食ってたかは疑問だな。

555 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:48:12
明智家中軍法自体が明智軍記の中にあるもんじゃなかったか?
そもそも石高の時点で怪しすぎる

556 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:51:07
>>554
一応脱税所得隠しが全く無いと仮定するならな

557 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:52:22
>>555
違うだろ、明智軍記にも載ってるのかもしれないけど
明智家中軍法は一級史料だろ。

558 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:56:07
明智軍記にあったか?書状で偽書くさいのはあるが。

559 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:56:44
>>557
一次史料だかで2〜3件見つかってほぼ確実じゃなかったか?

560 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:58:06
>>555
>>557
家中軍法のこと明智軍記に書いてあったっけ?

561 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 21:59:35
福知山神社にある光秀の書状とされる「明智光秀軍規定書十八ヶ条」しかないはずだが。
内容と花押から偽書濃厚だけど。

562 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 22:10:19
>>561
それって御霊神社文書のこと?

563 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 22:16:49
福知山「の」神社と書いたつもりですた...スマソ

564 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 22:21:15
2件じゃないか?

確か10年ぐらい前に、ほぼ同一の内容の史料が見つかって蓋然性が高まったと言った話しを
何処かで聞いた。

まあもっとも俺がこのことを新聞とかテレビで知ったならソースとしてはかなり怪しいだろうが。

565 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 22:26:42
>>557
明智光秀家中軍法だろ正確には。

566 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 22:28:25
>>562
福知山市郷土史料館にあるやつか

567 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 22:46:14
もう一つは前田家のやつじゃね

568 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 23:00:05
一通りざっと読んできたけど、兵農分離という用語の曖昧さも、
揉めている要因の一つになっているように思う。

個人的な考えでは、武家奉公人と百姓身分との明確な区別化が
兵農分離ということであり、朝鮮出兵のときに農民というか百姓が
動員されていたことは、兵農分離の進展の議論とは別問題として
扱わねばならないと思う。

上記の意味での兵農分離ということでいうと、織田政権末期には、
他の大名よりも兵農分離が進展していた可能性はあると思うが、
本能寺の変直前の信雄の動員事情からすると、結局のところ
他の大名とは有意な差はなかった可能性のほうが高そうではある。

569 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 23:09:31
>>568
信孝かな?
信憑性もともかく、これはこれで極端に例外に近い事例じゃね?

570 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 23:23:04
どうも織田の家臣は俸禄を能力給で与えられるサラリーマンっぽいな。
在地性は乏しいと思われる。

対し、武田は地元の有力豪族連合体みたいな感じで武田信玄はその盟主のような感じかな。

571 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 23:26:28
>569
そうそう、信孝の間違い。失礼しました。

でまあ、信孝の事例のような「総動員令」は、例外には違いないのだけど、
軍役層の拡大(兵農分離とは逆方向)という戦国大名の志向の延長線上に
ある極端な事例だから(後北条とか徳川とか)、こういう事例があるということは、
織田も結局のところ、最後まで他の戦国大名と基本方針は変わらなかったのかな、
なんて思ってみたり。
まあでも、兵農分離が進展していたという状況証拠というか傍証も否定はでき
ないように思う。

572 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 23:29:23
ベクトルとしては

織田: 中央集権 兵農分離

武田: 封建 兵農一体

こんなとこだろ

573 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 23:31:17
もうそれでいいよマンドクセェ

574 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/07(火) 23:52:33
>>528
だから、歴史の連続性という面では、
江戸時代に確定した士と農を完全に分ける身分制度へと至る道筋は、
戦国大名一般(信長含む)→秀吉→家康というもので、
このことに関しては信長が特別な役割を担ったというわけではないのよ。

農繁期にも軍事行動が出来た点、
新たな占領地に国許の武将や側近を配置して統括させている点等が、
織田家だけでなく他の大名家にも一般的にみられること。
また、特に織田家が他と違う制度を用いていたとこを示す証拠が全くないことが、
それ強く示唆している。

>>571
ということで、少なくとも特に織田家だけが兵農分離をしていたことを示す状況証拠はないし、
>>572のようなことも言えない。

575 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 00:05:07
武田も、勝頼の代にはいろいろとやってるんだけどね。成果が出る前に潰れちゃったから。
誰だったか、何かの文章で(不明瞭ですまん)「信長の後継者は勝頼、信玄の後継者は家康」
なんて言ってたな。

576 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 00:10:51
江戸時代にも郷士という立派な半農半兵な連中がおりますよ。
ただまあ、江戸時代に足軽や御家人といった下層の連中が農業から離れたのは事実だな。
とはいえ、これもいきなり起こったというよりは長い時間をかけて進行した事だが。
参勤交代などの制度が拍車をかけた面はあるにせよ。

577 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 00:12:30
>>570
>どうも織田の家臣は俸禄を能力給で与えられるサラリーマンっぽいな。
>在地性は乏しいと思われる。

信長が越前や丹波で検地を行っては家臣の所領を明らかにしたのは何でよw
適当ぶっこきすぎw

578 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 00:16:20
>>576
まあ、一般論としてはという話だからね。

579 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 00:23:08
日本の兵農分離ってのは、誰か個人の政治業績というものではなくて、社会の進展
という面で進行していった現象。
それを最終的に総括したのが秀吉で、受け継いで完成させたのが家康。
そして秀吉の政策が基本的に信長からの継承である点から、信長が兵農分離の祖の
ように見なされる、と。

580 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 00:26:25
>571
自分の考えでは、兵農分離とは、軍役層の選別化でもあるから、
他大名を圧倒する勢力圏を有するというのは、兵農分離を可能
にする条件の一つを達成しているということになるという意味で、
状況証拠といったわけだけど。
傍証としては、武田攻めのさいの「人数すくなく召連」との指示かな。

もっとも、上記指示は「遠陣」だからということにすぎず、軍役層の選別
に結びつけるのは危険かもしれないし、結局のところ、織田が他の
戦国大名とかなり異なる軍構成だったという直接の証拠はない
わけで、そのあたりの在地性の根強さに、織田政権の家臣団統制の
脆弱性と本能寺の変の一因を求める見解もあるわけだけど。

581 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 00:31:42
しかし、実際問題として、織田信長の出現無しに身分の
固定化が起きたかどうかといわれると、かなりあやしいが。

徴兵制が存続する可能性も、身分の固定化が発生しない可能性もどれもあるわけで、
織田信長の出現が歴史の流れの方向性を決定付けたとしか思えんな。


582 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 00:32:00
>>579
平和の中で武士の在地性を完全に消し去り
直接年貢を取るのではなく大名が代官に集めさせた年貢の
再配分に預かるサラリーマンにしてしまったという意味では
江戸幕府は秀吉に比べて断絶のある異色の時代だと言える。

583 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 00:37:14
まあ、信玄の天下統一では兵農一体のままだろうなw

584 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 00:40:38
>>579
信長は革新的だというだけならともかく、
あらゆることにおいて全て革新的で他の大名と同じようなことは何一つしていない、
とでもいうかのような思い込みが、この件のような誤解を生みように思う。
実際には信長だって他の大名たちと同じようにしていたことも結構あるのだけど。

>>580
確かにいわゆる兵農分離が厳密に達成されると、
実際に戦に動員できる兵数は減少する、そんな余裕のあることが出来るのは、
とてつもない大勢力を持ったもののみでしょう。
だからこそ、秀吉もそれを大規模に出来るようになったのは、かなり後年だし、
それが定着したのは世の中が安定した江戸時代ということになるわけだ。

585 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 00:47:06
>>582
それは江戸時代も結構後半になっての話ではなかった?

586 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 00:49:09
>>583
たしかに・・・
信長でなければ、兵農分離は無かったかも
少なくとも信玄では無かった可能性は高い
武士は庄屋のような存在になっていたのじゃないだろうか。

587 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 00:56:09
>>581
そりゃあ、歴史に絶対の必然なんてものは存在しないから、
織田信長などという間違いなく歴史に大きな影響を残した人物がもしいなかったとしたら、
その後の歴史がどうなったかなんてことは全く分からない。
だがそれはまた別の話。

その手の仮定の話でいきなり何かを決め付ける様に語るのは、
なんともばかばかしい行為だと思うね。

588 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 01:03:07
>>574
織田には後の秀吉に続く政策の連続性が見られるって。

信長といえば指出しかやってないように思われてるが、
伊勢・越前・播磨・摂津・丹後等では検地を行ってるし、
越前では刀狩が行われ、農民が武士へ転身する事の禁止も行われている、
村切も行われ始め、惣村では侍分と百姓との剥離も見られる。
楽市楽座や関所の撤廃も漸進的、一部ではあるが行われている。
在地勢力に対しても、欠所地を使い、替地・転封を行う事で
それらを整備、中央権力の強化を図り、家臣の中央への移住を進める。

これらの事を、天下統一へと向いながら行った信長を、
特別な役割を担っていない、とは到底言えない。

589 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 01:15:20
>>588
誰も信長と秀吉の間に連続性がないとは言っていないでしょう。
そうではなく、信長と他の大名との間が完全に断絶しているわけではないってこと。
いくつかの面で信長は革新的だが、全ての面で他の大名たちと全く違うというわけではない。

もちろん、総論としてみれば天下統一の過程において、
信長の果たした役割は極めて大きく正に特別なものだったといえると思いますよ。

590 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 01:31:38
>>589
言葉が足りなかったな、織田には秀吉に繋がる“特別な”連続性は存在する。

指出ではない検地・楽市楽座・刀狩・農民の武士への転身の禁止・村切
家臣の城下町への移住。

一部・暫定的であるにせよ、これだけやってれば十分他と隔絶してると言える、
他に上記の事を全て行った大名が居るか?

591 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 01:40:45
一国一城令ではないが、城割もやってるね>信長
分国内の関所撤廃も、あの時代にすればとんでもないことだと思われ

592 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 01:41:06
>>590
だから何故全ての面で同一を求める

593 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 01:50:00
>>585
江戸時代に武士がサラリーマン化したのはそのとおりですが、そうなったのはもっと後
(元禄期にはなっていたが)、家康の時代はまだそこまでいってませんよ。

>>590
一部なら他に行っている大名はいるけど、それらをまとめて大々的に行ったのは信長しか
いないねたしかに。だからこそ、信長は室町から戦国期の日本で続いた社会変動の総決算
を行ったのだと思う(中途で倒れたので、秀吉が受け継ぐことになったけど)
「信長は近世を切り開いた」とよく言われるけど、これは言いえて妙な表現だと思う。
信長自身は、まだ中世の枠にあることを逆に言っているわけで。

594 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 01:50:41
>>592
色々な事を内包して、それを暫定的にせよ、政策として実行するから凄い訳で、
一つ二つ被ってるから、「〜は全く違う訳では無い、特別な連続性は存在しない」
とか馬鹿馬鹿しいとは思わない?
そんなこと言ってたら秀吉・家康だって別に特別な連続性は存在しない。

595 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 01:52:50
>>590
だから、総論としては特別だと言っているでしょう?
しかし各論レベルでその全てについてではないってこと。

596 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 01:59:20
>>594
いや、正にその一つ二つはかぶっている面もある、ということを言っているのだが。
そういうもの、つまり他ともかぶっている面に関しては、
信長だけが特別だったわけではない、と。

どうも、大分誤解をされてしまったようだが、
一応>>589はそういう意味のことを言っているのだけど。

597 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 02:14:28
>>595、596
いやいや、あんたが書いた>>574の、
>だから、歴史の連続性という面では、
>江戸時代に確定した士と農を完全に分ける身分制度へと至る道筋は、
>戦国大名一般(信長含む)→秀吉→家康というもので、
>このことに関しては信長が特別な役割を担ったというわけではないのよ

これは正に「織田家の兵農分離」の総論だろ、俺が挙げた、
>指出ではない検地・楽市楽座・刀狩・農民の武士への転身の禁止・村切
>家臣の城下町への移住。
これらは兵農分離への前進で、又は萌芽であり(楽市楽座は微妙な面もあるが、
兵農が分かれたる為の資金調達の一環かな?と思い入れた。)
これらの多様な政策を実施した織田は、明らか秀吉へ繋がる特殊性があると言ってるんだよ。

598 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 03:10:30
>>597
>これらの多様な政策を実施した織田は、明らか秀吉へ繋がる特殊性があると言ってるんだよ。
ループだけど他の大名に全く見られないというわけではない。

まあ結局程度の問題だね。

>指出ではない検地・楽市楽座・刀狩・農民の武士への転身の禁止・村切
これも信長個人の資質によるものかまたは畿内の先進性に加えて他家を圧倒する経済力軍事力
があったから(他の大名家ではしたいけどそのようなことをするだけの余裕がないとか)こそなのか
でまた違うし。後者であれば織田家でなくても巨大な軍事力があればできたということだし、まあ両
者がそろっていたからできたと考えるのが妥当だろうが。

599 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 03:21:33
>>597
>これは正に「織田家の兵農分離」の総論だろ、俺が挙げた、

違うだろ、社会のすべてを含めた全体としての歴史の流れでは
>戦国大名一般(信長含む)→秀吉→家康というもので、
>このことに関しては信長が特別な役割を担ったというわけではないのよ


家康秀吉の基本政策は信長の影響を強く受けており、彼らの政治には“特別な”連続性が存在する
ということだろ。

600 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 03:42:45
>>599
中世から近世への以降のため全国で土地制度税制統治システム軍事制度身分制度等が変化していて
中央集権富国強兵みたいな政策が室町時代から江戸時代へという流れの中で採られていたわけだが
織田家ではそのための政策として検地・楽市楽座・刀狩などが行われ、それは秀吉家康へと受け継がれていくというわけだね。


でそれを混同している人間がいるから話しが噛み合わずループしまくり、このスレの概要を書く人間が楽になると。

601 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 07:53:16
>>597
それは「士と農を分けた身分制度に至る道筋」に限定した話ですよ。
このことのみに関しては、例えば武田家等でも新たに領土となった地域の土豪に、
農か兵かの選択を強いたりしており、織田家だけに限定したものではなく、
戦国大名一般に見受けることが出来る全体的な傾向である、ということ。

無論、戦国時代においては多くの動員兵力を必要とした関係から、
半農半兵の状況を完全に打破することは出来ず、実際に土地から切り離されたのは、
武将や大名の側近及びその周辺までに留まるわけだが、
このことも織田家を含めた多くの戦国大名に共通する一般的な状況である。

602 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 10:20:39
>>600
全国で身分制度や軍事制度の変化など起こっていない。

603 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 10:22:09
信長無しに起こりえなかった変化を全国的な変化とは片腹痛い

604 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 10:31:45
全国に幾多ある大名家の一つや二つに、織田家と局部的な類似があったというだけで
全国など無理すぎ。
織田家と類似する他家の特徴が時代の主流に向かう流れになどなるわけがない。

つまり
●織田家であるファッションが流行している
●町内に織田家のファッションと似た靴を履いている人が数人いる
●町内に織田家のファッションと似たシャツを着ている人も数人いる。
        ↓↓↓
織田家のファッションは全国的な流行で、時代の流れだ。
織田家がなくても、みんな織田家のようになていた。


ありえない

605 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 12:05:04
>>601
兵農一体の象徴である寺社を念入りに保護したり
穴山、小山田にみられる特権地域も認めて

>戦国大名一般に見受けることが出来る全体的な傾向である
兵農分離のイデオロギーを持っているなら、
信玄は思想に反して、既存のシステムと癒着しまくってたわけか

606 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 12:51:09
先行者だなw
http://www6.plala.or.jp/private-hp/samuraidamasii/tamasiitop/robotyuugoku/robotyuugoku.htm

日本のロボット技術=織田信長
先行者=他の大名

これを比較して同等だと言って譲らない厨房www

607 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 12:52:12
>>600は句読点を使ってくれ。
悪いが読む気にならん…

608 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/08(水) 13:01:38
>>601
教育的指導!

609 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 13:04:02
>>588
信長といえば指出しかやってないが。
それとも、伊勢・越前・播磨・摂津・丹後等で竿入検地をしたという
新史料でも見つかったの?

>惣村では侍分と百姓との剥離も見られる。
何を以って侍分と百姓との剥離、と言うのか不明だけど
北条、武田家でも、軍役を請負う人間と百姓ははっきり分かれている。

どうも途中から、武田の話は軍役衆のうち軍役を課される兵が
対象になってるのに対して、織田は軍役を請ける地侍を話の対象として
その比較をして、武田と織田は違うじゃないかと言ってるね。
意図的なのか、信長の業績を特別視させたくて自然とそうしたのかは知らんけど‥

610 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 13:54:16
んー・・・信長は永楽通宝を旗印にするくらいやし、兵も銭で雇ったんよ、きっと。
旗印には、天下布武とかのように、信長のポリシーが体現されてるんやろうし。
とにかく、信長は変わりもんやな。他所と違うことばっかりやりたがる。

611 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 13:58:29
播磨で竿入では?
信長在命時に秀吉が直接してたようだけど

それ以外は指出だと思われ

612 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 14:17:16
もしかして、織田領ではそもそも、そんなに農業の人手が不足してたわけじゃないんじゃないの?
戦に人員差し出しても田畑はちゃんと耕し生産できるくらいの人口はある。
だから、余裕のある分の人員を豊富に銭収入のある信長が現金を至急して雇った。
それらの人たちは戦に長期的に参加できたし、戦が終われば農業に戻ったりと散っていく。
だから専業軍人っていうわけでもないし、「早く村にかえらにゃ」っていうほどでもない。
こういう、あいまいなもんじゃないのかな。



613 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 14:20:02
>>610
現代で言えば、会社のマークが万札のようなものか……

銀行やサラ金でもそこまで露骨なことはさすがに無理だな……

614 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 14:27:43
>>612
戦国期には流民が多数居たのだよ
妙法寺記にも武田の課役に苦しむ農民が逃亡し
多数の流民が出てたとあるし

615 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 15:03:07
>>612
もしかしなくても、農業の人手が不足してた大名なんて
あまりいないだろ。 越後やら奥州やらは別かもしれんが。
>>614
年代はいつ頃?

616 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 15:51:03
なんつーか信長だけでなくもっと全国の大名を見ろと

617 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 15:56:52
天文18〜22年>>615

618 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 16:05:53
>>609
新史料も何も、
当代記、北畠物語、太山寺文書、須磨寺文書、
細川家文書、片岡文書、劒神社文書
には検地の記録が残っている。
信長が領土全てに検地を行ったのというのは間違いだが、
検地を行っていないというのも誤りだ。

侍分、侍衆、要は在地領主等の支配階級。
惣村の指出の署名や、惣村の借米の文書をみると、
惣という形態に侍衆は既に含まれてはいない、
つまり織田政権下において、百姓−武士、という様な、
身分の剥離が起きていたという事だ。

619 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 16:14:03
>>618
おまいのようなヤツをまっていた。


620 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 16:19:29
>>618
指出と竿入は違うが、そこのとこは弁えてるの?
どう書かれてるか詳細キボン

621 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 16:20:25
>>618
それだと差出し以外がある程度載っているの?

622 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 16:45:29
>>620、621
「大河内内城に信雄被令居城、領十万石、此頃竿入」(当代記)
「就国中検地、〜(略)」(太山寺文書)
「以縄打一職ニ境目被相立候処ニ、重而以上使御検地之事」(劒神社文書)

一部抜粋。
この手の文書では検地と指出は区別されている、検地・指出ってな。
中国で行った秀吉の検地は太閤検地の走りとも言われ、結構有名。
越前での柴田勝家の検地も刀狩と合わせてかなり有名。

623 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 16:55:01
>>618
惣村の指出の署名に侍分、侍衆が載るわけ無いと思うが
侍分、侍衆が載るなら惣村じゃないし

624 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 17:05:18
>>623
惣村っての村落の自治形態の一種であって、別に村民だけの政治形態じゃないんだよ、
そこには当然半農の侍、在地領主も入っていた。
だけど中世から近世にかけての過渡期の中で、
在地領主が惣から剥離し、村切が行われるる中で自治組織としての機能を低下させいく。

625 :624:2005/06/08(水) 17:08:05
>村民だけの政治形態じゃないんだよ、
間違いだ、百姓だけの政治形態ではない、と書くべきだった。

626 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 17:11:47
>>624
その場合、ふつうは別の名称で記載される。

627 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 17:23:16
>>626
いや、半農の武士や、被官化した百姓は惣代として署名してる、
しかし時代が経つと、惣代は百姓だけになり、
在地領主の惣代の署名が無くなってくる。
つまりここに、在地領主と百姓との剥離、身分固定が起きてきてると見れる訳。

628 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 17:50:36
>>622
改竄するなw
当代記読んでみたけど
逆の意味じゃん

629 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 17:53:22
>>603-604
だから、なんで無条件に織田は特別だってことが前提になっているのよ?
織田家の具体的な軍事行動に他家との違いはほとんどないのよ。
なぜ、他家と特に違いがない部分まで信長は特別だったということになってしまうの?

630 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:01:54
>>628
逆の意味とは?

631 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:11:03
織田家が特別かは知らんけど
軍事行動については、他家と比較しても、活動期間がやけに長い&多い
田植や刈入時など問題なし、活動してるのが他家と大きく違わなくとも何かしら違うと言われるゆえんかと思ったり

後は畿内で公界と寺社領の荘園制を否定し、一旦「さら地」にし「直務」を義務付けして
信長の朱印状によって宛がわれてる

あとは
・分国内の関所の廃止、これによって畿内の物価が三分の一に下落した『戦国時代の交通』
・道の整備、尾張・美濃・近江・山城・大和・甲斐・信濃の道を改修『坂井遺芳』

この三つは結構凄い事業だと思うがどうでしょ?

632 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:15:32
>>631
まずそこが誤解の始まり、
活動期間も時期も特に他と際立って変わるものではない。
他の大名も田植えも刈入れ時も問題なしですので。


633 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:18:02
>>632
そぉ?じゃあ、比較してみようか、出兵時期をさ

634 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:22:39
つうか、スレの流れはいつの間にか「織田家の兵農分離」への反論が、
「織田家ひゃ兵農分離なんぞしていなかった」から「織田家だけがしていたわけじゃない」
に変わっているんだが、どうも反論している香具師は同じ人間みたいなんだが。
まぁ、どっちにしてもだが、織田家以外の大名家が兵農分離を進めていたという
根拠はどの当たりにあるのだ。



635 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:24:17
要は同じ事象をどう表現するか、立場が違えば言葉も変わるというやつじゃね?

1.当時、通年出兵は織田以外でもやってた。

2.農民以外の兵を雇用することは織田以外でもやってた。

従って、信長が特別な事をした訳ではない。

信玄厨のこの見解に対して、信長厨は1、2の部分は認めるものの
信長のそれには当時の常識を超えた部分があったと。
つまり他家がちまちまやってた事を信長は徹底的にやったのだから
他家と比較しても「特別」と表現して差し支えないだろう、と。

636 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:34:13
>>634
>どうも反論している香具師は同じ人間みたいなんだが
それは被害妄想w 夜に反論している人間と俺は別

兵農分離の意味が曖昧だからね、織田厨がコレコレが兵農分離の証拠だ!
と言って、それに対して他家でも行われているがな‥
と突っ込まれた、それだけ。

637 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:34:56
>>633
例えば武田家の場合は小和田哲男のまとめたものによると、
おおよその月毎の出兵の割合は、
1月   3%
2月   6%
3月  10%
4月   7%
5月   8%
6月  10%
7月  11%
8月  16%
9月  11%
10月  6%
11月  6%
12月  6%

旧暦だと稲刈りの時期にあたる8月を中心に出兵時期が集中していることが分かり、
少なくとも農繁期を避けるという傾向は全くなく、
逆にその時期に集中していることが分かる。

638 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:36:58
>>635
2.は、ちょっと違うんじゃないかな?
軍役を勤める者は、数年の長期遠征も可能な処遇だった
だと思うが。

639 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:38:03
>>634
要はこのことについて、
織田家とその他にはあまり違いがないということだよ。
織田がしていた程度には他のものもしているし、
逆に言えば他がしていた程度にしか織田もしていないと、そういうこと。

640 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:39:54
>>638
で、それに関して、
毛利家も可能だったがな、
という反論が来てループすると。

641 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:44:11
>>637
後年は別として織田家も似たようなもんじゃないか

642 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:45:37
>>618
その竿入検地は知行地や国人?に対して行われたものなの?
直轄地なら、何所の大名も当然竿入検地しているが‥

>>622
越前での柴田勝家の検地が竿入だとすると
太閤検地初期に行った越前検地の結果は、かなり不可解だろう。

643 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:47:48
>>637
刈入の時期は9月下旬からですが
9月は稲刈月と呼ばれるゆえんです

新嘗祭が11月に行われるのは、9月下旬から10月中旬が刈入時期だからですよ。

それと、田植えの時期の4〜5月が思いっきり低いですね
青田刈り8月に一番多いのは、青田刈りも含めてと思われますが如何でしょうか?

644 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:47:51
>>641
もとより似たようなものだということを言いたいのだけど。

645 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:50:40
>>643
その暦旧暦ですので。

646 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:50:51
>>636
織田厨のすべてが兵農分離を言ってる訳じゃないぞ、分かっているとは思うが
あくまで一部だけだ、多分織田厨の大半が兵農分離に反論してる側だと思ふ。

647 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:52:28
>>643
まず旧暦だろ、それに年によってずれたりするだろうし
まあ地域によってもずれるかもしれないが

648 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:52:36
>>645
>>637の図の月が新暦で書いてあるのですか?

649 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:53:25
甲斐は麦のほうが重要だったんじゃないの?
だったら根本からおかしくならないか

650 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:57:27
>>647
ですから、自分は>>637が旧暦で書かれてると思い、旧暦での話をしました
年によってずれると言っても、一ヶ月もずれるものではなし、地域は武田とある以上、甲信では?

651 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:58:11
>>648
図が旧暦、
実際の稲刈りは新暦の9月から10月頃に行われます。
つまり、旧暦では8月くらい。
田植えも旧暦なら3月から4月くらいに行われるようになります。
まあ、場所によっても違うでしょうが、
少なくとも長野県ではそうです。私の地元ですので。

652 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 18:58:43
>>650
閏は?

653 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 19:00:52
現在の田植え稲刈りの時期がわからんから漏れには何とも言えない、
そもそも当時の稲の品種はいつ植えていつ刈り取ってるんだ?

654 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 19:10:06
>>653
そんなの、別にどうでもいいっぺさ
どっちみち、農繁期の出兵が多く、冬季が少ない事には変わりない。

655 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 19:40:50
  ,r';;r"            |;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;
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 l;;'            /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;',;;;;;;;
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 ', ゞ,' '"'` '"       i;;;;;i, `' /        ニッポン!
  ', i、-----.、       `''"i`'''l  
.  ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\        ,'  ト、,         ニッポン!
   ヽ ヽ〈    i|          Vi゙、
    ゙, ,ヽ===-'゙ ,'     ,   // ヽ
.    ',.' ,  ̄ , '    ノ  /./    ヽ,
.     ヽ.  ̄´   / ,、 ' /     / \
     ノ:lゝt-,-‐''" / ,.ィ゙     /
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二階堂盛義と三国・戦国板は、サッカー日本代表を応援しています。

                                三国・戦国板一同

656 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 20:34:47
信玄が、稲の刈り入れ期に出撃したのは、敵の稲を略奪する目的だったりしてな(w

657 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 20:52:08
>>656
それはあるだろう。人買い、略奪などは日常風景だったようだし。

658 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 21:24:48
つかさ、新暦で考えるより、旧暦の何時に種付け刈入れをしてたのかを考えるべきじゃないの?

659 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 21:28:03
家督相続から69年末までの合戦34回中月ごとの回数は
1月   3
2月   1
3月   4
4月   4
5月   3
6月   3
7月   4
8月   8
9月   4
10月  0
11月  0
12月  0

注・春は3月夏は6月に入れて見た数ヶ月かかるのは最初の月のみ

となった合戦の出陣月のソースはとあるサイト

660 :659:2005/06/08(水) 21:28:35
ずれたORZ

661 :659:2005/06/08(水) 21:39:44
途中で気づいたけど、月ごとの合戦回数調べても意味無いな…

当主になってから死ぬまでの間、約30年中どれだけ出兵しているかを月ごとにださないと意味無いや

662 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 21:41:23
>>642
>何所の大名も当然竿入検地しているが
具体的には何処?
播磨なんかは国中検地とされてるから、
知行地・国人等も含まれてるとこは含まれてるだろう。

それは別にそれほど不可解でもない。
当時の越前は朝倉と織田の戦争、
一揆勢との戦いが相次いで起きた場所だし、荒れ果てていても当然、
あと当然ながら全てに検地を実施できたわけでもない。
寺社等が信長に泣きついて来たりしてる。
後の慶長検地と太閤検地との齟齬や、
伊達政宗が実質200万石の領地に育て上げたように、
検地を行った勢力の力や、戦後の復興などで食い違いで出るのは当然。
織田はまだ過渡期に過ぎないので、当然実行力なんかは弱いと思われる。

663 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 21:53:54
>>651
いや旧暦でも9月から10月じゃないのか?
昔、9月は稲刈月って呼ばれてたし。
旧暦は旧暦の暦に従って行動してたので、
新暦の稲刈り時期を旧暦に当て嵌めてるのはどうかと思うが。

664 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 22:19:44
合戦規模や攻めか守りも重要だなぁ

665 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 22:27:38
スレの流れからして、農繁期の出兵かどうかが、
兵農分離の決め手になってないんじゃないのか
軍役が農村人口の数%しかないなら、あまり関係がないし。

遠隔地への長期遠征など、兵の在地性や、
検地などの記録、兵が俸禄で養われていたこと。
豊臣・徳川との連続性。
様々な状況証拠から結論がでたのであって、

農繁期に出兵=兵農分離 は成り立たない

666 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 22:36:18
>>665
それらの織田軍団の特徴を武田は満たさないってこと

武田は農協みたいなもんだなwwwwww

667 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 23:04:54
マブラヴ

668 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 23:37:51
>>663
うちは農家だけどね、
稲刈りは今の暦で9月10月くらいにするし、
田植えは4月から5月くらいだよ、実際先月田植えをしたばかりだ。
地域は長野県中信地区ね。

669 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 23:43:20
>>666
織田軍だって遠隔地へ長期遠征なんてしていませんが。
遠隔地の場合は各地域ごとに方面軍とも呼べるようなものを作って、
その地域の近隣を地盤・策源地としてその地域の兵を主に率いて行動しています。
別に全ての軍が中央から派遣されて戦っているわけではありませんよ。

670 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 23:48:59
>>668
いや君の家が農家かどうかなんて関係なくて、
当時の人間は当時の暦に沿って行動したんだから、
今の暦から逆算した月を、当時の人間の行動に当て嵌めるのは無理がないか?
と言いたい。

671 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/08(水) 23:58:43
>>670
今の暦と旧暦には1ヶ月から1ヵ月半くらいのずれがあるのだから、
新暦と旧暦でそれだけずれるに決まっているでしょう?

あなた多分単純な思い違いをしていると思いますよ。
多分あなたの言う昔って新暦になってからのことではないですか?
新暦になってからなら確かに9月くらいを稲刈り月と言いますよ、
その頃稲を刈りますからね。ちょっと確認してみてはいかがです?

672 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 00:19:26
>>669
遠隔地、というのがどの程度の距離を指すのかは明確ではありませんが、元亀年間の
織田軍は本拠地である尾張美濃から離れて長期間畿内各地で活動しています。

673 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 00:21:11
>>672
例えばどのように?

674 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 00:39:42
>>672
頭の悪いオレにも分かるように書いてくれ


675 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 00:45:10
稲刈月という呼び名は陰暦からだぞ
嘘を言うな

676 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 00:46:50
三好長慶なんて本拠地四国阿波なのに海越えて京を制しましたが・・・・

677 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 00:47:50
>>671
だからな、それは俺等が見た場合のずれであって、
当時の人間には当時の暦が常識なの。
それを俺等の時代から逆算して行動を推測するのは無理がある、
例えば現在の1月は正月だが、旧暦の12月は12月でしかなく、正月は1月だ。

>新暦になってからなら確かに9月くらいを稲刈り月と言いますよ、
冗談は勘弁してくれ、太陰暦の9月の異称が長月、稲刈月、
特にこの長月の語源は稲刈月、「いなかりづき」の「い・り」が落ちて、
「なかづき」になったとされている。
7月が穂含月・穂見月、8月が稲葉月、と太陰暦では7〜9月の異称に、
稲の成長具合と比された名前がある、
何時から日本は太陰暦が新暦になったんだよ。

678 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 00:50:42
>>672
確かに畿内各地を転戦してはいるけれど、
その主な範囲は近江・伊勢・越前ら隣国と京及び大坂方面、
岐阜から京までは三日の道のりだし、そんな極端な遠隔地ってわけでもないような。
それに一段楽するたびに岐阜に帰国しているしね。

679 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 00:55:34
秀吉とか、1570年の7月くらいに姉川の後に城番として横山城に入ってから、
その後秀吉の軍勢が帰った形跡も無いが…何か横山城近辺で領地とか与えられた記録は無いの?

680 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 01:04:10
横山城が所領として与えられたとは聞かないなぁ
けど、上平寺に秀吉の禁制が出されてるようだから、付近一帯に軍事指揮権以上の権限はあったと思われ

681 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 01:05:39
>>677
何を言っているのか良く分からないが。
月の名前は私の勘違いだとしても、
現に稲という植物は現在の暦では9月くらいに成熟し刈り取られる、
そして今の9月は旧暦では7・8月くらいだ。このことに変わりはないと思うがどうよ?

682 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 01:08:15
別に稲刈りが8月だろうが9月だろうが、
どちらも平均以上に出陣していることに変わりはないから、
スレ的には別にどっちでもいがな。

683 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 01:13:10
今のと苗と同じかわからんだろ

つか旧暦の9月に刈り取られてるから稲刈月と呼ばれてると考える方が普通



どっちにしろ、田植の時期は出陣少ないな

684 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 01:17:21
田植えは現在の暦では4月後半から5月くらいに行われます、
旧暦だとおよそ3月ですね。

685 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 01:21:16
>>681
当時の稲と現在の稲の品種の違いや、
当時に正しい農作物に対する知識があったのかという問題がある。
江戸時代に入っても旧暦に従って行動した事から、
やはり稲刈りは10月に行われたと考えるべきだろう。

686 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 01:21:46
>>683
あんたの意見だと田植えは4月から5月なんだろ?
12ヶ月で割れば月平均の割合は8.3%、
4月・5月の割合はそれぞれ7%・8%だから、
普通それはおよそ平均的って言うもんだぞ。

687 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 01:22:28
約一名、必死に嘘書いてるのは何故だ?
昔は田植の時期は旧暦で5月な

688 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 01:23:19
>>685
おいおい、稲刈月は9月なんじゃあないのかいw

689 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 01:25:33
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~yochicaz/hash6_4_2.html
これで入力してみ

690 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 01:26:13
閏月がある年は実際の季節とこよみがずれるんだから、出陣時期を一旦すべて新暦で
求めないと、月ごとに調べても、稲刈りの時期と結局ずれないか?

691 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 01:26:16
>>688
スマン、素で間違えた、大体9月〜10月に行われた。

692 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 01:27:20
>>690
その為の>>689でつよ

693 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 01:28:12
とりあえずみんな、何月とかいう時は新暦か旧暦かを書いてくれ、
話しがずれる気がする。

694 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 01:29:49
稲苗月、早稲月という異称から推測すると、
暦でも田植は5月になるのかな?

695 :690:2005/06/09(木) 01:30:29
>>692
見るのがちょっと遅かったやorz

696 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 01:32:24
田植は5月から
稲刈は9月から

こういうのは昔の祭りの日取りとか調べるとヨロシ

稲刈り終わった後に、豊穣際とか行われてるから
大抵、10月半ばから11月にかけてらしいけど
もちろん、地域差あり

697 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 01:32:24
閏月がある年は太陽暦と2ヶ月ぐらいずれたりするしな

698 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 01:36:18
>>696
だから五月といっても年によって違うだろ、
まあ、田植えは毎年こよみに合わせて行っていたかもしれないが
収穫のほうは季節によってずれるだろうから、旧暦の月はあてにならないんじゃないか?

699 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 01:41:59
5月は8%で平均的、9月は11%で平均以上、
要するに農繁期は関係ないか、
あるいは収穫の略奪を狙ってか秋の出陣が多いってことだな。

700 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 01:49:11
長期出兵かどうかは?
農繁期に数ヶ月に及ぶ長期出兵をするかどうか。
数日で終わる小競り合いならなんの問題もないだろうし。

701 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 01:58:02
信長の全合戦を纏めたHPを見てみると、
信長は1570年位までは5月の出兵は非常に少ない、38年〜70年までで4・5回程度、
9月の出兵もあんまり多くは無い(65年位から増加傾向にあるが)
70年代以降になると出兵自体が爆発的に増加する、
70〜82年までの間に、5月に出兵しなかったのは4年だけになる、9月も3年程度。

702 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:03:32
>>701
またデータの恣意的な運用による誤誘導か…

703 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:09:42
>>701

>>659を見るとまるで違った印象を受けるな

704 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:15:28
>>700
諏訪桑原城攻め4月から7月、
戸石城攻め7月から10月
一次川中島の戦い7月から10月
二次川中島の戦い3月から11月
三次川中島の戦い3月から10月
小田原城包囲9月から10月
三方が原の戦い9月から翌年4月

すぐに目に付く有名なものだけですが、
農繁期に被った長期遠征も結構あるようですよ。

705 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:15:29
ジャッジしまつ。もう信長の兵農分離はどうみても事実。教科書にもあるほどだし当然の帰結だけど。
あとは信玄厨が信玄の兵農分離を証明するだけだね。っていってもいままでの議論ではどうみても
信玄の軍は兵農分離などしてないとしか思えないが…

706 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:17:36
>>703
俺は最初の月だけじゃなくて、交戦中も換算してるからね。
けど>>659でも5・9月は多いとは言えないと思う。

707 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:18:05
>>705
今更これは・・・
ネタや釣りとしてもお粗末すぎるな。

708 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:19:57
>>704
じゃあ農繁期とかはあまり関係ないっぽいね。
農村の一割にも満たない動員だろうから、
農繁期には合戦ができないとかっていう事自体が俗説っぽい。

709 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:23:31
>>707
ネタじゃないでつよ?
秀吉へと続く歴史的経緯やら、資料やら全てを勘案すれば信長の兵農分離は
否定できないし。
でも信玄の軍が兵農分離していたと言う話は、まだ出てないでつよ。

710 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:23:43
>>705
あ、書き忘れたけど9月中の出兵は67年頃からかなり増え始めるので、
だから総計で見れば結構な数になる。
ただ70年頃までで一番出兵が多いのは8月、やっぱり青田刈りでもやっていたんだろうか。

711 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:25:51
>>708
当然そうでしょう。
だからこそ、
織田家だけが農繁期にも戦が出来た、
その理由は兵農分離が進んでいたから。って話も俗説となるわけです。

712 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:29:01
とうとう脳内資料を読み始めた者が出て来てしまったようですね。

713 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:29:44
兵農分離の利点は多いよ。
軍隊の編成や派遣が自由にできる。
何年でも長期間に及ぶ兵糧攻めなどもできる。

これが織田の強みだね


714 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:31:25
信玄厨もしつこいな。
兵農分離さえなかったと言っているのはもう一人か二人だけだと思うが・・・

715 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:35:05
>>712
検地や刀狩の資料があったでつよ?

716 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:36:16
>>706
合戦の回数で求めるんじゃ意味無くないか

659も自分で気づいてるみたいだが

717 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:39:39
>>711
それは織田の兵農分離を否定する根拠にならないことはわかるよね?

718 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:43:07
>>716
ひょっとして、1573年8月を朝倉攻め浅井攻めで2回と考えてるとか…

719 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:43:17
>>717
711さんには必要条件必要十分条件などの違いを教えてあげる必要があるかも(^^;

720 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:44:59
>>711
>兵農分離が進んでいたから
完了していただと明らかに間違いだろうが、他大名より進んでいた可能性は
あるだろう。

721 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:47:36
>>718
確かにそれじゃおかしくなるな、まあそれ以前に
>>701
は何で38年から数えているんだ?

722 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:49:26
農繁期の問題は兵農分離と切り離したほうがよくないか?

兵農分離でも兵農一体でも、どちらでも農繁期に出兵は可能と考えるほうが合理的。
農村の大半の農民が兵役で駆り出されるならともかく、そんな事はないのだから、
農繁期の問題は兵農分離とほぼ無関係に近いと思われる。


723 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:51:12
>>721
一番最初の出兵の年が38年と書いてあったから、まあそんだけ。

724 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:51:22
長期の作戦でも、部隊を交替させて農村に返したりとかすれば、兵農分離とかしてなくても
長期作戦はできるんじゃね?まあ大名のふところ次第だろうが。

725 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:52:10
>>723
さすがに初陣前を入れるのはどうかと…

726 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:56:28
>>724
兵士の地元からそう遠くない場所で兵力に余裕があるなら可能だろうね。

727 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 02:58:26
そもそも防戦だったら農業関係無く出兵するだろうし、離反した武将とかの鎮圧でも同様
それらをいっしょくたにしているんじゃ、正しい結果は出せないんじゃないか?

728 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 03:01:33
>>724
>>726
信長の付け城戦術だと、地元(というか一部)の部隊を残して
残りは帰ってるな。

729 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 03:04:53
>>728
信長の軍は、兵農分離の過渡期だから、地元を離れて軍団に付き従う古参と、
あらたに糾合された土地の地元兵の混成になるんじゃね?
中核軍ほど、専業化しているだろうけど。

730 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 03:06:23
>>728
荒木攻めだと、尾張美濃伊勢だけでなく前田や佐々も呼び出してるが、
それらの連中はさっさと引き上げてるし、丹波攻めでも、丹羽や滝川も参加してるが
付け城作って包囲した後は、丹羽滝川だけでなく光秀まで一部の部下残して京に
戻ってるし。

731 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 03:07:10
>>728
それは必要最小限の兵だけを残すのは普通じゃないかな。
信長の敵は多いから、必要以上の兵を兵糧攻めなどで固定化するのは危険だし。

732 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 03:09:59
>>729
まあそうだろうな、過渡期と言うより萌芽と言ったほうが良いかもしれんが…
豊臣期でさえまだ過渡期だし。

でもここで揉めてるのは専業化している割合だろうな、
少数なら他大名も同様だろうし。

733 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 03:13:09
>>731
いや、でも例えば佐和山攻めの時とか、他のほとんどの部隊が
軍事行動せず美濃に帰ってるが…


734 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 03:15:41
>>733
>他のほとんどの部隊
元亀の時主力の武将は皆近江にいたけどな、
確かに信長本隊は何度も美濃に帰ってるけどな。


735 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 03:18:23
一番大きなポイントは織田家の方針だろうな。
兵士を土地から引き剥がして俸禄で雇うようにするのか、
それとも、基本的には兵は農業を基本に土地と密着させたままにしておくのか。

織田家の方針がどちらを向いていたかで歴史が変わったろうけど、
その後の歴史が、織田家は前者であったということを示している。

他の大名家の方針はどうだったのか?
そのへんが信長を改革者とするのかどうかの決め手だろう。

736 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 03:34:53
織田家の軍法がなに一つ現存しないからなぁ・・・
当時、誰の軍が専業兵で誰の軍が地元兵なのかどうかも。
さらに疑問なのは、秀吉の軍など家臣の兵士は、
信長から割り振られて与えられているような感じもする。
だれそれに何千、だれそれに何千という風に。
そうであれば、その兵は自分の領地の兵ではないことになるしな・・・
他家では家臣は自分の領地を持ち、その領地の兵を自分の兵としているが、
織田家は謎が多いな。

737 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 03:43:54
>>736
>織田家の軍法がなに一つ現存しないからなぁ・・・
他家も同様だと思うorz

738 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 04:04:28
明智光秀の軍規があるけれど、これってどうやって家臣に配布したのだろ?
印刷はないから、全部手書き?
少なくとも花押は直筆じゃないとおかしいな・・・
って、わかる人などいないよな・・・もう寝るか・・・orz

739 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 06:22:31
おまえらまだ兵農分離の話してるのかよ
ほんとバカだよなあ

740 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 07:19:49
キモス

741 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 08:03:58
>>717
農繁期にどうのこうのというのが、
肯定する根拠にならないことも分かるでしょう?

742 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 09:42:16
>>736
明智光秀の軍法は?
結局各々の武士がそれぞれの領地の石高に準拠した
軍役を負っている事が分かるだけだがねw

743 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 09:59:18
だよなぁ
>>735
寄子に負わせる軍役は他家と同じ方式だから
法度か軍法で、兵士を土地から引き剥がして俸禄で雇うようにすべし
とか命じていない以上、他家と同じじゃまいか。

744 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 12:46:46
織田の家臣達は領地を貰っていたり、貰ってなかったり様々。
知行(実質的な領地)と俸禄(何石といった年棒)で成り立っているのは推測できる。

745 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 12:52:18
>>744
すまんが、領地貰ってなかったのを証明出来るのかいな?
こればっかりは推測できる史料が存在しない=貰ってなかったにはならんしなぁ
それとも、俸禄で貰ってたのを裏付けるものあるの?


746 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 13:11:42
>>745
陳善録などでは前田利家は手柄を立てるたびに
何百貫文というふうに加増されている。
織田家は土地を貰えるのは、家老クラスだけのようだが。

747 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 13:21:24
>>744
兵の話題に家臣を持ち出すのはどうかと
織田家臣の中で俸禄支給が居たとしても、兵とはあまり関係無いが。

748 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 13:23:18
>>747
なんでもケチを付けたいだけなのか反射的に書いているだけなのか知らないが、
前田利家の兵はどこの誰だという話になる。


749 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 13:23:46
>>746
それって、ただ単に知行が貫高表記なだけじゃ?

750 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 13:25:53
>>748
前田利家の兵+寄子の手勢だろ

751 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 13:27:00
>>750
あのさ・・・前田の手勢は利家から俸禄を貰っているのだろう?
銭で貰っていることになるだろうに。

752 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 13:29:32
>>746
陳善録のは、利家の若い頃
すなわち信長が尾張一国すら支配できてない時代に俸禄貰ってたというのでしょ?
織田の規模が拡大してもそうだったのであれば、そうなのだろうけど

753 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 13:31:52
>527 :無名武将@お腹せっぷく :2005/06/07(火) 19:57:54
>>418
>遅レスだが、領地以上の給付の記録ってのはあるよ。
>坂井利貞に対して、川尻分とその他合計19貫文を扶助してるし、
>坪内氏には所領622貫の内、232貫は信長の倉入地の租税から給付する形になっている。

領地以外の、俸禄って形はあったみたいだけど。

754 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 13:38:05
>>751
そもそも>>746が土地何百貫文なのか
銭何百貫文なのかが、分からないと何とも言えない。

755 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 13:41:45
>>754
君、少しは考えてから書いたらどうかな・・・
1000貫文という俸禄があるとして、そこに土地が含まれるとしても
なぜ土地を銭に換算して俸禄とするかの理由をさ。
君と話をするのがイヤになる。

756 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 13:43:08
>>755
ん?
1000貫文という知行かもしれんよ?

757 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 13:45:18
>>756
お兄さん頭いたいよ・・・
君が理解するまで書く気もないし、そんなことだから、このスレが延々と
同じ事を繰り返すことになるのだよ。
他の人に任せた。

758 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 13:51:26
まあ、米の相場によって貫と石の関係は変動するからな。
織田は銭を基準にしたということ。
おそらくは、一旦、領内の米や銭の収益を集めてから、家臣に配分する方式だったのだろう。

759 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 13:52:33
織田家が兵農分離始めたの?

そうだよ派 ─┬─ 信長創始者派(信長天才派)
          │
          ├─ 兵農分離は途上中だよ派
          │    │
          │    ├─ 楽市楽座で傭兵雇ったよ派(中央集権派)
          │    │
          │    ├─ 拠点移動で農村と切り離されたよ派(安土城派)
          │    │    │
          │    │    └─ 一益や秀吉や光秀は与力を与えられたよ派(軍団長派)
          │    │
          │    └─ 織田家は農繁期に長期遠征できたよ派(状況証拠派)
          │
          └─ 織田家が占領地で検地をやったよ派
               │
               ├─ 越前や播磨で記録が残ってるよ派(竿入検地派)
               │
               └─まだ勢力が小さいから進んでないよ派(指出検地派)

760 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 13:54:17



ちがうよ派 ─┬─ 新説では否定されてるよ派(学説派)
           │
           ├─ 他の大名も農繁期に遠征してるよ派
           │
           ├─ 他家との違いは見られないよ派(悪魔の証明派)
           │    │
           │    └─ 他の大名でも兵農分離は見受けられるよ派(戦国時代派)
           │
           ├─ 織田家の資料が見当たらないよ派(史記派)
         │
           │
           ├─ 織田家の兵力は石高相応だよ派(太閤検地派)
           │
           └─ 朝鮮出兵でもまだ半分は農民兵だったよ派(状況推測派) 

761 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 13:55:28
>>757
ですよね。でないと土地の配分だけでは、町からの収益をまったく配分できませんし、
細かく細かく土地を切り刻んで一々分け与えて、手柄を上げるたびに
土地の割り振りを決めなおすのも大変でしょうし。
私は飯を食ってきますよ。  ササッ!

762 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 13:56:24
>>757
ようやく理解できたかも
陳善録には、知行を貫高表記で禄千貫とか記述してあった
それをオマエさんは俸給だと勘違いした、そういうこと?


763 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 14:08:43
合理的に考えて知行権が信長や国持ちの幹部クラスにしかないのだろうな。
徳川時代は知行権は藩に一括されていたのかな。
国持ちクラスの家臣は知行内の収益を銭や石高としていったん集めて、
家来達にその所領や俸禄に応じた分配を行うといったところか。
所領が実際に地名のある土地なのか、名目上のもので給料を決める数字なのか。
徳川時代では、所領などはもはや名目だけのもので、米の現物を藩から支給されるだけだが、
織田家はその中間のような状況だろう。

764 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 14:13:47
>>762
あんたは、ここに参加しないほうがよい。議論が無限ループする。

765 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 14:15:19
相変わらず、論破されると、何の根拠も説明もなく
流れをぶった切って、意味不明の結論にもっていくのがいるな

766 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 14:20:00
ttp://s-mizoe.hp.infoseek.co.jp/m245.html

767 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 14:28:18
10貫や20貫の連中なんて土地じゃないにきまってるじゃんw

768 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 14:32:05
貫高表示だと結論出たところで、アホは放置。

769 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 14:32:26
尾張は銭の収益の割合が石高に対して大きかったんじゃね?
信長一人で大量の銭を持っててもしょうがないから、
銭も分け与えることで、石高以上の大国になるしな。

770 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 14:34:22
>527 :無名武将@お腹せっぷく :2005/06/07(火) 19:57:54
>>768
おまwwwこれは無視かよwww
信玄厨はちょっとでも信長が有利になりそうなことは盲目的に反発するなwww

>>418
>遅レスだが、領地以上の給付の記録ってのはあるよ。
>坂井利貞に対して、川尻分とその他合計19貫文を扶助してるし、
>坪内氏には所領622貫の内、232貫は信長の倉入地の租税から給付する形になっている。


771 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 14:36:29
>>768
だからなんのための貫高表示なんだよwww考えろっちゅーのwww

772 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 14:44:58
太閤検地前までは、日本は一部を除き貫高表示でした

773 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 14:47:01
>>772
根拠は?


774 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 14:47:54
各大名の差出検地帳>>773

775 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 15:03:41
そうでもない。
織田家で見てもかなり混在してる状況、

貫高 尾張・美濃・伊勢
石高 山城・大和・摂津・河内・和泉・近江・越前
   播磨・丹後

こうして見ると案外石高が多いな、
それに貫高でも石高でも米だけじゃなくて、色々換算している様子。
後指出でも信長はかなり細かいところまで要求してる、
面積・得分・百姓とかまで。

776 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 15:04:02
>>773
教えて君はちゃんと学校に逝ったほうがいいよ

777 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 15:08:56
貫高が多いのは関東だな、
関西方面では毛利も貫高と石高の混在だったみたいだし。

778 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 15:28:14
貫高を広く採用したとして特筆されるのは関東の北条氏である。北条氏領では
家臣宛の知行高から百姓の所有する土地まで,広く貫高によって示されるように
なっていたが,西国の毛利氏などでは町段歩制と貫高・石高が混用されており,
さらに畿内を中心とした旧来の荘園領主たちはほとんど貫高制を採用することが
なかった。実際に貫高制を重く用いていたのはおもに関東・東北地方の戦国領主で
あるが,貫高制はそのまま年貢の銭納を意味していたわけでもない。伊達領など
では実際に年貢の貨幣納が実行されていたが,北条氏領においてさえ,年貢の米納や
籾納が許されていた例はしばしば見出される。以上みてきたように,貫高制の用い
られ方にはさまざまな形があるが,とくに,戦国大名の本質を表すものとしてとらえ
たときの貫高制の機能を,軍事編成・流通統制・農民支配の3点に集約される。これら
の機能は本来,荘園領主に対する徴税の完遂のために用いられたともされているが,
結果的には守護・地頭領主の直接的・一円的な収集関係が確立され,新興大名が生まれる
母胎となっていった。

http://www.tabiken.com/history/doc/E/E078R200.HTM

779 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 15:29:59
結局、利家が貰ったのは知行地なワケか。

780 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 15:47:57
>>772の言う「日本」とは、関東・東北中心の日本かw

781 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 15:52:50
大友も貫高
島津も貫高
宇喜多も貫高
尼子も貫高

782 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 15:53:26
西日本はチョンの血統多いからか?

783 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 16:00:19
結局、給料に村の名前が付いているってだけのことじゃない?

他│他│他
─+─+─
他│前│他
─+─+─
他│他│他

このように土地があって、1マスを50貫として
前田が50貫から100貫加増されると、どうなるのだ?

他│他│他     
─+─+─
他│前│他 +   │前│前│
─+─+─
他│他│他

こんな風になるのかね?

さらに300貫に加増されると、また飛び地の土地を追加してもらうのか?

結局、
100貫(○○村)
100貫(○○村)



などと名前が付いているだけで、実際にその土地を経営するなんて事はないのじゃないのか

784 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 16:04:11
毛利の場合国人連合色が強すぎて規格の統一がしきれなかっただけじゃないのかw

785 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 16:07:05
知行地が飛地になり複雑だったのは常識と思ってた。
江戸時代でさえそうじゃん。
じゃないと同じ地域に土地宛がい続ければ、在地勢力として無視できなくなる。

786 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 16:12:19
>>785
江戸時代がそうなったのは知っている。
要するに、所領が領内のあちらこちらにチビチビとたくさんある状況で、
領主がその細切れの土地を経営するのじゃなくて、
経営は大元が一括経営をして、所領分の給与(米とか銭)を貰うことになるのじゃないかって話。

787 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 16:17:12
>>786
領主が直接は経営しないでしょ。
知行地の規模により、宛がわれた土地の庄屋や豪農が行う場合と、その家臣を派遣し治めさせる場合とあるでしょ。

その知行地に済む農民が、領主の軍役に借り出されるのだし。


788 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 16:18:40
>>782
関西人は中国人の血が濃い
東海人と関西人は酒に弱い遺伝子を多くもつが
その遺伝子は中国で突然変異して生まれたものだそうだ

789 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 16:19:30
問題はここ

「農民が領主の軍役に駆り出される」

これが豊臣・徳川時代では消滅している。
その過程のメカニズムの話しているのだけど。


790 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 16:23:26
つまり平たく言うとね、

家臣=領地を支配する者 兵は領地から懲役

の時代から

家臣=サラリーマン 兵もサラリーマン

へと移行する過程の話

これを頑なに否定する人間が存在するから、おかしくなるのかと

791 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 16:30:03
豊臣で消滅したのは刀狩で、農民の武装解除したからだろ?
刀狩の命令では給任までを武家と見なしてるが。

792 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 16:31:02
織田の中央集権化のことっしょ。
信玄厨が否定してるだけ。
織田が中央集権に対し、武田の家来達による旧来の分治方式では
武田に勝ち目がないから。

793 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 16:34:04
給人の間違い。

例えば光秀の軍役なんか、6人役になってるから多いと自分は感じた。
が、あの頃は兵農分離が未完成と考えれば、その程度の軍役は当然で
むしろ兵農分離後の朝鮮出兵や関ヶ原の方が、刀狩による身分統制によって
少なくなったと考えた方が自然と思われ。

794 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 16:36:05
武田 
家来はそれぞれの領地に土着して、その土地の農民を駆り出す。

織田
家来は俸禄をあてがわれて、その俸禄に見合った兵を持つ。

この事実を書くと信玄厨が朝鮮人のごとくファビョって30はレスが付く。

795 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 16:38:12
>>792
中央集権化というよりも、信長が行ったのは占領地に対する「さら地」化。
占領地は、寺社領であろうが何であろうが、一度全て召し上げて、信長の朱印状によって
改めて再封するという形式。

これは他では安堵という形を取ってはいるが、召し上げて再封という形はしてないからね。
そんな事は在地領主の否定であって、国人衆には容認できるものではないから。

796 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 16:41:01
>>767
室町時代には年貢の村請が広まっていたから一概にそうとも言えない。
村請というのはつまり、村単位で支払い総額が決まっていて
それを村単位で払うという事。
領主たちが所有しているのは土地そのものというよりも徴税権。
で、村がまとめて収める年貢を領主たちが保有する徴税権に応じて分配するわけだ。
つまり10貫20貫でも扶持侍とは違う事も多々あるな。
何しろ10貫20貫というと数字としては少なそうだが石高に換算したら
10貫でも30〜50石ぐらいになる・・・(地方や年代によって差異もある)
戦国時代の普通の扶持侍(=給料を君主から貰う侍)の場合、収入はそれよりはるかに少ないのが普通。
10貫20貫なら所領持ち(徴税権持ち)と見る方が自然かと。

>>783
加増とはすなわち、より多くの徴税権を与えられる事。
また、保有する徴税権に応じて、村に負担させる軍役量も増えるな。

徴税権を保有する武士層と
自ら土地を保有・耕作している武士層の
区別はしっかりつける必要がある。
戦国時代ぐらいだとまだ両方いるし、また重複もしている。
江戸時代になると後者は郷士と呼ばれるようになるが。

>>786
領主が代官などに経営させて、収入を分配するのは江戸時代も中期以降でしょう。

797 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 16:43:03
>>793
それ以前に、秀吉の太閤検地以降でこそ
「収穫量」で土地を表すのが普通になったが、
それ以前は「納税量」で土地を表している場合が多々あったりするし、
基準が秀吉と同一で無いだけに、一緒に語るのは無理がある問題。

>>794
いい加減あきらめろ。

798 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 16:44:43
>>794
陳善録で書かれてるのが貫高表示の土地なのか、実際の銭なのか
どうとでも取れるので断言しないが

陳善録の話は信長が尾張一国すら治め切れてない時期で
その後はどうなの?

799 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 16:58:23
北条家では永禄年間に物納を認め始めたが、
それ以前は年貢も銭納だったんだよね。
でも別に大名が集めて再配分してたわけじゃなくて、
その土地その土地の徴税権を持つ領主に納めてた。
で、領主は徴税権を持つ土地に対して軍役をかけたり
していたわけだよ。

貫高だからどうとか、全くお話にならない議論をしてるね。ここは。

800 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 17:35:05
見苦しいぞ信玄厨

○織田の中心的軍は兵農分離していた
○兵農分離した農業を営まない兵は俸禄で養われていた

801 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 17:35:58
>>799
貫高だからどうとかじゃなく
前田利家の受けた何百貫文云々が
貫高表示の知行か銭何百貫文、どちらなの?って事だと思うが。

802 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 17:39:44
>>796
>領主が代官などに経営させて、収入を分配するのは江戸時代も中期以降でしょう。
北条はこの形式だったようだが。
すなわち、知行地を一カ所に纏めず、一つの村に複数の知行地があることも多かった。
なので、知行人が各々代官を出さずに、北条政権が代官を派遣して統治していた。

北条は確かに進んでいる統治体制を誇るけれど、
他家も同様の事をしていた可能性はあると思うのだけれども。

803 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 17:42:10
>一つの村に複数の知行地があることも多かった。
そそ、問題はこういうの場合、どういう納税の処理をしてたかだよね


804 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 17:42:55
信長の野望でも兵農分離を採用するとリアルだね。
武田は石高相当の兵しか動員できず、
しかも城と城の間で兵の輸送が出来ないとか。
合戦が終わると兵は故郷に帰っていく。

織田は金で兵を増やせて、
城から城へと兵を輸送分配できるとか。

なかなか面白いな、、、スレ違いですかそうですか

805 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 17:43:23
ついでと言っては何けど傭兵問題はどーなんでしょ?


806 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 17:49:15
武田家のことはほとんど知らないが、武田家の家臣もさすがに
ずっと同じ領地を治めて土着していたなどということはなくて、
織田家の秀吉や明智や柴田のように、しょっちゅう領地を換えられていたのじゃないの?


807 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 17:56:25
>>806
武田は新興勢力の織田と違って、守護大名上がりだから厳しいかと。
織田というか、信長の家は信秀の代から勃興した、守護代の代官の家柄だからね。

武田は、特に甲斐なんて小山田のような半独立状態の存在もあり
軍の編成にかなり気を使ったのではないかとおもうんだけど。

武田に詳しい人、その辺どーなのかね?

808 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 18:26:26
>>806
つか、織田家でも領地変えられる層は限られてる。
逆に武田家でも転封などの例を探すのは難しくない。

809 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 18:37:59
信長の旗本なんぞは、むしろ領地を安土の近くに変えてくれれば
楽だったのにねw

810 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 18:39:19
>>808
確かに、例えば馬場は深志に配置されたし、
北信濃に高坂、西上野に内藤、伊那後に東美濃に秋山、駿河に穴山を配置している、
どれもこれももとは甲斐出身なわけだからいずれも配置替えだわな。

811 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 18:43:24
織田も複数の知行を色々な所に与えられてる形式になってる、
しかし転封、領地替えでの注意すべき点は本領がどういう扱いになっているかという事、
例えば前田利家は能登(越前の時だったか?)に領地替えされた時に、
本領であった荒子は既に旧領扱い、つまり荒子は信長に取り上げられた、
という事になっているらしい、武田では此処らへんはどうなの?

812 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 18:43:47
もしも織田軍にほかの戦国大名とは根本的に違う部分があるなら、
それによって軍事活動もおのずから変わってくるものだが、
実際にはそのようなことはないわけだ。

俗に織田軍特有の行動とされていた農繁期の軍事活動等は、
実際には他の大名も行っているわけで。

813 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 18:57:41
>>811
佐久間は本領キープしてるなw
武田家でも深志城を松本の中心にするからオマエ転封しろ、とか
何氏だったか忘れたが地元の国人が飛ばされてるな。
ある意味「既に農業から離れている層」にとっては
徴税権と住処の問題で不満が無ければ転封は成立するのだろう。

信長が当時として並ぶ者の無い広大な領土を得たために
やってる事が特別に見えるだけで、その本質はあまり変わってないのでは。

814 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 19:03:11
>>813
佐久間は後には本領所か追放されてるので、
例に出すのはどうかと思うが…。

815 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 19:06:59
いや、その時点では重臣だし何も問題なかろう。

816 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 19:09:13
秀吉も中国方面にいっても長浜は領地のままだし、
光秀も丹波に移った後も坂本は領地のままだね。

817 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 19:15:14
>>815
いや最終的にはどうなったが大事だろう。
それを言い出したら利家だって荒子に移る前の時点では本領を持ったままだし。

>>816
農民から成り上がった秀吉、中途採用の光秀にとって、長浜・坂本は本領と言えるほどの歴史はないだろ。
それに秀吉なんて尾張・岐阜時代の領地は何処いったんだ?
光秀が幕府側だった時の領地は何処?
というも問題があるし。

とはいえ、無論全てが全て本領を取り上げられた訳ではないが。
織田政権下はまだまだ過渡期の時期だし。

818 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 19:16:03
なんか武田は泥臭いなw
昔の封建制そのまんま
武田の実態は土着百姓のお頭連合軍
信玄入道はその親玉w

819 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 19:16:16
>荒子に移る前の時点
変な書き方になってるな、
荒子を取り上げられる前、だな。

820 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 20:01:18
>>818
織田もな。

821 :643じゃないけど:2005/06/09(木) 20:23:33
>>812>>643

収穫直前に城攻めするのは合理的だと思うけど
田植え時期の出兵が少ないのはなぜですか?

農繁期も問題なしなら、田植え時だった第一次三河侵攻と長篠の戦いにおいて
石高に比べ兵数が少なかったのは特別な理由があったの?

822 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 20:31:20
>>821
表を見ると、田植え時期の出兵頻度は普通だが?
出兵が少ないのは冬季だろう。

823 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 20:36:27
1570年 4/2〜5/21 6/19〜7/8 8/20〜12/17
1571年 5/12〜9/20
1572年 3/5〜5/19 7/19〜11/3以降?
1573年 3/25〜8/4 8/8〜9/6 9/24〜10/26 (11/4〜12/2)
1574年 2/5〜2/24 3/12〜5/28 6/14〜6/21 7/13〜10?/29
1575年 2/27〜4/28 5/13〜5/25 (7/3〜7/17) 8/12〜9/26 (10/10〜11/15)

70年〜75年の安土への移動までの、信長自身が出兵した期間。
()内は上洛を目的とした行動で、これも軍事行動の一種にはなるが、
規模の面で些か疑問が残るので()で括った。
参考は信長公記。

824 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 21:28:30
>>823
冬場の行動がほとんど無いな、
三方ヶ原も単に冬だから兵の集まりが悪かっただけだったりしてな
73年の正月頃も信玄が三河にいるから岐阜を動かなかったのではなく
単に冬だから動いていないだけなのを、後世の人間が適当に理屈つけただけだったりして。

825 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 21:42:45
秀吉の刀狩でほぼ兵農分離は完成だろう。朝鮮出兵は、国家総動員令に近いから、
それをもって50%とするにはあたわない。
したがって信長の代で兵農分離が主流だったことが窺える。

826 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 21:43:52
やっぱ寒いのか?
まあ他の理由を考えると、
年末・年始には領内の諸問題の処理とか、
知行に関する処理とか色々あるのかもしれないね。
ただ武田とかはやっぱり寒そうだ、雪とかもあるだろうし。

827 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 22:04:26
>>825
朝鮮出兵の時に半分が農民という話も出典がないな・・・
適当な作り話なのじゃないか

828 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 22:14:50
織田の兵:武家奉公人 → 秀吉の刀狩
武田の兵:半農半兵

どうあがいてもこの歴史を覆すことは無理

829 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 23:37:05
>>825
朝鮮出兵の時に大名への指示は西国大名で400〜500人/1万石だが
実際には無役高を除いた石高に対してかけられたので、
例えば120万石の毛利家は73万石に対して4人役をかけて
約3万の動員という事になっているわけだな。

大坂の陣で家康が諸大名に出した指令もおおよそ300人/1万石。
60万石の伊達政宗は1万8000人を率いて出陣。

人数的にはこれで総動員だと戦国時代は総動員ばかりになってまうな。
とはいえ朝鮮出兵は確かにおおごとで、海を渡っての大遠征だけに
出費はものすごく大きく、大名たちはその負担を領民に回したもんだから
逃げる農民なども多かったようで、例えば文禄二年に大友氏の行った
検地では耕作地の三割四割が放棄されて「名請人無し」なんて村も
続出してたりするな・・・・

>>827
島津や立花の動員計画が記録に残されているが、
確かに半数近くは農民の動員になっておるな。
ちなみに島津の場合、騎馬武者は2%しかいなかったり・・・・
まあ大坂の陣の伊達家でも騎馬武者は3%しかいないが。
もともと戦国時代から、軍勢の四割五割は非戦闘要員の人足とかだからな。

文禄元年正月に秀吉が出した五箇条でも
動員した農民の田畑は村で責任を持って耕作しろ、しないと罰則と
書いてあるな。

830 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 23:49:56
>>829
簡単に言えば、刀狩で兵農分離されていて、兵が減っていた。

そこに朝鮮出兵等の大動員がかかり、また農民を駆り出さなければ
指示された人数(300人/1万石など)を満たせなかった。

なので、刀狩で兵農分離が達成されていることは正しい。

831 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 23:57:50
朝鮮出兵は関ヶ原とは動員違うぞ
100石につき3人役は関ヶ原の島津の軍役

島津は朝鮮出兵の時には1万も動員してるから6人役近く
西国大名は朝鮮出兵の時には5人役やらの重い軍役を課けられ
東に行くほど軽くなってた

鍋島とか加藤とか小西なんて、動員数すごいよ

832 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 00:04:36
兵農分離は織田家を中心に起こった現象で、
もともと、地方ほど兵農一体に近かったのだし、
地方の半兵半農を秀吉が無理やり分離したことで、
田舎では武士が異常に少なくなった上に、
それに矛盾する軍役がかけられただけの事でしょう。

833 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 00:04:39
>>831
宗はもっと凄いぞう

834 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 00:07:28
>>833
まいりましたw

宗義智はどこから集めたんだろ?
あれかな?倭寇の残党でも集めたのかな?
ちょうど朝鮮や明だから言葉通じて便利だし


835 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 00:08:44
なんで二回書き込むんだろう

836 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 00:09:39
地方は中央ほど激戦ではなかったから、
中央に比べると、人口に対して武士の割合が少なかったってだけのことじゃないの?
地方にも一律に中央並の軍役を課したから、
地方大名は「兵隊足りないじゃん」ってことに。

837 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 00:13:16
>>832
>田舎では武士が異常に少なくなった上に

勝手な事言ってからに・・・・
島津でも伊達でも戦闘要員に対して5〜10%程度の騎馬武者がいるので
他所より少ないわけじゃないのよん。
もともと総数の半分近くは陣夫というのは当たり前の事。
でそのまた1割馬がいれば馬の割合が多い方なのです。

秀吉の刀狩の基準からして、動員が極端に減るような性質のものではないわけだし。

838 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 00:17:32
>戦闘要員に対して5〜10%程度の騎馬武者がいるので

これって逆では?
騎馬武者の割合が多い=雑兵が少ない=足軽などが少ない=軍人が少ない

839 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 00:19:36
ところで、全く話を変えますが、動員兵力の何割かは戦闘要員ではなく運送などの
人夫だったと聞いた事があるのですが、その比率ってどの程度なんですかね?

840 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 00:23:52
通常は、1万の軍勢いたら、そのうち侍身分は3割、あとは中間や小者、下人という
士分の従卒みたいな連中と、夫丸という人夫

侍の身分でも馬上は身分が比較的高い地位にある人間で
騎馬率が高ければ高いほど、人夫や従卒などが低いとなるね

841 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 00:25:14
元々は生粋の武士である騎馬武者同士の小競り合いが、
戦火の拡大で、足軽など雑兵を大量動員しての、大規模集団戦争に発展するのだから、
それほど激戦ではなかった地方は戦争に参加する人口が石高に対してもともと少なかった。

こんなところじゃん?

842 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 00:28:59
>>840訂正、日本語変だ><
人夫や小者の数が少ないとなるだね

割合だと人夫が4割前後、小者などが3割程度ではないかと一応言われてるけど
こればっかりは、それぞれなのでなんとも言えませんですよ

陣借りと言われる傭兵はどれくらいいたのかも気になるなぁ

843 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 00:34:35
>>837
武士が少なくなったって言い方に語弊があったのかな。
地方の半兵半農を分離することで、「兵」が少なくなった。
これならいいでしょう?

844 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 00:45:45
侍→戦闘要員
人夫→輸送・築陣要員
中間・小者→略奪要員

これ間違ってる?

845 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 01:15:01
>>841
というか地方は人口自体少ないからなぁ。
関東・東北なんかは石高自体は高いが、なんぜ土地が広いから
人口の集中が小さくなるだろうし、10u辺りでの石高とか出したら
結構小さい数字が出るんじゃないだろうか。

846 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 01:26:50
>>838
とすると戦闘要員に対する騎馬武者の割合が20%に上る北条家からすると
関東は武士が少ない地域なんだなw

>>839
戦の規模や遠征の距離によっても変わるだろうけど、
だいたい4割かそれ以上ってとこだろうにゃ。

847 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 01:51:00
馬の維持費は馬鹿にならん。
鉄砲の購入費や維持費も馬鹿にならん。
鉄砲の方が有用だとなれば馬を減らして鉄砲配備に
カネをかけるのは当然。
島津など九州大名や伊達の騎馬率の低さはその辺もあるだろ。

848 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 01:54:27
確かに、もう騎馬って時代でも無いしな。
しかも集中的に騎馬を運用できないんだったら、
余計に騎馬の価値は減るわな。

849 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 02:00:36
>>846
当時、関東は田舎だから少ないんじゃないか

850 :849:2005/06/10(金) 02:05:52
書き足らなかったけど、一般的に戦火の激しい地域ほど足軽の動員数が増えて、
騎馬武者率が下がるだろう。


851 :849:2005/06/10(金) 02:08:46
まあ、大名家の方針や馬の産地の関係もあるから、要因は他にも多いが

852 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 04:11:48
長野や山梨の山深い奥地に当時は人が少なかったろうな。
交通の便も最悪で、隣村まで何時間もかかりそう。
山奥の山賊を信玄が引き連れて、馬に乗って人里を荒らしに
下りて来たのだから、家康や今川もたまったものじゃない。
長野の山奥で米がとれるのか不思議。長野はスキー場のイメージしかない。
あんな場所だしせいぜい畑で芋が獲れる程度なんじゃないのかな。

853 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 04:23:26
そんなことを言ったら当時の越後は新潟とちがって米所ではないしなあ

854 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 06:50:40
越後は土がほとんど泥沼地だったから米の取れ高も思うよりあんまないのは当然か…
長野は行ったがそこそこ肥沃な平野だったよ、

855 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 16:06:34
ふと思ったのだけど、小荷駄や城普請を受け持つのは
軍役と賦役のどちらなのだろうか?知ってる人いる?

856 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 18:16:42
>>832
何の根拠もないただのイメージに過ぎない。

857 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/10(金) 21:19:11
賦役>>855

858 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/11(土) 00:41:51
>>852
例えば川中島は平安時代からいくつもの荘園が開かれた
山中の穀倉地帯だよな。

だいたい、中世では日本人の生活に山は無くてはならないもので、
当然山で働く人間は多かった。
つまり稲作以外の産業も相当にあった。
兵庫北関入船納帳によると、海運で運ばれる主な積荷は米や木材など。
当時はあらゆる建造物が木造。木材は当然国産。産地は山。切り出しているのは誰だ?
あるいは例えば漆。戦をするにも鑓の柄から鎧から陣笠から全て漆塗り。
日用品にも建造物にも漆塗りや柿渋塗りが溢れている。これらはどこで手に入れる?
例えば紙。全て和紙。原料は楮や三又の樹皮。どこに生えている?
生活に欠かせない燃料。薪や炭や松脂はどこから調達する?
甲斐や信濃は石高は低くても林業などを兼業する兼業農家が非常に多かったと考えられている。
だから検地帳を見て一軒あたりの農地が少ないからここは貧しい土地だとか
言う奴は情報を読み取れぬ奴だという事になる。

859 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/11(土) 01:04:25
>>858
甲斐・信濃の国以外には、木が生えていないのならば、この両国は相当豊かな国ということだな

860 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/11(土) 01:10:15


861 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/11(土) 04:09:39
>>858
山が豊かというのはそのとおりですが、その山の世界は本来平地の世界(農業、商業)を治める
武士の統治下にはないものです。山が武家政権に組み入れられていくのは江戸以降です。

もう一つ、前近代において食料を生産できなければ人口は増えず、人口が無ければ活動規模が小さい
ということでやはり比較すれば貧しいとなります。

862 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/11(土) 14:05:45
>>861
農村に住んでいれば支配下にある。都市民とは違って。
信玄は例えば漆の供出などの指令を出しているな。

863 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/11(土) 23:08:26
なんで、山に住む民が農村に住んでいるんだ?

864 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 01:04:44
そもそも、林業との兼業農家なんてのがこの時代じゃありえん。

865 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 01:07:26
>>864
兼業なんてたくさんいるだろ。
むしろ何が楽しくて専業にならにゃならんのだ?

866 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 02:05:32
この時代だからこそ
専業だけじゃ食えないから兼業にするわけ
専業の方が少ない

867 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 02:39:42
山間地は林農兼業がふつうだと思うけどな

868 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 12:47:16
で、山が豊かな武田家はどうして遠征に向けて、領民への重税から借用までしたんでしょう?
豊かな山も含めて、武田家はあの規模だったってことでしょ。

869 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 13:25:51
珍説だけど聞いてくれ

石高から兵力を割り出すには生産性(農民一人当たりの石高)の差異を
無視できないと思うんだがなあ。

石高(取れる米の量)=田んぼで働く農民の数×生産性

と考え、生産性が土地の肥沃さで決まるとしてみましょう。
そうすれば、肥沃な尾張や美濃は肥沃でない甲斐・信濃の
数倍の生産性があったかもしれない。
例えば、尾張・美濃では100uの田んぼを農民3人で耕していたところを
甲斐・信濃では100uの田んぼを5人で耕していたのかもしれない。
そうすると、閑散期では、甲斐・信濃のほうが100uあたりから動員できる
兵が2人ずつ多いことになり、石高の差ほどは尾張・美濃との兵力差は
存在しないのではないだろうか

どこか間違ってる気がするので指摘してくれると有難い

870 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 13:29:35
言い掛かりでしかない、領民への重税は放置するとして
織田家や他の大名が、規模の大きな戦の時
銭や米を一切借用していないのならその通り。

871 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 13:45:24
>>869
食料生産の絶対数が高くない限り、人口は増えません。何故なら、増えた人口を
養えないから。
この例えだと、人間一人に対して回ってくる食料の絶対数が少なくなるという事に
なるのだが。

>>870
少なくとも、織田家には領民からの借金という記録はないね。

872 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 14:17:03
>>871
またまた雑な例えになってしまうけど、尾張は一家3人男がいれば自分達の
農地を収穫まで持っていけるけど、甲斐では一家5人いないと収穫まで
たどり着けないのかもしれません。
子供を増やせば家族一人当たりが食える米の量は減りますが、かといって
4人のままじゃ人手が足りなくて収穫まで辿りつけないので断腸の思いで
子供を2人増やすことはありうるでしょう。

特に、この時代は今のように尾張に亡命するというのが難しいので、
甲斐に生を受けた人は、与えられた貧しい土地をいかに耕すかという
ことで頭が一杯だったと思われます。

873 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 14:51:44
>>872
そういう事情はあるかもしれませんが、それでも食料生産が少ないということは
現代で言えば稼ぎが少ないということなのです。稼ぎが少なく家族は多い、では
どうなるか?

もっとも、だからこそ戦とは農村からの口減らし、出稼ぎという側面もあったのですが。
ただし、稼ぎが少ないというのは税収が少ないということで、税収が少なければ
規模の大きな軍隊も編成でき難いということでもあります。隣の領地に侵入して略奪
しまくってすぐに帰ってくるというのならともかく。

874 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 15:06:53
>>872
両国の農家が共に五人家族だとして、
尾張は3人で農業やっていけるが、甲斐は五人いないと農作業が出来ないと言うなら
尾張のほうがある程度恒常的に農民を駆り出せると言うことになる。元の家族の人数が
分からないからおかしな設定だと思う。

また尾張3人と甲斐5人の収穫が同じ量で家族も3人5人としたら、尾張のほうがより農民から
年貢を取りたてることが可能と考えることもできると思う。

875 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 15:49:36
そもそも、この時代の徴税って一人単位でなくて、村や一家族単位じゃなかったか?
人数が多くてもその分生産量が増えなければどうにもならない。

876 :上杉謙信公:2005/06/12(日) 15:58:06
         ',ヽ、
          i  \__| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l
         l   ヽ/        !
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.   , '      / l;;;ヽ  ,イ;;f'゙---ヾゝ;/‐t、
.  ,.'      /. ヾ;;;;`‐、';:;:;:;`;;;;';;;';";;/  l ヽ、_
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877 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 17:29:38
>>875
人頭税というものがある。
ただ、土地からの生産量が少なくて人口が多い分税金も多いとなると、さらに貧しくなるような。

878 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 20:48:55
>>873
「貧乏人の子沢山」という言葉もありますが、貧しい家(時代)ほど子供を
欲しがるという傾向は特に農業ではあるらしいです。これは農家は労働力と
して子供を欲しがるからです。

3人家族で収穫した米を食べるのが一番いいわけですが、甲斐では3人では
(武田家に納める分+自分達が食いつなぐ分の)米を育てきれない。
よって4人、5人にするというのはありうる選択肢ではないでしょうか。

879 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 20:51:30
>>874
私の珍説は後者の意味です。仰るとおり、より少ない人数で同じだけの米を
生産する尾張の農家の方が年貢を負担する能力は圧倒的に高く、それが
武田との経済格差を生んだのは間違いないでしょう。

ただ、私が言いたいのは、閑散期の兵力の拠出能力は尾張と甲斐では
石高ほど差がないんじゃないか、ということです。つまり、農民の人口が
石高に完全に比例はしてないんじゃないかな、と思います。

もし石高と人口が完全に比例しているとすれば、それは織田領と武田領で
農業の生産性(農民一人当たりの石高)が一致しているわけですが、
それは織田領と武田領の間で農民が自由に引越しできなかった状況下では
不自然な仮定だと思うのです。

880 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 21:03:54
甲斐・信濃の100u辺りの農民人口が、
尾張・美濃の100u辺りの農民人口の倍近くいるであろうう、
という仮定なんてそもそも議論にならん、 こういう話は資料を出して話すべき。

>>879
農民は自由な引越しは出来ないが、勝手に引越しはする、
つまりあんまりきついと逃げる。

881 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 21:28:27
仮にも同時代での同じ日本国内の比較なので倍の差はないとは思いますが、
4;5ないし9:10くらいの比率ならありえるのではないでしょうか。
農地に最適な土地がふんだんにある濃尾平野と、往々にして悪条件の土地を
使わなくてはならない甲信では、やはり同じ量の米を生産するにも人手の数が
違うでしょう。
もちろん資料の裏づけがない限りは単なる推論ないし想像ですが。。。

ただ、よく本で見る石高に2.5をかけて兵力を割り出す方法も
「農民一人当たりの石高が一定」の仮定に基づいているわけですから
こちらも資料の裏付けが必要でしょう。

農村人口のデータがないことには・・・

882 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 21:48:44
>>881
当時の濃尾平野は木曾三川による洪水被害がそりゃもうすごいことに。
けして、農業を行うのに最適な土地ではありませんよ。

883 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 22:27:00
>>880
>甲斐・信濃の100u辺りの農民人口が、
>尾張・美濃の100u辺りの農民人口の倍近くいるであろうう、

江戸時代の人口調査では倍近くだと思うが…

884 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 22:32:23
>>873
越後兵…
>>879
兵力の拠出能力は人口よりも経済力だと思うが

885 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 22:44:07
>>884
重要なのは人口と食料の生産能力。
要するに石高でほぼ類推できる。

886 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 22:58:00
重税に喘いでるならその分農地も広げなくちゃな

887 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 23:14:48
>>883
確かに江戸時代の人口からそれぞれの国の面積で割れば倍近くだな、
但し尾張美濃の方が倍近いんじゃ説明にならんだろう。
>>885
そういう意味で経済力と言ったつもりなんだが

888 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 23:20:50
>>887
問題は、国全体の面積ではなくて耕地面積当たりの人口だと思うんだけど・・

889 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 00:19:33
>>888
まあ頑張ってソース求めてくれ、一応耕地面積と人口はあったと思うから。

ちなみにたしか江戸時代の人口は石高とそれほど乖離してないよ国立公文書館で前調べたときは。
まあちゃんと記録とかしてないから保証はしないが。

890 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 02:25:39
小和田が「当時の信長の苦しさなら信長に勝って上洛できたかもしれないが、
やがて信玄も顕如と対立しただろう」と書いてたよ


891 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 03:19:50
http://www.canal96.com/extra/strange/carsex/

892 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 03:20:20
>>890
具体的な根拠が書かれてなきゃ何とも胃炎

それに書いていたというが、一体誰に向けての本なんだか、素人の購買意欲を高めるために
ある程度の妄想を入れただけかもしれん、論文研究書レベルならともかく。

893 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 10:46:20
信長が置かれた状況からすれば、妄想とは言えんのじゃないか?
敵対する相手の多さを考えると、徳川が万全の態勢でも苦しいだろうに。

894 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/13(月) 10:48:58
顕如は信玄よりも先に敵対する勢力があると思われる。

895 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 18:10:40
信玄が本願寺を敵にまわすメリットが思い浮かばない

896 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 19:07:53
んな事言ったら、信長だってそうだ>>895

897 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 20:28:09
>>895
甲斐の地方大名でいるならね。しかし全国政権を目指すのなら、武士とは異なる論理で
存在する巨大な勢力を放置することは出来ない。(してもいいけど、その場合の権力基盤
は非常に脆弱で、不安定な政権にしかならないだろう)

898 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/13(月) 20:48:20
信玄の器量なら、本願寺とは妥協するしかないだろう。

899 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 02:21:11
本願寺を敵に回す大名の方が珍しい。

900 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 03:04:20
一向宗を積極的に敵に回したのは家康くらいか?
朝倉・謙信あたりも相当敵対しているけど。

901 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 04:15:58
信長も最初は懐柔の方向だったと思うが

902 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 08:39:29
>>900
島津

ある意味信長以上に敵対w

903 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 09:01:58
彼らが敵対したのは一向一揆。信長が相手にしたのは本願寺そのもの。
ものが違うよ。

904 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 16:00:48
一向一揆の方が対象として大きいなw

905 :魔玉 ◆TLOxROt30I :2005/06/14(火) 16:12:00
>>903

┐('〜`;)┌

906 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 18:08:32
コテきもっ

907 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 19:57:38
ネトゲに出会い求めてるのか

908 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 19:58:59
誤射乙

909 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 20:06:28
でも、信長と本願寺って最初は友好を保っているんだよね。
上洛前には激励の使者が遣わされているし。

910 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 20:17:48
http://www.hcn.zaq.ne.jp/ganso/neta/sergeant02.htm




911 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 21:15:35
加藤鷹は童貞

912 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 23:19:40
本願寺は最初は信長の矢銭要求にも素直に応じてるしな。
やはり野田福島攻めの時に何かあったのだろうと思うな。
信長がいきなり破却を要求したかどうかはわからんが。

913 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/14(火) 23:47:54
>>911
ワロス

914 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/15(水) 03:49:28
下ろしたら可愛くなるとか言ってた加護ヲタ
下ろしても全然可愛くならないね
髪型ではなく質の問題だな

http://www35.tok2.com/home/uu/img/007.jpg


27 :ねぇ、名乗って :2005/04/19(火) 09:06:57 ID:sJM/GvCy
デブのくせに先生とか呼ばせてるわけ?調子にのるなw
http://kago-ai.sakura.ne.jp/pup/img/kagotopi437.jpg
キッモイ
http://kago-ai.sakura.ne.jp/pup/img/kagotopi438.jpg

915 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/15(水) 04:19:54
http://www.geocities.jp/bachaos50/

916 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/15(水) 15:29:22
上洛しても
寺社・将軍・朝廷などの勢力との調整に追われて
また、有力家臣の絶対支配確立の課題も起きっぱなし
天下統一はむりでしょ。
壊すことも必要

917 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/15(水) 16:42:37
その課題は徳川幕府の命運が尽きても解決しなかった課題ですからw

918 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/15(水) 20:07:17
>>917
徳川幕府の初期と末期では違うことに注意。

919 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/15(水) 23:47:19
無理というだけなら誰でも出来るな。

920 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 01:05:30
信玄はあの世で泣いてるよ
そりゃ自分が20年かけて建てた家を
息子に燃やされたら

921 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 01:06:12
信玄なんて所詮は戦国自衛隊に首を取られた男

922 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 01:47:56
今回ははやかったな

923 : :2005/06/16(木) 01:51:44
信玄は勝頼なんて指名せずに、穴山梅信当たりを素直に後受けにして
老臣やらを補佐に当たらせて政治すれば良かったのに、なんで諏訪勝頼を指名するのかが良くわからん。

924 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 02:05:01
>>920
息子の代で潰さないようにしたければ、気合でもう少し生きるか
そもそも信長と戦わなければ良かったわけだが。
あんなタイミングで死なれたら失地回復不可能な状態に陥るのは
明らかだろうて。
息子のために家を残すのであれば信長の有力な協力者という立場で
地方の一大勢力という立場を選ぶのが状況的に吉でしょうな。

>>923
長男以外に他家を継がせるのは良くある事。
長男に何かあれば復帰して家を継ぐのも良くある事。

中世の生命観では男性が「種」を持ち女性は「器」という考えだったらしい。
だから天皇も男系での継承が求められたんだとか。

つまり穴山信君は母親がどうあれどこまでも傍流に過ぎないわけ。
対して勝頼はあくまでも信玄の息子。

925 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 02:54:48
>長男に何かあれば復帰して家を継ぐのも良くある事。
勉強不足で思い至らないのだが、何かあったっけ?
還俗→家督相続なら結構思い至るが、
一族以外の他家に養子に入った上で実家を継ぐのは良くある事ではないと思うが。

926 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 03:54:43
>>924
その論理だと、義元や氏康も気合で生きるべきだった、ってことにならんか?

927 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 03:56:37
>>925
武藤喜兵衛 田沼意次の次男だか三男 
俺にはこれしか思い浮かばなかった。
しかも例が微妙だしw
長男以外に他家を継がせるのは良くあることだが、その上で長男があっさり死んで長男に子供がいないとなると
例が少ない気がする。

928 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 04:01:58
>>926
氏康はちゃんと氏政が継げるようにしてから死んでる。というか家督譲ってから10年ぐらい経っていないか?
義元も信玄に比べれば氏真に駿河の統治を任せてから出兵してる、があれは桶狭間という突発事項だから
なんともいえん。

929 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 05:05:56
やっぱりね、勝頼の力量不足もあろう
勝頼と言えば真っ先に思い出すのが馬防柵だが、
あの柵も勝頼ならここまで突進してくるだろう、
という完全に舐め切られた状態だったのさ

930 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 10:21:35
735 名前:日和見宰相 ◆7rAzqBFcf. [sage] 投稿日:2005/06/15(水) 21:17:44
三戦は新時代に突入したんだよ
昔を懐かしむような馬鹿はもう三戦に必要ないといえよう

737 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2005/06/15(水) 21:20:12
日和見よ何調子に乗ってんだ?
三戦の新時代にお前のようなヘタレな厨房が必要なのか?

739 名前:日和見宰相 ◆7rAzqBFcf. [sage] 投稿日:2005/06/15(水) 21:21:28
むしろ俺が率先して新時代に導くwwwwwww

741 名前:日和見宰相 ◆7rAzqBFcf. [sage] 投稿日:2005/06/15(水) 21:23:02
俺は日和見様だwwwwwwww

742 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2005/06/15(水) 21:24:13
お前に誰がついて行く?
魔玉に煽られ厨房ぶりを発揮して無様な姿を披露した貴様に!

743 名前:日和見宰相 ◆7rAzqBFcf. [sage] 投稿日:2005/06/15(水) 21:24:40
だれも着いて来ないでいいwwwwwwwwww

747 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2005/06/15(水) 21:26:58
新時代きづくと豪語しておいて誰もついてこなくて良いとは何だ?
さっきと言ってる事が違うと思うが…

749 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2005/06/15(水) 21:28:26
厨房が支離滅裂になってる
お前は三戦板には必要ない存在のようだ

日和見宰相とは芸も知識も無く住人に煽られ池沼・厨房・基地外・馬鹿・口先大王・知的障害すべてを
出すもなす術なしで叩かれた大馬鹿の糞コテです
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1118594252/545

931 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 11:06:46
勝頼じゃなくても
信玄が10年生き延びたところで最後には滅ぼされるのがオチ

932 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 11:34:39
誰かと違い周到ですから、おそらく横死などしませんが?

933 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 13:45:25
信玄だったら信長も馬防柵を作らなかった

934 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 16:59:56
>>932
周到、といわれるワリには家督継承に関してが凄まじく酷いのだが。

935 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 17:08:40
家督は高坂君に譲るつもりだったんよ

936 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 17:17:57
>>934
自分の死んだ後のことなんぞどーでも良かったんだろ。
信玄くんは自己中だから。

937 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 17:19:25
>>934
飯富が死んだっけ‥
内戦は起きてないよね?

938 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 17:35:57
義信じゃなくて晴信の家督相続の話だろ

939 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 18:08:04
勝頼ってバカ殿様なんですか?

940 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 18:13:22
>>939
何をもって馬鹿というかにもよるがな。
確実なのは敗けたってだけだろ。

941 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 19:46:32
勝頼は猛勉強して落ちた受験生、氏真は遊びまくって落ちた受験生、
ってところじゃないか

942 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 20:20:03
>>941
とはいえ、武田家は滅亡したが、今川家は生き残ったからなあ。
そういう面から言えば、氏真>勝頼になっちまうけど。

943 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 20:28:07
血筋が残ったって意味か?
それなら武田だっていくらでも残ってるだろ。
嫡流に拘らなければ。

944 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 20:31:12
それを言うと
部下に殺された信長<のほほんと生き延びた氏真、になるしな。

945 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 20:33:27
氏真最強説が浮上

946 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 20:43:57
してないw

947 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 21:12:04
つか氏真の血の半分は武田だろ

948 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 21:25:25
あれ、今って勝頼擁護の糞スレないの?

949 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 21:29:36
あんなスレ意味ないだろ

950 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/16(木) 21:43:24
名前ばっかりいつも聞くのだが
http://www.motherchildren.com/ShowArticle1.asp?ArticleID=140
この人の事?


951 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 00:05:54
>>926
義元って討死じゃん・・・・気合も何も。
氏康がもうちょっと頑張っても秀吉が関東に来る時までは
もたないだろうしなあ・・・・

>>943
信玄の次男と七男は生きてるからこれも嫡流と言えば嫡流だな。

>>944
それは、ある。
頑張って恨み買うだけ買って謀反で憤死する人生と
名門に生まれててきと〜に生きて最後はちゃっかり生き残る奴と。
どっちが幸せかなんてわかりゃしねーわな。
今も昔もね。

952 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 00:11:58
>>951
気合いで槍を跳ね返せ!!!

953 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 00:56:45
義元って最期は結構ねばったんじゃなかったっけ?
槍の先を切り落としたとか果ては噛み付いたとか

954 :信玄厨の特徴:2005/06/17(金) 00:59:45
#1: 独り言が異常に多い
#2: 基本的に不潔野郎である
#3: すぐ自分の世界に入る
#4: 他人の話をあまり聞こうとしない
#5: なんにでもすぐ首を突っ込みたがる
#6: 知識をひけらかしたがる
#7: 物心がまだついていない
#8: なにかと批評をしたがる
#9: 異常に暗い、又は異常に明るい
#10:大馬鹿野郎である
#11:やかましい
#12:死ね!


955 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 01:09:48
革新的な商法でライバル企業に勝ち日本一の企業を築いたものの
強引な経営から社員の恨みをかって保養所に泊っている間に
襲撃されて殺された実業家

親の交通事故死で当時日本一の売上を誇る企業を引き継いだものの、
経営に全く興味がなくサッカーに没頭してる間に、有能な
部下に独立起業され、会社もやがてその部下の企業に吸収合併され
職を失ったものの、部下の厚意でサッカーの費用と生活費を
死ぬまで出してもらった2代目

どっちが幸せだろうか

956 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 02:14:21
勝頼って結局は人をひきつける魅力に乏しかったんだろうなあ

957 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 02:15:53
>>956
なんつーか、そこらへんは憶測にしかならなくね?

958 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 02:27:25
名のある者だけで40人余りが絶望の逃避行でもついてきたってのは
多いのか少ないのか。
朝倉義景は最期何人だっけ?

959 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 02:30:17
その人数からしてどこまでホントかどうか

960 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 02:36:07
朝倉義景はかなりの戦略家だったと思うんだが詰めが甘かったのが、痛いよな。
勝頼も大事なところで失敗すること考えても似たようなもんか。

961 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 02:37:49
>>958
そら一人にはなりませんがな

962 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 02:43:33
義景は自領に籠もってばっかりだったのかショボーンだな。

963 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 03:06:28
>>960
>朝倉義景はかなりの戦略家だったと思うんだが

どう反応したら良い?

964 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 03:07:33
>>958
それ以前に、絶望の逃避行になっちゃったところが勝頼の人徳な
わけで

965 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 03:08:30
>>959
太田牛一が士分41人、上臈など50人と記しているから間違いではないだろう。

966 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 03:09:22
>>964
家臣たちが誰も織田秀信を盛り立てないのも信長の人徳だな。

967 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 03:09:27
妾腹っていうのがまず苦しい

968 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 03:12:51
>>965
織田側の武将が書いたことを鵜呑みにする気にはなれないなぁ。
わざと少なく書いて、こんな惨めな最後を遂げることになった愚将だったとか、
甲斐・信濃での民衆に対する印象操作とかかもしれないわけで。

969 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 03:21:14
>>968
太田牛一によれば、信虎・晴信・勝頼と三代に渡り国主として
さんざん人を殺した因果で哀れな最期を遂げる羽目になったんだとさ。
そりゃ信長も謀反で憤死するわけだ。

ちなみに甲陽軍鑑も名のあるもの四十余名とか書いてたから
侍身分で殉死したのはそのぐらいでしょう。
それ以外は不明だけど。

970 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 07:01:54
まるで家康がさんざん人殺してないみたいな言い草だよなあ

971 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 08:11:44
神君家康公

972 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 17:18:16
>>970
愚か者
家康公は天下万民の為、やむを得ず涙を呑んで行ったのだ。

973 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 18:44:46
それだけはありえねえ

974 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 21:11:28
31スレの概要
>>1-24テンプレ
>>36-889兵農分離 他各大名の兵事情 農繁期の出兵例 戦国の農村都市状況 知行の与え方
 江戸時代の知行制等について
>>62-65 >>143-144織田合戦一覧


時間があったらもっと詳細に兵農分離部分をまとめるかな

975 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 23:14:13
>>972
信長にだって始皇帝にだってヒトラーにだってチンギスハンにだってアレクサンドロスにだって
言える言い訳だわな。
つまり、意味なし価値なし。

976 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 23:58:06
>>975
牛一さんの理屈で言えば、その死に様でどっちだったか判定できるはずだなw

977 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 02:08:28
アレクサンドロスの死後、部下達がかってに領土を分割してマケドニア王家は消滅。
だから、アレクサンドロスは人望がなかったと言えるのか?

978 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 03:46:55
いやむしろ王のカリスマだけで国がまとまっていたという事だろう。
布団の上で死ねたならそれはきっと幸せだったのではないかな。

979 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 09:54:39
1000まで届け1・2・3!!

980 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 12:11:31
asamoya


981 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 13:22:01
>>978
アレクサンドロスの暗殺説も昔からかなり根強く言われていることだがな。
しかも、その場合に犯人として挙げられるのはマケドニア人ばかり。

982 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 16:37:01
a


983 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 16:38:46
b

984 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 19:11:15


985 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 19:11:26


986 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 19:11:36


987 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 19:11:47


988 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 19:11:56


989 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 19:19:42


990 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 19:20:14


991 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 21:33:35
結論
武田信玄の、2万5千で上洛は、不可能だった!
武田信玄の、2万5千で上洛は、不可能だった!

992 :可児坊 ◆YVkAG1cfOM :2005/06/18(土) 21:35:01
結論
武田信玄の、2万5千で上洛は、可能だった!
武田信玄の、2万5千で上洛は、可能だった!

993 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 21:37:21
2万5千はもうやめよーぜ!

994 :可児坊 ◆YVkAG1cfOM :2005/06/18(土) 21:38:25
だよねー

995 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 21:38:42
【武田】2万5千で上洛【信玄】その32
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1119098285/

996 :無名武将@お腹せっぷく:2005/06/18(土) 21:39:39
はーーーーー・・・・・・・・

997 :可児坊 ◆YVkAG1cfOM :2005/06/18(土) 21:41:33


998 :可児坊 ◆YVkAG1cfOM :2005/06/18(土) 21:41:56
にゃろめーー

999 :可児坊 ◆YVkAG1cfOM :2005/06/18(土) 21:42:19
だだだだだだだ

1000 :可児坊 ◆YVkAG1cfOM :2005/06/18(土) 21:42:44
結論
武田信玄の、2万5千で上洛は、可能だった!
武田信玄の、2万5千で上洛は、可能だった!

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  立  新   /   ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、    ,r';;r"           _ノ  と   何
  て  し    L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/             )   申   と
  ね  い   //;;/´         `' 、;;;;;;;;,,l;;'            /ヽ  す  1000
  ば  ス   /.,';/              ヽ;;;;,l;L_      .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i  か   を
  い  レ   l |;|┌--‐フ  ┌----、、   |;ヾr''‐ヽ,  ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く  !!    超
  か  ッ   i  |l ~~__´ 、   ``'__''''┘  |;;;;;l rO:、;  ´ ィ○ヽ    'i;;;;;厶,     え
  ん  ド   l _|. <,,O,> 〉   <,,O,,>    |;;;;;| `'''"/   `'''''"´     !;;;;;;;;ヽ   た
  の  を  ._ゝ'|.    /   、       |; ,'  /   、        |;;;;;;;;;;;;;レ、⌒Y⌒ヽ
  う     「 | |    (    )       .ソ l  ,:'   _ ヽ       .|;;;;;;;//-'ノ
        ヽヽ |    _,ニ ニ,,,,,_        ', ゞ,' '"'` '"       i;;;;;i, `' /
⌒レ'⌒ヽ厂 ̄  `| ,、ィ-‐''__'''‐-`,、     '' .', i、-----.、       `''"i`'''l
人_,、ノL_,iノ!  . ',   :i゙''''''''''`l'  ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\       ,'  ト、,
      /     ヽ   L__」   「 で 書 Lヽ ヽ〈    i|         Vi゙、
ハ ワ  {.      ヽ.  -、、、、 '  ノ  き き 了. ゙, ,ヽ===-'゙ ,'     ,   // ヽ
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